11.スローモーションの戦場で――廠、神軍の先頭に立つ
冀州に入った途端、空気が変わった。
湿った風に混じる焦げ臭さ、遠くから聞こえる怒号、そして――黄巾を巻いた賊徒たちの影が、街道の両脇に蠢いていた。
廠は馬上から視線を巡らせる。
荒れ果てた畑、焼け落ちた家屋、逃げ惑う民の姿。
乱世の中心に踏み込んだのだと、嫌でも理解させられる光景だった。
その先――丘の上に、黒々とした砦がそびえていた。
「……あれが、冀州の黄巾賊の拠点か」
廠の声は低く、しかし揺るぎなかった。
背後には、寄せ集めとはいえ千を超える兵が控えている。
だが、彼らの視線は一様に砦へと向けられ、緊張が走っていた。
あそこに、張角がいるのかもしれない。
拠点砦周辺の黄巾賊徒は、一万以上はいるように思えた。
中心に、張の旗を掲げている一団があり、砦の前にも、張の旗を掲げている一団がある。
張梁と、張宝だろう、と廠は思った。
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廠は神の旗を掲げ、前へと進む。
「行くぞ、前進!」
その声に応じて、千を超える兵が動き出す。
戦場の左翼から、地を震わせる蹄の音が迫る。
紅陽率いる百騎の騎馬隊が、黄巾党の前衛へ一直線に突っ込んだ。
「突撃」
紅陽の号令と同時に、騎馬隊が一糸乱れぬ動きで隊列を組み替える。
槍が閃き、馬が跳ね、黄巾賊の前衛がまるで刈り取られる草のように倒れていく。
「な、なんだあの騎馬隊は!?」
「黄巾の前衛が…一瞬で…!」
紅陽は振り返らず、馬を操って戦場を駆け抜ける。
その背後には、削り取られたようにぽっかりと空いた戦線が残った。
そして、騎馬隊はそのまま旋回し、廠の陣へ戻ってくる。
「殿! 前衛、削ぎ落としました!」
紅陽の声は落ち着いていた。
その動き、その統率、その速さ―まさに“騎馬隊の本領”だった。
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一方、紅仁率いる歩兵隊は、廠の背後で整然と並んだまま、一歩も動いていなかった。
「紅仁、動かないのか?」
廠が問うと、紅仁は静かに首を振った。
「まだです。前衛が乱れた今こそ、敵は必ず反撃に出ます。
その瞬間―歩兵が動けば、敵の波を断ち切れます」
その声には迷いがなかった。
紅仁は戦場を読み切っていた。
歩兵たちは槍を構え、盾を固め、ただ静かにその時を待つ。
その沈黙は、騎馬隊の疾走とは対照的でありながら、同じほどの迫力を持っていた。
廠は頷く。
「…任せた。俺は前へ出るだけだ」
廠は、神の旗を背に戦場へ踏み出した。
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紅陽の騎馬隊が切り裂いた戦線へ、黄巾賊が怒号を上げて押し寄せてくる。
その波の中心へ、廠は迷いなく飛び込んだ。
歩兵隊の先頭に立ち、廠は槍を振り回した。
木刀ではない。
いま必要なのは、敵を“倒す”ための武器だ。
「――天下を取るんだ。ここで立ち止まるわけにはいかない!」
叫びと同時に、廠の視界が変わった。
世界が、遅くなる。
黄巾賊の動きが、まるで泥の中でもがくように鈍く見える。
振り上げられた棍棒、突き出される槍、迫る怒号――すべてがスローモーションの中に沈んでいく。
廠は一歩踏み込み、槍を横薙ぎに払った。
その一撃で、三人の黄巾賊が宙を舞う。
次の瞬間には、廠はすでに別の敵の背後に回り込んでいた。
「な、なんだ……あいつ……!」
「速すぎる……!」
「人間じゃねぇ……!」
黄巾賊の恐怖の声が、遅れた音のように耳へ届く。
廠は振り返らない。
ただ、前へ。
ただ、敵を倒す。
(殺さず、なんて言っていられない。
天下を取る。
異形を倒す。
そのためには――ここで勝つしかない)
槍が閃き、敵の武器が砕け、身体が地面に叩きつけられる。
廠の動きは、もはや“戦い”ではなく“処理”だった。
スローモーションの世界で、廠は次々と賊徒を倒していく。
一歩踏み出すたびに、敵が倒れ、一振りするたびに、戦線が崩れる。
その背後で、紅仁の声が響いた。
「歩兵隊、前へ! 殿の開いた道を押し広げろ!」
待ち構えていた歩兵隊が一斉に動き出し、廠の作った突破口へと雪崩れ込む。
槍の壁が前進し、黄巾賊の反撃を受け止め、押し返す。
紅陽の騎馬隊が再び側面から突撃し、
紅仁の歩兵隊が中央を押し広げ、
廠が最前線で敵を切り裂く。
三つの力が噛み合い、戦場が一気に神軍の色へ染まっていく。
廠は血に濡れた槍を握り直し、砦を見据えた。
「張梁……張宝……そして張角。どこにいようと、必ず辿り着く」
冀州の戦場が、轟音とともに揺れた。




