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第9話 ルールと心の間で

いつもより早い時間に、「スナック源ちゃん」のドアが開いた。

現れたのは、きちんとした身なりの三十代前半の男性。疲れ切った表情で、重い足取りでカウンターに座る。


「すみません......酒を一杯」

その丁寧すぎる口調に、源ちゃんは少し驚いた。

「いらっしゃい。お疲れ様」

男性――エドワードは、差し出されたジョッキを見つめながら、深いため息をついた。


「私は、税務署で働いているエドワードと申します」

その自己紹介に、アキナが

「あら、大変なお仕事ね」

と相槌を打つ。

「大変......そうですね」

エドワードは苦い笑みを浮かべる。

「今日も、一人の商人が滞納していた税金について相談に来ました。『家族が病気で......』『商売がうまくいかなくて......』と泣きながら懇願されましたが」

ジョッキを握る手に力が入る。

「でも、法は法です。感情で捻じ曲げるわけにはいきません。他の真面目に税金を払っている市民に申し訳が立たないからです」

エドワードの声には、揺るぎない信念が込められていた。

「その結果......『血も涙もない』『役人の鬼』と罵声を浴びせられました」

その瞬間、彼の表情が崩れる。

「毎日です。毎日、そんな言葉を浴びせられて......」


バルドが静かに聞いた。

「辛くねぇのか? そんなに嫌われて」

「......慣れました」

エドワードの声が震える。

「子供の頃から『正義感が強すぎる』『融通が利かない』と言われ続けてきました。クラスメイトが宿題を写していても注意し、ルール違反を見過ごすことができず......気づけば、いつも一人でした」

その告白に、店内の空気が重くなる。

「でも、間違ったことはしていないはずです。なのに、なぜ......なぜこんなに孤独でなければならないんでしょうか」


源ちゃんがマイクを差し出すと、エドワードは戸惑った。

「私が......歌を?」

「ああ。まずは、お前の信念を歌ってみろ」

エドワードは震える手でマイクを握り、背筋を正した。


♪法を守り~ 国を支える~


それは厳格な軍歌のようだった。規律正しく、感情を排した歌声。

だが、歌い終えても、どこか空虚な響きが残った。


「......なんか、寂しい歌だな」

バルドの一言に、エドワードははっとした。

「寂しい......ですか?」

源ちゃんが煙草に火をつけながら、静かに言った。

「エドワード、もう一度歌ってみないか。今度は、お前が本当に守りたいものを歌ってみろ」

「本当に......守りたいもの?」

「そうさ。法の向こうにある、人の暮らしを」


エドワードは目を閉じ、深く息を吸った。


♪みんなが安心して~ 暮らせる街を~


今度の歌声は違っていた。温かみがあり、人への想いが込められている。


♪守りたいから~ 厳しくなってしまう~


それは、市民一人一人の幸せを願う、一人の公務員の心の歌だった。


♪伝えたい~ 私の本当の気持ちを~


歌い終えたエドワードの目には、涙が光っていた。

「......私は、みんなを守りたかっただけなんです」

源ちゃんが深く頷く。

「エドワード、ルールは大事だ。だが、伝え方次第で薬にも毒にもなる」

そして、より強い調子で続けた。

「相手の心に響かない正論は、ただの暴力だ」

その言葉が、エドワードの胸に深く刺さった。


「でも......どうすれば......」

「まず、相手の事情を聞いてやれ。そして、なぜそのルールが必要なのか説明してやれ」

アキナが付け加える。

「『法律ですから』じゃなくて、『みんなが公平に暮らすために、このルールが必要なんです』って」

エドワードの表情が明るくなった。

「そうか......同じルールでも、伝え方を変えれば......」

「そういうことだ。お前の正義感に、人への共感という翼をつけるんだよ」

源ちゃんの言葉に、エドワードは深く頷いた。

「ありがとうございます。明日から......いえ、今日から変わってみます。市民の皆さんの話をちゃんと聞いて、私の想いも伝えてみます」


店を出る前に、エドワードは深々と頭を下げた。

「皆さんのおかげで、大切なことを思い出せました。正義は、一人で守るものじゃないんですね」

その背中は、来たときより軽やかだった。

「また一人、心のバランスを取り戻したな」

源ちゃんがつぶやく。


「スナック源ちゃん」は今夜も、孤独な正義感に共感という温かさを与えたのだった——。



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