第12話 砂嵐の彼方
アナログテレビは、かつて日本の家庭で最も親しまれた家電の一つだった。昭和から平成初期にかけての時代、人々はこの四角い箱を通じてニュースや娯楽番組、スポーツ観戦を楽しんだ。しかし、2011年に地上デジタル放送へ完全移行したことで、多くのアナログテレビはその役割を終え、廃棄されるか物置にしまい込まれた。今では懐かしい存在となったアナログテレビだが、その特徴的な「砂嵐」の画面は、多くの人々に独特の不気味さを感じさせていた。
***
大学生の翔太が久しぶりに祖父の家を訪れたのは、夏休みの終わり頃だった。田舎の古びた家は少しひんやりしていて、都会の暑さから逃れたい彼にとっては心地よい場所だった。
「翔太、手伝えることがあったら声かけてね。」
祖父はそう言ったが、特に手伝うような仕事は見当たらず、翔太は広い家をのんびりと散策していた。納屋や物置を見て回るうち、彼は奥の部屋で古いアナログテレビを見つけた。ブラウン管がむき出しのそのテレビは、翔太が子どもの頃、祖父と一緒に野球中継を見た記憶がある懐かしいものだった。
「懐かしいな……まだ動くのかな?」
何気なく電源を入れると、驚いたことにテレビはすぐに起動した。画面にはお馴染みの砂嵐が現れる。翔太はその音と映像に一瞬驚いたが、すぐに懐かしさがこみ上げてきた。
「懐かしい音だな……ザーって音、久しぶりに聞いた。」
しかし、その砂嵐の中に、何かが動いているような気がした。最初は単なる錯覚だと思ったが、目を凝らすと確かにノイズの中にかすかな動きがある。それは、人の影のように見えた。
「え……?」
思わず画面に顔を近づけた瞬間、テレビのスピーカーからかすかな声が聞こえたような気がした。
「……見てる……」
翔太は肩を震わせて後ずさった。気のせいだと思おうとしたが、どうしても目をそらせない。砂嵐の中の影は、次第にはっきりとした輪郭を持ち始めていた――それは、人の形だった。
「誰……?」
声に出してみるが、もちろん答えは返ってこない。ただ、砂嵐のノイズ音が低く重く耳に響くだけだった。影は明らかに人間の形をしているが、顔の部分はノイズがかかっていて、はっきりとは見えない。それでも、じっと翔太を見つめているように感じられる。
怖くなった翔太は急いで電源ボタンを押した。画面がプツンと消え、砂嵐も音も消えて部屋は静寂に包まれた。しかし、胸のざわつきは収まらない。
「おかしいな……疲れてるだけだろう。」
そう自分に言い聞かせ、部屋を後にした。
その晩、翔太は祖父と夕食をとり、布団に入った。田舎の夜は都会と違って静かで、虫の声がかすかに聞こえるだけだった。しかし、深夜になると不意に「ザー」というノイズ音が耳に飛び込んできた。
「……また、あのテレビ?」
翔太は布団から顔を上げ、音のする方を見たが、テレビのある部屋の扉は閉まっている。電源を切ったはずなのに、ノイズが響いているのは確かだった。
恐る恐る立ち上がり、扉を開けて部屋の中を覗き込む。暗闇の中、テレビの画面がぼんやりと光り、砂嵐を映し出していた。
「……なんで……?」
翔太は足を引きずるようにして部屋に入った。再び砂嵐の中に人影が浮かんでいる。その影は前よりも鮮明で、明らかに翔太に向かって手を伸ばしているように見えた。
その時、スピーカーから再び声が聞こえた。
「……おいで……一緒に……」
翔太は心臓が飛び出しそうになり、必死にテレビの電源コードを引き抜いた。画面が消えるとともに声も止み、部屋は再び静かになった。しかし、翔太は画面に映る最後の影が笑っているように見えたことを忘れられなかった。
翌朝、祖父にその出来事を話すと、祖父は首をかしげて言った。
「電源が入るなんておかしいな。あのテレビ、もう壊れてるはずだよ。」
その言葉に翔太は言葉を失った。では、昨夜の出来事は一体……?その日以降、翔太はその部屋に近づかなくなった。しかし、夜になるとどこからともなく「ザー」という音が聞こえてくる。それは徐々に彼の生活の中に浸透していき、気づけば翔太は自分が目をつぶっても砂嵐の中に立つ人影を見るようになっていた。
***
翔太は砂嵐の影の記憶に怯えながらも、日常を取り戻そうと努めていた。だが、それは簡単ではなかった。田舎の静かな環境がかえって不安を増幅させる。何気なく部屋の窓を開けても、遠くから「ザー……」というノイズ音が聞こえてくる気がした。それが現実の音なのか、自分の耳鳴りなのかも分からない。
三日目の夜、再び「ザー……」という音が聞こえた時、翔太はもう無視することができなくなった。怖さを振り切るようにして部屋を飛び出し、砂嵐を映していた奥の部屋へ向かった。
扉を開けると、案の定テレビがまた点いている。電源コードは抜かれているはずなのに、ブラウン管はぼんやりと光り、砂嵐が広がっていた。
「いい加減にしてくれ……!」
翔太はテレビを叩きつけるように電源ボタンを押した。しかし画面は消えるどころか、砂嵐が激しく揺れ始めた。そして、ノイズの中から声が聞こえた。
「……待っていた……翔太……」
ぞっとした。名前を呼ばれるはずがない。恐怖で足が震える中、画面の砂嵐が一瞬だけ止まった。そこにははっきりとした人の顔が映っていた。それは、誰かの歪んだ笑顔だった。
「誰だ……お前は……!」
翔太が叫ぶと、画面の中の顔が口を動かした。だが、声ではなくノイズ混じりの音が耳を刺す。それでも、次第にその言葉の意味がわかってきた。
「……一緒に来て……ずっと……一緒に……」
翔太は後退りした。画面の中の顔がじりじりとこちらに近づいてくる。画面に顔が触れるかのように押し出されると、ブラウン管の表面が微妙に膨らんだように見えた。
「やめろ!」
翔太は手近にあった椅子を掴み、力任せにテレビに叩きつけた。鈍い音とともにブラウン管が割れる。砂嵐の音も一瞬止み、辺りに静寂が訪れた。
息を切らしながら割れたテレビを見下ろす翔太。その破片の間から、黒い液体のようなものがじわじわと染み出してくるのが見えた。それはただの機械の残骸ではなく、生き物の一部のように蠢いていた。
「これは……なんだ……?」
突然、背後で大きな音がした。振り向くと、扉が勢いよく閉まっていた。部屋の中に閉じ込められたのだ。
「お前の番だ……」
低い声が部屋全体に響いた。割れたテレビの画面から、先ほどの影がゆっくりと現れ始めた。翔太は恐怖で動けず、ただその光景を見つめるしかなかった。
影は部屋の中央まで姿を伸ばし、翔太に向かって手を差し出した。その手は黒いノイズでできているようで、触れた空間を歪ませながら迫ってくる。
「いやだ……助けて……!」
翔太は叫びながら壁際に逃げようとしたが、影の手は彼の肩に触れた。瞬間、頭の中にノイズの嵐が吹き荒れた。過去の記憶や感情が断片的に引き裂かれ、彼の存在そのものが砂嵐に飲み込まれていくような感覚に陥った。
「やめろ……俺じゃない……!」
翔太の声はかき消され、視界は真っ白な砂嵐に包まれた。そして最後に見たのは、影が自分の顔で笑っている姿だった。
翌朝、祖父が部屋を訪れた時、翔太の姿はどこにもなかった。ただ、奥の部屋には割れたテレビが置かれたまま、砂嵐の音だけが微かに響いていたという。
その後、祖父が壊れたテレビを廃棄しようとしたが、何度も物置に戻っていることに気づいた。テレビは捨てても、必ず家の中に戻ってくるのだ。そしてそのたび、砂嵐の中から翔太の顔がぼんやりと浮かび上がり、微笑んでいるという――。
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