第3話 蘇りし杖
俺は今、晶の実家にいる。
晶の実家はとても豪華な所謂豪邸で、和をベースにしながらも現代的に作り直されているような特殊な構造をした家だった。座敷とリビングが両立しているような現代的な作りは嫌う人間もいるだろうが、俺は嫌いじゃない。
実用的なヤツで良いじゃないか……と。
今座っているのは座敷だ。座敷にはテーブルが一つ置いてあるだけで、テレビも何もない。物足りないと感じるが、これはこれで心を落ち着かせる場所としては最適なんだろう。
ブレザーのポケットに入っているスマホを取り出してネットニュースを確認する。そこには『緊急ニュース! 鳴神高校に謎の大きな凹み! 未確認生物襲来か?』と書かれていた。ビュー数を見る限りかなり話題になっているようだ。
学校にいた時は15時過ぎ。今は17時前。約2時間の間にもうマスメディアが学校に来ていたのか。流石は行動は早いだけある。迷惑は考えないやつらだけど。
「お茶飲む?」
「ん? ああ、頂きます」
「そう。じゃあこれ、緑茶。ちょっと濃いかもしれないけど、ごめんね」
「いや、良いですよ。俺、濃いの好きなんで」
「そう? じゃあ良かった」
晶は制服から着物へと服装を変えていた。ピンク色が可愛い印象を強めている、和服のお陰か少し大人びた雰囲気を醸し出している。晶はリビングの方へ湯呑みを持ってくる時に使った板をキッチンへと戻しに行った。
「ハァ……。早く魔法を使いたい、試してみたい」
「お? お前が噂の結婚相手か!」
「ん?」
「初めまして、俺はアイツの兄の藤代勝っちゅうモンだ。魔法使いや。魔法教えてほしいんやろ? アイツが飯作ってくれてる間に相手してやんよ」
「初めまして、鈴木香織です。ありがとうございます」
「ハハハッ! 緊張せんでええよ。俺は暇やからな」
アイツというのは多分晶のことだろう。
年齢は多分30代前半くらいか? 貫禄がある。魔法使いとしての歴も結構長いんだろう。刈り上げた黒髪と顎髭がそのイメージを助長しているのかもしれない。
服装も少し90年代を感じるジャケットにジーパン、いやジーンズ……。カッコイと俺は思うが、現代の女子には少しキツイかもしれない。
「しっかし、今時新しい魔法使いが藤代の家系以外で生まれるとは驚きやな。お前も魔法に魅せられたんか?」
「ええ、そうですね。あの感覚……忘れられませんよ」
「へぇ〜そうか。また珍しいやつやな〜。女と遊ぶ時間につこた方がマシやで?」
「? 俺は違います。もう一度あの感覚を味わいたい……、女よりも今の俺は魔法の方が好きです」
「こりゃあ重症やな。っけど、俺は好きやで。よし! 表出るで? 晶! 少し中庭ァつこわせてもらうで?」
俺もこの人は嫌いじゃない。勿論普通の好きとは違うベクトルの好きだが、まあその部分についてはまあ良いだろう。
女よりも魔法……。こんなセリフを言うことになるなんて昔は思いもしなかった。昔の俺に言ったらどんな反応をするかな?
俺は勝さんに連れられて中庭に出る。中庭は中庭というにはとても広かった。凄いな、本当にこの家は。
「まずはお前の杖、見せてもらうで?」
「はい」
「……」
俺は心を落ち着かせた。身体の中を駆け巡る魔力に語りかける「応えてくれ……」と。そして魔力の感覚が掴めた瞬間に目を見開いて杖を呼び出す。
あの時は思わず気合を入れすぎて声を出してしまったが、それは必要なかったと今なら分かる。魔力の流れと魔力を感じるのに雑音は必要なかったんだ。
手に馴染むこの感覚。やっぱりこの感覚は美しくて、触り心地が良い。物凄い手に馴染む……、昔からの相棒みたいだ。
「これです。俺の杖は」
「!? コイツァ……、また凄いもんを呼び出してしもうたな……」
「? ヤバいヤツ? どういうことですか!」
「待て待て、落ち着かんか。ヤバいっちゅうのは良い意味でのヤバいや。当たりやで! コイツ」
「当たり……。教えてくれませんか? コイツのこと」
「ああ、教えたる。アイツもせっかくやから呼ぶか。お〜い! 晶ァ! ちょっとこっちへこいや〜!」
何か、ワクワクしてきた。
今までのなんてことのない平和な生活を投げ捨てて得た人生が、ここまで当たりになるとは思わなかった。
料理を作ってるのを邪魔されて不服そうな晶が中庭に来た。そりゃあそうだろうな、タイミングが悪い。まあそれは俺のせいでもあるけどさ。
「ごめん、晶さん」
「え、ああいや別に君に怒っているわけじゃないわ。怒ってるのは兄貴に対してよ」
「はは、スマンな。お仕置きは勘弁や、ホントにスマン」
「……。まあ良いわよ、別に。で? なんのよう?」
「そいつの杖、見てみろや」
「杖? ! その杖……学校の時と見た目が違う。なんでその杖を君が……」
二人はしんみりした顔で俺が手に持っている杖を見つめている。この杖が一体なんだって言うんだ。
「その杖はな、俺たちの死んだ姉貴の杖と同じモンなんや。驚いたわ。本来杖っちゅうのはな、本人の魔力に影響されて形成されるもんなんや。そしてそれは個人の特徴が大きく反映される。そういうもんやから同じ杖ができるっちゅうのは絶対にないはずなんや。しっかし、今回はそれが起きた。荒れるでぇ? 魔法使い界隈と魔女界隈が、これが予言の正体や、晶」
「こっちが……」
「…………」
空気が悪い。というより、俺の杖が他人の物だったという点に違和感があるからかな。別に嫌ってわけではない。他の物と同じだ。中古ってのは一見するとただの使い古された物、誰かが使って役目を終えた物っていう印象で人によっては嫌と思う人もいる。
だけど、俺は違う。むしろ俺は中古を買うことが多い。ただし汚くない物に限るけどな。
大切に使われてきた物は熟成されている。成長しているんだ。だから長く大切に使われてきた物には価値があるし、質が良い。この杖もそうなのかもしれない、手に馴染むのは俺がその二人のお姉さんと同じ何かを持っていたからなのかと予想してしまう。
実際の所どうなのか、少し聞いてみようかな。
「あの、少し聞いても良いですか?」
「ん? ああ、ええで」
「俺とお二人のお姉さん、何か似ている所はあるんですか?」
「……。ハァ……」
! 質問をミスったか? いや、けどこれで良いんだ。これで。
勝さんは目を閉じて軽く俯いた。そしてため息を吐いた。すみません勝さん、嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。
けど、今の俺には必要なんです。その情報が。
「腐る程あるで、似てるとこちゅうのは」
「そうなんですか。教えてください」
「やけに積極的やなぁ〜」
「まあそうですね。必要なんです、今の俺には。何か掴めそうなんです、この杖……コイツのことを理解できそうなんですよ」
「分かった。教えたる、耳の穴かっぽじって聞けや?」
「はい。分かっています」
どんな人だったんだろう。どんな人なんだろう。そういう感情が俺の心の中に溢れてきた。その感情はまるで今にもグラスから漏れ出そうなワインのように繊細で、少しでも刺激してしまえばこぼれ落ちてしまう……。そんな状態だった。
「まず一匹狼やった。お前もそうやろ?」
「そうですね」
「魔法に突然魅入られて、我慢できなくてイライラしてる。そんで、杖が同じ……それは考え方の系統がおんなじっちゅうことなんよ。俺ら魔法使いや魔女でも流石に恋愛やら家族愛やらそういう人間関係のもんは完全に捨てきるなんてことはまずありえへん。姉貴はお前とおんなじやった。家族も友人も恋人も、全部どうでも良いさそうに対応も受け流し、そんな人やった。いつも呟いてたんは「魔法が唯一の信じられる恋人さ」っちゅう言葉やった。どうや? おんなじやろ? お前も」
「……そうですね。同じです」
勝さんはそれが最後の言葉だった。
無言で部屋に戻っていってしまった。魔法を教えてくれると言っていたような……まあ杖のことについて分かったから良いか。
俺も部屋に戻ろうか。そう思って俺は足を部屋に向かわせる。しかし……。
「待って」
「晶さん。なんで」
「私が稽古つけてあげる」
「なんで晶さんが?」
「いきなり兄の手解きは刺激が強すぎるのよ。もう十年以上魔法使いをやっているんだから。魔力との対話をするにはまず使った方が良い軽い魔法があるの、学校で使ったのもその一つ」
さっきまで緩めだった晶さんの目が鋭くなった。本気モードってことか、それともさっきの見え隠れしていた殺気を俺に向けるつもりなのか……。真偽は分からないが、まあ戦えるのなら良いだろう。コイツの使い心地も確かめたい。
「お願いします。晶さん」
「ええ、よろしく」
「じゃあまずは魔法書についての説明。魔法書っていうのは魔法使いや魔女たちが今まで自ら作ってきた魔法を記録する魔法記録書って所かしら。魔法は案外簡単に作れるから、魔法の総数はもう300〜400。いや500? 随時増え続けているの。魔法書の更新は自動で行われて、他の魔法使いや魔女が開発した魔法をいつでも確認できるようになってる。と、このくらいね。で、ここからが本題。まずあなたに使ってもらう魔法は燃費が良い身体改造。強化魔法系統だから魔力消費が少ないし、魔力との対話もしやすいの」
「なるほど。じゃあ早速……」
「待って!」
「ん? なんですか?」
「魔法を使う時意識すべきことがあるの。詠唱速度、発音、魔力を感じる心。これらを意識して。早いほど燃費が良い、けど効果は薄い。遅い程燃費は悪い、けど効果は高い。そこを調整して使うのが魔法使い、魔女の役目なの」
晶さんは自分の杖を呼び出した。流石に慣れているからか、杖を呼び出すのに俺みたいに時間はかからず、およそ1秒で召喚していた。そして「はぁ」と言い口を開く、詠唱を始める。
「魔法書! ……第、百七章!。……身体改造!」
晶さんの身体の周りには真っ白に輝く光のようなオーラが纏っている。そのオーラは多少眩しいと感じるくらいのライトと同じ明るさだ。
晶さんは中庭に落ちていた木の枝を拾い手に取る。そしてそれを野球のボールを投げるようにフォームをつけて投げた。ビュン! と木の枝は直線上に矢の如く飛んでいき、家の壁にぶつかった。その木の枝が当たった場所はヒビが入っていた。
「……。良いんですか? アレ」
「良いのよ。魔法で直せるから」
「そうですか」
「今の私の言い方、何処が大事か分かる?」
「間を空けている、その間を空ける直前に語気を強くしている。って所ですかね」
「そう。これが私の中で最大の強化幅。つまり燃費悪くて強い方。これをみんな、最大強化って呼んでいるわ」
最大強化か。その限界を超える魔法を作れたら面白そうだけど、どうなんだろうな。例えば限界破壊っていう典型的な名前だけど、意外とどうにかなるんじゃないか?
「晶さん、例えばなんだけど……限界」
「無理よ」
「即答か。やっぱり調整が難しいのか?」
「ええ。言い忘れていたけれど、魔法っていうのは他の魔法と組み合わせることで完全に使いこなせる完成形になる。限界破壊は過去に作ろうとした魔女がいたけど、完成には至らなかった。人間に扱える領域の物じゃないのよ。あの姉さんでさえ不可能だったんだから」
不可能か。晶の悔しそうな顔を見る限りそれは本当なんだろう。けど、俄然やる気が出てきた。誰にも作れなかった魔法、作ってみたいと思ったからには実行に移すまでだ。
「晶、魔法の行使は後回しで良い。魔法を作ることに長けた魔法使いを紹介してくれないか?」
「? まって、あなたまさか! やめておきなさい! その道に進んだ魔法使いや魔女がどんな末路を辿ったか、聞けばやる気が失せるはずよ。やめて、その道へ進むのは。本当におかしくなるわ」
晶は形相を変えて俺の右腕を掴んだ。そして必死に引き止めている。俺はその手を無理やり振り払った。
「じゃあ聞かないよ。聞かなければ問題ないだろ」
俺は近くの家の壁まで晶を追い詰めた。そして言うんだ。
「教えてくれよ」
「……ッ。藤代広大。この家から二十キロくらい離れた田舎町で暮らしているわ、魔法使いはもうやめているでしょうけど、必死に頼み込めば教えてくれるかもね。今日はご飯を食べて寝なさい、明日の早朝訪ねてみると良いわ。どうなっても知らないからね?」
晶は俺のことを押しのけて部屋に戻っていった。急に話を変えたり、無理やり聞き出したり、晶にはちょっと悪いことをしたかな。でも、結果的に聞き出せた。藤代広大。明日が楽しみだ。
俺は部屋に戻り、リビングで夕食を食べることになった。その時、勝さんこのことを話したら。「そうか……。お前はそっちの道行くんか。踏み外すなや? 道を。その道は修羅の道や、どっかで間違えたら一生戻ってこれない大泥沼や。俺らはその道に進んでそうなったヤツらをこれでもかってくらいは見てる。気をつけや?」と忠告を受けた。
それと気遣ってくれたのか自分の車で送る。と、言ってくれた。俺は「魔法じゃないんですか?」と質問をしたが、箸を茶碗に置いて勝さんはこう答えた。
「魔法も一日中ずっとつこえるわけやないんや。魔力は有限、消費できる量は限られてる。消費しなくても良いタイミングではできるだけ文明の利器に頼るんが一番なんやわ」
という納得のいく説明をしてもらった。
まあ確かによく考えたらそうかもしれない。
俺は夕食を食べ終わったら寝室へ案内された。
「今日はあなたの着替えがないからお風呂は良いわ。明日あなたが出かけている間に服一式を買ってくるから、今日は寝なさい。サイズは魔法でもう分かっているから」
「心を読むのもほどほどにしてくれないかな」
「そうね。ごめんなさい」
晶は寝室のドアをバンッ! と勢いよく閉める。
「怒らせちゃったかな。まあ、おやすみ」