第二十章……二つの選択肢
神南中学の正門には、異様な人だかりが出来ていた。駆けつけた刑事たちと、何が起こったのかと興味本位でやってきた野次馬たちが群れを成している。
この人だかりのせいで正門までどうしても近づけず、俺はしょうがなく後方で様子を窺うことにした。
俺は今、この急展開に多少の混乱を覚えていた。
警視庁のセキュリティシステムを乗っ取って、爆弾を仕掛けたと言ってきたのは、間違いなく大胡だろう。爆弾を仕掛けたというのは、おそらく本当だ。やつは、神南中学と心中するつもりなのだ。全てを、終わらせたがっている。
しかし、何故今なのだろうか。もう少し早くてもよかったのではないか。その点だけが、どうしても解せなかった。
急に、計画を変更する必要があったとか。だとすると、やつは由香ちゃんが俺にしてくれたあの話をどこかで聞いていたのか。
「わからねぇや」
自嘲気味に俺は言って、屋上を見上げた。大胡がいるとすれば、あの屋上以外に考えつかない。
俺たちが、國藤の殺害計画を考えた場所。
「君たち、早く降りてきなさい」
前のほうにいる刑事が拡声器を口に当てて、窓から顔を出している生徒たちに呼びかけていた。彼らは、友達と顔を合わせながら何事かとこちらを見ていた。
「神南中学に、爆弾が仕掛けられた。あと三十分で爆破する。早く降りてきなさい」
生徒たちは一瞬ざわめいたが、またもとの調子に戻ってこちらを見ていた。やはり、そう簡単には信じることなんてできないよな。
「早くしないと、君たちは皆死んでしまうぞ。早く降りてきなさい」
それでも、彼らは逃げようとしなかった。指をさして、こちらを笑っている生徒もいる。その様子に、拡声器で呼びかけていた刑事も頭を抱える始末だった。
「もういいんじゃないすか? 爆弾が仕掛けられている、っていうのも少し怪しいですし」
呼びかけていた刑事の、隣に立っている若い刑事が面倒くさそうに頭をかきながら言った。
「あいつら、いくら呼びかけても降りてこないっすよ」
どうしてあの刑事は採用されたのだろうか。喋り方といい、風貌といい、刑事の風上にも置けないやつだ。なんだよ、あの髪の色。どうして赤なんだ!
いや、ちょっと落ち着け。今はあの刑事に切れている場合ではない。この問題をどうするかだ。
爆弾が、校舎に仕掛けられている。しかし、いくら呼びかけても生徒たちは降りてこようとしない。大胡が言った通りであれば、爆破まであと二十五分といったところか。今なら、まだ間に合う。
俺は決心して、腰の横に携帯されている拳銃に手を伸ばした。
「いいか、君たち。早く降りて――」
突如轟いた銃声に、野次馬の連中や刑事たちは悲鳴にも似た声を上げ、教室からこちらを見ていた何人かの生徒たちも驚いて、中へ引っ込んでいった。
「何をしているんだ、君は」
近くにいた刑事が、俺の肩を掴んで言った。
「こうするしかないんですよ」
静寂に包まれている中、怯むことなく俺は言った。自分のした行為は、決して間違っていない。現に、こちらを見ていた生徒たちも静かになったじゃないか。これで、刑事たちの呼びかけにも応じてくれるはずだ。
「いいかい、君たち」
気持ちを切り替えて、刑事は拡声器で生徒たちに再び呼びかけた。
「頼む、そこからでてきてくれ。君たちの命がかかっているんだ」
この呼びかけに動き出す生徒も出てきたが、いまだに身を乗り出してこちらを見ている生徒もいた。まだ、信じられないか。
「前田さん」
俺を注意した刑事が、もう一人の刑事の声に振り向いた。どうやら、前田というらしい。
「教師たちも、なんとか生徒たちを避難させようとしているみたいなんですが、全く動こうとしないらしいです」
「そうか」
前田さんがその言葉を聞きうな垂れた直後、ポケットに入れてあった俺の携帯が振動した。
携帯に出ている場合ではないが、一応確認しておこうと思い携帯を開くと、ディスプレイに非通知と表示されていた。
嫌な予感がした。俺は、慎重に携帯の通話ボタンを押して、人だかりから少し離れたところまで移動し、画面を耳に近づけた。
「もしもし」
数秒の間の後に、聞き覚えのある声が通話口から聞こえてきた。
「よう、健人」
嫌な予感は見事に的中した。非通知でかけてきたのは、大胡だったのだ。
「お前、何のつもりだよ」
「何のって、何が?」
普段と変わらぬ口調で、大胡は言った。
「爆弾を仕掛けたの、お前だろう?」
「ああ」
大胡の即答に、俺は少々戸惑った。
「今回は、あっさり認めるんだな」
「まあな。否定してもしょうがないし」
「なあ、大胡。お前は一体、何を考えているんだ」
「お前に分かるか? 俺がどうして神南中学に爆弾を仕掛けたのか」
「そんなことはどうでもいいんだよ」
内心焦っていた俺は、口調を荒げて言った。爆発まで時間がないんだ。答えている暇なんてない。
「俺は、お前を捕まえる。お前が否認しても、必ず捕まえてみせる」
「やってみろよ」
大胡は、依然として強気な姿勢を崩そうとしない。どこから、それほどの自信がみなぎってくるのか。もしや、これも作戦なのか。
「爆発まで、あと二十分だ」
唐突に、大胡は言った。
その言葉を聞き、俺の心臓の鼓動が一段と早くなるのを感じた。一瞬、息が出来なくなったぐらいだ。
あと二十分で、六百人の命が吹っ飛ぶのか。
俺は校舎のほうへ目を向けた。野次馬や刑事たちが正門に集まっているためよく見えないが、何人かの生徒が昇降口から出てくるのが確認できた。
「お前には今、二つの選択肢がある」
「何?」
大胡の感情のこもっていない口調が、俺の恐怖心をいっそう募らせた。
「俺は今、屋上にいる。爆発まであと二十分だ。屋上から正門までは、急げば五分で行ける。往復しても十分だ。が、俺は脱出するつもりはない」
「何が言いたいんだ?」
「もし、お前が俺をまだ親友だと思っているのなら、死ぬのを覚悟で屋上に来い。決着をつけようぜ」
「なんだよ、それ」
相手に動揺しているのを悟られないよう意識をして言ったつもりだったが、声は完全に裏返ってしまっていた。
「なら、もう一つの選択肢は?」
おそるおそる、俺は訊いた。
「神南中学が爆発するのを、見届けるんだよ」
なるほどな。俺には、死ぬか生きるかしか残されていないのか。
まさか、これほどの窮地に立たされてしまうとは。三十年間生きてきた中で、最大のピンチだぜ。
「さあ、どうする? 悩んでいる暇はないぞ」
「ああ」
俺の答えは、すでに決まっていた。
「それじゃあ、どちらかを選べよ」
言い終わると、大胡は通話を切った。その刹那、校舎の近くにあった倉庫が、爆発した。生徒たちの悲鳴が、こちらまで聞こえてきた。
「あいつ……」
もしかして、大胡は最初から生徒たちを殺すつもりなどなかったのではないだろうか。俺には、そうとしか思えなかった。
こんな状況なのに、自然と笑みがこぼれてしまった。少し嬉しかったのだ。
俺は携帯をポケットにしまい、人だかりを掻き分けて校舎に急いだ。
刑事たちに引き止められそうになったが、なんとか振り切って全力で走った。
悲鳴を上げながら、何百人もの生徒たちが昇降口から出てきて、我先にと正門のほうへ向かって走ってきた。
おそらくこれも、あいつの作戦なんだろうな。
あいつは分かっていた。俺が屋上へ向かうことを。だから、少しでも時間をかけさせようと、倉庫を爆発させてこのタイミングで生徒たちを避難させようとした。
おかげでなかなか前に進めない。刻一刻と、爆発の時間が迫ってきているのに。
生徒をかきわけ、ようやく昇降口まで辿り着き、俺は腕時計に目をやった。
爆発まで、あと十五分。
俺は今少しだけ、自分のとった行動に後悔し、同時にそんな自分を情けなく感じていた。
先ほどは衝動的に動いてしまい、我を見失っていたが、こうして冷静になって考えてみると、死ぬかもしれないという恐怖心を抱いている自分がいることに気がついた。
大胡よりも、俺は自分の命のほうが大切なのか。
悔しいが、そうかもしれない。他人のために、人生を捨てることなんて俺にはできない。
俺は、そんな立派な人間なんかじゃないんだ。
踵を返し、俺は戻ろうとした。
爆発まで、残り二十分を切っている。
俺が急いで屋上に向かったところで、どうなる。屋上に着いたときには、おそらく十五分もないはずだ。それにあいつは宣言したじゃないか。脱出するつもりはない、って。それはつまり、説得には応じない、ということだ。
なんだ、俺が行ったところで何もならないじゃないか。無駄死にはしたくない。
帰ろうと歩を進めようとしたが、なかなか一歩を踏み出すことができなかった。
何を悩んでいるんだ、俺は。死にたくないのに。どうして躊躇っている。
俺にとって……あいつは、他人なのか。
顔を俯かせ、俺は握った拳を壁に叩きつけた。
「違うだろうがよ」
声のトーンを下げて、呟いた。
どうやら俺は、本当の自分を見失っていたらしい。
あいつは他人なんかじゃない。どんなに否定されようと、俺はあいつの親友だ。一時でも、大胡を見捨てようとした自分が腹立たしかった。
俺が、あいつを止めなくちゃいけないんだ。
強い決意を胸に抱き、俺は屋上に急いだ。
爆発まで、あと十八分――。




