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第4話 泡沫の貯金箱

平成3年、日本はバブル崩壊の影響を受け、多くの家庭が経済的な苦境に立たされていた。テレビでは連日、値崩れした土地や株のニュースが流れ、どこか浮ついていた街の空気も次第に落ち着きを見せていた。しかしその裏で、ローンや借金に苦しむ人々の姿が増えていった。


大学生の陽子もそんな時代を生きる一人だった。父親はバブル期に始めた事業に失敗し、家族は借金の返済に追われていた。母親は昼夜働き続け、陽子自身も学業の傍ら、複数のアルバイトを掛け持ちして家計を支えていた。


「本当にきついな……」


陽子はふと漏らした。アルバイト先の喫茶店のカウンターで、注文が途切れた瞬間に目を閉じる。朝から晩まで働き詰めの生活に、心も体も限界に近づいていた。それでも、家族を助けたいという思いが彼女を支えていた。


そんなある日、陽子はバイトの合間に商店街を歩いていた。昭和の香りが残る小さな商店街は、平成の初期にしてはどこか懐かしさを感じさせる場所だった。陽子の目に留まったのは、一軒の骨董品店だった。店頭には雑然と古びた品々が並び、そこだけ時間が止まったかのような雰囲気を漂わせていた。


「ちょっと見てみようかな……」


陽子はふらりと店内に足を踏み入れた。薄暗い店内には、陶器や絵画、古びた時計などが並べられている。棚の奥でふと目に入ったのは、奇妙なデザインの貯金箱だった。それは丸みを帯びた古びた陶器で、表面に金色の装飾が施されており、小さなスロットがついている。


「珍しい形ね……」


陽子が手に取ると、店主の老人が背後から声をかけてきた。


「それが気になるかい?お嬢ちゃん。」


「ええ、ちょっと……この貯金箱、何か特別なものなんですか?」


店主は陽子の質問にニヤリと笑い、こう答えた。


「その貯金箱は、一度使えば忘れられなくなる代物だよ。お金を入れると、翌日には倍になって返ってくるっていうね。」


陽子は思わず吹き出しそうになった。そんな馬鹿げた話を信じるはずがない。しかし、どこか惹かれるものがあり、冗談半分で尋ねてみた。


「本当にそんなことができるんですか?」


「まあ、試してみるといい。けどな、使い方には気をつけるんだよ。」


店主はそれ以上何も言わず、貯金箱を陽子に手渡した。値段は驚くほど安かった。


その晩、陽子は自室でその貯金箱を手にしたまま、ため息をついていた。試す気はないつもりだったが、家族の借金や生活の厳しさを思い出すと、ついそのスロットに手を伸ばしてしまった。財布から百円玉を取り出し、貯金箱に入れる。コトン、という音がした後、何も変化はなかった。


「まあ、当たり前よね……」


陽子は苦笑しながら寝床に入った。翌朝、目覚めた彼女が目にしたのは、枕元に置かれた貯金箱からこぼれ落ちていた二枚の百円玉だった。


「これ……どういうこと?」


陽子は目を疑った。貯金箱の中を確認すると、確かに昨日入れた百円玉が倍になっていた。


「本当に増えた……?」


半信半疑のまま、彼女は再び試してみることにした。次は千円札を入れてみる。翌日、貯金箱には二千円が詰まっていた。


「これ、すごい……!」


陽子は興奮しながらも、この不思議な現象をどう説明すればいいのか分からなかった。ただ、一つだけ確信していたのは、この貯金箱が家族の苦境を救えるかもしれないということだった。


***


陽子が貯金箱を使い始めてから、生活は少しずつ変わっていった。次第に額を大きくしていき、最初は百円玉から始まったお金は、次には千円札、そして一万円札へとエスカレートしていった。翌朝になると、その倍額が確かに返ってくる。増えたお金で母親にこっそり生活費を渡したり、少しずつ借金を返済したりすることができた。


しかし、貯金箱を使えば使うほど、陽子の周囲では不可解な出来事が起こり始めた。


最初に気づいたのは、アルバイト先の同僚が突然体調を崩したことだった。陽子が一万円札を貯金箱に入れた翌日、その同僚が「財布から一万円札が消えていた」と話していた。陽子はその話を聞きながら、偶然だと自分に言い聞かせた。


しかし、その後も奇妙なことは続いた。母親が作った家計簿の数字がいつの間にか狂っていたり、隣家の住人が「預金が突然減った」と騒いでいたり。まるで、陽子が貯金箱にお金を入れるたびに、誰かの財産が消えるような出来事が頻発していった。


「まさか、私が……?」


陽子は不安を感じながらも、その魔法のような仕組みに頼ることを止められなかった。彼女がさらに高額のお金を入れた夜、家の中でより直接的な異変が起きた。


夜遅く、静まり返った部屋で眠ろうとしていた陽子は、貯金箱から微かな音がするのに気づいた。それはコツコツと何かを叩くような音だった。布団から起き上がり、枕元の貯金箱に目をやると、金色の模様がほんのりと光っているのが見えた。


「……何なの、これ?」


陽子は恐る恐る貯金箱を手に取った。その瞬間、冷たい風のようなものが部屋中を駆け抜け、耳元で誰かの囁き声が聞こえた気がした。


「代償を払え……」


その声に驚いて貯金箱を床に落としてしまった。貯金箱は割れることなく跳ね返り、部屋の隅で不気味に静まり返った。


翌朝、陽子は目を覚ますと胸騒ぎを感じながらも、いつものように貯金箱の中を確認した。そこには確かに倍になったお金が入っていたが、札には見覚えのある名前が書かれていた。それは、昨夜母親が持っていた家計簿の数字だった。


「どうして……?このお金、私が増やしたものじゃないの……?」


混乱した陽子は貯金箱を再び骨董品店に持ち込んだ。店主は彼女を見るなり、何かを悟ったように深く溜息をついた。


「返しに来たんだな。その貯金箱は、お金を増やす代わりに周囲から奪い取る。お前の家族や友人、知らない人々からな。」


「そんな……そんなの聞いてない!最初に教えてくれていれば……」


陽子が抗議すると、店主は冷たく笑った。


「警告はしただろう。『使い方には気をつけるんだ』ってな。けど人はいつも、簡単に手に入るものに目が眩む。」


陽子は言葉を失った。その貯金箱を使い続ければ、家族や自分に関係のある人々がさらに何かを失うことになる。だが、使うのをやめれば、借金を返す術も失ってしまう。彼女はその夜、貯金箱をどうするかを必死に考えた。


翌日、陽子は家の庭に深い穴を掘り、その貯金箱を埋めることに決めた。二度と誰の手にも触れさせないように。そして貯金箱を埋めた瞬間、彼女の耳に再び囁き声が聞こえた。


「代償は……終わらない……」


その後、陽子の生活は元通りに戻ったかのように見えた。家族の借金は重くのしかかっていたが、不可解な出来事は収まり、平穏な日々が戻った。しかしある日、陽子の母親が庭の土を掘り返し、妙に金色に輝く貯金箱を見つけたと言い出した――。


それ以来、その家では、二度と平穏な日々が訪れることはなかったという。

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