変質した身体
どれくらいの間、歩いていたのだろうか。
グレスは呻く女の声と、水が滴る音に起こされた。
「う、ううっ……」
重いものが体に覆いかぶさっているのを、寝返りを打つようにどけた後で、それがイノンだということに気づいた。
「イ、イノン…?どうしたんだ。おい、起きろっ」
「ウウー…ウ、ギギギッ、ウグー…!」
衣服や髪の色からイノンだということには気づいた。が、それは最早彼女と呼べる容姿からかけ離れていた。
血みどろの皮膚に変形した頭。手の甲や太ももが圧縮されたように潰れ、ざらついた肌が鱗のように硬質化し、絞るように出す声はかわいらしさのかけらもない。
まるで異形に変わろうとしているかのような、恐ろしい様相だった。
「イ、イノン…!なんなんだこれは…肌が、いやここは、俺は…迷宮で…」
グレスは辺りを見回す。
…持ち物が妙に少ない。グレスは思った。
レダの言いつけの通り、たとえ短い迷宮探索でも回復薬や解毒剤は忘れずに持って「レダ?レダはどこだ」いるはずなのに。それにここはどこだ?迷宮は化粧をしたように青白いが「どうやって、俺はここに来たんだ」もともと土の色ではなかったか。人口の洞窟のような、粘土岩の板でできていたはずだ。白濁した青い岩肌は、鍾乳洞や岩山のように、無秩序でまったく人工のよ「イ、イノン?イノン!ひどい、なんだこの症状は。薬で、げ、解毒できるのか…?」うには見えない。この真っ平らな道を除いては。
じゃり。
砂が擦れる音がした。
「なんだっ!」
グレスは立ち上がろうとした。
だが足に力が入らない。まるで一山を歩いて超えたように、筋肉の反応がひどく鈍い。
ざりっ。
次ははっきり聞こえた。
「なんだ…!」
足音だ。
足音が近づいてくる。
巨大な害意を抱えた、野蛮な顔が現れる。
「グ グルル…」
「あ、ああっ!」
剣を杖に、全霊を絞って立ち上がる。
見たこともない伝説級に危険な魔物を見て、急激に意識が覚醒していく。
グレスは思い出した。イノンと二人で迷宮に来た事。
「レダはいない!」モンスターの大規模な襲撃を察知し、より危険な地帯に踏み込んだこと。
「物は捨てた…!」狂乱したイノンを追って第二層に飛び降り、そして……。
焦げ茶色の鬣、灰色の角。猛獣の顔は厳めしく、両の脚はしなやかに。
右手には剣のような金属塊。金色の瞳が気炎を湛え、迷宮深部への闖入者を歓迎した。
「グオオ─────」
怪物の相貌が開く。
剣闘の獅子、第七層級モンスター。迷宮全体が混乱に陥る異常事態の中で、我関せずと闊歩する孤高の魔物。
最強格の代名詞。
「ガアアアアアアアアッ!!」
一帯をびりびりと震わす大音響。
グレスの声帯は叫ぶどころか、囁くほどの声も出ない。
体が石のように固まり、頭から指先までが冷たくなる。
迷宮の避役と邂逅した時の、沸騰するような緊張感とは全く違う。
すでに殺されてしまって、遊離した魂が魔物を見ているのではないか。
そう思うほどに、体は冷たく命令を拒んでいた。
「ウガアアアア!!」
岩を砕くほどの蹴りが地面を叩き、彼我距離は刹那にして零になった。
「ぐッ!」
超威力の横切りがグレスを襲う。防御姿勢さえ間に合わない。
衝撃。
グレスは青白い岸壁に、力いっぱい叩きつけられた。