第1話 源ちゃん 異世界に行く
土方源太、五十二歳。スナックでの愛称は「源ちゃん」。
万年課長。ぽっこり腹。痛い茶髪。酒とカラオケが生き甲斐の、ごく普通のアラフィフおじさんだ。
その夜も、いつものように行きつけのスナック「月影」で昭和歌謡を熱唱していたとき――。
カラオケ画面が激しく歪み、世界が白い光に包まれた。
「……ここ、どこだ?」
目を覚ますと、そこは岩だらけの見知らぬ大地だった。
「ひょっとして、異世界来ちゃったの? ……転移かぁ。転生じゃないから、体形はまんまだし」
源ちゃんは自分のぽっこり腹を見つめる。
「魔力チートとか、農業チートとか、そういうのは期待できないよな。
とりあえず、テンプレ通りに……ステータスオープン!」
沈黙・・・。 何も起きない。
「……まじかよ。積んでね? 何もなし?」
しかし、手に握られたままのマイクと、背後に鎮座する見慣れたカラオケ機材に気づく。
おそるおそる、流行りの歌を一節口ずさんでみた。
――瞬間、楽器隊もいないはずの荒野に、重厚な伴奏が鳴り響く。
どこからともなく、異世界の住民たちが集まってきた。
彼らは涙まで流しながら、源ちゃんの歌に聴き入っている。
「……俺のチート、カラオケ召喚かよ」
呆然と呟いた後、ポケットがずっしり重いことに気づいた。
取り出すと、見慣れない金貨が数枚。
「……おお? 金はある。チート能力と軍資金。ならまずは――呑みにいくかぁ!」
源ちゃんが辿り着いたのは「木のジョッキ亭」という酒場だった。
中は樽から注がれるエールの匂いと、人々の笑い声が充満し、賑やかだ。
カウンターの奥で腕を組む店主は、元冒険者らしい鋭い目つきの大男。名をバルドといった。
「おっちゃん、新顔だな。どこから来た?」
「まぁ、ちょっと遠くからな。とりあえず酒くれ」
「へい、ジョッキ一丁!」
ジョッキを手に席に着くと、隣から声が飛んできた。
「おい、新顔ぁ! 飲めよ!」
振り向くと、髪を後ろで束ねた三十代後半の女がいた。頬は赤く、目は据わっている。
アキナという名の常連のようで、姿勢の良さから元は真面目な人間だとわかる。
「座れ座れ! 飲みな! 人生なんてさぁ、飲んで忘れるしかないんだよ!」
ジョッキをぶつけ合い、しばらくは源ちゃんがアキナの愚痴を聞く番だった。
「……わたしね、結婚してたの。旦那は商家の跡取りで立派な人だった。でもね、妾に入れあげて、わたしが真面目に家を切り盛りしてる間にそっちに金も時間も注ぎ込んだのよ」
声は淡々としているが、グラスを持つ手には力が入っている。
「嘘と裏切りに笑ってついていくなんて、私にはできなかったのよ……それで別れたの」
「お、おう……なかなか派手だな」
「真面目すぎるってよく言われる。でも耐えきれなかった。……ま、しょうがないでしょ」
源ちゃんは煙草をくゆらせながら、苦笑して宥める。
「しょうがないなんて言うなよ、姉さん。
世の中“しょうがない”で片付いちまうと、残るのは後悔だけだぜ!」
「急に説教?」
「説教じゃねえよ、蘊蓄だよ。いいか、酒ってのは“飲んだ理由”より“飲んだ相手”で味が決まるんだ」
アキナは目を細めて源ちゃんを見つめる。
「つまり、あなたと呑む酒は不味いって言えばいいのかしら?」
「おいおい! 話を最後まで聞くのがいい女だろ。
それにさ、人生は歌も同じで――上手い下手じゃなくて、気持ちが伝わるかどうか、なんだよ」
その言葉に、アキナは目を丸くした。やがて、豪快に笑い出す。
「……あんた、おもしろいねぇ。なんか、ちょっと楽になった」
「そりゃよかった。俺の取り柄は、酒と話と歌だけだからな」
ジョッキを掲げ、二人で乾杯した。アキナはさっきまで泣いていたのが嘘のように笑う。
「いやぁ、異世界でも酒はうまいな!」
「ふふ、あんた変わってるよ。名前は?」
「土方源太。みんなには源ちゃんって呼ばれてる」
「源ちゃん、ね。あはは、似合ってるじゃない」
酒場の片隅。源ちゃんは思いついたようにマイクを取り出した。
試しに昭和歌謡を一説口ずさむと、どこからともなく伴奏が鳴り響き、
酒場全体が一瞬で静まり返った。
源ちゃんは気持ちを込めて歌い上げた。
歌い終えると、酒場中から割れんばかりの拍手が湧き起こる。
「すげえ!」「楽器もなしに音楽が……!」「なんだこの胸に沁みる声は!」
隣のアキナは、目を丸くしたままぽつりと呟いた。
「……あんた、上手いわけじゃないのに……なんか泣けるね」
「おいおい、上手くはないさ。けどまあ、歌は気持ちが大事だからな」
アキナはジョッキを傾け、にやりと笑う。
「ねえ源ちゃん」
「ん?」
「あんたさ、その歌……武器になるんじゃない? 酒と歌で人を元気にする店。
――これで、店やらない?」
その一言に、源ちゃんは目を瞬かせた。
だが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべ、もう一度ジョッキを掲げていた。
「……面白ぇ。やってみっか!」
カラン、とジョッキがぶつかる音が響いた。
異世界の夜は、にわかに熱を帯びていく――。




