第十四章……敗北
「まさか、僕に銃刀法違反の容疑がかかっているとは」
係長が運転している車の車中で、大胡は言った。
「悪いわね。少し家を調べさせてもらうわ」
俺は不安だった。係長が、本来の目的を見失っているのでないかと。
係長はいつの間にか、大胡のことを気に入っていたのだ。大胡は、運転中の係長になにかと喋りかけていた。係長は、大胡との会話を楽しんでいるように見えた。これも、大胡の作戦なのか。
「さっきから何黙っているんだよ、健人」
大胡は、怪訝そうな表情を浮かべて、さきほどから無言の俺に言ってきた。
「いや、べつに」
素っ気無く、俺は言った。それに対し、係長が説教をするような口調で言ってきた。
「何、その態度。親友なんでしょう?」
少なくとも、こいつと再会するまでは俺もそう思っていた。けど、違ったんだ。こいつは、俺のことを親友だなんて思ったことはなかった。
しかし、今日のやつの態度はどう見ても不自然だった。俺と親友だということを肯定していたし、あのでっち上げた捜査令状も、全く疑わなかったのだ。
大胡らしくない、それが俺の感想だった。何かを企んでいるとしか思えないのだ。
「あれです」
大胡は、十メートルほど先に見える質素なアパートを指差した。
「あれが?」
俺は思わず呟いてしまった。どうしても、大胡のイメージと合わないからだった。こいつの実家は会社を経営しており、裕福なのだ。だから、もう少しましな家で暮らしていると思っていたのだ。
「あそこを右に曲がれば、駐車場です」
係長は、大胡の指示通りにアパートの駐車場に入り車をとめた。
「さあ、いくわよ」
おかしい。大胡は、本当にこんなアパートに住んでいるというのか。
「何しているの、行くわよ」
いつまでも車の中にいる俺に、係長は叱咤した。頷いて、俺は車を出た。
「しかし、凄いわね」
係長は、アパートの近くまで行くとそう漏らした。
大胡が住んでいるという、この二階建ての木造アパートはお世辞にも素敵だとは到底言えなかった。大きな地震がくれば、こんなアパートなどすぐに崩れてしまうだろう。
「さあ、二階に行きましょう」
大胡は俺たちを、階段のほうへ促した。
階段を上るたびに、足元から軋んだ音が聞こえてくる。大丈夫かよ、このアパート。
「引っ越さないの?」
慎重に階段を上っていた係長が、最後尾の大胡のほうへ振り向いて言った。
「公務員の安月給では、このアパートが限界ですよ」
そんなことはないと思うが。
「ふう、無事に二階に辿り着いたわ」
階段を上り終えた係長が、安堵した様子で言った。俺も上り終えて、胸をなでおろした。
「ここが、僕の住んでいる部屋です」
階段を上ってすぐのところに、大胡の部屋があった。ドアには、八号室と書かれた板が埋め込まれている。その下に、黒総と書かれた表札がかけられていた。
「本当に、こんなところに住んでいるのか」
そう呟いた俺に、大胡は心外だというような表情を浮かべ言った。
「疑っていたのかよ」
「いや、べつに」
慌てて否定した俺を、大胡はおかしそうに見ていた。
「好きなだけ調べてくれよ」
その言葉に俺は頷いて、大胡から鍵を受け取りドアノブに差し込んで、回した。
ガチャ、という音が聞こえ、俺は鍵を抜いて慎重にドアノブを回した。不気味な音とともに、ドアが開いた。
俺の目に飛び込んできたのは、五畳ぐらいの狭い部屋だった。
「狭いな」
率直な感想を、俺は述べた。その言葉に、大胡は苦笑した。
キッチンが設置されており、ベッドがあって、生活するのに必要最低限なものしか置かれていないような部屋だった。どうやらこのアパートでは、トイレと風呂が共同らしい。
こんな部屋に住むしかないほど、追い込まれてもいないだろうに。こいつの実家が経営している会社だって、不況と騒がれているこの世の中でも順調に業績を伸ばしているみたいだし、教師の給料もここまで安くもないだろう。
ギャンブルやキャバクラにはまっているとかなら、また話は別だが。
「どうぞ、ご自由に調べてください」
気持ちを切り替えて、俺は早速ノートを探すことにした。
「ノートを探せばいいのよね」
白い手袋をはめながら、係長は言った。よかった。ここへ来た目的は、見失ってないみたいだ。
「はい」
係長には、ノートを探してくださいとだけ伝えてある。俺の気持ちを察してか、係長は詳しいことは聞かずに頷いてくれた。
事情も聞かずに、黙って協力してくれる刑事なんて、他にいない。やはり、いざというときには頼りになる存在だ。
部屋の中は、漫画雑誌が散らかっていたり、コンビニの袋が散乱していたりなど、結構散らかっていた。俺の記憶では、こいつは整理整頓をまめにするやつだった気がするのだが。人は変わる、ということか。
「ノートは、いくらでもあるけど……」
言いながら、係長はそこら中に置いてある大学ノートを集めていた。俺も、必死で殺害計画の書かれたあのノートを探した。
しかし、それらしきノートはどこにも見当たらなかった。俺たちがノートを探す光景を、大胡は笑みを浮かべて見守っていた。
「どうかしら」
俺の目の前に、係長は集めた大学ノートを置いた。結構な量だった。
もしかしたら、この中にあのノートが混じっているかもしれない。
その期待を胸に抱き、一番上に積まれているノートを手に取りページをめくった。
「違いますね」
見終わったノートを右側に置き、また次のノートを見ていく。しかし、どれも大学の講義の内容が書かれたノートばかりだった。
「やはりな」
後ろのほうで、ぞっとするような冷たい声がした。俺はノートのページをめくるのを中断し、ゆっくりと後ろのほうを振り返った。
さきほどとは一変し、大胡は冷たい表情を浮かべてこちらを見ていた。この変わりように、係長も警戒のまなざしを大胡に向けた。
「銃刀法違反、というのは俺の家でノートを見つけるために、でっちあげた容疑だろう。しかも、お前ら三係の担当は殺人と傷害事件だ。銃刀法違反は、他の課の仕事だろう」
やはり、俺の勘は当たっていた。こいつは、全て分かっていたんだ。分かった上で、身に覚えのない容疑を認め、俺たちに家宅捜索をさせた。
はめたつもりが、いつの間にかはめられていたんだよ、俺たちは。
「まさか、ここまでするとはね」
「それが何だよ。お前がやったことは、全てお見通しなんだ」
立ち上がって、俺は言った。強がった態度をとってはいるが、足は震えていた。びびっているのだ、俺は。
「あんたらは、勘違いをしている」
「勘違い?」
怒気を含めた口調で、係長が言った。さすがの大胡も、怒った係長には太刀打ちできないだろう。
「俺は、國藤先生を殺していない」
「けどあなたが殺したと、うちの刑事が言っているのよ」
俺を指差して、係長が言った。
「あんた、聞いたのか? 俺たちの過去を」
「それは……」
途端に、係長は口籠もった。答えられるはずがない。喋っていないのだから。
係長には悪いことをした。過去のことは何も話さずに、巻き込んでしまって。
それなのに、係長は俺の過去を聞きだそうとはせず、黙ってついてきてくれた。係長には感謝している。
だから、これ以上迷惑はかけられない。
「なあ大胡、係長をここから出してくれないのか」
「あ?」
「今日のことはなかったことにしてくれ」
俺は言って、頭を下げた。
「何を言っているんだ」
「係長には、迷惑をかけられない」
「今日のことはなかったことにしろ、って都合がよすぎないか」
「だったら、俺の命を差し出す」
俺は顔を上げて、大胡を見た。大胡は今にも笑い出しそうな表情を浮かべていた。
「お前の命? なにそれ」
「そうよ。どうしたの?」
係長は立ち上がり、困惑した表情を浮かべて言った。
「このままじゃ、不当捜査で係長にも迷惑がかかってしまいます」
「その覚悟で、ここまで来たんじゃないの?」
気持ちは嬉しかったが、俺のせいで係長が飛ばされたりでもしたらやりきれない。
「俺だったらなんでもする。だから、係長だけは助けてくれ」
「お前の命なんていらないよ」
そういった後に、大胡は冷たい表情を浮かべたまま係長のほうへ向き、指差した。
「欲しいのは、こっちだ」
直後に、外から聞こえた銃声とともに係長の胸から大量の血が飛び散った。係長は、口から血を吐いてその場に倒れた。
俺は、今の状況を理解することが出来なかった。何故、係長は血を出している。銃声が聞こえたということは、撃たれたのか。一体、誰が。
「係長!」
俺は叫んで、係長の上半身を抱き起こした。
「あ……あ……」
「どうして……」
涙をぐっと堪えながら、部屋に設置されている窓を見た。
窓のガラスは、派手に割られていた。銃弾が貫通したときに、割れたものだ。その窓からずっと先に、人影が見えた。
やつが撃ったのか!
人影は、俺にみつかるなりさっさと逃げていった。どんな姿をしていたのか確認することが出来なかったが、今はそれどころではない。
「これが、お前の企みか」
「なんの話?」
「とぼけるなよ!」
ドアの向こう側で、なにやら騒ぐ声が聞こえる。構わず、俺は続けた。
「最初から、不自然だと思っていた。お前が、銃刀法違反という身に覚えのない容疑を、あっさり認めた時からな」
怒りで声を震わせながら、俺は言った。大胡は、黙って聞いている。
「係長を殺すことが、お前の目的だったのか」
「考えすぎだぜ」
「お前、係長が撃たれる前に言ったよな。係長を指差して、こいつの命がほしいって」
「証拠がない」
こいつ、どこまで腐っていやがるんだ。
「どうして、こんなことをする」
「天罰が下ったんじゃないか?」
「あ?」
「お前が、一人の力で事件のことを調べないから」
抱えていた係長の上半身を丁寧に置いて、俺はゆっくりと立ち上がった。
「いい加減にしろよ」
「それは、どっちだよ」
俺は拳を握って、大胡に殴りかかろうとした。だが、大胡はそれを軽く避けて、俺の腹に膝を喰らわせた。
「うお!」
数秒間息が出来なくなるほど、大胡の膝蹴りは効いた。
「お前には、一生かかっても俺を倒すことはできないよ」
その通りだった。俺じゃあ、大胡は倒せない。大胡は、一回りも二回りも俺より勝っている。
やつは、俺がノートを探しにくることを予想していた。そして、今回のこの作戦を企てた。
俺の……完敗だ。
「おそらくその係長、助からないぜ」
俺はうずくまりながら、血を噴きだして倒れている係長を見た。苦しそうに呼吸を繰り返している姿は、痛々しかった。
「残念だったな、健人。言っておくが、これは俺が仕組んだことじゃない。不慮の事故だ」
「てめぇ」
大胡が仕組んだということは、分かりきっている。國藤を殺したのも、絶対に大胡だ。けど、証拠がない。
目の前に殺人犯がいるのに、俺はまた逃してしまうのか。
「もうじき、警察が来ると思うぜ。その時、どう言い訳するんだ?」
まさに、絶体絶命だった。不当捜査をした上に、何も見つからず、さらに捜査一課の係長が銃殺されたとマスコミが報道すれば、想定していた最悪の事態をはるかに上回ってしまうことになるだろう。
「けど、撃たれたのがお前じゃなくてよかったな」
俺は、大胡を見上げた。
「また、やりあえるじゃねぇか」
大胡は、楽しんでいるのか。俺が、次にどんな手を使ってくるのか。
係長が撃たれたのは、もしかしたら大胡の警告なのかもしれない。第三者には、邪魔はさせない、ということか。
俺が巻き込んでしまったばかりに、係長は撃たれてしまった。
いくら悔やんでも、悔やみきれなかった。
「お前が係長に償うには、一つしかないな」
大胡はしゃがんで、俺に目線に合わせ言った。
「この事件の、犯人を捕まえることだ」
言い終えた直後に、ドアが勢いよく開かれた。防護服を着た警官が何人も、この狭い部屋に入ってきた。
「何があった!」
一人の警官が、大声で俺に聞いた。俺は答える代わりに、もう呼吸をしていない係長を指差した。
「西島係長!」
警官たちが、一斉に駆け寄った。俺はもうすでに、泣き崩れていた。
「どうした!」
「何があった!」
「誰に撃たれたのだ!」
何人もの警官に立て続けに質問をされたが、俺は答えることが出来なかった。
「泣いていても分からない! 答えろ!」
そんなことを言われても、答えられないものは答えられないのだ。俺だって、状況を把握しきれていないのだから。
「君は?」
部屋の隅に立っていた大胡に、一人の警官が近づいてなにやら質問をしているのが見えた。
大胡は、悲しそうな表情を浮かべながら警官の質問に淀みなく答えているようだった。
「きっと、僕が狙われていたんです。それなのに、係長が撃たれてしまって……」
白々しい。こいつが全て仕組んだ罠だということは、分かりきっているのに。
「どうしてお前がいるんだよ!」
聞き覚えのある声が聞こえ顔を上げると、入り口でたむろしている一般人を押し分けて湯原先輩が入ってきた。表情が真っ青だ。
「湯原先輩……」
消え入りそうな声で、俺は言った。
「どうして係長が撃たれている!」
係長が倒れている姿を見て、湯原先輩の表情はさらに真っ青になった。
「誰にやられたんだ」
それが分かれば、こっちだって苦労しない。とにかく、何者かに係長は撃たれたのだ。撃ったやつは、初めから係長を狙っていた。俺と一緒の男を撃てと、大胡に頼まれたに決まっている。
そこまで分かっているのに、やつを捕まえることは出来ない。それは、証拠がないから。
救急車のサイレンが、遠くから聞こえてきた。今更救急車に運ばれたって、どうせ係長は助からない。もうすでに、係長は虫の息なのだから。
「どうして……」
俺のせいだ。
俺が係長を、この事件に巻き込んだからだ。
どうしてそこまで、大胡は二人だけの戦いにこだわるのだ。
「係長……」
係長の冷たい手を握り、俺は呟いた。
「死なないでくれ……」
「どいてください!」
救急隊員が入ってきたことによって、この部屋の人口密度はさらに増した。
「ちょっと、この部屋にいる人たちは出て行ってください!」
入ってきた救急隊員は、声を上げた。こんな狭い部屋に人間が何人もいたら、係長を運び出すことは出来ない。
「早く! 緊急事態です!」
「いくぞ、川原」
湯原先輩に腕をつかまれ、無理やり立たせられた。俺は湯原先輩に引っ張られるまま、外に出た。
「くそ。近くで聞き込みをしていただけなのに、とんだことに巻き込まれたぜ」
階段を下りながら、湯原先輩は愚痴っていた。
「いいか、事情は帰ったら聞かせてもらう」
俺を車に押し込んだ後に、湯原先輩は言った。俺はその言葉に、力なく頷いた。
警視庁へ帰った直後、係長が運び込まれた病院から連絡が入った。
係長は、大量出血により病院に着いた直後に息を引き取ったそうだ。