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白楼美人の人形たち  作者: 七灘 郁
1/3

前編

 1



「ひゃあ、涼しい!」

 聞き覚えのある声がして、西寒田(ささむた)弥栄(やえ)はスマホ画面から顔を上げた。

 

 ”柔らかな鳥の巣“と揶揄されるミディアムボブのカーリーヘアを小刻みに揺らしながら、声の主を探す。


 黄色い鼈甲(べっこう)フレームのボストン型メガネにはまる分厚いレンズは、なかなかその姿を捉えられない。


 時間を持て余した男女でひしめく四極山(しはつやま)大学の学生ホール。


 その群れの奥から現れたのは、いつも笑ってる印象の春日春香(かすが はるか)であった。


 黄色いTシャツに半袖のプリントブラウスを羽織り、水色のハーフパンツというリラックスコーデ。


 日差しを避けるために選んだ帽子が、スコーピオンパターンのマルチカム迷彩柄ブーニーハットというのも、実に彼女らしい。


「おーい、ハルハル。こっちこっち!」

 弥栄が声を張り、目立つようブンブンと手を振った。

 

 手を振るたびに臙脂(えんじ)色の布に覆われた胸元がババロアの固さで大きく弾み、男子学生の視線を釘付けにする。


 しかし、弥栄にそれを気にする様子はない。


「おーいたいた」

 春香も手を振り返す。

 けれども揺れは皆無に等しく、男子の嘆息が聞こえるようだ。


 チー牛どものリアクションを忌々しく思いながらも無視を決め込む春香。

 連中を喜ばせたところでメリットなどないのだから当然だ。


「どこも混んでるね。普段よりも多いみたい」

「ここは冷房は効いてるし、水はタダで飲めるし、金のない奴にとっては最高の避暑地だもん。しゃーないさ」


 袖を捲った亜麻色のリネンジャケットに、コヨーテカラーのフィールドバンツという出立ちで胡座をかく弥栄が笑う。


 学生ホールの片隅。カップ自販機とウォーターサーバーが並んだ壁沿いに弥栄は陣取っていた。

 テーブル席はみっちりと埋まっており、空いてる場所がここしかないのだ。


 背中を冷たい壁に押し当て涼をとってはいるが、自販機から噴き出す排熱のせいで快適とは言い難い。


 春香は自販機と弥栄の間に腰を下ろす。


 灼熱地獄と化した外界に比べれば、自販機の排熱など気にするほどでもないのだろう。

 

「おミカは? 一緒じゃないの?」

 

 春香の問いに弥栄は右手の親指を横に傾けた。


 覗き込むと、黒く長い髪が墨色のTシャツに流れ落ち、それがそのまま全身を覆っているかのような陰の存在に、春香は一瞬たじろいだ。


 しかし、それがダンゴムシの如く身を丸めた長濱ミカが、血走った眼でスマホを見つめている姿だとすぐに判明する。


 「どうしたの?」と、ジェスチャーで尋ねる春香に肩をすくめる弥栄。


「昨夜、熱帯夜で寝付けなくて、時間潰しに恐怖体験サイトを読んでたらハマったんだと」


「マジかー⋯⋯」

 驚嘆の声色で春香は感想を示す。


 それがきっかけとなったのか、何かを思い出したかのようにはたと手を打った。


「あ、そだ。恐怖体験といえば、最近こんなウワサを聞いたなぁ」


「なに? こわい話?」

 真っ先に飛びついたのはミカである。


 その反応を受けて、春香がにっこりと極上の笑顔をひらめかす。


「こわいかどうか三人で確かめてみない?」

 


 2



 日が完全に沈み、街は夜の領域へと変化する。

 しかし、大気はまだ日中の熱を冷ますことができず、ぬるいサウナにいるようだ。


 三人はシャッターの陳列数なら県下最大規模のアーケード、満天星商店街を歩いていた。

 

 通りに人の姿はない。

 動くものといえば、気まぐれな地域猫と風に押されたコンビニ袋くらいである。


 それでも商店街としての意地なのか、アーケードは明るい光で満たされ、入り口から出口までを見通すことができた。


「ねぇ、ウワサについて詳しく教えてよ」

 ミカが話をねだる。


 スキップのごとき軽い足取りで、この散策を本当に楽しんでいるようだ。


 大きく足を踏み出すたびに跳ねる長い黒髪。華奢な白く細い手足が見る者の庇護欲を掻き立てる。


 百五十センチに満たない身長。起伏のない薄い体型。化粧っ気のない顔。

 それでいてはっきりとした濃い目鼻立ち。立ち振る舞いもどこか子供っぽいミカ。


 服装もピンク色のハートがプリントされた墨色のTシャツに、黒のレギンス付きフリルスカート。

 足元が涼しげな水玉模様のサンダルであることも相まって、子供っぽさがより強調されている。


 事情を知らない者には、いたいけな小学生の妹を夜に連れまわす、やさぐれた二人の姉貴に見えたことだろう。


「ねぇってば!」


 ネコ科の動物さながらに、春香の腕にじゃれつく。

 その愛らしい懇願に負けて、春香がついと口を開いた。


「むかーし、この辺に知る人ぞ知る竹工芸家のアトリエがあったらしいんだ」

「この辺てここ? 浜ノ江?」

「そ」


 春香がニヤリと笑う。


 弟妹に怪談を聞かせる意地悪なお姉さんの笑顔だ。


「そのアトリエは瀟洒な木造の洋館で、外壁が白く塗られてたから『白楼』や『白美人荘』と呼ばれててね」

「そんでそんで?」


 食い気味の反応に春香は内心ほくそ笑む。


「その白美人荘に住む竹工芸家の名前はヰ左久(いさく)。彼の作品は竹工芸でよくあるカゴとかザルとか、そういうのじゃなくて、かなり奇妙なものだったみたい」


「ごくり」

 ミカが喉を鳴らす。


「彼が作っていたもの、それは超精密で精巧な人形。子供が手に持って遊ぶようなサイズじゃなくて、等身大のガチなヤツ」


「ふんふん」

 弥栄も話に乗ってきた。


「すべての関節がちゃんと動き、腰や首も竹ならではの柔軟性で可動する超絶技巧の芸術作品だったらしい。髪の毛も竹の繊維で一本いっぽん丁寧に植えられていたんだそうな。まさに“生き人形”ってやつね」


「⋯⋯さっきから、“らしい”とか“だそうだ”ばかりだけど、確定情報ないんか」

 弥栄のツッコミに春香が反論する。


「しょうがないでしょ。なにしろ現物がまだ存在してるのかさえ怪しい幻の人形なんだから」


「じゃあさ、じゃあさ、もし見つけたら大発見てこと?」

 ミカの瞳が黒曜石のように光り輝く。


「大発見も大発見! 世界的ニュースになるね。間違いない!」

 キシシと笑いながら、弥栄が相槌を打った。


「そっか」

 ミカがニンマリと笑い、顔にやる気がみなぎる。

 

 肝試しから宝探しに気分が変わったようだ。 

 

 水玉模様のサンダルがスキップを刻み、アーケードにリズムを響かせる。

 その音に驚いて身を縮ませた猫を見つけると、歓声を上げて駆け寄るほどハイテンションな様子が伺えた。


 「おーい、先走って一人で遠くに行くなよ」と弥栄が注意を促す。

 ヒャッハー状態のミカに届いているかは不明確ではあるが。


「んで、さっきの話はマジなん?」

 弥栄が隣を歩く春香に尋ねる。


「うん?」

「幻の人形ってヤツ」


「ああ⋯⋯実在はしてたらしいよ。作家とのツーショット写真が残ってるんだと」

「ほーん⋯⋯」


「何考えてるか当てたげよっか」

 呆れまじりのジト目で春香が弥栄を見やる。


「指一本でも見つけたら、いいカネになるかなー。でしょ?」


「うっ」

 図星だったのか、返答に窮する弥栄。


「まぁ、いい値は付くでしょうね。欠けのない完成品なら数十億の価値があるって話だし。指の一本でも数万円くらいにはなるんじゃない。知らんけど」


「よし、やる気が出てきた!」


「⋯⋯保護者ヅラしてるけど、あんたもおミカと同じレベルじゃん」


 春香は呆れたように呟くのだった。



 3



 散策開始から一時間が経過しようとしていた。

 

 肌にまとわりつく不快な湿度も収まり、夏の夜風が程よく心地よい頃合いになっていた。


「もうこんな時間か。今日はアトリエを特定するだけにして、続きは明日に⋯⋯って、おい!」


 なにやら落ち着かない素振りの弥栄の肩を春香が叩く。


「もう、なにしてんのよ。さっきからわちゃわちゃと!」


 振り向いた弥栄の顔は死人のように青い。


「どうしよう。ミカがいない」

「え?」


 春香の顔からも血の気が引く。


「野良猫を追っかけて、どっか行っちゃったのかも」

「まてまてまて、一回落ち着こう! 深呼吸しよう!」


 弥栄は大きく息を吐き、そして吸った。


「いや、こんなことしてる場合じゃない! 捜さないと!」


「スマホだ! 電話してみよう! 近くにいるなら呼び出し音が聞こえるはず」

「それだ!」


 弥栄がポケットからスマホを取り出し、連絡先をタッチする。

 春香は息を潜めて、耳をそばだてた。


 雑多な環境音の中に特定のメロディーを探る。


「どう?」

 弥栄が小声で尋ねる。


「鳴ってる⋯⋯気はする」

 意識を集中させた様子で、眉間に一本深い縦皺を刻んだ春香が応えた。


 それを聞いて、弥栄も耳を澄ます。

 耳の後ろに手のひらを添え、発信元を捉えるつもりなのか、上半身をゆっくりと回している。


「⋯⋯うん、聞こえる。あっちだな」


「さすがはヤエモン。こういう時だけは頼りになる!」


 聴覚だけでなく、色彩感覚や匂いにも弥栄は敏感だった。

 色が霞むのを嫌い、メガネもわざわざアッベ数の大きい厚いレンズで作っているほどなのだ。


「“だけ”は余計だ」

 

 硬く強張っていた表情筋が弛緩する。


「行こう。ミカが待ってる」

「うん」


 二人は早足と駆け足の中間速度でアーケードを外れ、狭い脇道へと進んだ。


 明るい場所に目が慣れていたせいか、唐突に黒い布を被せられた錯覚に陥る。

 

 この先は浜ノ江ラビリンス。


 地元の人間も滅多に近寄ることのない古い戸建の密集地帯である。

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