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白楼美人の人形たち  作者: 七灘 郁
2/3

中編

 4



 太平洋戦争時、隣接する県庁所在地は空襲により焼け野原となった。


 終戦から半世紀が過ぎた今も、不発弾が発見されたり、暴発したりしている。


 一方この地は奈良や京都と同じく一度も空襲を受けていない。

 

 そのため、戦前の建物や区画が数多く残っているのである。


 車の侵入を拒む幅の道路。


 まだ住んでいる人がいるのかも不明な家屋。

 

 草木に覆われ朽ちた廃屋。路地を埋めるゴミの山。


 一度入り込んだら絶対に抜け出せないと噂されるその一帯は、行政の目も届かない現代の禁足地と化していた。



 *



「早く見つけないともう電池がヤバいよ」

 スマホからの光に照らされ、闇に浮かぶ春香の顔は焦りの色を隠せないでいた。


「予備バッテリーなら持ってきてる。充電してないから残量があるかはわからんけど」


「もう、頼りになるんだか、ならないんだか」

 

 いつものやりとりに、張り詰めた空気が(ほぐ)れていくのを感じた。


「しっ!」

 

 弥栄から鋭い声。


 再び緊張の糸がピンと張られる。


「⋯⋯見つけた。あそこだ」


 月明かりの中、地面の一部が儚げに白く浮き上がっていた。


 それは、かなり注意して観察しなければ見落としてしまうほどの小さな光だ。

 かなり深い雑草の中に落ちているのであろう。


 二人は生い茂った草や埋まった瓦礫に足を取られ、よろめきながらも光へと駆け寄る。


 拾い上げた瞬間、スマホから光は失われてしまった。


「ここでコケて落としたの?」


「⋯⋯わからんけど、来たのは確かだろうな」


 周囲を見回すが人影らしきものは見えない。


 清影に晒されて青白く佇む廃屋の群れ。


 気配の一切が絶たれた建造物に不思議と不気味さは感じない。


 現世と隔離され、静寂の空間に取り残された厳かな神殿の印象である。


「不思議な気分だ」


 弥栄が静かに呟く。


「ここにもかつて平々凡々な日常があったんだよな。隣近所で挨拶を交わしたり、主婦が集まって井戸端会議をしたり、子供たちが路地を駆けずり回ったり⋯⋯そんな景色が当たり前に見られてたんだと思うと」


「そうね」


 春香が感慨深そうに同意する。


「限界集落は何も山の中だけじゃないんだ。アーケードから道を少し外れただけなのに、こんな場所があるなんて⋯⋯」


 カサッ、と微かな音がした。


 小さな足音のようだった。


 二人の表情に緊張が走り、視線を音の場所へと差し向けた。


 

 **



 月光の下に少女が佇んでいた。

 

 夜空に浮かぶ満月を、さも珍しそうに見つめている。


 艶やかな長い髪。幼顔に、くっきりとした目鼻立ち。


 その横顔には見覚えがあった。


「ミカ!」

「おミカ!」


 二人が声を揃えて少女の名を呼んだ。


 少女がゆったりと振り返る。


 両腕にはだらりと伸びた三毛猫が抱えられていた。


「⋯⋯もう、一人で遠くに行くなって言ったろ。心配したんだぞ」

 

 泣き笑いの表情で弥栄が崩れ落ちる。

 安堵で力が抜けたのだ。


「やっぱり猫を追いかけ⋯⋯あれ?」

 春香が違和感に気づく。


「ねぇ、その服どうしたの?」


 Tシャツとレギンスの付いたフリルスカートのはずが、幻想的なゴスロリ風黒ドレスに変わっている。


 足元の水玉サンダルもクラシカルなブーツへと変化し、安っぽさが払拭されていた。


 少女は春香の問いに応えることなく視線を外すと、ふわふわとした足取りで月を背に歩き出す。


 草を踏む音はどこか現実味に欠け、少女と猫一匹分の重さに達しているとはとても思えなかった。


「あ、ちょっと! どこ行くの!?」


 追いかけようと春香が一歩を踏み出す。


 すると、長短様々な雑草がその行動を阻害しようと靴に絡みついてきた。


「クソ!」


 絡みつく雑草を土ごと蹴り上げる。


「ヤエモン立って! またおミカがどっか行っちゃう!」


「え?」


 弥栄はまだ状況が把握できていないようだった。

 呆けた顔で春香を見上げる。


「ほら、早く!」


 上着を掴んで無理やり立たせると、少女が姿を消した廃屋の裏へ向かって足を早めた。



 5



「なに、ここ」


 少女を追いかけ、廃屋の角を曲がった瞬間にそれは見えた。


 月の光に青白く照らされた白い壁。高さは三メートル近くあるだろうか。


 何より異質感を覚えたのが、壁の佇まいである。


 経年劣化の痕跡がなく、表面には風にそよぐ草木の影絵が劇場版の作画で描き出されていた。


「新しいね。最近の建物かな?」

 弥栄が壁に触れながら感想を述べる。


「さぁ、どうだろ」

 春香からの返事はどこか上の空であった。


 壁に沿って二人は歩く。


 ありがたいことに壁沿いは雑草も綺麗に刈り取られ、未舗装とはいえかなり歩きやすくなっていた。


 まめに人の手が入っている何よりの証拠である。


 壁の上にはご丁寧にも有刺鉄線が張られている。

 もしかすると、外から見えない場所に監視カメラも設置されているのかもしれない。


 悲観的な想像が春香の脳裏を駆け巡る。


 ——うわぁ⋯⋯ここってヤバイ職業の人の隠れ家とかそういう場所!? 早く逃げなきゃ! でも、おミカが!


 もんどり打つ思考に頭を抱える春香。

 

 それでも足は交互に歩を刻み、弥栄の後ろをピッタリとトレースしている。


 突然、弥栄の足が止まった。


 視覚を意識してない春香は、勢いそのままに弥栄の背中に頭をぶつける。


「わ!」


 思わず声を出す春香。


「どうしたの?」

 突然止まったことに対する問いに、弥栄は不思議そうな顔を浮かべた。


「変だと思わないか?」


「な、なにが?」


「⋯⋯壁に入り口がない」


「どういうこと?」


「四方をぐるりと壁が取り囲んでいて、壁の中に入れない。壁の上には有刺鉄線が張られているから、上からの出入りはないだろう。とすると、どこから出入りするんだと思う?」


「さあ? 上がダメなら下から、とか? そんなことより早くおミカを見つけないと!」


「だよな」


 弥栄はなにかに納得したかのように、ひとり首肯する。


「もう一周してみよう。今度は足元に注意して、きっとどこかに隠し扉が」


「いいかげんにして!」

 

「お!?」


 今度は弥栄が驚く番だった。


「おミカがいなくなってんだよ!? 早く見つけなきゃいけないのに、どうでもいい事を気にしないでよ!!」


「いや、まぁ、そうかもしれんけど」


「そうかもしれんけど、なに!? 入り口がないなら、ここにおミカはいない! 他の場所を捜そうよ!」


「うん、そうか、そうだな、わかった、そうしよう」

 

 激昂する春香をなだめるためなのか、弥栄は速やかに同意する。

 そして、嗚咽を漏らす春香にハンカチを渡すと、落ち着かせようと肩を抱いた。


「ごめんな。どうもあたしは関心ごとがあるとそっちに気を取られ、あとはどうでもよくなるクセがある」


「うん⋯⋯、よく知ってる」


「そうだよな、今はミカを捜さなきゃ。さっき見つけたから、近くにいるんだと安心してたっぽい」


「わかればいいのよ⋯⋯」


 濁点まみれの涙声で春香は頷く。

 理解を示した弥栄との間に和解が成立したらしい。


「ミカはあっちからそっちに向かって姿を消したんだよな。だったら、この壁の周囲に何らかの痕跡を残した可能性がきっとあるはずだ。ここはひとつ足元を注意しながら、壁をもう一周してみるべきじゃないかな?」


 弥栄からの提案を春香は深く大きなため息で応じる。


「負けたわ⋯⋯これが最後だからね、一周だけよ」


「あい」

 

 してやったり、とばかりに大きな笑顔を作る弥栄。

 その表情につられたのか、春香の顔にも柔和な笑顔が戻った。


 

 6



 再び壁に沿って歩き始める。

 今度は足元に注意を払って、だ。


「うん?」


 なにかに気づいたのか、おもむろに弥栄がしゃがみこむ。


「どうしたの?」


「グレーチングがある。受枠もかなり新しい⋯⋯集水桝(しゅうすいます)かな? ボルト固定はされてない⋯⋯か。よし」


 グレーチングの隙間に左手の指をはめ込み、垂直に持ち上げた。

 そして、それを静かに地面へと置く。


 ポケットからスマホを取り出すと、ライトを灯し、穴の中を覗き込む。


「ハルハル、これ見てみ」


 手招きで春香を呼び寄せ、穴の中を照らしてみせた。


「正方形なのは嵩上げ枠のみで、その下は円筒形になってる一般的なヤツだ。ただ、普通の集水桝にはないモノがついてる」


「ハシゴ?」


 弥栄が「よくできました」とばかりに頷く。


「つまり、これは集水桝にカモフラージュされた出入り口に違いない」


「にしても狭すぎない? 小柄な大人ひとりがやっとってサイズに見えるけど」


「けど、子供なら楽勝だ」


 その言葉に春香は弥栄へと顔を振り向ける。

 弥栄は勝ち誇ったように笑っていた。


「でも、なんでおミカは何も言わずにここへ逃げたんだろう⋯⋯」


 弥栄ほど楽観的になれない春香は、不安要素の排除へと思いを巡らせる。


「あたしたちに見せたいものがここにあるんじゃないか?」


 春香ははたと手を打った。


「再会した時、なにも言わなかったのは、私たち以外の第三者を介入させないため⋯⋯!」


「そう! あたしらは気づいていなかったけど、お宝を狙う連中にこっそり尾行されてた可能性も」


「おミカはそれに気づいてた! そして、そいつらを欺くために迷子になったフリを⋯⋯うん、これなら、おミカの謎の行動にも合点がいく!」


「いや、ないない。それはない」


「⋯⋯まぁ、そうよね」


 無駄にテンションを上げたせいか、えも言われぬ徒労感が心骨に染みた。


「まぁ真相は本人の口から語ってもらおうじゃないか。ハルハル、頼んだ」


 弥栄がポンと春香の背中を叩く。


「はあ?」


「ハシゴを降りて中の様子を探ってくれたまえ。連絡はスマホに頼む」


「いや、なんで、私が⋯⋯」


 反論しようとする春香を封じるためか、弥栄が円筒空間を指し示す。


「君も言ったね。大人サイズでないと。見たまえ、この巨乳があそこを降りるのは不可能だと思わないかね?」


「うっ!」


「強く張りのあるロケットおっぱいがあんなクソ狭い穴を通れるわけないだろう。それに引き換え、君の体型はまるであの穴を通り抜けるために生まれてきたんじゃないかとさえ」


「あーもう! うるさい!」


「わかってくれたか。よかったよかった」


「8:1:1ね!」


「うん?」


「お宝の取り分。私が八割もらうから。残りの二割をヤエモンとおミカで分けて。一番働いた人が多くもらうのは当然よね」


「う〜む⋯⋯」


「そこで指を咥えて待ってなさい。すぐに見つけてやるから。時価数十億円のお人形を!」

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