大逆転関ケ原 ~俺がお前でお前が俺で~
慶長五年九月十五日(西暦1600年10月21日)の夜明け。関ケ原。
石田治部少輔三成は、白い霧におおわれた平原を見下ろす。
──ぐだぐだに、なってきたな。
三成は関ケ原にほど近い、滋賀の佐和山城主だ。
こたびの天下分け目の大戦では毛利輝元率いる西軍大名のひとりである。
つい先日まで大垣城にいて、徳川家康率いる東軍と相対していた。
それがなぜ、こんな場所で朝露に濡れているのか。
──市松の、クソたわけ。あっという間に岐阜城を落としてしもうた。
市松とは、福島正則だ。尾張の清須城主である。
三成は、共に暮らしたこともある幼なじみを、心の中で罵る。
大垣城と南宮山の西軍主力は、本来は岐阜城を囲む東軍を背後から強襲し、後詰決戦を強要する部隊だった。
ところが百戦錬磨の正則ら東軍将士は、経験不足な岐阜中納言が守る岐阜城を、あれよあれよという間に占領してしまった。
こうなれば、出撃拠点でしかない大垣城に籠もっていても意味はない。
西軍の作戦を差配する大谷刑部少輔吉継は、戦線を後退させることを進言し、諸将はこれを受け入れた。
受け入れたのは、吉継が大垣城に来る前に関ケ原で野戦築城を行い、陣城を作り上げていたからだ。
西軍の陣立て確認のため、馬で走り回っていた吉継が石田軍本陣に駆け上がってきた。
太閤印の入った瓢箪を渡す。中は水だ。
吉継は喉を鳴らして飲み干した。
「状況はどうだ」
「夜間行軍の割には、悪くない。中山道も北国街道も、きっちり塞いでいる」
「それもこれも、紀之介。おぬしが道を篝火で照らしてくれたおかげだ」
「後ろ堅固な関ケ原であれば、勢いにのる東軍も攻めあぐねよう」
「時間を稼ぎ、朝廷に働きかけて和議へと持ち込む腹積もりか」
強気な吉継を、三成は友として危うく思う。
「紀之介の目論見どおりに、いけばよいが」
「大丈夫だ、佐吉。我が策はまだ崩れておらん」
「いやでも、おまえ。北陸戦線では失敗したろう」
「前田家を南進させずにいられたのだ。七割成功といっていい」
それはどうだろう、と三成はあやしむ。
吉継は、長く病に伏せていた。今も快癒には程遠い。頭の回転は変わらず早いが、体がついていかない。考えている途中で、へばってしまう。
北陸戦線が停滞中なのは、吉継の策があたったというより、前田家中をまとめきれぬ利長にとって、南進せぬ方が都合がいいからだといえる。
「あとは関ケ原で東軍を食い止めれば、我が策は完成する」
「三分の計か」
「ああ。東の内府は高齢。西の安芸中納言は粗忽者。我ら奉行が、お拾様を輔弼して天下を安定させれば、世は自ずと定まる」
「わたしは、佐和山で隠居したいんだがなぁ」
「佐吉は、我ら文治派の看板だ。ひとりで楽になろうなんて、許さんぞ」
戦国末期。軍が肥大化するに従い、物流を管理する事務方の重要性が増した。兵糧や玉薬を、どこに・どれだけ・どのように運ぶかで、軍の移動速度や戦闘方法が変わった。朝鮮出兵は異国での戦いゆえ、事務方の比重は特に大きくなった。
事務方の旗印たる三成は、事あるごとに前線の将とぶつかり、恨みを買った。
太閤秀吉死後、武断派に突き上げられる形で三成は責任を取らされ、佐和山に謹慎処分となった。
謹慎といっても、佐和山は戦略的要地だ。
佐和山に戻った三成は可能な限りの兵を整え、道を整備し、物資を蓄えた。いざ天下騒乱となれば、いつでも軍を動かせるようにである。
三成が追放された後も、秀吉死後の権力闘争は過熱する一方だった。
秀頼の岳父たる家康は、五大老筆頭である。豊臣政権の与党首班の地位にあったが、それゆえに、他の大老をどうするかで頭を悩ませていた。
五大老のうち、前田家を屈服させ、毛利家と宇喜多家を恭順させたまではよかったが、上杉家との対立が深まり、ついには会津征伐となる。
「紀之介よ。そなたが佐和山にきた時は、驚いたぞ」
「そこもとも、準備はできていたようではないか」
「誰かが、戦を起こすだろうとは思っていたからな」
大坂に残っていた前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行が『内府ちがひの条々』をだして家康の非をならし、毛利輝元を担ぎ上げた。武断派がそろって大坂城を出たことで、文治派が息を吹き返したのだ。
佐和山で謹慎していた三成にとって、一連の騒動は当然の流れであった。
「そも、武断派連中がわたしに向けた怒りが、正直、どうかしてたからな。わたしを殺してどうにかなるのか? 違うだろう。わたしが謹慎していなくなれば怒りは収まるのか? これも違うだろう。なら、わたしが謹慎した後で、怒りの矛先は別の誰かにむく」
「こたびの企て。安芸中納言が乗り気になってくれて、助かった。毛利一族は、そろって西軍だ」
「……金吾殿もか?」
金吾とは小早川秀秋のことだ。元は秀吉の養子であり、後継者として育てられたが、秀頼の誕生の後に小早川隆景の養子となった。
「もちろんだ。この戦の後、金吾殿は毛利家と豊臣家をつなぐ存在として重きをなす。秀頼様が成長されるまでの、つなぎの関白もやっていただかなくてはならん」
「ふむ……いや、金吾殿が納得しておられるなら、それでよい」
秀秋は十八才。
慶長の役で、三成は何度も秀秋と会っている。
年齢と血筋ゆえ、朝鮮では釜山の現地司令部で取次を任せられていた。
受け取った書状に花押を入れるだけのお飾りと誰もが思っていたが、蔚山城からの書状を読んだ秀秋の手が止まった。そして書状を突き返し、蔚山城周辺を再調査するよう命じたのだ。
はたして蔚山城には明・朝鮮の連合軍が迫っていた。報告を聞いた秀秋は、三成を呼んで、対策を命じた。
三成はすぐさま、蔚山城に向かう街道沿いに兵糧の手配を命じ、これによって救援が間に合うことになる。
三成は、戦いの後で秀秋に聞いた。なぜ蔚山城周辺を再調査するように命じたのかと。
秀秋の答えは明瞭だった。
──何も、なかったから。
朝鮮半島の冬は厳しい。兵を動かすのは困難だ。
逆にいえば、守備側の兵力をきちんと見積もれば、攻撃側は圧倒する兵力で攻め込むことができる。数で圧倒して敵を揉み潰した後、冬場ゆえ確保できないなら焼き払って撤退すればよい。
──どこが狙われるだろう、とボクは考えた。
釜山周辺の外郭陣地のどれもが、可能性はあった。
倭城がどれだけ堅牢でも、守備側を圧倒する数を用意してぶつければ、守備力を飽和させて、潰せる。
──攻撃を成功させるため、事前に警戒させない。
蔚山城は、他の倭城と違い、いやがらせの攻撃を受けていなかった。守備兵は油断しきっていた。攻撃によって銃砲の音が響いても、しばらくの間は「どこかで狩りでもしてるのか」と考えたほどだ。
同じことは、心理的な奇襲を成功させた明・朝鮮の連合軍にもいえた。三成による舟艇を利用した兵糧輸送を組み合わせ、救援軍は連合軍にとって予想外の速度で蔚山城に迫り、解囲を成功させた。
三成は、この話を吉継にした。
吉継が感心して唸り声をあげる。
「さすがは、北政所の甥っ子だな」
「ああ。戦の勘所というものをよく理解しておられる」
「その金吾殿が松尾山に陣をとっておられるのは心強い。このところ、流れが悪いからな。ここはひとつ、賭けにでるか」
「何をする気だ、紀之介」
「なぁに、たいしたことではない。東軍がやってきたら、ちょっと陣から前に出て、鉄砲を射かけて挑発してやるのよ」
「まあ、そのくらいならいいか」
三成はそういって、吉継を送り出した。
東軍が畿内への突破を諦めるまで、ここで睨み合うことになる。
畿内からの兵糧輸送は、佐和山領主である三成の仕事だ。
事務方の旗印として、失態は許されない。
三成が忙しく手配していると、東から鉄砲の音が聞こえた。
──おお、やってるな。紀之介。
三成は微笑んで作業を続けた。
松尾山では、金吾中納言が鉄砲の音を聞いて目をあけた。
かたわらに、小姓が控えている。
「お目覚めですか、殿」
「うん。今の鉄砲は?」
「刑部少輔殿の軍です。鉄砲隊を前進させ、東軍に威嚇射撃を行ったようで」
「そうか」
青年は、とことこと歩いて厠へ向かい、小便をすませた。
戻ってきて手を洗い、口をゆすぐ。
小姓をつれ、側近たちに会う。
「出陣だ。全軍、山をおりよ」
「は?」
「刑部少輔殿は、今、我が軍に背を向けている。背後からこれに攻めかかる」
「お待ちください、殿! 刑部少輔殿はお味方にございます!」
「うん。でも今は敵だ」
「殿は東軍にお味方を? いや、ですが、いつ内府殿と連絡を?」
「そんなものはない。でも、ボクがここで裏切れば、戦は今日で終わるよ」
背後から一万の軍勢に攻められた吉継の軍はたちまち敗走する。
その様子をみた東軍諸将は、すわ開戦かと、一斉に西軍に攻めかかった。
驚いたのは西軍である。数日は小競り合いしつつ、にらみ合いを続けるつもりであったのが、いきなりの開戦だ。心の準備が整わない。しかも、松尾山のお味方が裏切ったという流言飛語まで飛び交う始末だ。
──やってくれたな、金吾殿。
三成だけは、何が起きたか理解していた。
三成が見抜いたように、秀秋は戦の勘所をよく理解していた。
三成の視界の端で、丸に十字の旗が動きだした。島津軍だ。一応は東に向かっているが、この後はたぶん迷走しながら戦場を右往左往することになろう。
迷走しているのは、島津だけではない。東軍の領袖たる内府もまた、突然の喧騒に驚いて右往左往しているはずだ。しかし、老獪な内府のこと。すぐに事態を把握するだろう。
──天下分け目の戦いが、今日の一日で終わるか。
天下は内府のものとなる。だが、それは今の間だけ。
関ケ原の功一等は、金吾だ。
あるいは内府の死後に、金吾が関ケ原の武功を元に天下を平定することになるかもしれない。
──かなうなら、金吾殿の出世をみてみたいものだ。
三成は薄く笑う。
──それも、今日の一日を生き残ることができてからだな。
関ケ原の戦いは、いよいよ激しさを増している。