第38話 再結成ライブ
平成の終わりを迎える頃、日本の芸能界では一つの時代が幕を閉じようとしていた。長年活躍してきた国民的アイドルグループの解散や、歌姫と呼ばれたアーティストの引退は、多くの人々にとって大きな衝撃となった。それは、音楽やエンターテインメントの象徴であった彼らの存在は、もはや日常には戻らないのだ。
***
国民的アイドルグループの解散発表は、佳奈を含む多くのファンにとって大きな衝撃だった。毎晩テレビの前でその姿を追い、ライブ映像を繰り返し観ては、青春そのものと言える時間を過ごした佳奈にとって、彼らの解散は耐えがたい現実だった。
「もうあの歌声が聴けないなんて……」
そう呟きながら、佳奈は涙を流した。解散ライブの映像を何度も再生し、彼らがそこにまだいるかのような感覚を味わうことで、自分を慰めていた。
時が経ち、佳奈は大学生となった。忙しい毎日を送る中で、あの頃の熱狂は次第に薄れ、ライブ映像の再生ボタンを押すことも少なくなった。それでも、彼らの存在が心の片隅に残っていることを佳奈は感じていた。
そんなある日、一通の招待状がポストに届いた。
「もう一度、彼らに会いたくありませんか?」
綺麗な文字で記されたその文言とともに、解散したグループの名前、そして指定された日付と場所が記されていた。
「……何これ?」
佳奈は不審に思いながらも、その内容に心がざわめくのを抑えられなかった。
「詐欺とかの類かもしれない。でも、もしかしたら……」
心の奥底で抑えきれない期待感が湧き上がり、佳奈は当日、その招待状を手に記された場所へ向かうことにした。
指定された住所にたどり着いた佳奈は、その光景に戸惑った。そこは明らかに廃墟と化したライブハウスだった。
「ここが……会場?」
かつて輝いていたであろうその場所は、窓ガラスが割れ、外壁はひび割れ、雑草が周囲を覆っている。そんな場所に、数人の人影が歩いているのが見えた。彼らも佳奈と同じように招待状を持っているらしく、無言で建物の中に吸い込まれていく。
「本当にここでイベントなんてあるのかな……」
不安を抱えながらも、佳奈は足を進めた。建物の中は外観以上に荒れており、廊下には散らばるゴミや剥がれたポスターがそのまま残っていた。だが奥へ進むと、不思議なことに空気が変わったように感じた。音も匂いもない静寂の中で、かすかに聞こえる足音だけが響く。
やがて佳奈は、一つの扉の前に立った。その向こうから、微かに人の声のようなものが聞こえた気がした。
「……誰かいる?」
扉を押し開けると、そこは広いホールだった。剥がれかけた壁紙やほこりまみれの床とは対照的に、ステージの中央だけが綺麗に保たれていた。そしてそのステージには、かつて彼女が熱狂的に応援していたグループの姿にそっくりな人影が立っていた。
「嘘でしょ……本当に?」
佳奈は呆然とその姿を見つめた。照明がぼんやりと点灯し、影たちは静かに動き始めた。そして、歌声が響き渡る――佳奈が夢中になった、あの懐かしい歌声だ。
「まさか、本当に再結成……?」
佳奈の目から涙が溢れた。解散後、二度と聞けないと思っていた歌声が、今ここに蘇っている。懐かしさと感動が胸を満たし、彼女はしばらくその場を動けなかった。
やがてステージの歌声が終わると、ぼんやりとした照明がふっと消え、ホールは再び静寂に包まれた。観客らしき人々も、いつの間にか気配を消していた。
「なんだったんだろう……夢みたい。」
佳奈は心に充満する余韻を抱えながら、廃墟を後にした。外の冷たい空気が頬を撫で、感動の熱が少しだけ和らいでいった。
***
帰宅後、佳奈は部屋に戻り、鞄を置いてベッドに横になった。暗い天井を見上げながら、先ほどのライブの光景を思い返していた。
「本当に行ってよかった……。」
彼らの歌声を聴けるとは思ってもいなかった。あの感動は本物だった。だが、その喜びと同時に、妙な違和感が胸をよぎる。
「……でも、なんだっけ?」
頭の中で蘇る光景をたどろうとするが、どうしても一つ一つが曖昧だ。特に、ステージ上の人影――あれほど感動したはずなのに、どうして顔が思い出せないのだろう。
「……顔、ちゃんと見えたっけ?」
歌声や動きは鮮明に覚えている。それでも、メンバーの表情がどうしても浮かんでこない。光のせいだったのか、それとも遠かったからだろうか。
さらに、もう一つ奇妙なことに気づいた。ライブ会場の観客だ。
「そういえば……誰も話してなかったよね。」
普通のライブなら、周囲の人々のざわめきや歓声があって当然だ。それなのに、あの場では観客たちが息をひそめるように静まり返っていた。そして、顔をよく見た覚えもない。
「……気のせいだよね。私が夢中だったから。」
自分にそう言い聞かせて、佳奈はスマホを取り出した。いつもならライブ後にSNSを開き、感想を書いたり、他のファンたちの投稿をチェックするのが習慣だった。
だが、指が止まった。
「あれ……?」
SNSで検索しても、あのライブについての投稿が一つも見当たらない。招待状を受け取った人が複数いたはずなのに、誰も話題にしていないのだ。
「なんで……?」
不安が胸を締めつける。佳奈は招待状を確認しようとしたが、どこにも見当たらない。確かに鞄に入れていたはずなのに、跡形もなく消えている。
佳奈は招待状が消えていることに困惑したが、それ以上に胸の中にじわじわと湧き上がる感情があった。もう一度、あのライブを見たい。あの歌声を聴きたい。
「どうしても、もう一度……」
その思いが募るにつれ、胸にあった違和感は薄れていった。代わりに、次はいつ招待が来るのかという期待が膨らんでいく。
そして数日後、ポストに再び一通の封筒が届いた。
「再会を心よりお待ちしています。」
記された言葉は短く、場所と日付も前回と同じだった。
「また会えるんだ……!」
佳奈は嬉しさで胸を高鳴らせた。前回の感動が再び味わえる――それだけで、彼女は迷いなく足を運ぶことを決めた。
ライブ当日、佳奈は再び廃墟と化したライブハウスを訪れた。外観は前回と全く同じで、崩れかけた壁と割れた窓ガラスが薄暗い中で不気味にそびえている。
しかし、佳奈は恐れることなく扉を開けた。ホールへと続く廊下を進むと、前回と同じようにステージだけがぼんやりと照らされていた。
そしてまた、懐かしい歌声が響き渡った。
「本当に……彼らなんだ……!」
ステージには、前回と同じメンバーにそっくりな影が立っていた。声も、動きも、佳奈が熱狂していた当時のまま。
観客も増えているように見えた。ホールにはより多くの人々が集まり、拍手や歓声が上がっていた。佳奈はそれに飲み込まれるように手を振り、歌い、夢中になった。
「次の曲は……!」
ステージの影たちが再び動き始める。歌声が高らかに響き、観客たちは揃って拍手しながら熱狂している。佳奈もその一人だった。
佳奈の体は疲れているはずなのに、無意識のうちにまた手を叩き、笑顔を浮かべている。だが心の中では、何かが壊れていくような感覚があった。
ステージの影が再び動き始める。そしてその瞬間、佳奈の意識に一つの言葉が浮かんだ。
「ずっと、終わらない。」
ライブが終わることはない。佳奈は観客席から動けないまま、延々と続く歌と光に囚われていく。彼女の心は完全にライブの熱狂に溶け込んでいった――。
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