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第1話 90年代のアイドル

週末に、完結まで一気に投稿します。

平成元年から始まった新時代、日本のエンターテインメント界はまさに黄金期を迎えていた。アイドル文化が花開き、多くの若者がテレビの前で憧れのスターに心を奪われていた。中でも、1990年代のアイドルはカリスマ的な存在であり、彼女たちは瞬く間に時代の象徴となった。派手な衣装、軽快な振り付け、心に響くポップな楽曲。それらは当時の若者にとって、学校や仕事の合間に癒しと夢を提供していた。


***


田辺翔たなべしょうは、そんな時代を生きる普通の高校生だった。彼は特に「永遠の微笑み」と呼ばれたアイドル、南野陽菜みなみのひなの熱狂的なファンだった。陽菜は17歳の時にデビューし、天真爛漫な笑顔と透明感のある歌声で瞬く間に人気を博した。「ハロー・グッバイ」や「青空マーメイド」といった楽曲はヒットチャートを賑わせ、雑誌の表紙やテレビ番組に引っ張りだこだった。翔の部屋には陽菜のポスターが貼られ、机の上には彼女がリリースしたカセットテープがずらりと並んでいた。


1995年のある夜、翔はお気に入りのカセットプレイヤーに陽菜の最新アルバムをセットし、ヘッドフォンを耳に当てた。期末試験の勉強に疲れていた彼にとって、陽菜の歌声は唯一の安らぎだった。けれど、その夜はいつもと何かが違っていた。


「次は未発表曲です。楽しんでね。」


陽菜の明るい声が流れた後、静寂が訪れる。未発表曲? 翔は驚いた。どの雑誌にもこんな情報は載っていなかった。突然、静かなイントロが始まる。ピアノの音色に乗せて陽菜の声が流れ出した。彼女の歌声はどこか悲しげで、今までの明るいイメージとは全く違う。


「暗闇の中で あなたの声を待っている

 助けて 助けて ここから連れ出して」


翔は息を呑んだ。この歌詞、どういう意味だ? 聞き間違いかと思い、巻き戻してもう一度再生したが、同じ歌詞が流れる。陽菜の歌声は次第にかすれ、最後は小さなすすり泣きのような音で途切れた。そして、また静寂が訪れた。


不気味な沈黙の中、翔は何度もその曲を聴き返した。陽菜の声には切迫感があり、歌詞も異様だった。「助けて」という言葉が何度も頭の中で反響する。翔は鳥肌が立つのを感じながら、どうしてこんな曲が収録されているのか考えた。しかし、カセットテープにはタイトルもクレジットも記載されていない。まるでその曲が存在しないかのようだった。


次の日、学校でも翔は落ち着かなかった。友人の佐藤にそのことを話してみたが、冗談だと笑い飛ばされてしまった。「お前、疲れてるんじゃないのか?」佐藤の言葉に、翔は言い返せなかった。確かに最近の勉強で疲れが溜まっているのかもしれない。だが、あの曲を聴いた時の感覚は、ただの疲労や気のせいでは説明がつかない。


帰宅後、翔はもう一度カセットテープを再生した。しかし、問題の未発表曲は流れなかった。ただ普通のアルバム曲が続くだけだ。巻き戻しても、スキップしても、例の曲はどこにも見つからない。自分の記憶が曖昧になったのかと不安になるが、それでも昨日の出来事は鮮明に覚えている。


数日後、翔は雑誌で陽菜に関する衝撃的な記事を目にする。彼女が乗った車が崖から転落し、死亡していたことが報じられたのだ。記事によると、事故が起きたのはアルバムがリリースされる直前だったという。そのためか、アルバムの宣伝も控えめで、新曲が話題になることはなかった。


翔は背筋が凍る思いだった。陽菜の未発表曲は彼女が死んだ後に収録されたものなのか? だが、それはありえない。陽菜が死んだのは事故の数週間前であり、その後に新しい曲が録音されるわけがない。翔は混乱しながらも、もう一度カセットテープを確認しようとした。しかし、カセットはどこにも見当たらなかった。


まるで、最初から存在しなかったかのように消え去っていた。


***


陽菜の未発表曲を聴いた数日後から、翔の周囲では不可解な出来事が起き始めた。深夜、彼の部屋に置いてあるラジカセがひとりでに動き出し、ノイズ混じりの音を立てるようになった。薄暗い部屋の中、「助けて……」という微かな声が聞こえた気がして、翔は布団をかぶり震えながら夜をやり過ごした。何度も同じような現象が起きるたびに、翔は恐怖を募らせていったが、それが止むことはなかった。


やがてその声は、徐々に鮮明になり、明確な言葉として耳に届くようになった。「助けて……ここにいる……」声はいつも同じで、まるで翔に向けて何かを訴えかけているようだった。その声が陽菜のものであると確信した翔は、彼女の死について調べる決意を固めた。


翌日、翔は地元の図書館に足を運び、過去の新聞記事を丹念に漁った。南野陽菜が亡くなったのは、1995年6月12日、早朝のことだった。所属事務所の公式発表では「ドライバーの過失による不慮の事故」とされていたが、いくつかの記事を読み進めるうちに、翔はその説明に疑問を抱かずにはいられなくなった。事故現場は夜間の車通りが少ない山道だったが、複数の目撃情報によると、事故直前に現場付近で車同士のトラブルがあったとされていた。目撃者の一人は「陽菜が泣き叫ぶ声を聞いた」と証言していたが、その後、この証言は突然取り下げられていた。さらに、陽菜が乗っていた車のドライバーは事故後に失踪しており、いまだに行方がわかっていないという。


翔は、この事故がただの不運ではなく、何か隠された事情があるのではないかという疑念を抱き始めた。彼の脳裏にはあの未発表曲の歌詞が浮かんだ。「助けて……ここから連れ出して……」それは陽菜の置かれた状況そのものを訴えかけているようだった。


翔が例のカセットテープを最後に見たのは、不気味な未発表曲を聴いた夜だった。その後、部屋中を探しても見つからず、家族に尋ねても知らないと言われた。しかし、ある夜、翔の部屋に置かれたラジカセから、突然陽菜の声が再び流れ始めた。「翔くん……助けて……」その声は途切れがちで、ノイズが混じっていた。翔は恐怖で震えながらも、その声に耳を傾けた。「ここにいる……忘れないで……」陽菜の言葉は、最後にすすり泣きのような音を残して途絶えた。


ラジカセを調べても、カセットテープは挿入されていなかった。再生する媒体が存在しないにもかかわらず、陽菜の声が聞こえたのだ。翔は、陽菜が自分に何かを伝えようとしているのではないかと感じた。


その後、翔はインターネットの掲示板にアクセスし、陽菜のファンが集まるスレッドを探した。そして、彼女の死について詳しく知るために「未発表曲を聴いた」という投稿を行った。すると、「陽菜の死には闇がある」という書き込みが複数寄せられた。その中には、彼女が所属していた事務所の不正や、事務所幹部との確執について語るものもあった。また、陽菜が生前に周囲に漏らしていた「何かに脅かされている」という発言について触れた投稿もあった。


その後、ある投稿者が「陽菜の最後のインタビュー音声」を持っていると書き込み、それを翔に送ってきた。ファイルを再生すると、陽菜は不安げな声でこう語っていた。「怖いんです。最近、誰かに見られている気がする。私の曲を無理やり変えさせられることもあったし、何を歌っても自由がない……」その言葉を聞いた翔は、陽菜が死の直前に何らかの危険に晒されていたと確信した。


深夜、再びラジカセが動き出した。今度は陽菜の声ではなく、男性の低い声だった。「これ以上知るな……」その声は脅迫のように聞こえた。翔は恐怖に凍りついたが、同時に陽菜を救いたいという気持ちが彼を突き動かした。翌日、翔は陽菜が亡くなった事故現場へ向かうことにした。


現場に到着すると、翔は辺りを歩き回り、花束が供えられている場所で手を合わせた。その瞬間、耳元で陽菜の声がささやいた。「ありがとう……でも、まだ終わらない……」振り返ると、そこには誰もいなかった。ただ風の音だけが響き、翔は妙な気配を感じた。帰宅後、部屋の机の上には、消えたはずのカセットテープが戻ってきていた。ラベルには、震えるような文字で「次は、君の番だ」と書かれていた。


翔はその夜、再び部屋に戻ることはなかった。

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