第十二章……希望
「で、相談って何?」
湯原先輩は興味なさそうに、タバコをふかしながら言った。
「あるやつの、捜査令状をとりたいのですが」
タバコが苦手な俺は、なるべく息をしないよう意識して言った。
俺は今、喫煙室にいる。一服している湯原先輩に、ある相談をするためだった。
昨日、俺は大胡を自首させるために神南中学へと足を運んだ。しかし、大胡は犯行を認めず、俺が期待していた展開どおりにはならなかった。
そこで俺は、大胡が持っているはずの、殺害計画が書かれたノートを見つけることを考えた。あのノートは、十分な証拠能力を持っている。あれさえ手に入れれば、大胡だって犯行を認めざるをえないはずだ。
残っていればの話だが。
俺にはどうしても大胡が証拠を残すとは思えないのだ。あのノートが家で見つかれば、國藤を殺しましたと、自白しているようなものだ。
完璧主義者の大胡が、果たしてノートを残しておくだろうか。犯行後に、燃やした可能性が高い。
だけどもし、まだノートを処分していなかったとしたら。
やつは國藤を殺した後、死体の上に俺たちが中学三年生の時にクラスで撮った集合写真を、死体の背中に乗っけた。俺はそれについて、必死になって考えた。
何故やつは、わざわざ現場に証拠となる写真を残したというのだ。あの写真は、何を意味しているのだろうか。
それは、俺への挑戦状だろう。あの写真のおかげで、俺は大胡の犯行だと見抜けたのだから。
そのことから、俺はまだ大胡の家にノートが存在すると考えている。やつは、フェアな勝負を望んでいるはずだ。つまり、ノートに辿り着けば俺の勝ち、辿り着けなかったら俺の負け、ということだ。
だから俺は、大胡の捜査令状を発行してもらえるかどうか、湯原先輩に相談するためにわざわざ喫煙室まで赴いたのだ。
「あるやつって?」
依然、湯原先輩は興味なさそうに言った。副流煙を吸いすぎて、頭がおかしくなりそうになるのを堪えながら、俺は言った。
「黒総大胡です」
「誰?」
当然の返しである。俺は、続けた。
「俺の親友が、今回の殺人事件に関わっている可能性が極めて高いんです」
「ちょっと待てよ。それだったら、捜査会議で名前が挙がってきているはずだぜ。挙がってくるどころか、奥さんの口からそいつの名前なんて出てこなかった」
湯原先輩は、嘲笑うかのように言った。そうなるのも、しょうがないか。いきなり、誰かも分からないようなやつが犯人ですなんて言われれば、俺だって湯原先輩と同じ反応をするかもしれない。
けど、俺は引き下がらなかった。
「あいつの捜査令状を、発行していただけないでしょうか?」
「だから、どうしてだ?」
吸い終わったタバコを灰皿に押し付けながら、湯原先輩は言った。
「ですから、それさえあればあいつが犯人だと証明されるんです」
俺の熱弁も、湯原先輩の耳には届いていない様子だった。湯原先輩は、スーツの内ポケットからタバコのケースを取り出して、二本目に突入しようとしていた。
「あっそう」
面倒くさそうに言う湯原先輩に、俺は腹が立った。
「どうして、信じてくれないんです?」
「あのなあ、容疑者でもないのに捜査令状を発行しろ、だなんて。お前めちゃくちゃ言っているぞ」
湯原先輩は冷静に言って、二本目のタバコに火を点けた。
「そもそも、誰なんだよ、黒総大胡って。お前は、そいつが犯人だと思う根拠があるんだろう。なら、話してみろよ」
俺は口籠もってしまった。それはつまり、俺の過去を話さなければいけない、ということだ。
もし、俺がここで中学時代の出来事を話せば、大胡の捜査令状を発行してもらえるのだろうか。
「どうなんだよ、川原。もしかして、話せないのか?」
俺が困っているのを見て、湯原先輩は楽しんでいる様子だった。にやにやしながら、俺に詰め寄ってくる。
「何か事情があるんだろう」
「それは……」
話せないでいると、唐突に喫煙室のドアがいきおいよく開けられた。
「もう休憩時間は、とっくに過ぎているわよ」
係長が、俺たちを交互に見ながら言った。
「すいません!」
言ってから、湯原先輩は吸っている最中だったタバコを慌てて灰皿に押し付けた。
「全く、殺人事件が起こったというのに、のん気なものね」
「今すぐ、捜査に向かいます」
湯原先輩は、急いで立ち上がり廊下のほうへ駆けていった。
係長は、湯原先輩がいなくなると表情を少し和らげて俺に言った。
「何を話していたの?」
「いえ、べつに」
俺は言って、喫煙室を立ち去ろうとした。係長と二人きりは、さすがに危険だ。襲われるかもしれない。
出口に差し掛かったところで、係長に呼び止められてしまった。
「ちょっと待って」
やはりこうなってしまうのか。
この三十年間、女一筋で生きてきたが、男も受け入れるべき時がついにきてしまったか。
「こっちへ来て、座って」
優しく囁かれるように言われ、鳥肌が立ってしまった。
「何を怯えているの?」
俺の心中を察したのか、係長は言った。
「すぐに終わるから」
何をする気だよ、この人は。
「こっちへ来て」
俺は、もうどうなってもいいやと覚悟を決め、成り行きに身を委ねることにした。
まさか喫煙室で、こんなことになるとは。
ここまでくると、笑うしかなかった。だから俺は、心の中で思いっきり笑ってやった。
「座って」
促されて、俺は喫煙室に置かれているソファーに座った。係長は満足げに笑みを浮かべて、俺の隣に腰を下ろした。
「さっき、湯原と何を話していたか当ててみせようか」
「は?」
「黒総大胡、っていう人の、捜査令状のことでしょ?」
俺が唖然とした表情を浮かべると、係長はくすくすと控えめに笑った。
「あたし、地獄耳なの」
それは初耳だった。今度から、係長の悪口を言うときは気をつけよう。
「誰なの? 黒総大胡って」
湯原先輩の時と、同じ質問か。俺はうんざりして俯いた。その質問だけは、されたくなかった。係長も、自慢の地獄耳で聞いていたのなら大体分かるだろう。俺がその質問をされて、嫌がっていたことを。意地悪な人だ。
「あなたが何故、その人のことを犯人だって思うのかは分からないけど、協力できるかも」
俺は、ゆっくりと顔を上げて係長の顔を見た。係長は、にっこりと微笑んで言った。
「令状を偽造するのよ」
「どういう意味ですか?」
なんとなく意味は分かるが、俺は思わず聞いてしまった。
「つまり、黒総っていう子に、偽造した容疑をかけるの。何か、いいのってない?」
おそらく係長は、今回起きた殺人事件の名目で捜査令状を発行するのではなく、やってもいない罪を大胡になすりつけて、発行をするつもりなのだろう。
しかし、その作戦は無謀かつ、違法だった。多大なリスクを伴うことは、確実だ。
「無理ですよ、そんなの」
「あら、無理じゃないわよ」
係長は不適な笑みを浮かべ、言った。まさか、本当にやるつもりなのか。
「あたしなら、簡単にできるわ。裁判所に、ちょっとした知り合いがいるの」
それであれば、もしかしたら可能かもしれない。だが、大胡の家を調べても何も出なかった場合、係長に全責任がのしかかってしまう。
無理やり容疑をなすりつけ、大胡の捜査令状を発行するのだ。このことがいずればれて、マスコミから不当捜査とバッシングされる覚悟も決めなければならない。
けど、その方法しか残されていなというのであれば、やるしかない。
「今回起きた殺人事件の容疑者として、彼の捜査令状を発行することは難しいから、何かべつの小さな事件を選ばないといけないの」
「でも……」
「いいの。その彼の家に行けば、今回の殺人事件の謎を解く鍵があるんでしょう。だったら、あたしはあなたを信じるわ」
油断したら、涙が出てきそうだった。さっきまで、襲われるとか、失礼なことばかり思っていたけど、やはりこの人はいい人だ。
「でも、別の小さな事件って、たとえば何ですか?」
「そんなの、いくらでもあるわよ。それなりの根拠をでっち上げて、裁判所に請求すれば出してくれるわよ。それにあたしには、裁判所にちょっとした知り合いがいるし」
立ち上がって、俺は係長に深々と頭を下げた。係長は、本当に頼りになる。係長のためにも、俺はこの事件を必ず解決することを誓った。
「お礼はあとよ。さっさと捜査令状を請求して、家宅捜索をするの。殺人事件の証拠を見つければ、大手柄よ」
「はい」
係長は立ち上がって、喫煙室を出て行った。俺も喫煙室を出て、新鮮とは程遠いが、とりあえず喫煙室よりかはましな、廊下の空気を吸った。何度か深呼吸をして、肺の空気を入れ替えた。やはり、タバコは苦手だ。
「よし」
気合を入れなおして、俺は三係へ戻った。