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聖女の短編集

祝福の聖女の葛藤

「癒しの聖女に会いたい」

ギーゼフ王子は窓辺でボソッと呟いた。ため息が追撃する。きっと声に出ていたことに気づいていない。同じ室内にいたユーリアの耳に届いてしまったことも。


ユーリアは『祝福の聖女』と呼ばれるハルモニア王国の筆頭聖女である。『癒しの聖女』、『復元の聖女』、『浄化の聖女』、それぞれの得意な能力にちなんだ二つ名を持つ特別な聖女たち。この王国には複数の聖女がいるが、その中でも際立った能力者がユーリアであった。


魔力量が多く、他の聖女が得意な魔法でも使いこなす。魔法を使っている場面を一度見ると、ユーリアも使えるようになる、という稀有な能力の持ち主。本来の意味は『祝福された聖女』。見ただけで使えるとは言え、高レベルで使用するには座学と練習が不可欠ではある。


生来の生真面目さも手伝って、器用貧乏と揶揄されることもあるくらい多種多様な能力を身につけた。本来聖女は専門性が高い。その中にあって、ただ一人の聖女を除いて、他の聖女と遜色がないほどの聖魔力の使い手でもあった。


ただ、ハーモナル教会史上最強の聖女ユーリアを以ってしても、ギーゼフの呪いを完全に解くことはできなかった、唯一無二の謎の呪い。対処療法的に祝福を与えて健やかに過ごせるよう見守る以外なかった。


聖女を管轄する、女神ハーモナルを信仰するハーモナル教会。教会関係者には理解されるユーリアの異色さ、稀少性、尊さ。しかしそれらはギーゼフのように聖魔力を持たない者には、感覚的に理解できない類のものであったのかもしれない。


怪我をした人を癒やしたり、失った指を復元したり。具体的な事象が見たかったのかもしれない。ユーリアもそう言われたら見せていたと思う。


ギーゼフが何を望んでいるのか見当もつかないが、そもそも一度も頼まれたことがない。二人の交流は全く上手くいっていなかった。


王宮からギーゼフの婚約者として、聖女を希望されて整った婚約。ギーゼフはこの婚約がとにかく不満だったようだ。


婚約が決まって初めての面会日、彼は一度ユーリアの顔を見ただけで、その後はずっとどこか違うところを見ていた。会話も弾まず、話しかけたユーリアに短い返事を返すのみ。その内ユーリアも黙ってしまい、何とかお願いして祝福を与えさせてもらい、その日はお開きになった。


『祝福』というのは不思議な魔法で、かけられた側の状態によって効果が異なる魔法だ。呪われている者は健やかに暮らせる身体に、健康な者なら幸運に、怪我をしている者なら怪我が治る。


特に悪いところはないのに無理矢理祝福を与えられて苛立つギーゼフ。そう。この頃はまだ呪われていなかったのだ。ユーリアが体調を崩して面会に行かなかった短い間に呪われてしまった。


その頃のユーリアは悲しい出来事があって、のんびりしたかったのだがそうもいかず、解呪不可と判断されるまで奮闘するハメになった。


その上ギーゼフと結婚したい気持ちは微塵もなく、毎回高位貴族の接待に呼ばれたような心持ちだった。


噛み合わない二人の思惑は不仲という結果をもたらした。歩み寄る努力も、互いへの気遣いも何もない。祝福は必ず与えるようにと契約で決まっていたので、何とか頼み込んでさせてもらう。


仕事だと思えば頑張れた。愛だの恋だのと言われたら頑張れなかったかもしれない。この先の日々を彼と共に過ごすのは正直嫌だ。最初は彼の健康を思い、とにかく頼み込んで祝福をさせてもらっていた。何度も断られるうちにユーリアはいつしか祝福を与えるのをやめるようになっていた。


ギーゼフへの祝福を求める宰相には、嫌がっている者を無理に祝福するのは逆効果だと説明した。望んで祝福される場合と、望まないのに祝福される場合では結果が異なる。


感情が寄り添いあって高みまで昇華される祝福と、感情がぶつかり合って潰し合う祝福。後者はもはや祝福とは呼べず、呪いのようなものだ。


さあ、もう良いだろう。引き際は今だ。


「ギーゼフ様、私そろそろお暇させていただきます」

ユーリアはそう言ってソファから立ち上がった。ギーゼフは窓からの景色を見たまま、

「ご苦労であった」

とだけ言った。


「今日の分の祝福を、」

「必要ない」

「ですが」

「いい。いらない」

ユーリアの話を遮って断った。その間一度もユーリアの方を見ることはなかった。


「承知しました。どうか、健やかに」

離れていてもできる最低限の祝福を残してユーリアは部屋を出た。その足ですぐに宰相への面会を申し込んだ。


「ユーリア様、どうされました?」

「ギーゼフ様に祝福を断られてしまいました。何度も断られていますし、これ以上私にはどうしようもありません」

「申し訳ありません」


「契約に則って婚約の解消をお願いします。せめて最後に祝福をしたかったのですが、最低限のものになってしまいました」


「分かりました。正直なところユーリア様とのご縁が今日までのものになると思うと不安しかございませんが、本人の意思がなければどうにもなりません」

宰相は名残惜しそうにそう伝えた。


「あなた様に安寧と平穏が訪れますように」

ユーリアは宰相に祝福を与えた。ギーゼフの婚約者になる時に交わされた契約書。ギーゼフが祝福を何度も断ったら、婚約を解消してもいい。


婚約に乗り気ではなかったユーリアからの提案で入れた一文だった。交流が上手くいかなかったということだから、と。『何度も』を越えて我慢した。もう充分だろう。不安げな宰相に伝える。


「どうか、ギーゼフ様のお側にいてください。近くに祝福を与えられた者がいれば、少しは手助けになるかと」

「ありがとう、ございます」

宰相は涙目でユーリアを見る。ユーリアは嫋やかに微笑んで帰っていった。


二人の婚約はあっさりと終わってしまった。いつ呪われたのかも分からない身体でどう生きていくのか不安しかない。


いくら言葉を尽くしても、身をもって体験しないとギーゼフは分からない。昔からそうだ。木登りは危ないのでやめてほしいと何度言われても、実際に落ちて骨を折るまでやめなかった。


あの時わざわざ教会から同年代の聖女様においでいただいて治療をしてもらった。もう既に働いている姿を見て、しっかりしてもらいたかった。


ところがその聖女様がお気に召した様子で、婚約するなら聖女がいいと言い出した。ただ、気に入った聖女の名前を覚えていなかった。教会側も数人の聖女を派遣したので分からないと言う。打つ手がない。


王子から聖女と結婚したいと申し込んでおいて冷たくするなんて、本来なら許されないことだ。あの態度でも怒り出さず冷静に対応してくれたユーリアには感謝しかない。


ユーリアは素晴らしい女性だった。彼女で不満なのだったら……。いや、もう終わったことだと頭を切り替えて、王と今後を相談するために宰相は部屋を出て行った。


「あーら、ユーリアじゃない。お早いお帰りで。ギーゼフ様とのお茶会はいかがでしたの?」

ユーリアが教会へ帰ると、『癒しの聖女』アデルが声をかけてきた。


アデルはこの王国の侯爵家のご令嬢で、子爵家のユーリアとは立場が違う。聖女の中で貴族として一番地位が高いのはこのアデルだった。教会内では身分は関係ないのだが、配慮する慣習が残っていた。


聖魔力は女性しか持たず、遺伝性でもない。『神に選ばれた』からだと信じられていた。八歳の時の魔力検査で聖魔力があると分かると、一人の例外もなく教会に所属する。


家族との縁はそこで切れ、その後の全てを教会が対応する。学校へ通わせたり、就職や婚姻の手配等々。座学と練習が必須な魔力なので、全員必死で制御を学ぶ。


聖魔力は人々の生活を潤すが、制御に失敗して暴走してしまうと周囲の存在を消し去ってしまうという恐ろしい側面もある。一般的な知識で育てると双方不幸になるような危険な魔力でもあった。


ちなみに制御ができるようになる前の聖女見習いたちは王都から離れた場所で学んでいる。


「私が至らず、婚約は解消となりました」

「え?どういうこと?王子に問題があったのではなく?」

「アデル様、不敬ですよ」

「だって、ユーリアが粗相するワケないじゃない」

困ったようにアデルを見るユーリアに気づき、アデルは話すのをやめた。


「元々、分不相応な婚約だったのです。それに、理由は分かりませんが嫌われてしまったようです」

「……ユーリア……」

自嘲するように微笑んだ寂しそうなユーリアを見て、アデルは少しだけ胸が痛んだ。


「やっと見つけたわ。アデル、部長がお呼びよ?」

『浄化の聖女』エルナだ。彼女も侯爵家のご令嬢で、アデルの幼馴染でもある。いつもユーリアが困っていると助けてくれる。


「エルナ、ごめん。ユーリアに久しぶりに会えたからつい」

「ユーリア、話は聞いたわ。大変だったわね。アデルが次に王宮へ行くみたいよ?先方からのご指名ですって」


エルナは運んできたユーリアの食事の準備をしていた。王宮では食事をしないことを知っていたので、今日も運んできてくれたのだ。


その時ユーリアはアデルを見ていた。一瞬だけアデルの口角が上がったのが見えた。

(ああ、アデルは侯爵家のご令嬢だもの。一度くらい王子妃に、と考えたことがあったのかもしれないわ)


「ギーゼフ様、癒しの聖女に会いたいと仰っていました」

「え!私に会いたいと仰っていたの?ギーゼフ様が?」


何か話そうとしたエルナを押し退けてアデルが必死な眼差しでユーリアを見る。あまりの勢いに引き気味のユーリア。

「アデル、ユーリアが困っているわよ。それに早く部長の所へ行って。結構探してたから今頃イライラしているわよ。きっと」


「分かったわ。まずは部長ね。あの人イラついている時は面倒くさいから会いたくないのよね」

「もう!早く行ってらっしゃい」

アデルの姿が見えなくなるまで見送ったエルナはユーリアを抱きしめた。


「おかえりなさい、ユーリア。大変だったわね」

エルナの慈しむような眼差しがユーリアを包む。

「ありがとう、エルナ。でもこれで教会のお仕事に集中できるわ」


「それがね、ユーリアは教会を出されるらしいの」

「え?それでは皆さまの負担が……」

「あなたは働き過ぎだから、そんなこと心配しなくてもいいのよ。でも全然別の理由よ。『夢見の聖女』グレーテル様がそういう夢を見たそうなの」


「まあ!」

「もちろんまだ通達は来ていないけれど、南方の国だと言ってらしたわ。ご自分はいつ起きているか分からないからと伝言をお願いされたの。荷物をまとめておいた方が良いのですって。急な出立で持ち出せない荷物があったようで気の毒だったから、って。明け方の出発だと言っていたから、もしかしたら明朝?」


「なぜそんな追い立てるような……。伝言ありがとう。のんびりしようと思っていたけど、早速荷物を纏めるわね。荷物を取りに戻れない状況なのかしら。皆にもう会えなくなるのかもしれないわね。グレーテル様にどうか感謝を伝えて。そしてエルナ、ありがとう。いつも優しく接してくれて嬉しかったわ」


「ユーリア、あなたがどこへ行ってもあなたの周囲が浄化されますように。穢れや邪な者から守られますように」

ユーリアの周囲が白く輝いた。唯一敵わない聖女エルナの浄化の魔法。温かい人柄がそのまま伝わってくるようだ。慈しむような聖魔力がユーリアを包み込む。


「ありがとう。エルナが祝福に包まれますように」

先程よりも明るい光がエルナを包んだ。


「桁違いね。ありがとう、ユーリア。きっとあなたならどこへ行っても大丈夫よ。いつかまた必ず会いましょう。大好きよ」

名残惜しそうにエルナは部屋を出て行った。

「まさかとは思うけど、グレーテル様の夢見は外れないのよね」


王宮での疲れがドッと出て身体が悲鳴を上げた。澱みが溜まりやすい王宮を全て浄化してからギーゼフに面会していた。今日が最後になると思い、隅々まで浄化して回った疲れかもしれない。こういう時に癒しの魔法を自分にかけても効き目がいまいち。眠った方がいい。


でも今頑張らなければ荷物を置いて出ることになりそうだ。ユーリアにも大切な物はある。両親が持たせてくれた本や装飾品、友人に貰った可愛らしい猫の置物、壁に飾ってあった大きなタペストリー。


一つ一つ空間収納庫にしまいながら、ふと疑問に思った。この程度の量の荷物を収納できずに出発しなければいけない状況って何?と。考えられる状況として真っ先に浮かぶのは、魔法が使えなかった場合。


封魔の腕輪でも付けられたのかしら?だったら、とどんな魔法も解除する鍵を作って首飾りにした。外から見えないように首からかけて服の中に隠した。


拘束されて手が使えなかったとか?念のため防御する魔法を手首にかけておく。念じれば拘束が解けるように。


気絶させられて?危険があったら目を覚ますようにと魔法をかけておく。


殺害?はない。生きているはずだ。もしそうなら違う伝言だっただろう。


「うん。寝ましょう」

寝具以外何もなくなったこの部屋で、ユーリアは寝床に入った。嫌なことから解放されて気分よく眠れると思ったのに、朝がくるのが怖い。軽く睡眠の魔法をかけると、疲れていたせいかいつもよりぐっすりと寝入ってしまった。


誰かの恐怖心を感じてユーリアは目覚めた。砂?風が吹く音がして、砂時計と同じ音が聞こえる。そしてなぜか目の前には獅子がいる。


危険が迫っているから目覚めたのか!と咄嗟に防御しようとしたが、封魔の腕輪を嵌められていた。鍵を!と思ったが腕が拘束されている。


想像していた危険の全部盛りな上に、砂漠の巨大な獅子。きっと一撃でやられる。間に合わない。頭の中が真っ白になったその時、獅子に両腕で押さえ込まれて顔を舐められた。


「ん?」

獅子は愛おしい者を世話するかのように一心不乱に舐めている。顔、頭、背中。舌がザリザリしていて少し痛い。傷が付いても自動で治る魔法がかけられていたので怪我はない。


随分前に辺境に遠征した時にかけたのを思い出して冷静になる。ユーリアはまず手の拘束を解き、首にかけた鍵を使って封魔の腕輪を外す。


封魔の腕輪をはめられる前に発動してあった魔法は対象外なんだ、と考えていた時、声がした。

「リオ!その人から離れなさい!舐めちゃダメ!」


リオと呼ばれたその獅子は不満げな顔で舐めるのをやめた。しかしユーリアを腕の中から離す様子はない。


近づいてきた男性はユーリアよりは少し年上に見える若者で、茶色の髪に青い瞳で恐ろしく顔立ちが整っていた。鍛えられた身体。騎士のようにも見える。両手剣の使い手のようだ。装飾の美しい剣。全てが美し過ぎてまるで美術品のようだとユーリアは思った。


「リオ!離れなさい!」

リオは険しい顔でその男性を見て唸った。


「嫌なの?」

思わずユーリアがそう言うと、獅子はユーリアを見て大きく頷いた。

「言葉が分かるの?」

ハッとしたような顔で固まってしまった。そして気まずそうに顔を逸らして小さく頷いた。


「まあ!賢いのね」

ユーリアが満面の笑みでリオの頭を撫でると、リオは嬉しそうにユーリアを抱きしめた。もふもふとした腕に包まれて、もふもふとした胸毛に押しつけられて気持ちが良い。


「素敵」

うっとりとユーリアが呟いた。

「リオ!その辺にして放しなさい!ご令嬢、まずは移動しましょう。この後の時間帯は砂嵐が起こりやすいのです。王城にご案内します。砂漠の民はあなたを歓迎いたします」


美術品が丁寧にお辞儀をしてくれたのでユーリアもカーテシーを返そうとしたが、リオの腕の中。

「ありがとうございます」

と言うのが精一杯だった。


リオの背中に乗せられて王城へ向かう。呆れ顔の美術品は背中に乗せてもらえず、何か文句を言いながら必死に後を追って走ってくる。彼も速いが獅子はもっと速い。


ユーリアは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。後で癒して差し上げよう、そう心に決めて、落ちないように必死でリオの背に掴まっていた。


王城に着いたが、彼はまだ追いついていない。リオが低く座って降りやすいように身体を傾けてくれたので、難なく降り立つ。


「リオ、ありがとう」

そう言ってリオに抱きつくと、周囲がどよめいた。誰だ何だと騒ぐ中、一際体格の良い騎士がユーリアに近づいて来た。


リオは顔を上手く使ってユーリアを自分の背後に隠した。

「守ろうとしてくれるのね。リオ、ありがとう。でも挨拶をしないといつまで経っても私は不審者だわ」

ユーリアがそう言うと渋々といった様子のリオはユーリアと騎士の対面を許した。


「リオ、ありがとう」

そう言ってリオの頬に口付けを落とす。母が幼かったユーリアによくしてくれた動作。大好きだったあの人と同じ瞳のリオを見て、焦がれていた当時の気持ちが蘇ってしまった。周囲のどよめきが大きくなる。


「初めまして、ハルモニア王国の『祝福の聖女』ユーリアでございます。訳あって砂漠に打ち捨てられていたのをこちらのリオに助けていただきました」

カーテシーをする。


「なんと!聖女様が砂漠に打ち捨てられたとはどういうことなのか理解できかねますが、リオ様がお助けになったとのこと。入城していただくのは構いませんが、封魔の腕輪を付けさせていただきたいのですが」

騎士がそう言うと、リオが怒って唸り出した。


それを見た騎士は、

「規則ですので!」

とリオをキッと睨みユーリアの手に腕輪を付けた。


「リオ、怒らないで。私を守ろうとしてくれてありがとう。でも命を取らない代わりの腕輪ですもの。王城の安全を守るためには当然の行動よ。素晴らしい騎士様だわ」


上目遣いでユーリアを見たリオは、ユーリアをひと舐め。周囲が騒ついた。声が小さくて何と言っているのかは分からないが、ユーリアが何かしてしまったらしいことは分かった。


(リオに馴れ馴れしくしない方が良いのかしら。もしかしてすごく地位の高い獅子なのかしら。皇帝陛下の愛獅子とか?)


「リオー!」

やっと美術品が追いついてきた。

「ザシャ様!ご無事で何よりです」

騎士がすぐに礼を執った。ザシャ様はどうも偉い方のようだ。やはりリオの立場はかなり上だったのかもしれない。やってしまった。ユーリアはこっそり反省した。


「ザシャ様、先ほどは失礼いたしました。『祝福の聖女』ユーリアと申します」

ユーリアはカーテシーをしてザシャを迎えた。

「ユーリア殿、我らが王城へようこそ。まずは、あ!封魔の腕輪!今すぐ外しますね」

ザシャが騎士を見ると、騎士はすぐに腕輪を外した。


騎士やその他の王宮職員に向かってこう言った。

「『祝福の聖女』ユーリア殿である。リオはユーリア殿を選んだ」

「選んだ?」

いつ?聞き捨てならない言葉があったが、聞き返したユーリアの言葉は歓声にかき消されて誰の耳にも届かなかった。


見目麗しい侍女たちが数名現れ、ユーリアを連れ出す。湯殿に連れて行かれ全身を磨かれた。侍女に入浴の手伝いをしてもらうのは聖女になる前の八歳の時以来。


その時とは比べ物にならない快適さ。マッサージが沁みる。思えば聖女の仕事は過酷だった。筆頭聖女なんて結局何でも屋状態。魔力量が多かったのも良くなかった。いくらでも働けてしまう。


気持ちの良い時間を味わっているうちに眠ってしまっていたようで、気づいた時には全ての支度が終わっていた。

「これが私?」

鏡の中に美姫がいる。社交界で美人と有名だった母に似ている。子爵家の猿と揶揄された父に似ていると思っていたのに。


ユーリアが猿と言われたのはその行動が由来で、見た目は元々母親似であった。手入れや化粧が下手だっただけ。忙しくて最低限のことしかしていなかったからだ。


侍女の案内で謁見の間に通された。玉座に座った王と王妃。王妃の横にはザシャが立っている。そして高級そうな長椅子に優雅に座る獅子。

(やっぱり地位の高い獅子だった)

とユーリアは己の軽率さを呪った。すぐさまカーテシーをする。


「『祝福の聖女』ユーリアよ、其方に解いてほしい呪いがある。解けても解けなくてもその解呪法を試してもらえれば良い。さすれば不法入国を咎めないと約束しよう。ヴュスタル王国の砂漠は多くの咎人を飲み込んできた。反面、冤罪の者も少なくない。諸々の思惑に飲まれて追放されて来る者もいるため、一度は機会を与えることにしている。様々な方法があるのだが、そなたの見極めはこのリオが行うことになった」


ユーリアはカーテシーをし続けるしかなかった。解呪?リオが呪われている気配はなかった。あんなに密着したのに自分が気付かないとは。未知の呪い?高度な呪い?今までに解いたことのない呪いであることは間違いない。


王族が受ける呪い。婚約中にギーゼフが受けた呪いは、解呪はできなかったが存在は見えていた。聖女がいながら呪われるとはと嘆かれたが、四六時中一緒にいたわけではない。


もし失敗して砂漠に放り出されても、儚くなる、というようなことにはならないだろう。生きていくのに必要なことなら大抵のことはできると思う。


「では、ユーリア様はこちらへ」

騎士にエスコートをされてリオの前に立たされた。心なしかリオに落ち着きがない。豪胆な獅子かと思ったが、意外と繊細なのかもしれない。


「では、口付けを頼む」

想定外の王からの頼み事。思わず王を見つめてしまった。

「……え?」

「リオの口へ口付けをするだけだ。あ!我々は向こうを向いているから」

「リオの口へ?」


見ていないのなら誰が何を判断するのだろう。困惑しているユーリアからリオも目を逸らす。その後の斜めからの上目遣い。……してほしくないわけではなさそうだ。


手をギュッと握って気合を入れた。リオはかなり大きいけれど優しいし、怖いわけではない。何よりもう一度見たかった青い宝石の瞳を持っている。突然会えなくなったリオネルに名前も似ている。口への口付けを自分から誰かにするのは初めてだけど、すでに頬にはうっかり口付けをしてしまった。


心を無にしてユーリアは口付けた。ごっそりと魔力が持って行かれる。こんなに急にたくさんの魔力を使うのは久しぶりだ。


ユーリアの目の前には血塗れで倒れた少年がいた。彼はエルナの大切な幼い弟。馬車の事故に巻き込まれて瀕死の状態だった。泣き叫ぶエルナ。無理だと諦めさせようとする周囲の人々。自分ならやれる。限界を超えて魔力を使えばいける。


そのまま倒れてしまったあの時以来だ。目の前が真っ白で上下左右が分からない。煙?(もや)?霧?そのまま意識を失う直前、誰かに抱き止められたような気がする。


微睡から意識が覚醒してくる。柔らかい寝具に寝かされているようだ。誰かがいる。ユーリアの手を握っている人。ああ、この瞳を知っている。会いたかったあの人。急にいなくなってしまった彼。


「リオネル?」

「うん。僕だよ。ユーリア、久しぶり」

「会いたかった。怪我はもう良いの?」

「うん。傷痕も残らなかったよ。治療途中で姿を消してごめんね」

「良かった」


「ユーリア、まだ指先が冷たい。一気に魔力を持っていったからかも」

「そうだわ。リオは?あの後どうなったの?不法入国の疑いをかけられて、私」

リオネルがイタズラが成功したかのような顔でニヤリとユーリアを見た。


「僕がリオだったんだ」

「どういうこと?確かに瞳の色は同じだったけど」

「呪われていたんだ。ユーリアの国の王子に」

「え?ギーゼフ様?なぜ?どうして?呪われていたのは彼の方よ?」


「彼は勘違いをした」

「かんちがい?」

「そう。君に愛されていると」

「え。愛した覚えはないわ」

「うん。自分が冷たくしても優しいし、断っても懇願してきて祝福を毎回かけてくれるからそう思ってしまったのだそうだよ」


「聖女あるあるで聞いたことがあるわ。聖女の仕事をしただけなのに誤解されるって。契約通りの行動だったのにご存じなかったのかしら」

「まあ、僕もある意味その内の一人だから気持ちは分からなくはない」

ユーリアはスッと手を引っ込めて寝具の中に手を入れた。リオネルは寂しそうに微笑んだ。


「そうだったのね。言ってくれたらよかったのに。微々たるものだけど、協力できたかもしれないわ」

リオネルは少し寂しそうに微笑んだユーリアを愛おしげに見つめた。


砂漠の魔物の討伐中に聖女のいないヴェスタルでは治せない傷を負ってしまったリオネルは、身分を偽ってユーリアが働いていた教会の施設で治療を受けていた。入国時に王子だと知られると手続きに時間がかかると判断し、一般の患者を装った。


そこである聖女に一目惚れをしたリオネルは何とか口説き落とそうと奮闘したが、友人止まり。偶然を装って何度も顔を合わせるように頑張った。


「その聖女とは親しくなれたと思っていた。話していると幸せで、彼女の頑張る姿を見ているだけで励まされた。今度どこかへ一緒に、と誘おうとした矢先、突然獅子の姿に変わってしまったんだ。身分を偽っていたこともあったけど、獅子の姿を見られたら討伐されると思って慌てて帰国した。言葉が通じなくて大変だったけど、速く走れたから何とかなった。王族の瞳を持つ獅子が国境に現れたと連絡を受けたザシャが保護してくれて、やっと安心できた。ザシャというのは僕の兄上で、言葉に関する魔法の第一人者でね。獅子の僕の言いたいことを全部分かってくれた」


「その瞳とお兄様の魔法に救われたのね。リオネルが討伐されなくて良かった」

「討伐されていたらと思うとゾッとするよ。ユーリアと一緒に出かけたかったし、もっと話をしたかったし、もっと色々聞いてみたかった。ユーリアの声で本を読んでもらったり、手を繋いで、抱きしめて。そんな風に過ごしたかったのに、獅子になってしまった時は絶望したよ」


「ユーリアって……」


「好きだ。ユーリア」

「……」

「愛してる。ずっとそばにいてほしい。最初は一目惚れだったけど、話せば話すほど好きになった」

ユーリアの瞳から涙が零れた。


「私も。ずっと好きだったの。婚約者がいるのにと諦めていたけど、あなたが好きでどうしようもなくて。なのにいなくなってしまったから、心にポッカリと穴が開いてた……好きです、リオネル。私の愛しい人」


「抱きしめて口付けしてもいい?」

泣きながら嬉しそうに微笑んだユーリアはコクリと頷いた。破顔したリオネルは大きく腕を広げてガバッとユーリアを抱きしめた。


ユーリアはあの胸毛がなくて寂しいな、などと思ってしまった。でもこの心底安心できる腕の中に永遠に閉じ込められたいと願う自分に驚いた。自分がこんな風に思う日が来るなんて。


リオネルが離れていく。名残惜しくて彼を見つめると、顔が近づいてきた。彼のあの瞳に吸い込まれそう。優しい口付けを何度も交わす。


リオネルは自分の腕の中にユーリアがいることを何度も確認して、その度に口付けをした。浮かれているようにも見える。可愛らしくてユーリアは思わず笑ってしまった。


「ユーリアの笑顔、好きだよ」

「リオネルの瞳、綺麗で素敵」

「先祖からの隔世遺伝なんだ。気に入ってもらえて嬉しいよ。そういえばハルモニアの人々は知らなかったみたいだね、この瞳のこと」


「そうね。教会に高位貴族の方もいらしたけれど、話題になったことはなかったわね。あの頃も綺麗だとは言われていたのよ?ねえねえ、なぜ呪いを受けたのがわかったのか聞いても良いかしら?かなり特殊な呪いよね?私、何の呪いか分からなかったもの。参考までにぜひ!ああ、もちろん言えないのなら我慢するわ」


好奇心いっぱいの瞳。リオネルはこのキラキラとした眼差しが好きだった。

「ギーゼフ殿は王家に伝わる魔法を君に使ったんだ」

「え。いつ?気づかなかったわ。どうしてそんなこと……」


「君が自分に恋をしていると思ってしまったからだね。獅子の姿で驚かせて、理由を説明して仲良くなろうと思ったみたいだよ。君が可愛らしくてまともに目を合わせられなかったらしい。以前骨折を治してくれた聖女に恋をしたものの、名前が分からなかった。それで聖女と結婚したいと王に願い出た」


「だから、私だったのね。記録を調べたのだと思うわ。でもそういうことは日常茶飯事だから、教会側は聖女の気持ちを優先してくれるの。私が覚えていなかったから内緒にしてくれたのだと思うわ」


「ギーゼフは君の顔をちゃんと覚えていた。でも君は覚えていなかったから拗ねていたみたいだよ?呪いの原因が分かった後の情報収集の過程で分かったことなんだけどね」


「それで冷たかったのね」

ユーリアは何度も頷いた。ご機嫌を損ねていたのか。

「ユーリアは患者さんに接するように笑顔だったんでしょう?安心させるように振る舞う癖がついてるんだろうね、きっと」

「無意識だったと思うわ」


「冷たくしても、君はずっと慈しむような笑顔だった。嫌がっても何とかして祝福を与えようとしてくる。だから自分を好きなんだろうと考えて王家の魔法を使ったんだ。光栄にも対象者となった僕はヴェスタルの王家の魔法で護られていた。つまり呪い返しにあった彼も呪われてしまった。ユーリアから何とも思われていないことが分かってさらに落ち込んでしまったらしいよ」


「そうだったのね。どうりで解呪が難しかったはずだわ。見たことのない呪いだったし、休養明けで面会に行ったら呪われていたんですもの。驚いたわ」


「休養って?具合が悪かったの?」

「リオネルがいなくなったショックで寝込んだの」

「ごめん」

リオネルはユーリアを抱きしめた。


「あなたのせいじゃないもの。あ!ギーゼフ様が『癒しの聖女』に会いたかったのは失恋のせいだったのかも。アデル様、ガッカリしてなければ良いけど……」

「聖女は失恋も癒せるの?」


「ええ。心も傷を負うのよ?。見えないのにまるで臓器のように」

「そうなんだ。僕はユーリアを傷つけた」

「もう癒されたから大丈夫よ。あなたにもこうして会えたから。ねえ、どうしてギーゼフ様がリオネルが私の想い人だと知ることになったの?」

「想い人……嬉しい……」


ユーリアはリオネルが浸っている間静かに腕の中で待っていた。心地良い。もう離れたくない。リオネルは抱きしめたままゆっくりと話し始めた。


「自分に返ってきた呪いの大きさから王家の呪い返しだと思った彼は、獅子になった王家の人を探して僕に辿り着いたそうなんだ。そして彼から手紙を貰った。『王家に伝わっていた魔法を行使したところ、自分に発動すると思った魔法が貴殿に発動したと思われる。獅子の姿になっているのだとしたら、私が魔法を使った相手はあなたと相思相愛であるという証。彼女の口付けで呪いは霧散するだろう。一週間後の早朝、彼女を国境の外に向かわせるので合流されたし』という内容だった。呪い返しの理由が理由で彼は親に相談できず、こちらも訴えるにも僕は話せないし証明もできないから、君の到着を待つしかできなかった。本当に口付け一つで解呪されるかも疑問だったし」


「御伽噺みたいだものね」

「そう。それに相思相愛と聞いて嬉しかったけど、なぜ別の男からユーリアの気持ちを聞かされるんだという怒りもあった。それにこの時期は砂嵐が危ないことも知らず、君を国境の外に出すと言う。慌てて時間帯を指定する手紙を送ったんだ」


「見つけてもらえて良かった」

「念のため午前中は見回りをする様にしていたんだけど、国境から連絡が入って嬉しくて迎えに行ったんだ。うっかり獅子の姿なのを忘れて近づいたから、ユーリアを捧げ物のように置いて逃げて行った時はどうしようかと思った。眠っているユーリアの姿、綺麗だった。獅子の姿の時は獣の本能と言うか、愛しさが爆発したと言うか、あの時は舐め回してごめん」


獅子の姿だったから平気だったのだと悟ったユーリアは真っ赤な顔になった。黙って首を横に振ることしかできなかった。


ユーリアはもうあの胸毛に包まれることがないと思うと寂しい、とは言えず、心の奥底にその葛藤を押し込めた。


さて、ユーリアの婚約がまだ続いていた頃、ギーゼフの希望通りの婚約にも関わらずユーリアを疎むような言動が多かったと聞き、教会上層部は混乱していた。


ユーリアが辞退することは想定していたが、覚悟を決めた様子のユーリアと厭うギーゼフという状況に静観を決め込んだ。


結果、あの日早朝に訪ねてきた王宮の関係者にユーリアは連れ出された。失恋のせいで滞っていた書類の山からヴェスタル王国からの手紙が発見され、慌ててユーリアを迎えに来たのだと言う。


ぐっすりと眠っていたユーリアは何か魔法をかけたようでなかなか目覚めず、そのまま担架に乗せられて運び出された。急に起きて魔法を使われたら危険だと、封魔の腕輪をした上に腕を拘束していた。ちゃんと外してくれたんだろうか。


残された荷物は寝具のみ。教会側もグレーテルから知らされてはいたものの、まさかこんな形で連れて行かれるとは思ってもみなかった。


グレーテルが見た未来より数段ましだと言われて、そのままユーリアからの連絡を待つしかなかった。数週間経ってやっと届いた連絡はヴェスタル王国の王子と婚約したという報告。ユーリアの意思なのか、何かに巻き込まれたのか、教会から人を派遣して話を聞くことになった。


「ユーリア、本当に、本当に幸せなのね?私に嘘をつく必要はないのよ?困っていても、絶対に何とかしてみせるから、私を信じてちょうだい」

エルナはいつになく厳しい顔でユーリアを見た。派遣される人員に立候補したエルナは、誰よりもユーリアを心配していた。


幼い弟が馬車に轢かれた時に、魔力の過放出で倒れてしまったユーリア。弟のために命懸けで治療に臨んでくれたと知り感謝を告げると、「これも良い経験よ。助かってよかったわ」と言って微笑んだ。


彼女こそ聖女の中の聖女とエルナは深い尊敬の念を抱いた。反面、人間関係が苦手で、筆頭聖女とは名ばかり、豊富な魔力を理由に必要以上に働かされ、高位貴族出身の聖女からいいように使われていたユーリアに庇護欲を持っていた。


ユーリアもまた、困っているといつも助けてくれるエルナには深い感謝の念を抱いていた。ギーゼフの婚約者であったユーリアが、リオネルへの気持ちを唯一打ち明けた相手でもある。エルナへの深い信頼があったからだ。


「私、幸せよ。お相手は、あのリオネルだったの」

真っ赤な顔で、上目遣いでそう言ったユーリアの可愛らしかったこと、とエルナが想い出を語れば、あの時のエルナの驚いた顔、忘れられないわ、とユーリアもエルナを揶揄う。二人の友情はその後も続いた。


そして、砂漠で生き抜くために使おうと思っていた数々の魔法で、ヴェスタル王国の発展を支えたユーリアは、最愛のリオネルと家族と共に、末長く幸せに暮らした。





ギーゼフからの賠償金は、ヴェスタル王国もハーモナル教会も潤してくれました。

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― 新着の感想 ―
ギーゼフが相思相愛だと思ってした行動が勘違いで相手には負担な事が拭いきれなかったんですね。それで努力して万が一寄り添っても自分が自分にかけるつもりだった呪いの犠牲者がいるわけで。 なろうにありきたりな…
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