閑話休題
「……え、これだけ?」
朝の仕込みを終えたパン屋の娘が、新聞のコラム欄をぱらりとめくって首を傾げた。
「なんか、お庭でお母様とお花を見た話で終わってるんだけど」
「前のやつは、ほら、剣を持った男が窓から忍び込んだりしてたじゃない」
奥から店主が顔を出す。
「今回は花見て、お菓子食べて、はいおしまいだからなあ」
八百屋の女将は新聞を二つ折りにしながら鼻を鳴らした。
「これはこれで、お上品で結構なんだけどねぇ。前のあれ、やりすぎなくらい面白かったからさ。読んじゃうと比べちゃうのよ」
「ま、また裏があるんじゃないの。貴族なんて、みんな家の中ドロドロなんでしょ」
通りがかりの客が言った。
「だったら、早くドロドロしてくれないかしら」
宿屋の女中がぼそっと呟いて笑った。
「今のとこ、お母様が優しくて、お兄様が立派で……読んでて眠くなりそう」
「でも、ああいう子が一番後で崩れるんだって」
靴職人の爺さんが新聞を広げたまま口を開いた。
「はじめは真面目で綺麗で静かで……で、気がついたら全部終わってる。そういうのが怖いんだよ」
日曜の昼、街角の喫茶店では新聞を開いた誰もが、次の行を追いながらも、まだ本気で“読む姿勢”にはなっていなかった。
その手記の中に潜む影には、まだ誰も気づいていなかったのだから。