第十九章……それぞれの覚悟
翌日、俺はクビを覚悟で三係に出勤した。
由香ちゃんから事件の真相を聞いた後、俺は警視庁には戻らず帰宅した。時間がほしかったのだ。彼女が語った事件の真相を、受け入れるための時間が。
寝ずに考えた結果、俺はようやく決心することが出来た。
刑事を潔く辞めて、あいつに自首するよう説得し続けるのだ。
たとえ何年かかってもいい。俺は、あいつが自首するまでずっと諦めない。
これで、開き直れた。最初からこうしておけば、もっと気楽に構えることが出来たのかもな。
「おはようございます」
三係へ入り挨拶をしてから、俺は早速湯原先輩のもとへ向かった。
昨日よりも、皆の俺を見る目つきが一段と冷たかった。だが、もう関係ない。俺は刑事を辞めるのだから。
「おはようございます、湯原先輩」
デスクで書類整理をしていた湯原先輩は、ゆっくりと俺のほうへ顔を向けた。
「よくのこのこと来られたな」
露骨に非難のまなざしを向けて、湯原先輩は言った。
「誘拐犯は結局、捕まらなかった。警察を呼んだら娘を殺す、っていうのが誘拐犯の主張だった。この意味、分かるか?」
その一語一句が、俺の胸に深く突き刺さった。
「今頃、娘さんはどうなっているんだろうな」
言ってから、湯原先輩は立ち上がって俺の胸倉を思いっきり掴んだ。
「お前が、殺したんだよ!」
俺は、何も言うことが出来なくて顔を俯かせた。
昨日、俺がとった軽率な行動は罪のない尊い命を奪った。本来の任務を忘れて、大胡を優先したのだ。
しかもあれから、誘拐された少女のことなど一つも考えなかった。大胡のことばかりしか、考えていなかったのだ。
何しているんだろうな、俺。刑事なんて、最初からやる資格なんてなかったのかもしれない。こんな、私情に流されやすい刑事なんて失格だよな。
「いいか、お前はクビだ。二度と、俺たちの前に姿を現すんじゃない」
吐き捨てるように言うと、湯原先輩は俺の胸倉から乱暴に手を離した。
「とっと帰れよ」
そう言われても、このまま帰るわけにはいかない気がした。後味が悪い。
せめて、誘拐事件の解決の手助けをしたい。俺のせいで、誘拐された少女は殺されたかもしれないのだ。誘拐事件を解決して、綺麗さっぱり刑事を辞めたい。
けど、湯原先輩は俺に協力なんてさせてくれないだろうな。すごい剣幕だったし。俺と一緒に仕事なんか、したくもないだろう。
どうしたらいいんだよ。今度は、誘拐事件のことが気になって、大胡のことが考えられなくなってきた。
「さっさと帰れよ、川原!」
黙ったままずっといる俺に、湯原先輩は痺れを切らして怒鳴った。
これ以上ここにいるのは危険だと悟り、未練を残したまま三係を去ろうとした矢先、天井に設置されているスピーカーから、変声機で変えられた声が流れてきた。
「どうも、警視庁の皆様」
明らかに怪しい人間であることは、すぐに分かった。一体誰なんだ。
「今、色んなことが起こって大変なのでしょう?」
「なんだ、このふざけた野郎は」
イラついた口調で、湯原先輩は言った。
「ですから、私が皆様の疲れを癒すためのショーをご用意いたしました」
俺は嫌な予感がした。額から、冷や汗が流れ落ちてくる。
「大量虐殺です」
その言葉を聞き、座っていた人たちは反射的に立ち上がって、スピーカーを睨み付けた。
「ある中学校に爆弾を仕掛けました。一時間後の、十四時に爆破する予定です。急いだほうがいいですよ。生徒たちは、自分たちが人質であることを自覚していない。通常通り、授業をしていますからね」
スピーカーから流れてくる変声機で帰られた声が、俺たちの恐怖心を募らせた。
こいつは、化け物だ。
人を殺すことに、何の罪悪も抱かない。
正真正銘の、化け物だ。
「いいですか。今から、爆弾を仕掛けた中学の名前を言いますので、急いできてくださいね」
この化け物の口調は、楽しんでいるように感じ取れた。俺たちが慌てふためく姿を想像して、おかしくて仕方ないのだろう。
腸が煮えくり返る思いだった。
「私が爆弾を仕掛けたのは、神南中学です」
その時、俺の頭に殴られたような衝撃が走った。
今、この化け物はなんて言った。
「いいですか、皆様。あと一時間で、六百人の命が吹っ飛びますよ」
まさか、この化け物の正体はあいつなのか。
あいつは、神南中学を爆破させることで全てを終わらせようとしているのか。
「それでは、皆様のご検討をお祈りしています」
スピーカーからかすかに流れていた雑音が消え、三係は静寂に包まれた。
それから数秒もしないうちに、皆一斉に動き出し、次々と三係を飛び出していった。
そんな中、湯原先輩は目頭を押さえて独り言を呟いた。
「どうして、こう立て続けに事件が起こるんだよ」
脱力したように椅子に座り、湯原先輩は天井を仰いだ。
「湯原先輩」
俺が呼ぶと、湯原先輩はこちらを向いてくれた。
「刑事辞めるの、明日でもいいですか?」
「あ?」
「やらなくちゃいけないことが、出来たんで」
「お前には、この事件は関係ない」
「関係あります」
一呼吸置いて、俺は言った。
「俺が、止めなくちゃいけないんです」
湯原先輩に何か言われる前に、俺は三係を飛び出した。
神南中学に爆弾を仕掛けたのは、間違いなく大胡だ。大胡は、おそらく心中するつもりで、神南中学に爆弾を仕掛けたのだろう。
やつは、全てを終わらせたがっている。
けど、まだ終わらせるわけにはいかない。あいつに訊きたいことは、山ほどあるんだ。だから、死なせるわけにはいかないのだ。
それに、罪もない命をこれ以上犠牲にしたくはない。
その思いを胸に抱き、俺は神南中学に向かった。