第7話 切れない願い
1993年、日本中がJリーグの開幕に湧き、サッカー人気が社会現象となっていた。その波に乗るように、「願いが叶う」とされるミサンガが若者たちの間で大流行していた。色とりどりのミサンガを手首や足首に巻きつけ、自然に切れると願いが叶うという言い伝えに、多くの人が魅了されていた。ミサンガは単なるファッションとしても人気を集め、特に高校生の間では、恋愛や進学の願いを込めて身につけるのが定番だった。
***
高校生の美穂も、そんなミサンガを身につけている一人だった。彼女が今願っているのは、片思い中のサッカー部の先輩・涼介と同じ大学に合格することだった。地方の進学校に通う美穂にとって、それは少し高望みの夢だったが、涼介への想いを支えに日々勉強を頑張っていた。
ある日、親友の由香が美穂に一つのミサンガを差し出した。それは手編みのものではなく、鮮やかな色合いと緻密な模様が特徴的で、市販のものとは明らかに違う雰囲気を持っていた。
「これ、ちょっと変わったミサンガなんだけど、特別に願いが叶いやすいらしいよ。」
「えー、本当に願いが叶うの?」
美穂が尋ねると、由香は自信ありげに微笑んだ。
「もちろん。私もこれで部活の大会で優勝できたんだから。美穂にもきっといいことがあるよ。」
その言葉に背中を押されるようにして、美穂はミサンガを手首に巻いた。結び目は固く、一度結んだら外せそうになかったが、彼女はそれを気にすることなく、毎日涼介のことを思いながら願いを込め続けた。
すると、不思議なことが起き始めた。
ある日、体育館の前で涼介とばったり出会った美穂は、普段なら緊張して何も言えないはずなのに、自然と挨拶ができた。すると涼介も笑顔で「頑張ってるな」と声をかけてくれた。
「先輩、私のこと覚えてくれてた……!」
その日、美穂は家に帰ってからもその喜びが収まらなかった。それだけではなく、次の日には授業で苦手だった問題がすんなり解けたり、模試で予想以上の点数を取れたりと、思わぬ幸運が次々と訪れるようになった。まるで、ミサンガが彼女に力を与えているかのようだった。
「これって、本当に効果があるのかも……」
美穂はそんな気持ちを抱えながら、毎日少しずつ自信をつけていった。ミサンガをつけてからというもの、すべてが順調に進んでいるように感じた。
しかし、ある晩、不穏な出来事が起きた。
美穂が寝る前に何気なくミサンガを触ると、いつもより結び目が硬く感じられた。さらに、手首に軽い違和感があった。見ると、ミサンガが肌に食い込むように跡がついている。
「こんなに締まってたっけ……?」
気のせいだと思い込み、そのまま眠りにつこうとしたが、布団に入った後も手首の違和感がどうしても頭を離れなかった。
その夜、美穂は奇妙な夢を見た。夢の中で、ミサンガの色がどす黒く変わり、それが蛇のように動き出して彼女の手首に絡みついていく。
目を覚ました時、美穂は心臓が早鐘のように鳴っているのを感じた。手首を確認すると、ミサンガは相変わらず鮮やかな色のままだったが、結び目が以前よりも固くなり、肌に少し食い込んでいるように見えた――。
***
ミサンガが手首に食い込むようになってから、美穂は徐々にそれが気になり始めた。しかし、相変わらず願いが叶っているような出来事が続いていたため、「少し締まるくらいは我慢すればいい」と考え、つけ続けることにした。
ある日の放課後、美穂は涼介と偶然帰り道で鉢合わせした。
「美穂、最近よく頑張ってるって由香から聞いたよ。」
涼介のその言葉に、美穂の心は弾んだ。涼介が自分のことを気にかけてくれている。ミサンガのおかげだ、そう信じずにはいられなかった。
しかし、その夜、ミサンガはさらに異様な変化を見せた。
眠りにつこうとした矢先、手首がズキリと痛み、目を覚ました美穂は驚愕した。ミサンガが一層きつく締まり、肌にくっきりと赤い痕をつけていた。それどころか、結び目がかすかに動いているように見えた。
「何これ……?」
慌てて引っ張って外そうとしたが、結び目は固く閉じられ、指では全く解けなかった。美穂は少しパニックになりながらも、「外すのはやめておこう」と考え直した。ミサンガを外すことで願いが叶わなくなるのではないかという恐れが、彼女の行動を縛っていたのだ。
しかし、それから数日後、美穂の周囲で奇妙な出来事が立て続けに起こるようになる。
まず、親友の由香が突然体調を崩した。学校で何気なく由香に声をかけた時、彼女は顔色を悪くし、こう呟いた。
「……なんか、変な夢を見てから体がだるいの。」
美穂は胸がざわつくのを感じた。由香の話を聞いているうちに、彼女の夢の内容が、自分が見た蛇のように動くミサンガの夢と似ていることに気づいたのだ。
「由香、最近何か変わったことはあった?」
「……分からないけど、美穂にミサンガ渡したあたりから、少しおかしいかも。」
その言葉を聞いた瞬間、美穂は自分がつけているミサンガに何か異常があるのではないかという疑念を抱いた。
次に起きたのは、サッカー部の涼介の怪我だった。涼介は練習中に突然足を滑らせ、膝を強打した。その日、美穂が学校を出る時、彼が車椅子で運ばれるのを目撃した。
「先輩!」
駆け寄った美穂に、涼介は笑顔を作りながらもこう言った。
「大丈夫。少し打っただけだって。でも、最近ちょっと運が悪いんだよね。」
その言葉に、美穂は何かが繋がる気がした。ミサンガが自分に幸運を運ぶ代わりに、周囲の誰かから何かを奪っているのではないか――そんな恐ろしい考えが頭をよぎった。
その夜、美穂は決意した。このミサンガを外さなければならない、と。
部屋でハサミを取り出し、手首のミサンガを切ろうとしたが、ハサミの刃がミサンガの繊維を滑るだけで、まったく切れなかった。何度試しても同じで、ミサンガはまるで生き物のように手首に絡みついているようだった。
焦りと恐怖に駆られた美穂は、翌日再び由香を訪ねた。
「このミサンガ、どうしたの?」
由香は戸惑いながら答えた。「フリーマーケットで買ったの。確かにちょっと変わってるなと思ったけど、特別なものだって聞いて……」
詳しい情報を求めてフリーマーケットを訪れた美穂だったが、その出店者の姿はどこにもなかった。
その夜、美穂の恐怖は最高潮に達した。夢の中でミサンガが巨大化し、彼女の体全体に巻きついていく感覚がした。そして、耳元で囁く声が聞こえた。
「願いを叶えた代償は、まだ終わらない……」
目を覚ました時、美穂は息が上がっており、手首を見るとミサンガがさらに深く食い込んでいた。指先は冷たくなり、血行が遮られているようだった。
「もう限界……!」
美穂は恐怖と絶望の中でミサンガをどうにか外そうと奮闘した。しかし、その後彼女がどうなったのかを知る者はいない。
数日後、美穂の部屋には誰もいなかった。机の上にはミサンガが置かれており、その結び目だけが妙に緩んでいたという。
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