第二十一章……理由
屋上に続く階段を一気に駆け上り、鉄製の扉を勢いよく開けた。
俺の目に飛び込んできたのは、オレンジ色に染まりつつある空と、二つのシルエットだった。
目を凝らしてよく見てみると、シルエットの正体が判明した。
大胡と、由香ちゃんだった。
「どうして、由香ちゃんが」
由香ちゃんは、大胡に腕を掴まれていて、必死にもがいていた。大胡は薄笑いを浮かべて、こちらを見ている。
「よう、遅かったな」
「由香ちゃんを離せ!」
涙を浮かべて、由香ちゃんはこちらを見ていた。
「ああ、最初から離すつもりだったよ」
そう言うと、大胡は簡単に由香ちゃんの腕を離した。
由香ちゃんは涙を浮かべながらこちらに駆けてきて、俺の後ろに隠れた。
「ねえ、もう時間がないから早く学校から出て」
大胡のほうへ顔を向けたまま、俺は後ろに隠れている由香ちゃんに言った。由香ちゃんは黙ったまま頷くと、今にも消え入りそうな声で言った。
「黒総先生を……止めてください」
「ああ、言われなくても分かっているよ」
俺が言うと、由香ちゃんは屋上の出口に向かって走って行った。俺は後ろに振り返り、由香ちゃんがいなくなるのを見届けてから、また大胡のほうへ顔を向けた。
「どうして、由香ちゃんを捕らえていた?」
黙ったまま、大胡は俺の目を見つめている。
「まさか、計画が狂ったことを根に持っているのか?」
大胡の眉がかすかに動いたのを、俺は見逃さなかった。初めてかもしれない。大胡が反応を示したのは。
「何が言いたいんだ?」
さきほどまでの余裕さは、さほど感じられなかった。
「あの時、すぐに帰ったのは大きな間違いだったと、お前はそう後悔しているんだろう?」
無言だったが、俺にはそれが肯定しているように思えた。
「一ヶ月前、お前が帰ったあの後、由香ちゃんは全て話してくれたよ。事件の真相について」
無言のまま、大胡はこちらを見ている。
「それを聞いて、納得したよ。お前が、呼び出されたにも関わらずすぐに帰った理由をね」
「ほう。ならお聞かせ願おうか。その理由を」
腕を組み強気な態度をとっていたが、大胡の声からは若干の動揺が感じ取れた。
大胡は徐々に、追い詰められているっていうことか。
鉄壁の要塞が陥落するまで、あともう少し、ってところだな。
「あの公園で、誘拐犯と誘拐された娘の母親との、身代金の取引があった。だから、俺たち刑事は茂みに隠れていた」
「それで、俺が来てお前は飛び出したわけか。俺が由香を殺すと勘違いしたんだろう?」
「ああ。けど、違ったんだな。由香ちゃんのほうが、お前を呼び出した。偶然にも、身代金の取引が行われる公園に。しかも、取引の時間とぴったり重なっていた」
「そのおかげで、お前は勘違いをしてしまい飛び出して、誘拐犯に刑事の存在が気づかれ、お前ら警察の計画は破綻した、というわけだ」
「そうだよ。本当、運悪いよな」
言って、俺は自嘲気味に笑った後続けた。
「そして、ここからが本題だ。どうして、呼び出されたにも関わらず俺に見つかるなり、お前は帰ってしまったのか」
「まずは、そこを聞きたいね」
「その理由は、事件の真相を聞けば必然的に答えを導き出すことが出来る」
「お前はもうすでに分かっているのか? この事件の真相を」
「大体はな。由香ちゃんが話してくれたんだ」
フェンスに背中を預け、大胡は探るような目つきをこちらに向け言った。
「お前があの場をあっさり去った理由は、由香ちゃんがすぐに帰るからだと思ったからだろう?」
大胡の表情が、みるみる内に険しくなってきた。
「お前は、俺が由香ちゃんを引き止めるところまで想定していた。お前の考えでは、由香ちゃんは俺を無視して帰ると思っていた。何故なら、由香ちゃんもこの殺人事件に関わっているのだからな。
けど、由香ちゃんは帰るどころか俺に全てを話してくれた。多少のリスクを覚悟の上で。これが、お前にとっての誤算だった。由香ちゃんが真相を話したことにより、お前は言い逃れできる状況ではなくなってしまった。それで、急遽この計画を思いついた。そう考えれば、このタイミングで神南中学に爆弾を仕掛けたことにも説明がつく。ずっと準備していたから、こんなにも遅くなったんだろう」
「なるほどね。ほぼ正解だよ、健人。おめでとう」
大胡は白々しく言って、まるで心のこもっていない拍手を俺に送った。
「じゃあ、一つ聞いてもいいか? どうして、俺の元へ来なかった?」
「は?」
「由香から話を聞いた直後に、俺に確認をとりにくるべきじゃなかったのか。由香を証人として、上司にでも連れて行けばよかったじゃないか」
もっともな意見だが、その答えはすでに用意していた。
「二つ理由がある。一つは、由香ちゃんのためだ。由香ちゃんの気持ちを考えたら、そんな酷なことできない。
もう一つは、俺が謹慎中だったから。一ヶ月、俺は刑事じゃなかった。だから、俺は謹慎が解けるのを待った。そういうことだ」
「なるほどな」
理由を聞いても、大胡はとくに驚いた様子も見せず、まるで予想通りというような表情すら見せていた。
「そうか。謹慎が解けて、今刑事として俺と対峙しているというわけか。
ま、お前が真相を知ったところでどうすることもできない。それがどうした、っていう感じ」
開き直った態度を示し、大胡は挑戦的な眼差しを俺に向けて言った。
「分かったところで、どうなるっていうんだ? 俺はここで死ぬ。お前も死ぬ。結果は変わらない」
「お前を死なすわけにはいかない」
「なんだと?」
「俺は、どんな手を使ってもお前を連れて帰る。絶対に死なせねえよ。お前は生きて、罪を償うんだ」
大胡は、薄く笑みを浮かべた。
「もう無理だぜ。あと五分で、爆発だ」
「急げば、ぎりぎり間に合う。ほら、いくぞ」
俺は大胡に近づいていって腕をとり、屋上の出口まで強引に連れて行こうとした。しかし、その場から大胡は動こうとしなかった。
こいつの決意は、そう簡単には変わらないか。
このままじゃ、俺たちは爆発に巻き込まれて死んでしまう。死にたくない。まだやり残したことだって、たくさんあるんだ。
けど、俺は大胡を置いて逃げるぐらいだったら、ここで死んだほうがましだった。こいつは、どんなことがあっても俺の親友だ。
「俺のことはほっといてくれよ!」
大胡は大声を上げ、俺の手を振りほどいた。大胡が感情を露にする姿を、俺は初めて見た。
「大胡……」
「お前だけでも逃げればいいだろうが。いいか、俺はお前の親友でもなんでもない。赤の他人だ。だから、俺のことはほっとけ」
「それがお前の、本心なのか?」
大胡がすぐに頷かなかったのは、少なからず揺れている証拠だろう。大胡だって、こんなところで死にたくないはず。
「なんと言われようと、俺はお前を連れ戻す」
再度大胡の腕を掴み、さっき以上の力で引っ張ろうとしたが、やはり動こうとしない。
「どうしてそこまで、俺を連れて帰ろうとする。手柄がほしいのか?」
そんなことを言われて、俺はショックだった。そんなじゃない。手柄のために、俺は屋上へ来たわけじゃないんだ。俺はただ、大胡に罪を償ってほしいだけなのに……。
「お前が俺の親友だからだよ!」
大胡のほうへ顔を向けて、俺は叫ぶように言った。
「お前の親友だから、俺は絶対に死なせたくない」
この言葉に、偽りなどなかった。本心から出た言葉で、言葉を選んで言ってなどいない。あとは、俺の思いが大胡に届くかどうかだ。
すると、大胡の足がかすかに動いた気がした。
「どうして、死なせてくれないんだよ」
ボソッと、大胡は呟くように言った。
「一緒に出ようぜ、大胡」
俺がもう一度大胡の腕を強く引っ張ると、今度はしっかりと動いてくれた。
「こんところじゃ、死ねないよな」
俺は言って、大胡の腕を掴んだまま屋上の出口まで駆けていった。