第十八章……語られた真相
「いいんですか、出なくて」
アイスコーヒを一口啜った後に、由香ちゃんはテーブルの上で振動している俺の携帯を一瞥して訊いた。
「まあ、いいんじゃない」
他人事のように言って、俺は携帯を手にとって開いた。案の定、湯原先輩からの着信だった。
俺は、大胡との関係を訊くために由香ちゃんをカフェに誘った。最初、少し戸惑いの表情を浮かべていたが、何回も頭を下げてようやくオッケーが出たのだ。
俺のせいで誘拐犯を取り逃がしたことは、本当に責任を感じている。言い訳に聞こえるかもしれないが、大胡を捕まえなくてはいけないという、強い使命感が俺を茂みから飛び出させたのだ。
だが、これも全てやつの作戦だったのだ。大胡は知っていた。あの公園で、誘拐犯との取引があるということを。
知っていたからこそ、やつは現れた。理由は、俺を利用して刑事の存在を誘拐犯に知らせるため。
しかし何故、そんなことをしたのだろうか。俺をクビにしたいからなのか。そうだとしたら、矛盾が生じてしまう。
やつのおかげで、俺はクビにならずにすんだ。クビにしたかったのであれば、あの時警察を訴えればよかったはずだ。
駄目だ、理解できない。大胡は、何を考えて行動をしているのだろうか。
俺のせいで、誘拐犯は逃亡してしまった。取引も、中止になった。罪のない女の子の命を、俺が奪ってしまったのだ。クビも、決定的であろう。
俺は、先ほどから振動している携帯に嫌気がさして、電源を切った。どうせ出ても、怒鳴られるだけだ。今は、由香ちゃんから話を聞くほうが大事だ。
とんでもないことをしたのは、自覚している。償いきれない過ちを犯したと、思っている。
それでも、めげるわけにはいかなかった。一刻も早く大胡を捕まえないといけない。大胡を捕まえてから、いくらでも処分は受ける。
「何ですか、話って?」
素っ気無い口調で言われ、俺は早くも心が折れそうになった。
「えっと、君と大胡の関係が気になって」
大胡にとって、由香ちゃんはただの教え子ではないと俺は睨んでいる。大胡は、身代金の取引を邪魔させるために、由香ちゃんをあの公園に呼び出した。由香ちゃんも、大胡の呼び出しに素直に応じた。
二人は、付き合っているのか。教師と教え子が付き合っているという話は、今時珍しくない。しかも、大胡は女子から圧倒的に人気があるというではないか。
あながち、この推測は間違っていないかもしれない。
「普通、だと思いますよ」
唐突に、由香ちゃんが言った。
「普通って?」
「だから、他の生徒たちと変わらない、普通の関係です」
「でも、大胡に呼び出されてあの公園に行ったんだよね?」
由香ちゃんは首を傾げて、言った。
「どうして、そう思うのですか?」
「それは、大胡が……」
俺は、途中で口をつぐんだ。俺の推測を言ったところでどうなる。彼女から反感を買うかもしれないし、彼女が大胡と繋がっていたとしたら、俺の考えがばれるということになる。
「黒総先生が、どうしたんですか?」
「いや、なんでもないよ」
露骨に、不満そうな表情を浮かべた由香ちゃんだったが、それ以上は追及しなかった。
「それよりも、どっちがあの公園に呼び出したのかな?」
「あたしですよ」
平然とした口調で、コーヒーカップを口に当てながら彼女は言った。
俺は信じられなかった。大胡が、あの公園に由香ちゃんを呼び出したのではないのか。
そうだとしたら、なんという偶然だ。まさか、彼女があの公園へ呼び出した時間と、身代金の取引の時間が重なるなんて。
あの時、俺は大胡にはめられたと思っていた。俺の刑事生命を絶つために、仕組んだことだったと思い込んでいた。
とんでもない勘違いだ。全て錯覚だったのだ。それに、よく思い出してみれば、大胡のせいで誘拐犯に俺が刑事だったと気づかれたわけじゃなかった。俺の言動が、誘拐犯に刑事だと気づかせてしまったのだ。自業自得だ。
少し疲れているのかな、俺。いや、少しどころじゃないな。かなり疲れている。家に帰って、休んだほうがいいかもしれない。
俺は、何もかも大胡のせいにしようとしている。それは、刑事として失格なのではないだろうか。
「刑事さんは、あたしと黒総先生が怪しい、と思っているのでしょう?」
唐突に、彼女は訊いてきた。
「怪しい、って?」
「付き合っている、とか」
言い終えた後に、彼女の頬が高潮するのを俺は見逃さなかった。
「正直に言うとね」
「本当にそうだったらいいのに」
小さな声で、俯きかげんに由香ちゃんは呟いた。
「え?」
「あ、聞こえました?」
明るい笑顔を作り、今の発言を取り繕うかのような様子で彼女は言った。
「なんでもないです」
何故か、彼女の目には悲しみが浮かんでいた。
彼女が抱える悲しみとは、一体何なのか。この事件と、何か関係があるのかもしれない。
大胡が絡んでいるのは、間違いない。由香ちゃんが、大胡に恋心を一方的に抱いているのは確実だ。しかし、相手にされない。大胡ともっと一緒にいたくて、由香ちゃんはあの公園に大胡を呼び出したのではないだろうか。
由香ちゃんは、本当に大胡のことが好きなんだな。黙っていても、大胡を手に入れたいという気持ちが、こちら側にひしひしと伝わってくる。
俺の頭の中で、ある予感が芽生えた。
「ねえ、一つ訊いていいかな?」
「どうぞ」
由香ちゃんは、コーヒーカップに手を伸ばして言った。
「今日、何の用事で大胡を呼び出したの?」
コーヒーカップを口まで運ぼうとした由香ちゃんの手が、止まった。
「えっと……誕生日です」
「誕生日?」
「そうです。黒総先生の誕生日を、祝おうと思いまして」
「それはおかしいな」
彼女の目に、動揺が走った。
「大胡の誕生日は、一ヶ月前だったはずだ」
「あ、そうだ」
コーヒーカップをテーブルに置き、彼女は思い出したかのように言った。
「あたしの誕生日です」
「つまり、自分の誕生日を祝ってもらうために、大胡をわざわざあの公園に呼び出したのか?」
どう逃れようか思案している由香ちゃんに、俺は追い討ちをかけた。
「君と大胡の関係は、普通じゃなかったのか? お互いの誕生日を祝うのは、どう考えても普通の関係ではないと思うけどね」
もう言い逃れはできない。あとは、彼女の自白を待つだけだ。
「すみません。嘘をつきました」
頭を下げて、由香ちゃんは言った。
「顔を上げてよ。謝らなくていいからさ、話してくれ」
由香ちゃんは、数秒考える様子を見せてから、おもむろに口を開いた。
「刑事さんは、黒総先生がお父さんを殺したと、思っているのですよね?」
彼女の口から、そんな言葉が聞けると思っていなかった俺は、少々戸惑った。
知っているのか、由香ちゃんは。この事件のことを。
「ああ。正直にいうとそうだね」
俺の返しは予想通りだったのだろうか。彼女は、とくに驚いた様子も見せず納得したかのように頷いて言った。
「そうですか」
「知っているんだね? この事件の真相を」
俺は確信していた。彼女は、ただの被害者ではない。大胡と、何らかの形で繋がっている可能性がある。
その推測が当たっていれば、彼女が大胡をこの公園に呼び出せたことにも、何の用事で呼び出したのか訊いた時、動揺を見せたのも説明がつく。
「知っていたら、どうするんですか?」
由香ちゃんは、急に反抗的な態度をとり始めた。
「俺は、あいつを捕まえなければならない。親友として」
「黒総先生を捕まえることなんて、できませんよ」
「どうして?」
「黒総先生は、悪くないから」
そう言った後に、由香ちゃんは少しだけ目を伏せた。今のは、どうやら失言だったみたいだ。
「それ、どういう意味?」
由香ちゃんは口を閉ざし、重苦しい沈黙が訪れた。
「ねえ、答えてよ」
依然、目を伏せたまま黙っている。
「大胡は悪くない、ってどういう意味?」
俺は黙ったままの由香ちゃんに、詰め寄った。
そのプレッシャーに耐え切れなくなったのか、由香ちゃんは観念して、ようやく重い口を開けた。
「黒総先生は悪くありません。悪いのは、全部私です」
その言葉の意味を、俺はまだ理解できなかった。
「どうして、由香ちゃんが悪いの?」
「それは……」
彼女の肩が震えていた。この事件の真相を、話したくないのだろう。嘘までついて、隠そうとした真相だ。
けど、俺は知りたい。否、知らなくてはならない。この事件が起きた原因は、俺にもあるから。
「頼む。話してくれ」
優しく諭すように言うと、由香ちゃんは喋り始めた。
「あの事件が起きたのは、私の嘘が原因だったんです」
彼女が語るこの事件の真相は、あまりにも衝撃的で、残酷なものだった。