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画蛇添足:その2

 前回の引きに於いて、些か挑発的な文章を書いたが、これに、「なんで自分がそんなことに加担するものか! 甚だ心外だ! ふざけてる」と思った読者諸兄も多数おられることであろう。──それはもっともことである。諸君らがしっかりと正義の心を持っておることの証であるからな。


 悪の枢軸であるわしとは違うということだ。誇りに思っていいだろう。


 だがその正義の心が、ひと度、その方向を誤り、暴走すると、前回述べたような行いに、自ら加担することにつながるのだ。


 これは──喩えるなら、そう……「自分は見え見えの詐欺になど引っかからない! 騙されるような莫迦が悪いのだ!」と、自信満々に宣言している者が、往々に、『見事に詐欺に引っかかる』ことがあることと似たようなことかもしれない。──ククク……そのような者が「騙された! ちくしょう! 許さねえぞ!」などと騒ぎ倒す様を見ながら飲むストリチナヤ・ウオトカはさぞ美味であろう!


 ──ああ、失礼。正義の暴走の話であったな。──これは、『誰しもが加担する可能性がある』という、警鐘を鳴らすものであり、決して読者諸兄を愚弄する意図あってのものではないのだ。


 何故ならば、正義にはひとつ、致命的な弱点がある。それは、『煽りに弱い』ということだ。──この煽りには、挑発行為という意味もあるが、それよりもむしろ、『正義感を煽られると過熱して暴走しやすい』という意味のほうが大きいのである。


 前回、及び前々回に述べた幾つもの事例などまさにそうであるな。『本来ならば違法ではないもの』を、『違法である』と決めつけて迫害する行い。──こう、文字で簡潔に表すとその異常さが理解できるが、これが、『社会的に悪とされるものが対象である』と認識した途端に、脳髄は過熱して理解を困難とさせる事態に陥りやすくなる。


 これに、無知と偏見とが加わり、さらに社会的な流れとなれば──もはや止めることはむずかしい。冷静な判断力を失った者たちが集団で、正義の御旗を掲げているのであるから、抗うことは困難を極める。──これは外部からであろうと、内部からであろうと、同じことである。


 その無知と偏見とを、解説してゆこう。


 まず──以前から述べているように──『児童ポルノ』とはどういうものか? ということをしっかり理解している者は、すくないと云える。『児童ポルノ規制法』の内容をいち度でも初手から最後まで読んだことのある者など、ひと握りにも満たぬであろう。──大前提からして、こうなのである。


 次に、『児童の性被害の実態』について、事例をくわしく調べてみた者は、果たしてどれほどいるであろうか?──無論、被害者の心理や立場を慮る目的から、はっきりとした詳細は表に出ないところは確かにある。しかしながら、幾つかの裁判例や、事件の概要といったものには、ちょいと工夫すれば触れることはできるというに。


 ここで、問おう。──敢えて云おう、無知なる者よ! いったい、『児童への性加害事件』と聞いて、いかなるものを考えたか?


 ──まず考えたは、そこらへんにいた変質者、頭のおかしいペド公が、連れ去ったりそこらへんに引きずり込んだりして行うもの、であろう? 世間の印象などそんなものだ。まあ実際そうした、行き摩りの犯行というものは幾つも存在する。それは事実である。──だがそれらは、たとえば身代金目的の誘拐事件といったものや、通り魔殺人事件らと、ほぼ同列に置いて考えてよいものだ。言葉は悪いが──目的が金銭であるか、殺害であるか、或いは苦痛を与えるか、己の性的欲求を満たすかの違いでしかないからだ。


 そもそも、『ペドフィリア』というものに対しての知識が、世の人らには壊滅的に不足している。──ちょうどよい機会である。余談ではあるが、説明しようではないか。


 ペドフィリアを簡潔に述べると、『思春期より前の児童を性的な対象とする』というものだ。人によっては、『児童しか性的対象にできない』というものもある。ただ、それだけのことである。


 「ただそれだけとはなんだ! ふざけているのか」と思った方がいれば、もうすこし落ち着いて読んでほしい。──本当にただそれだけなのだからしかたがない。──たとえば同性愛は、『同性しか性的対象としてみれない』ところがあるだろう? それと同じことだ。その性的対象が異なるだけで、本質的には同じなのである。


 故に、今現在、『ペドフィリアは病気ではない』のだ。同時に、『ペドであるという、それだけで即座に犯罪者とはならない』ことも覚えておくべきである。事件を起こすまでは、犯罪者ではない。ただ、性的対象が世の多数派と異なるだけ、なのである。──ここを見失うと、容易に差別からの迫害へとつながる。かつての同性愛がそのような目に遭ったように!──または、児童性愛は未だに、過去の偏見と迫害の中に取り残されたままと云うべきであろうか。


 また、ペドとロリコンとは、似ているようでその実は大きく異なる。ロリコン、すなわちロリータ・コンプレックスは、少女を性的対象とみるというよりは、『恋愛対象とみる』ことが大きな違いである。──無論、恋愛というものの性格上、性的対象となることもあるが……しかしながら似て非なるものにあるがため、混同は禁物である。


 この、恋愛感情がやがて性的欲求へと変わってゆく、微妙なる様をすこしでも知りたければ、『小さな唇』という映画を観ることをおすすめする。──倫理と恋心との狭間で揺れ動く心理! 突き上げる衝動と、決して手は出せないという苦しみ! そして最終的に訪れる悲劇……


 ──話が逸れた。本題に戻る。ともかくも児童性愛者(ペドフィリア)というだけでは犯罪とは、すくなくとも現行法にてはならぬということを理解してもらえればよい。児童性犯罪者(チャイルドモレスター)とは厳格な区別をするべきだ。そこには、犯罪をしたか否かの、明確な違いが存在するのであるから。


 この、児童性犯罪者は、必ずしもペドやロリコンであるとは限らない。『穴ならなんでもよい』という、年齢も性別も果ては種族すら問わぬ者も含まれる。──本当にそんな事件があったのだ。一家に押し入り、老人から若者から子供から果ては飼っていた犬までも、すべてを犯しそして殺した猟奇事件が。


 さて幾つかの脱線を挟んだが、今述べたような事件はいづれも、外部から突如としてやってきた事件であると云うことができる。


 しかしながら内部からの犯行というものがあり、すくなくとも表に出ている事例からみれば、こちらのほうが圧倒的に件数が多いのである!


 たとえば、父、伯父や叔父、或いは兄や弟、従兄弟といった近親者によるもの。これは結構な割合を占めている。最も有名な事件は、学校の授業でも習う、『尊族殺重罰規定違憲判決』の事件であろう。──これは、被告人が14歳の時からずっと、性交を含む性的虐待を受け続けていたというが背景にある。そのような状況にたまりかね、尊族たる父親を殺害するに至ったというものだ。


 この事件についても詳しく触れたいが、ふたたびの脱線となるし、また教科書にも載っているがため、敢えてここでの説明は省く。──詳しく知りたい方は、各々で調べていただくものとする。


 「このような、近親者による事件がなぜ起きるのか?」と問われても、わしには明確な回答はできぬ。わしは児童性犯罪事件の専門家でもなければ、児童性犯罪者でもないからだ。──だが、幾つかの推論はできる。もしかするとはじめは、ただの悪ふざけだったのかもしれぬ。それが次第に加速して、やがて止められなくなったのかもしれぬ。もしそうだとすれば──これは誰にでも起こり得ることだ。各々の自制心が求められると云えよう。


 「これだから男は狼なのよ」と、思ったそこの御婦人! 女性もまた例外ではない。男性とは異なるかたちにて、児童性犯罪に関わることがあるのだ。


 直接の性加害は行わぬまでも、間接的に行うこと。それは、たとえば母親の浮気相手、或いは寡婦の恋人が、娘に手を出すを黙認すること。または恋人が離れてゆかぬよう繋ぎ止めるため、娘の身体を対価として差し出すという事例が、しっかりと存在しているのだ。


 売春の斡旋ということもある。動機は、貧困のためという、まるで『おしん』の身売りのようなこともあれば、単に遊ぶ金を安易に得るという救いようのないものまで。──しかしいづれにせよ、哀れな娘の運命は変わらぬと云えよう。


 これは、ほんのすこし前までは、誰もが見ようと思えば見られる状態にて、証拠映像がインターネット上に存在していた。『関西援交』という裏ビデオシリーズのひとつに、小学生が出演しているものがあるが、これは母親付き添いであるが確認できる。金で娘を売ったという証がここにあった。この件に関しては男優、撮影者など製作者に有罪判決が下っている。故にここに、確たる事件としてしるす。以前にも述べた『設定』ではなく、本物の児童ポルノ、性的虐待の記録物というが確定したのだ。


 またこのシリーズの出演者を斡旋していた女性も職安法違反及び児童福祉法違反の疑いで逮捕されている。なんと同じ学校の同級生や下級生を撮影者らに引き合わせ、紹介料を受け取っていたばかりか、斡旋した娘らの出演料の上前まで撥ねていたというのであるから、悪質極まる。


 このように親類縁者や、同級生や先輩などといった、身近にいる者たちが起こした性犯罪事件のほうが、圧倒的に多いのである。──考えれば当然のことだ。性犯罪というものの性質上、物理的に距離が近くなければ行いようがないからだ。


 さて、そうならばどうやって児童を守るのだ?──未然に犯罪被害を防ぐため、強制的にすべての子供を親や兄弟から切り離し、何かしらの公的機関で教育をさせろと云うのかね? それは、何てヒットラー・ユーゲントだ? それともオスマントルコのイェニチェリか?──悪い冗談はともかく、そのような手段、取れるわけがないだろう。まったく、現実的ではない。


 現実的に取れる方法は、せいぜい、他の被虐待児童と同じく、保護するといった方法であろう。どうしても後手にまわるところはあるが、致し方あるまい。


 しかも頭の痛いことに、そうした保護施設に於いても性犯罪事件が起きたりするのだから、もうどうならや、である。こうした保護施設には教会が用いられることもあるが、神父や牧師などといった聖職者が起こした性加害行為は、無視できぬくらいには比率が高めである。また、学校に於いて教師が生徒に行う例もあるというのであるから──児童にとって完全なる安全地帯など、ないと云ってよいであろう。


 このように、児童を性犯罪から守ることは、今現在の時点では問題が山積みであり、非常にむずかしいと云えるであろう。これには地道な努力と、あきらめない鉄の意志が必要である。──これは実績はなかなか出ず、眼に見えて功績がわかりにくい、ということを意味している。


 しかし、どうだろうか! そのような地道な努力よりも、なにかわかりやすい『悪』をこしらえ、それを正義の名に於いて断罪すれば!──これは、眼に見えてわかりやすい。「やっている感」が、誰の眼にも、極めてわかりやすいというものだ。


 これが『生贄の黒羊』(スケープゴート)の正体である。(タネ)が割れれば単純なものだ。誰かさんの功績稼ぎのため、まったくの合法品に児童ポルノのレッテルを貼って、人々を煽動して攻撃させているだけだ。


 こんなもの、充分な知識と理解があれば2秒で看破できることだ。──だが、無知と偏見はその眼を曇らせ、また、煽られた正義の心は、こんな単純なインチキすら見抜けぬほどに、眼と頭脳を曇らせるのだ。そして、知らぬ間に迫害に参加する。こうなるともう止まらない。己は正義と信じているのであるから。止められる者など、いようものか。止めてくる者は、正義に逆らう『悪』なのだから。


 そして、己がやらかしたことの恐ろしさに気づいた時に云うであろう。「こんなハズじゃあなかった」だの、「ここまでやるつもりはなかった」だのとの、白々しい空虚な言葉を。


 「そんなのは悪意に満ちた決めつけだ」、「被害妄想だ」などと思う読者諸兄もおられるであろうが──これはれっきとした事実である。歴史がそう物語っている。中世の魔女狩り然り、ナチ党然り、ソ連共産党然り、である。


 何度もくり返すが、彼ら、或いは彼女らは、『心から己を正義と信じてやっていた』のである。「さあ、今日も悪いことをしてやろう」と考える人間は、極めてすくない。この世に生きる者のほとんどが正義を重んじる善人である。──それ故に、性質(タチ)が悪い。


 まことに、暴走した正義とは始末が悪いのだ。『逆らう者はすべて悪』という、一種のレッテル貼りが行われれば、もはや対話は不可能である。正常な判断力がすでに失われた証なのだから。


 かと申して、放っておくわけにもゆかぬ。放っておけば巻き添えを食わされるからだ。誰が?──真っ当な判断力を持った者が。そして、実際に今まさに性被害に遭っている児童たちが、だ。


 我々は、説かねばならない。無知と偏見に満ちた者らに対して。児童ポルノとはいかなるものか、児童ポルノ規制法とはどうしたものなのか、本来、守るべきは何なのかを。糾弾すべきものは何なのか、を。


 これは並大抵のことではない。暴走した正義に流され、脳髄が過熱して正常な判断力を失った、対話が不可能な者らを相手にしなければならぬのだから。


 相当な苦痛を伴うことは確実だ。逆らう者は『悪』だとみなす者たちなのであるから。すさまじいレッテルを貼られるであろう。『児童ポルノを守ろうとするのは、お前が見たいからであろう』とか、『お前は児童性愛者だろう』などとか。下手をすると社会的立場すら、失われるかもしれぬ。


 そのような危険を冒せとはとても云えぬ。誰しも背負っているものが大きく重いからだ。今まで積み上げてきたものを、顔も名前も知らぬどこかの子供のために打ち棄てられる者は、そう多くはないだろう。


 だがここに、打ち棄てられる者たちがいる。──無知と偏見に満ちた者らから、『ロリコン』のレッテルを貼られた者たちが!


 そもそも、このレッテルを貼られた時点で、社会的立場はほぼ終了している。ならば、これ以上何を失おうと、どうということはない!


 我々、ロリペド野郎の烙印を押された、悪の枢軸たちこそ、正義に狂った連中の眼を覚ますことができるのだ!


 無論、対話がむずかしい以上、あれらと真っ向より相対するは避けるべきであろう。話が通じない者と話を続けるは、時間と労力の空費以外のなにものでもなく、ただ咽喉が渇くだけだ。──我々は児童ポルノとは何ぞや、児童ポルノ規制法とはいかなるものなるや、を、粘り強く発信し、また発言してゆくことをすべきであろう。


 とは申せ、こちらが近づかぬとも、向こうから近づいてくることはあるだろう。──向こうからすればこちらは『悪』なのだから。


 だが、所詮は、無知と偏見に満ちたレッテル貼りである。心ある、知識ある者たちは、どちらが真っ当なことを云っているかわかっていることであろう。


 『ロリコン扱い、何するものぞ』! 我々は何ら恥じることのない者だ。性犯罪者ではないのだから。性犯罪はおろか、性行為すらしたことのない者もいる! してもいないことを、何故できる?──この、恥じることのない潔白こそが、我々の最大の武器であるやもしれぬ。


 ここまで読んできてくれた読者諸兄は、当然わかっているであろう。暴走した正義の恐ろしさを。無知と偏見に満ちた正義こそ、最も警戒すべきものであることを。


 そのようなものが世界に渦巻いている今こそ、ただ流されて乗り、取り返しのつかぬ事態を招くその前に、一歩立ち止まり、法令の条文を読んでようく考え、義憤に駆られず正義を盲信せず、時には相手の立場に立ってものを考え──頭を冷やして冷静になって行動することが大切なのである。


 これは、準児童ポルノ規制などに限ったことではない。ナチ党や共産党や魔女狩りといったものに対する対抗策でもある。


 何故ならば今まさに渦巻く、過熱した規制運動は──現代によみがえったナチだからだ。

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― 新着の感想 ―
 本来は№87のようなものを防ぐために、自ポ法ってあるんでしょうねぇ……。  しかし、№87を知ってるとはなかなかのマニアですねぇ。  
話し長過ぎてわかりにきーよ(╯︵╰,) もうちょいわかりやすく書こうぜ? それだと、途中で読んでくれねーぞ? 相変わらず瑞鶴は飛ばしてるねぇ♪
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