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第14話 出られない部屋

パラサイトシングルとは、実家に暮らしながら独立せず、親に依存した生活を送る独身者を指す言葉だ。平成に入り、就職氷河期や経済の低迷が影響して、このライフスタイルは珍しくなくなった。親との同居による生活コストの削減や、快適さを優先する若者が増え、社会的な問題としても注目されるようになった。一方で、こうした暮らしに長期間甘んじることで、自立心が失われたり、親子関係が歪むケースも指摘されている。


***


30代の達也も、典型的なパラサイトシングルだった。大学を卒業して就職したものの、数年で会社を辞め、以降はアルバイトを転々としながら実家暮らしを続けている。両親からは何度も「そろそろ家を出たらどうだ」と言われたが、達也は適当に話を流し、そのたびにこう思っていた。


「わざわざ家を出る理由なんてないだろ。ここにいれば、飯も洗濯も用意してくれるんだし。」


そんな達也にとって実家は居心地の良い「安全地帯」だった。


しかし、ある日から家の中に奇妙な変化が起き始めた。


その朝、達也は寝坊してリビングに降りると、母親が険しい表情でこう言った。


「達也、昨夜変なことを言ってたわね。」


「変なこと?」


心当たりがない達也が首を傾げると、母親は困惑した様子で続けた。


「深夜にトイレに起きた時、あなたが廊下に立って、ずっと『ここにいる』って繰り返してたのよ。」


達也は身に覚えがなかった。そもそも昨夜は早めに寝て、朝まで一度も目が覚めていない。


「寝ぼけてたんじゃない?」


そう笑い飛ばしてリビングに座ったが、母親の顔は浮かないままだった。


その日以降、家の中で妙なことが立て続けに起きるようになった。深夜、誰もいないはずの廊下から足音が聞こえたり、電気を消したはずの部屋の窓に人影が映ったりする。


最初は気のせいだと思っていた達也だったが、次第にその現象が無視できないほど明確になっていった。ある夜、深夜の廊下から自分の声が聞こえてきた。


「ここにいろ……ここにいろ……」


自分の部屋で布団をかぶっていたはずの達也は、恐る恐る廊下を覗いた。そこには誰もいない。だが、声だけは聞こえ続けていた。それは間違いなく自分の声だった。


「何なんだよ、これ……!」


達也は恐怖に駆られ、自分の部屋に駆け戻った。その夜は一睡もできず、布団の中で震えて朝を迎えた。


翌日、母親にその話をしても「夜更かししすぎて疲れてるんじゃないの」と軽く流されてしまった。父親も「そんなことがあるなら、家を出たらどうだ」と言うばかりだった。


しかし、達也は家を出るどころか、逆に外に出ることが怖くなり始めていた。不気味な現象が家の中で起きているにもかかわらず、なぜか家から離れたくないという気持ちが日に日に強くなっていくのだ。


「なんでだろう……外に出るのが、こんなに嫌だなんて。」


そう思いながら、達也は自分が家に囚われているような感覚に気づき始めた。そして、ふと玄関の扉に目をやると、いつの間にか鍵がかかっていることに気づいた。


「……俺、鍵なんて閉めてないのに。」


達也が鍵を開けようとすると、妙に鍵穴が重く感じられ、何度やっても扉が開かなかった。試しに窓を開けようとするが、窓もなぜか固く閉じられていて、外に出る手段がことごとく閉ざされていた。


「なんだよ、これ……」


部屋の中に戻り、疲れ果てたように座り込むと、どこからともなく囁き声が聞こえてきた。


「ここにいろ……ずっとここにいろ……」


達也は耳を塞いだが、声は頭の中に直接響いてくるようだった。背後を振り返ると、そこには誰もいない。しかし、その声は確かに彼に向かって語りかけていた。


「お前はここにいるべきだ……外に出る必要なんてない……」


達也は心の奥で恐怖を感じながらも、どこかその言葉に安心感を覚えている自分がいた。


「……やっぱり、俺はここにいるべきなのか。」


そう思った瞬間、再び廊下から足音が聞こえ始めた。それは達也が初めて体験した時よりもはっきりしており、確実に彼の部屋に近づいてくる音だった。


足音は重く、ゆっくりとしたリズムで近づいてくる。達也の心臓は早鐘のように鳴り響き、恐怖で体が硬直した。


「……誰だ……?」


かすれた声で問いかけたが、足音は止まらない。それどころか、彼の名前を呼ぶような低い囁き声が混ざり始めた。


「……たつや……ここにいろ……」


その声はどこか母親の声に似ているようだったが、何かが決定的に違っていた。


達也は震える手でドアノブに手をかけ、鍵をかけようとした。しかし、ドアノブが異様に冷たく、まるで何かが触れているような感触があった。


「……ここにいろ……外は危険だ……」


声がさらに近づき、ドアの向こう側で止まった。達也は息を詰め、ドアの隙間から何かが覗いていないか確認しようとした。だが、その瞬間、ドアが突然激しく叩かれた。


「たつや! ここにいるんだ!」


声は一気に怒号に変わり、達也は驚きのあまり後ずさった。扉を叩く音はどんどん激しさを増し、今にも破られそうだった。その音に耐えられなくなった達也は、ベッドの上に飛び乗り、布団を頭から被った。


「ここにいろ……ずっとここにいろ……」


声は一瞬で静まり返り、気がつけば部屋は元の静寂を取り戻していた。しかし、達也の心に刻まれた恐怖は消えなかった。彼はベッドの上で震えながら朝を迎えた。


翌日、達也は両親に昨夜の出来事を話そうとしたが、家の中には誰の姿もなかった。リビングに置かれた母親のカップも、父親の新聞もそのままだ。まるで、突然消えたかのようだった。


「……なんで誰もいないんだよ……」


恐怖と混乱が入り混じる中、達也は家中を探し回った。しかし、どの部屋も誰もいない。ドアも窓も固く閉ざされ、外に出ることはできなかった。彼は叫び声を上げたが、外からの反応は一切なかった。


その夜、再び廊下から足音が聞こえてきた。


「やめろ……来るな……!」


達也は耳を塞ぎ、目を閉じた。しかし、足音は止まるどころか部屋の中に入り込んでくるように聞こえた。


「たつや……ここにいろ……ずっとここにいろ……」


達也は叫びながら顔を上げた。部屋の隅に立っていたのは、母親に似た人影だった。しかし、顔ははっきり見えず、どこか不自然に歪んでいる。その影は達也に手を差し伸べながら言った。


「お前はここにいればいい……外なんて必要ない……」


その声は優しくもあり、恐ろしくもあった。達也は恐怖と安堵が入り混じる中、思わず呟いた。


「……俺は……ここにいる……」


その瞬間、影は微笑んだように見えた。そして達也の視界が徐々に暗転していき、気がつけば彼の記憶も曖昧になり始めていた。


それから数日後――


近所の住人が、達也の家を訪ねてきた。呼び鈴を何度押しても反応はなく、中を覗くと、窓際に達也の姿が見えた。しかし、彼はじっと外を見つめたまま動かない。


警察が駆けつけて家に入った時、達也の姿はどこにもなかった。ただ、リビングのテーブルには「ここにいるべきだった」と書かれたメモだけが残されていたという――。

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