第5話 迷子の英雄
夜の「スナック源ちゃん」。赤い布が柔らかく灯りを包み、カウンターには常連のバルドが陣取っていた。
ジョッキを傾けながら、昔話に花を咲かせている最中――
ドアの鈴がカランと澄んだ音を立てる。
現れたのは、バルドと同じくらい頑強な体つきの男だった。
だが、その表情には覇気がなく、重い足取りで店内に入ってくる。
「よう、テオ。久しぶりだな」
バルドが手を上げると、
男――テオは無言で頷き、カウンターに腰を下ろした。
源ちゃんとアキナは視線を交わす。
この男から漂う暗い空気は、これまでの客とは明らかに違っていた。
「ジョッキ一つ、頼む」
テオの声は低く、どこか疲れ切っている。
源ちゃんは黙って酒を注ぎ、そっと前に置いた。
「どうした、元気がないじゃないか」
バルドの問いかけに、テオはジョッキを一息に飲み干してから、重い口を開いた。
「......ランクアップの試験に、また落ちたんだ」
店内に沈黙が落ちる。テオは腰に下げた剣を見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「前はあんなに簡単に突破できたのに、体が、心が、思うように動かない。剣を握っても手が震える。敵を前にしても、足がすくんでしまう」
彼の声には、深い絶望が込められていた。
「周りからは『昔の英雄』だなんて呼ばれるが......今の俺には、自分の実力が信じられない。このままじゃ、本当に錆びついてしまう」
アキナが同情的な視線を向ける。源ちゃんは煙草に火をつけながら、静かに聞いている。
バルドが苦い顔をした。
「テオ、お前は十分やってきたじゃねえか。無理することはねえ」
「無理?」
テオの目に、一瞬だけ炎が宿る。
「バルド、お前にはわからないんだ。お前は怪我で引退した。でも俺は......俺は、ただ弱くなっただけなんだ」
その言葉に、バルドの表情が曇った。
重い空気が店を包む中、源ちゃんがゆっくりと立ち上がった。
「テオさん、でしたっけ」
「......なんだ?」
「その剣、もう一度、信じてやりませんか」
源ちゃんはマイクを差し出す。
「いいから、一曲歌ってみてください。下手でも構わない」
「歌だって? 馬鹿馬鹿しい」
テオは首を横に振る。
「無理だ。こんな気持ちじゃ、熱い歌なんて歌えない」
そのとき――
♪風が吹き荒ぶ~ 山を越えて~
野太い声が響いた。歌っているのはバルドだった。
彼が歌うのは、いつもの豪快な冒険歌とは違う。どこか哀愁を帯びたバラードだ。
♪剣を置いた日も~ 心は走る~
それは、バルドが怪我で冒険者としての道を諦めたときの、言葉にならない想いを歌ったものだった。
テオの目が見開かれる。
バルドが歌い終えると、テオは震える手でマイクを握りしめた。
「......バルド、お前......」
「馬鹿野郎。俺だって、毎晩夢に見るんだよ。あの頃の冒険をな」
テオは深く息を吸い込み、マイクに口を近づけた。
♪もう一度~ もう一度だけ~
最初はかすれた声だった。だが、歌ううちに徐々に力強さを増していく。
♪信じてくれ~ この手に宿る~
不器用な歌声は、それでもテオの心の奥底にあった想いを形にしていた。
それは、過去の自分を否定するのではなく、再び受け入れて未来へ向かおうとする
——心の叫びだった。 源ちゃんとアキナは、静かに聞き入っている。
歌い終えたテオの顔には、迷いが消え、再び冒険者としての眼差しが戻っていた。
「ありがとう、バルド。あんたの歌、沁みたよ」
テオが頭を下げると、バルドは照れたように鼻を鳴らした。
「馬鹿野郎。ここは『スナック源ちゃん』だ。歌を歌うなら、マイクを握った奴の歌だろうが」
三人は顔を見合わせて笑った。
「源ちゃん、アキナ......ありがとう。また来てもいいか?」
「もちろんだ。今度は、もっと上手い歌を聞かせてくれよ」
源ちゃんの言葉に、テオは力強く頷いた。
翌朝―― 「スナック源ちゃん」の前を、軽やかな足取りで歩いていく男の姿があった。
テオは再び、ランクアップの試験へと向かう。 腰の剣が、朝日を受けて輝いて見えた。
「スナック源ちゃん」は今日もまた、誰かの人生のサビを歌わせる準備をしていた——。




