第19話 会えないルームメイト
平成後期、都会の生活はますます多様化し、シェアハウスという新しい居住スタイルが若者たちの間で注目を集めていた。高い家賃の部屋を一人で借りるのが難しい中、キッチンやリビングなどの共有スペースを通じてコミュニケーションを楽しみながら、生活費を抑えられるこのスタイルは人気だった。同じ趣味や価値観を持つ人々が集まる「コンセプト型シェアハウス」も増え、住人たちが家族のようなつながりを築くことも少なくなかった。
***
26歳のOL・真奈は、そんなシェアハウスに憧れていた。都会に出て数年、狭いアパートで一人暮らしを続けるうちに、人と触れ合う機会が減っていったことを寂しく感じていた。そんな時、職場の同僚から紹介されたのが「ヒルサイドハウス」というシェアハウスだった。古民家を改装した3階建ての物件で、最大5人が暮らせるようになっているという。
「家賃も安いし、住人同士で一緒にご飯を作ったりすることも多いんだって。」
紹介を受けた真奈はすぐに内覧を申し込み、数日後に訪れたそのシェアハウスは、期待以上の物件だった。木の温もりを感じるリビングや、広々としたキッチン、共有スペースには誰かが置いた観葉植物や本が並び、生活感があふれている。真奈はその場で契約を決め、数日後には引っ越しを済ませた。
「よろしくお願いします!」
初日の挨拶で出会ったのは、すでに入居していた2人の住人だった。気さくな性格のリーダー的存在・大輔と、控えめで優しそうな女性・沙織。2人はすぐに真奈を歓迎し、楽しい生活が始まる予感がした。
しかし、真奈には気になることがあった。
「……もう一人の住人って、どんな人なんですか?」
内覧時にも説明されたが、ヒルサイドハウスには「もう一人の住人」がいるはずだった。しかし、その人物とはまだ顔を合わせていなかった。真奈が聞くと、大輔は少し表情を曇らせた。
「……ああ、あの人ね。ほとんど部屋から出てこないんだよ。」
「そうなんですか?」
沙織が小声で付け加えた。
「私も、あんまり会ったことないの。ほとんど生活時間が違うみたいで……」
部屋の割り当て図を見ると、その人物は2階の奥の部屋に住んでいるようだった。その部屋の扉には「使用中」とだけ書かれた札がかかっている。
「ちょっと変わった人なのかな?」
不思議に思いながらも、真奈は特に気にせず、生活を始めた。
それから数週間、真奈はシェアハウスでの生活を楽しんでいた。仕事から帰るとリビングで大輔と映画を観たり、沙織と一緒に晩ご飯を作ったりする日々は、これまでの孤独な一人暮らしとは比べ物にならないほど充実していた。しかし、「もう一人の住人」に会うことは一度もなかった。
「ねぇ、あの人、本当にいるのかな?」
ある晩、真奈がリビングで軽い冗談を交えると、大輔は微妙な顔をした。
「いや、いるよ。たまに音もするし……でも、深夜とか早朝に動いてるんだと思う。」
「なんか不思議だね。ずっと会わないなんて。」
沙織は少し困ったように笑いながら、食器を片付け始めた。
「でも、ルール守ってるし、迷惑はかけてないし……ね。」
その言葉に真奈は頷いたが、やはり気になって仕方がなかった。
その夜、真奈は部屋に戻り、眠る準備をしていた。布団に入って目を閉じようとした瞬間、どこからか微かな足音が聞こえた。それは廊下から響いているようだった。
「……誰?」
真奈はそっと耳を澄ませた。足音は真奈の部屋の前を通り過ぎ、2階の奥の部屋へと続いていったようだった。そして、静かに扉が閉まる音がした。
「あの人かな……」
真奈は少し安心し、そのまま眠りについた。しかし、それ以降も、毎晩深夜になると足音が聞こえるようになった。
ある晩、真奈は我慢できなくなり、意を決して廊下に出た。足音の主を確かめようと、静かに奥の部屋に向かう。扉の前まで来ると、札には相変わらず「使用中」と書かれているだけだった。
「……失礼します。」
軽くノックをしてみたが、返事はない。静寂が廊下を包む中、扉の隙間から微かに冷たい空気が漏れ出しているのを感じた。
真奈は怖さを振り払おうとするように、大きく深呼吸をした。そして、もう一度ノックをしようと手を上げたその時、部屋からかすかな声が聞こえた。
誰の声かもわからない。背中にじっとりと汗が滲む。真奈は震える手を戻し、ノックするのをやめた。
「気のせいだよね……きっと。」
足早に自分の部屋に戻り、布団を被った。頭の中では、「深夜の足音も、あの声も、疲れが見せた幻覚だ」と言い聞かせようとしたが、耳元に声が残響している気がして眠れなかった。
***
翌朝、リビングに降りると、いつものように大輔と沙織が朝食を取っていた。
「おはよう、真奈。」
沙織が笑顔で声をかけるが、真奈は昨夜の出来事を思い出して笑顔を返す余裕がなかった。
「昨日、夜中に足音が聞こえたんだけど……」
その言葉に、大輔と沙織の顔が一瞬こわばった。
「……あの人が動いてたんじゃないの?」
大輔が言葉を選ぶように答えると、沙織もそれに続けた。
「気にしない方がいいよ。深夜に用事があるんだと思う。」
その返答に不安を感じた真奈は、意を決して2人に問いかけた。
「ねえ、正直に教えて。あの人、どんな人なの?」
2人は視線を合わせ、しばらく黙り込んだ後、大輔がため息をついた。
「……本当は、俺もあの人に会ったことがないんだ。」
「えっ?」
思わず声を上げる真奈に、大輔は困ったように頭をかいた。
「引っ越してきたときには『いる』って説明されたけど、一度も顔を見たことがない。夜中に音がするのは確かだけど、姿を見たことがあるのはたぶん、沙織くらいじゃないか?」
驚いて沙織の方を見ると、彼女は顔を伏せたままだった。
「私も……顔をはっきり見たことはないの。ただ……」
「ただ?」
「たまに、共有スペースに何か置かれてるの。あの人のものだと思うけど。」
その話を聞いて、真奈の胸に再び不安が募った。共有スペースに置かれたもの――それがどれだかわからないまま、彼女は再び夜を迎えることになった。
その晩、真奈は眠れなかった。深夜、再び足音が聞こえてきた。
「……確かめなきゃ……」
意を決し、廊下に出る。足音はまた、あの奥の部屋に向かっていた。
静まり返る廊下を進み、扉の前に立つ。相変わらず「使用中」の札がかけられているだけで、扉は閉ざされている。
「……失礼します。」
震える声で呟きながら、真奈はそっと扉を押した。意外にも鍵はかかっておらず、ギィ、と音を立てて扉が開いた。
中は驚くほど散らかっていた。床には埃が積もり、家具は古びている。誰かが住んでいるようには見えなかった。だが、部屋の中央に小さな机があり、その上には写真立てが一つだけ置かれていた。
写真には、若い男女が3人並んで映っている。
「……これって……」
真奈は手を伸ばし、写真をよく見た。そこに映っているのは大輔、沙織、そして見知らぬもう一人の女性だった。その女性は真奈に向かって笑いかけているように見えたが、なぜかその笑顔には寒気を覚えた。
その時、後ろから扉がバタンと閉まった。
「えっ……?」
慌てて振り返ると、真奈の背後には誰もいなかったはずの存在が立っていた。それは写真の中の女性だった。
「……どうして、来たの?」
女性はそう呟くと、ゆっくりと真奈の方に手を伸ばしてきた。真奈は声を上げることもできず、その場に立ち尽くしていた。
翌朝、大輔と沙織が共有スペースで話をしていた。
「真奈、見ないな。どこ行ったんだ?」
「……もしかして……あの部屋に?」
2人は顔を見合わせた。そして奥の部屋の扉を開けると、そこには誰もいなかった。ただ、机の上に置かれていた写真に、4人目の女性が映り込んでいたという――。
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