第30話 最後の一席
平成22(2010)年、女子会という言葉が流行語となり、女性同士で集まり、食事や会話を楽しむ文化が広がった。若い女性だけでなく、年齢や立場を問わず、誰でも気軽に参加できる場として人気を博した女子会は、社会人や専業主婦、大人女子たちにとってもストレス発散の場となった。高級レストランやカジュアルな居酒屋など、さまざまな場所で行われ、時にはテーマを設けて非日常を楽しむこともあった。
***
大学生の千尋も、そんな女子会に誘われた一人だった。誘い主は高校時代の友人で、普段は気軽にファミレスで集まることが多いメンバーだったが、今回は少し趣向を変えて人気のレストランでの女子会を提案された。
「ここ、予約がなかなか取れないらしいよ! 私の知り合いがキャンセルした分を急遽押さえたの!」
友人の熱のこもった説明を聞きながら、千尋は初めて訪れるそのレストランに期待を膨らませた。当日、指定された時間に店に到着すると、個室の扉を開けた瞬間に目を奪われた。白を基調としたエレガントな内装、テーブルには彩り豊かな前菜が並び、女子会という言葉がぴったりの華やかさだった。
「お待たせ!」
千尋が笑顔で部屋に入ると、既に集まっていたメンバーが手を振って迎えた。高校時代の思い出話や近況報告が飛び交う中、千尋はふと一つの違和感に気づいた。
テーブルには6つの席が用意されている。しかし、そこにいるのは自分を含めて5人だった。
「この席、誰が来るの?」
千尋が尋ねると、友人たちは一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐに話題を変えるように笑いながらこう答えた。
「気にしなくていいよ! お店の手違いでセットされちゃったんだと思う。」
だが、その言葉とは裏腹に、誰もその「空席」を片付けようとしなかった。さらに不思議だったのは、その席にだけ小さな料理皿とワイングラスが特別に置かれており、誰かがその場にいるかのようにきれいにセッティングされていることだった。
会話が進む中、千尋は自然とその席に目を向けてしまう自分に気づいた。誰も座っていないはずなのに、そこに何かの「存在」があるような気がしてならなかった。
「そういえば、このお店、何か変な噂があったよね。」
突然、別の友人がそう呟いた。その場が一瞬静まり返り、別の友人が慌てて話を遮ろうとした。
「やめなよ、せっかくの楽しい場なんだから。」
「別にいいじゃん。ただの噂でしょ?」
話を振った友人は気にせず続けた。
「このレストランさ、数年前に火事があったんだよね。その時に避難できなかった人がいたって話、聞いたことある?」
「もう、やめてってば。」
友人たちの軽口に笑いが漏れたが、千尋はその空席を見つめながら背筋が冷たくなる感覚を覚えた。そして、誰も触れていないはずのそのグラスに、微かに指紋のような跡が付いているのを見つけた。
「ねえ、誰かこの席、使った?」
思わず声に出してしまったが、友人たちは一様に首を横に振るだけだった。その後も、千尋は目をそらそうと努力したが、その席の存在が次第に気になり、楽しいはずの女子会に集中できなくなっていった。
やがてデザートが運ばれてきた頃、空席の皿にも一つのティラミスが置かれた。まるでそこに座るべき人がいるかのように――。
***
女子会は終盤に差し掛かり、デザートが運ばれてきた。参加者たちは口々に「おいしそう!」と声を上げ、笑顔でスプーンを手に取ったが、千尋だけは手を伸ばせずにいた。空席の皿に、他の人と同じようにティラミスが置かれているのがどうしても気になったのだ。
「ねえ、やっぱりこの席、誰か来る予定だったんじゃないの?」
千尋が改めてそう尋ねると、友人たちは一瞬だけぎこちない笑みを浮かべ、また目を逸らした。
「だから気にしなくていいってば。お店のミスだって。」
そう言う友人たちの声にどこかしらの不自然さを感じながらも、千尋はそれ以上問い詰めることができなかった。その場の雰囲気を壊したくないという気持ちと、自分の違和感が本当に気のせいなのかもしれないという疑念がせめぎ合っていた。
やがて会話が盛り上がり、笑い声が響く中、千尋はふと視線を感じて顔を上げた。気のせいだと思いたかったが、その視線は空席の方向から来ていた。
その席には誰もいないはずなのに――。
「ねえ、本当に誰も来ないんだよね?」
千尋が再び尋ねると、友人の一人が言いにくそうに口を開いた。
「……実は、この席はね……あの子のために用意してるんだ。」
「あの子?」
唐突な言葉に千尋は眉をひそめた。その瞬間、部屋の空気が変わったように感じた。他の友人たちは何も言わず、ただ手元のデザートをいじっているだけだった。
「去年、このメンバーで集まった時、ひとりだけ来られなくなっちゃった子がいたの。」
「来られなくなった?」
「……ううん、来られなくなったっていうか……事故で亡くなったの。」
その言葉を聞いた瞬間、千尋の手からスプーンが滑り落ちた。
「じゃあ、この席って……」
「毎年、この女子会の席だけは、その子のために空けてるんだ。私たちが忘れないようにって。」
「それで、料理やグラスまで用意してたの?」
「そういうわけじゃないんだけど……なんか、自然とそうしちゃうんだよね。」
友人の言葉は説明になっていないように感じたが、千尋はそれ以上質問することができなかった。ただ、空席に置かれたティラミスに目を向けた時、皿の端にある何かを見つけて息を呑んだ。それは、ティラミスの表面に描かれた数字だった。
「9」
不気味に思った千尋が目をそらそうとしたその時、不意に店の照明が一瞬だけ暗くなった。
「何これ……停電?」
友人たちが口々に驚きの声を上げる中、千尋は背後に冷たい風を感じた。振り返ると、空席のグラスに何かが触れたように微かに揺れていた。
「誰かいる……?」
千尋は震える声で呟いたが、返事はなかった。ただ、その空席の椅子がゆっくりと後ろに引かれ、あたかも誰かがそこに座るかのように音を立てた。
「やめてよ、誰か冗談で動かしてるんでしょ!」
必死に叫ぶ千尋だったが、友人たちは固まったように動かない。それどころか、全員が一斉に空席の方向を見ている。
「……見える……よね?」
誰かが小さな声でそう呟いた。千尋が目を凝らすと、椅子に確かに何かが座っている。ぼんやりとした輪郭、そしてぼやけた顔が浮かび上がり、やがてそれが微笑むように形を変えた。
その顔には、千尋の記憶にない少女の面影があった。
「これ……誰?」
その瞬間、空席のグラスがカタリと倒れた。その音で全員が我に返り、女子会の参加者たちは一斉に席を立ち、部屋の外へ逃げ出した。
数日後、千尋は怖さを押し殺しながら女子会に参加していた友人たちに連絡を取ったが、誰もその日の出来事を話そうとしなかった。
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