東日本大震災当時の私の行動記録
震災当時の自分の行動記録です。
はしがき
この記録は震災後、忘れないうちにと書いた記憶があります。地震に関してと言うよりは、自分がどう行動したかが主眼になっています。
個人特定が出来そうな部分は修正し、()は分かりやすくするためにつけました。
2011年4月4日
東日本大震災に関する覚書
3月11日
この日はとても体がだるくて、リビングでだらだら過ごしていた。お母さんと兄貴二人は仕事でいない。お父さんもどこかへ出かけて帰ってこない。猫は窓際のマッサージチェアでぐっすり眠っていた。
「夕飯はなんにしよう。カレーがいいかな。でも作りたくない。夕飯食べずに寝たい。犬の散歩もある。どうしよう」
ただ、夕飯を何にするかが重要な課題となっていた。
「ああ、スパゲティにしよう。ミートソース作るのは面倒だけどカレーよりはマシかも」
そう決めた。まだ時間は早いけど犬の散歩に行く16時までには作り終わるし、犬の散歩に行ったら寝てしまってもいい。
15時までまだ時間はあるけど、とりあえず鍋に水を入れてコンロに掛け、沸くまでホットカーペットで寝転がっていることにした。
テレビはNHKのBS1をかけていた。たぶん、この時もニュースをやっていたと思う。
14時46分。この時間は後で知った。
突然の揺れ。縦揺れだった。なぜかは分からないけど、大きくなると思って寝ている猫を抱き上げた。私は体育すわりのような状態のままテーブルまで移動して、回転いすを押しのけてテーブルの下に隠れた。
テーブルの下に隠れて少ししてから緊急地震速報が鳴った。キャスターが何か言っているが食器やその他のものが揺れる音で何を言っているかは分からなかった。
揺れはいつの間にかゆっくりとした横揺れに変わっていた。高校のころの教師の言葉を思い出す。
「鉄筋の建物は崩れるまで1分半くらいあるからその間に逃げろ」
でも、うちは木造だ。閉まったままのリビングの扉。ガラスが砕けたら素足では逃げられないだろうと思った。
テレビの音が消えた。テレビが倒れたんだろうと思った。
リビングの大きな窓は割れるだろうか。食器棚が倒れるかもしれない。そう考えていたら、少し揺れが収まってきた。とにかく揺れが収まったら家の外に出よう。
携帯は2階に置いたまま。悔やんだけど仕方ない。ただ、外は寒いから自分のいすに掛けていたジャンパーを取った。
そうしたら、また揺れが強くなった。「うそでしょ?」一人なのにそんなことを口にした。あまりに揺れるので猫を抱いたままの私はテーブルの外に出そうになった。足で床を押してテーブルの下になんとか留まる。
「家が崩れたら私と猫はダメだろう」
外に逃げる事も考えたけど、揺れが大きくてまともに歩けないだろうし、暴れる猫で両腕はふさがっている。運にかけるしかないと思った。例え家が崩れるとしても、上には2階がないし、天井や屋根が落ちてくるだけ。今いるここは空間ができるかもしれない。
まだ揺れている。長い長い揺れ。
ようやく収まって、テーブルの下から出るとテレビを見た。立っていた。画面は暗いまま。
「停電したんだ」
猫を抱えたまま物置に行って猫のキャリーバックを引っ張り出して猫を押し込んで家の外に出た。瓦が落ちて砕けていた。
外は誰もいない。すごく静かで、犬が私を見て鳴くだけだった。
まだパジャマのままなのを気にしつつジャンパーを羽織って、芝生に座った。不安で誰かと話をしたかったけど、誰もいない。
また、大きい揺れが襲う。車がゆさゆさ揺れる。
揺れが収まって、ビクビクしながら家の中に入って薄掛けや出しっぱなしのジャンパーを引っ張り出したりした。
家がとりあえず崩れなさそうだったから、2階にも上がった。水槽の水がたくさんこぼれてその上に本が落ちていた。携帯と鞄を取った。
携帯には緊急地震速報が入っていた。とにかくお父さんに電話を掛けてみたが通じない。
そのうち、近所のおじさんが犬の散歩から帰ってきたのが見えた。駆け寄った。おじさんも顔が引きつっているようだった。
「すごい揺れだった。立っていられなかった」
そう言いながら、私のことを心配してくれ、電柱のそばにはいないようにと言った。私は早口に停電と電話が通じないことを伝えた。(おじさんは)家が心配だからと足早に帰っていった。
そのうち、隣のおばあちゃんの姿が見えた。人の姿に再びほっとして駆け寄った。
私よりよほど落ち着いていた。年の功だろう。余震が続く中、「コンセント抜いてくる。来てくれてありがとう」と家の中に戻ってしまった。私もそこでようやくコンロに火を掛けていたことを思い出した。
それからようやく服を着替えるために二階に上がっていった。パジャマのズボンを脱いで、ジーンズに履き替えた。床に脱ぎ捨てたズボンは水槽の水で濡れてしまった。また揺れた。怖くて、(服の)上はリビングで着替えた。
それから必要そうなものを家から出してきた。常備薬や犬や猫の餌。ペットボトルの水は外に出してしまった。
そのころには、友人からメールが入ってきていて地震のことをやりとりした。当時の彼氏からは、地震直前に届いたいつものメールが入っていた。
近所の人が川を見ているのを見かけたり、隣に車が来るのを見た。
友人からのメールに「津波大丈夫?」とあったが、「ここには津波はこない」とメールした。
再び誰の姿も見えなくなって、とにかく少し瓦を片付けたりしながらお父さんを待った。
そんなことをしていたらバイクに乗った男の人が来て、
「津波が来てますよ」
と言った。
「へっ?」
と間抜けな返事をして川を見た。庭からでも水面が見えた。
「避難したほうがいいですよ」
「分かりました」
その人が去ると、私は川に携帯を向けて写メ(写真)を撮った。
犬の鎖を外そうとしたが、無理だった。リードはあるから何とかなるだろうと、車に犬を押込んだ。あんまりあわてたから犬(の尻尾)を扉で挟んでしまった。自分がこの日生理になったことを思い出し、慌てて家に駆け込んで未開封のナプキンを2袋つかんで助手席の床に放り投げた。
それから、隣のおばあちゃんを思い出して、車で隣の家に行って声を掛けたが誰も出てこなかった。高齢だから耳が遠いと分かっていた。何度か声を掛けたが人の気配もないようなので、逃げた。
大きい道路に出て、とりあえず元の家に向かおうと思った。どっちも川や堀を背に抱えているが、元の家のほうが安全な気がしたのだ。
車を走らせながら左側を見ると、すでに堀から水があふれている。右側のどこかの田んぼが液状化したようになっていた。
住宅地が見えてきて、親戚を思い出してそこに行ってみようと決めた。親戚は外に出ていた。その直前、中学校が避難所になっていることも思い出した。
「津波がきてるの。中学校に逃げたほうがいいかな?」
車の窓を開けてそういった。
「山の施設にいけ」
そう言われた。お父さんと連絡が取れていないことを話し、もし来たら山の施設に逃げたと伝えてくれと言った。避難するのだったら、食べ物がいると思って近所のローソンによったら、扉は開いたもののまっくら。人気もなく買い物はあきらめた。
途中の信号付近でお母さんの車を見つけた。警察らしき人が立っていて、交通整理をしているようで、車が並んでいた。進みも遅いようだった。だから、クラクションを鳴らすよりもとUターンをして、車を止めた。車から降りて精一杯走って、お母さんの車を叩いた。
◇
以上が、当時書いたものになります。
この後、母と山の施設へ逃げました。当時はガラケーでした。本当に電話がつながらなくて、何とか家族と連絡を取って最終的にみんなが集まったのは20時を過ぎていたと思います。本当は山の施設は避難所ではなかったのですが、多くの人が避難していました。当時の施設の方には感謝しかありません。
◇
東日本大震災が起こった時、地域によって差があったようですが、私が覚えているのは大きな地鳴りと共に起こった振動です。
いつもの地鳴りが遠くを通るトラックだとしたら、大震災時の地鳴りは家の真横にトラックがいるような大きな音と揺れでした。
車に乗って初めて、ラジオを聞けばよかったと思いました。でも、「津波、10メートル」とか流れてきたのには衝撃を受けました。信じられなかったですね。家は結局無事だったのですが、ニュースを聞いた時はもう家も流されるんだと思いました。
避難先に向かう途中に川があるのですが、波が遡ってるのを見ました。三角の波が上流に上っていきました。
◇
震災を振り返って思ったのは、小学生の時の避難訓練の行動しかとれていない自分です。地震が来たら机の下にもぐり、揺れが収まったら校庭へ。この行動しかとれてませんでした。知識があっても実際に訓練をしておかないとできないんだなって思いました。冷静だったらいいのですが、一人だったこともあってパニックだったんでしょう。冷静なようで、そうじゃなくて。でも、逃げられてよかったです。
翌朝、山の施設から市街を見ると、ありえない場所がキラキラしていました。水没している個所の水面が朝日で輝いていたのです。家族が何とか家までのルートを探していったん帰りました。夜はもう一度山の施設に行きました。余震が絶え間なくある中で、地盤のせいか山の施設は少し揺れがマシだったのです。
家に戻れたのはよかったのですが、お風呂に入れなかったのがきつかったです。電気と水が復旧するまでに1週間を超えました。避難所に自衛隊の野戦風呂が来ていると知ってはいましたが、家に帰れているのに、避難所に行ってお風呂に入る勇気がなく、結局電気と水が復旧するまでお風呂に行くことはありませんでした。
復旧した後入ったお風呂はとても気持ちよく、普段なら出ない「あ゛ー」って声が出ちゃったのを覚えてます。
飲水に関しては、ご近所の方が井戸を開放してくれたので困ることはありませんでした。給水車に並ばなくて良かったし、本当に助かりました。
洗濯も、うちで燃料を提供して発電機を稼働できたご近所の方に一度してもらいました。でも、何度も頼むのは気が引けて、その一度きりだった記憶があります。
夜は寒くて、石油ストーブを使いました。当時飼ってた猫はファンヒーターの上で寝るのがお気に入りで、石油ストーブにも乗ろうとしたけれど、違和感を感じたのかやめてくれたので、ほっとしたのを思い出しました。動物病院の先生が、実際に乗ってしまって火傷をした猫もいたと教えてくれました。
明かりとしてローソクを使いましたが、猫が火にじゃれそうになったので焦った記憶があります。ペットを飼っていたら懐中電灯やLEDライトの方が安全ですね。
◇
震災当時、助かったものは、うちにあった井戸です。濁っていたので飲料水としては使えませんでしたが、トイレの水として使用できました。
おりものシートは下着をあまり変えられなかったので、あって助かりました。衛生面的にも気分的にも良かったです。
◇
震災を知らない人も増えてます。災害はあってみないと実際どうなのか分からないものです。ですが、避難訓練って案外大事だって思ってもらえればいいかな、と思います。
家庭でも避難訓練したらいいかもって思いつつ、1度も実行したことない私が言うのはおかしいですけどね。
読んでくださり、ありがとうございます。




