1章10 魔法の契約
「ソイルくんさ、うちと契約しない」
馴れ馴れしいどころか、完全に上から目線で、雪水は言った。大魔王にふるまう態度であろうか。虫けらにも満たないたかが人間。図々しいにもほどがある。
世界に6人しかおらぬ魔王のなかでも一番強い存在。ゆえに大魔王である。
その彼をソイルくんと略して呼び、パイプレンチやロッドトングといった鋼鉄の道具で頭をなぐる娘。
許すべきではない。本来なら、即刻、首をはねているところであった。だが、ソイルジーオはそうしない。
人間は下賤な生物。知恵も力も遥かに強大な魔王に、かしずきはしても、股間を足蹴にするなどど、あってはならない。それを招いた原因は明確だ。ひとえに、彼の力が著しく弱くなったせいであった。
2000年前。大陸を制した魔法たちは周辺を属国にすべく、辺境の島々に通達をだした。ソイルジーオは、いまでいうユーラシア大陸を納めた大魔王。アフリカ大陸やオーストラリア大陸の支配をみらみながら、配下に命じ、隣接する島々の矮小な神を順調にとりこんでいった。
極東の列島だけは従わなかった。収めているのは卑弥呼という巫女。
「力の差をみせつけてくれる。手籠めにして百夜のひーひー鳴かせてみせようぞ」
部下の制止をきかず、下心満々のソイルジーオは自ら乗り込んだ。しかし彼は忘れていた。ホームの大陸で、数百年もの永き時を、弱い人間だけを相手にしていため、基本的な魔王常識を失念していた。”十全の力が奮えるのは支配する大陸にいてこそ”ということを。
極東に上陸すると、待ち受けた巫女の単純な罠にはまった。あえなく負けたソイルジーオは、百日ひーひーどころか、百分の1のパワーさえ発揮させてもらえず、地中に封印されてしまったのだ。
このほど、2000年の時をこえて掘り起こされたソイルジーオ。復活は果たしたが以前より力が矮小になっていた。暗い土中で養分が吸い取られたか、そう思い込んでいたが違った。たまたま採取された紅い石が、自身の一部地玉だったのだ。それは吸いつくようにはいると、空白を埋めるように脚になじみ、地の力がいくらか甦った。そこで悟った。身体を分割されて封印はされていたのだと。
卑弥呼がなぜ、大魔王を消滅させなかったか。その心意はわからないが、甦ったいまはどうでもいい些末。足りてない身体、玉となった身――身玉――を探して取り戻すことのほうが肝要だ。
得たのが地玉なのは幸いだ。地の力があれば、ほかの身玉のおおまかな方向が、なんとなくわかる。近づけば近づくほど、より正確な位置が明らかになることだろう。
残る身玉は数は知れないが、すべて地中に埋まっている。生命力(本体)と地力がそうであったのだから封印は、安楽にみつける地上のはずがない。おおまかな距離とさぐると、いまいる大地の範囲内。どれがどの身玉かまでは分からないが、海は超えていないのが僥倖だ。
できれば魔玉が望ましい。魔力を体内に溜め自在に転換できる魔玉があれば、持続力は100倍にも達する。悠々と、のこる身玉をみつけだせる。
だが。いまままでは、位置が分かっても掘り起こすことができない。あいてる孔から、たかが鉄管を引き揚げることすら敵わなかったことからも、力足らずがわかるというものだ。
そこで雪水という娘だ。
生意気な小娘は幸運なことに、孔を掘る技術者であった。
こいつを身玉回収の先兵として使役する。大魔法として完全復活した暁には、こんな列島を手中に収めることなぞ、たやすく達成してやろう。
「ユーラシア大陸の周辺の小島を手中に収めたのち、アフリカ、オセアニア、南極。そして南北アメリカを侵攻、世界をわが手のものにするのだ。わっはっは」
ソイルジーオの心の声は漏れていた。
「処置なしだね。みためどおり厨二を発症してる。どこにも行く当てないって現実をみなよ。うちにくれば衣食住を約束するよ」
半眼になってしらーっと見つめる雪水。
ソイルジーオは、苛立たしく感じた。殴られた頭もズキズキして、腹が立ってしかたがない。だが。不思議なことだが、どこかで微笑ましく受け入れてる自分を感じてもいた。
それに、契約を結ぶという提案は、彼にとっても渡りに船であった。バカな娘だ。小細工を弄さず取り込むことができる、と。
「ぐっふっふ」
「気持ちわるい笑いかた」
「思い出し笑いだ。契約といったな」
「うん入社契約。キミ、住民票とかなさそうだけど、なんとかなるよ」
「この世界の理は任せる。そのかわり我の契約にも署名するのだ」
ソイルジーオは手のひらをみせる。そこにA4サイズほどの紙が現れた。土とその辺の植物の魔素を集めた魔法の繊維紙。ペンも出した。魔力に乏しくてもこれくらい造作もなく作り出せる。
「そこらの刃物では傷もつかぬ」
「へーぇ。雰囲気がでてるね」
紙上には、術の雰囲気を醸し出してる細かな字と紋様が描かれており。これが契約術式だった。書かれた言葉は、文字の種類を問わず意味をくみ取られ、絶対的な約定が結ばれる。
ソイルジーオは文をつづった。Oや1やnやUが連続しているへんな記号は、古代ヘブライ語だ。
「なんの落書き?」
雪水にはとうてい文字にはみえなかった。
「知らぬかこれが文字だ。2000年たっても人は愚鈍なのだな」
「うーん。文字は文化っていうけど。この会話はどうなってるの。言葉が違うのに通じてるっておかしくない?」
「我は万能な大魔王。意識の変換など序の口だ」
「序の口……相撲用語か。意味の引用がジジくさ」
言葉が古くなるのは不変の法則。ソイルジーオは、つまらない侮蔑を馬耳東風して、契約の文言を書きこんでいった。
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これはソイルジーオと雪水の契約である
雪水はソイルジーオの夜伽を努めるべし
雪水はソイルジーオ命に逆らわず以下のことに心血を注ぐべし
ひとつ 身玉の採取を第一とすること
ひとつ 敵と相対しとたときは己を省みず戦うこと
ひとつ 毎食カレーパンを提供すること
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3度ほど読み返して、ソイルジーオは、内容に満足した。
「ほれ書き終えたぞ」
「読めないっていってるでしょ。なんて書いてあるの」
「分からぬのか。ふっふっふ。読んでやろう。”仲良く楽しく行動を共にしよう”と書いたのだ。ふっふっふ」
ふっふっふが多い。怪しいことこの上ないが、読めないのでは仕方がない。たかが紙の上のこと。雪水はそれで良しとした。
「真面目に仕事をしてくれるならいいよ」
「あとは血の署名だ。さすれば契約は完了となる」
「ちって血液のこと」
武士がやった血判状というものを思い浮かべた。死を賭した決意の組織図だ。
「ほかにあるか。先に我がやるから隣りに真似をすればいい。刃物はないか」
時間は夕方。あたりの景色は黄ばんできた。
雪水は、リュックからカッターナイフを取り出して渡した。中坊は、それで親指の先を突いて血を垂らし、指を押し付ける。紙についた赤い指紋は夕焼けで朱色めいていた。魔法でも血の色は赤なのはいいが、血まで垂らすのは闇儀式めいていた。
さっきから下卑た笑いが気にかかる。直感で貞操の危機を察した。
「それさ、私が書き足してもかまわない?」
「書き足す? かまわぬぞ。文字を知らぬ愚民が何を書くか見ものだ。ふっふっふ」
雪水はペンを借りて、すらすらと書き始めた。
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これはソイルジーオと雪水の契約である
雪水はソイルジーオの夜伽を努めるべし
雪水はソイルジーオ命に逆らわず以下のことに心血を注ぐべし
ひとつ 身玉の採取を第一とすること
ひとつ 敵と相対しとたときは己を省みず戦うこと
ひとつ 毎食カレーパンを提供すること
上記のことはすべて却下してここからが本当のことです
ソイルジーオは雪水の言うことを守って、仕事優先に楽しく手伝ってください
雪水もソイルジーオを手伝うかもしれませんが会社の仕事が一番です
あと友達として仲良くしてください。いっしょに盛り上げましょう。
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「読めぬな。参考までに聞くが、なんと書いた落書きなのだ」
「同じだよ。”仲良く楽しく行動を共にしよう”って書いたの」
「そうか、ふっふっふ」
「ふっふっふ」
雪水もカッターナイフで親指を突き血の指紋をつけた。ソイルジーオが契約の紙に指をあてて呪文を唱えた。
「ではいくぞ。魔法契約」
みつめていると、書いた文字が紙から浮き上がった。始めにソイルジーオが書いた文が紅く輝きながら円を描いた。その後を雪水が書いた文の一部が追いかける。
追い付いた文字は円の軌道を横断して動きを阻害した。それを縦横に何度も繰りかえし、ソイルジーオの文は完全に分断された。文字そのものもスライスしてバラバラに破壊しつくすと、破壊した文も消滅した。雪水が書いた後ろの数行だけが残った。
「なっ?!」
「なんかかっこいい!」
それぞれが別の意味で驚いてるうちに、文字は繋がり拳サイズの球体になる。淡くぼやけた光にもかかわらず、凛とした威厳を放ちながら球体は拡大、雪水とソイルジーオを包み込んだ。
光は数秒後に消えた。雪水は顔を撫でてみた。なにかの変化を感じようとしたが、指も、トラックも、積んだマシンや資材も結局なにひとつ変わらない。契約の紙も無いので、はじめからなにもない白昼夢か、だったかと、車の絶えない道路をみやった。
「帰ろうか。キミのことを母さんと話さないと」
1日延びたラスボスとの対面がまってる。憂うつになりながらトラックのドアをひいtれ乗り込んだ。
「さ、キミも乗って」
ソイルジーオをふり返ると、佇んだまま動かない。
「どうしたの」
聞い雪水にの耳に、信じられない言葉が帰ってきた。
「我はこれから雪水を手伝う。一生懸命に頑張って会社を盛り立てるのだ」
魔法契約は成ったのだ。




