第1話 鏡の国へレッツゴー
──美容院で髪を切ってもらったら、突然、目の前には見たこともない市場が広がっていた。
先程の縞馬が遠くの山に向かって羽ばたいていく様子を、限りなく小さくなるまで五分位ぼーっとして眺めてしまう。
少しずつ気持ちが落ち着いてきた。市場の人たちの話している言葉が分かるから、もしかしたらここは日本なのかもしれない。縞馬はおそらく3Dマッピングでしょ。
それにしても服装がおかしい。ここは仮装パーティの会場なの? それともテレビのモニタリングの番組に知らない間に巻き込まれてしまったのかな。
もしかしたら夢? 手の甲を軽くつねると、やっぱり痛い。現実だよね。
──ど、ど、どういうこと? この世界は一体なんなのよおおおおおおおおー。
不安が波のようにドドドッと胸に押し寄せてくる。気持ちが悪くなり、思わずその場に蹲り体育座りをしてしまう。
流れるように大通りを歩く人達の髪は緑、赤、青、紫と、実にカラフルでこの町はお洒落な人が多い。染めているのか、地毛なのかは分からないけど。逆に黒髪は私だけなので嫌でも目立ってしまう。
魚屋はブリを店頭にせっせと並べていたし、八百屋の店頭に置かれた野菜や果物もスーパーでよく目にするものばかりだった。
「お嬢ちゃん、外国から来た人かい? お土産にメロン買ってかない?」
真後ろにいた果物屋のおばさんが微笑みながら話しかけてきた。そして私の手に強引に果物を持たせる。
「えっ。」
──こんなことしてる場合じゃないんだけど、肩掛けの鞄から小さながま口の財布を探してしまう私。流されやすいところがたまに嫌になるんだけど性格なのか手が勝手に動いてしまい止められない。
このお金使えるのかな? 小首を傾げながら試しに五百円玉硬貨を手に取った。
「こ、これ……使えますか?」
「──え? 見たことない硬貨だね」
おばちゃんは硬貨をじっと見ると訝しい顔になる。眉間にシワがシッカリと入るのを私は見逃さなかった。商売にならない客は邪魔だと言っているような気もする。
「そ、そうですか……」
「向こうに両替所があるからそこに行ってきたら? その隣に大きな鐘の掛かった教会があるからそこを目印にしたらいい」
頭を下げて、この場を離れた。この先どうしようか。テレビのADが来て
「はーい、ドッキリでしたー!」
と、言ってくれたとしたらどんなに楽だろう。これは神隠しにでもあっているんだろうか。今頃、日本では大騒ぎになっているのかもしれないのだ。
──愛知県名古屋市に住む木崎ツグミさん12才が行方不明になっています。特徴は丸顔でショートボブ、スタイルは細身で胸は小ぶりです。趣味はスイカの種を遠くまで飛ばすことらしいです。お気づきの方は最寄りの警察署までご連絡ください。などと、全国放送されていたら嫌すぎる。
──駄目だっ、おかしな妄想が止まらなくなってくる。
明らかに、この場所はおかしい。早く元の世界に帰りたい……。でも誰かが助けてくれるような気配感じられない。
映画館で異世界物を見たことあるけど、これはもしかしたら異世界? でもあれは中世ヨーロッパ的な感じだったし。ここはどちらかというと日本に似てる。
取り敢えず教えてくれた道を肩を落としながらトボトボと歩いていく。足取りは重いけど、ふと視線を落とした先に見える色とりどりのパンジーが咲いていて綺麗だった。少しだけ元気を取り戻して歩き始める。
それにしても、すれ違う人が多くて歩きにくい。大通りを一本外れ、路地裏に入ると心なしか少し暗い。この通りは人がいないなと思ってたら、
──遠くの方に一際目立つ真っ赤なミニスカートの少女を発見した。ミニスカート? ここの女性は皆透けた服だったので違和感を感じた。もしかして日本人なのかな? 小走りで追い付いて声をかけてみた。
「すみません。日本人の方です? あと教会はこちらであってますか?」
鮮やかなピンク色の髪。花柄のシュシュで纏めたポニーテールの少女が、振り返り一瞬ハッとした表情を浮かべた。
「えっ」
脚が悪いのか、少しバランスを崩す。その子は丸顔で頬がうっすらと紅く染まって可愛いらしい。
「この先をもう少し歩くと大通りで、そこまで行けば教会は見えてきますよ」
日本人はスルーされたけど、はにかむような表情で答えてくれる。瞬きが多いなこの子。年は少し下かな。
「ありがとうございます。あっ、可愛らしい巾着ですね」
「これはパパの誕生日のプレゼントが入ってるんです」
照れ臭そうに俯く。
「三ヶ月ぐらいかけてコツコツ作ったターバンなんです」
「見てもいい?」
「恥ずかしいから……ちょっと」
年下相手だと、どうしてこう自信ありげに話せるのか自分でも不思議に思う。
「でもっ……お姉さんならいいかも」
お姉さんの響きがとても心地よかった。私は一人っ子なので妹が欲しいって子供の頃何度思ったことだろう。友達が妹をパシりに使うとこに特に憧れていた。
少女はもじもじしながら上目遣いになり、子猫のように私の目を不安げに見つめ、巾着袋を渡してくれた。
袋を開けるとなんとクリーム色のターバンが入っていた。それは細やかな刺繍が施されている。父親のために毎日少しずつ縫って作ったことが想像できるほどだった。
「綺麗! かなり丁寧に作ってあるわね」
「はい……」
少女はもじもじしている。その表情に可愛いなって思っていたら、いきなり、後ろから緑色の筋肉質の人が私の持つターバンを引っ張った。私も取られまいとしたけど、破れそうだったので力を抜く。
そしてついには押し問答の末、強引に奪われてしまった。
そいつは大急ぎでこの先の教会の方へと逃げていった。破れた黄色の三角帽子を被り、黄土色の布切れを腰に巻いていた。こいつは人間じゃない。
少女は今にも泣きだしそうな顔で私の方をまじまじと見つめてくる。
「あんたのせいよ! どうしてくれるの!」
酷く怒っている! 先程までのおしとやかなキャラはどこにいったのか。私は慌てふためいた。
「ごめん。どうしよう……」
「取り返してよ。」
「今のって魔物?」
「そんなのどうだっていいから、早く取り返してきてよ!」
少女の怒号が響き渡る。
でも魔物は右手に棍棒を持っていたし、追ったところで私は殺される可能性もある。 追いかけても取り返せない。下手したらやられる。でもこの子も本気で怒っている。
──しょうがない。逃げよう! 追っかけた振りをして逃げるしかない。
「待ってて、追いかけてみる……」
魔物を追いかけて走り出す。途中で見失ったと言えばいいんだ。でもあの子は足が悪いし、ターバンも元はといえば私がしっかり持っていなかったというのもあるのかもしれない。
──だけどお姉さんとか私の事言ってたし……。
狭い路地を抜けるとすぐ右脇に教会が見えてきた。広場には群衆が集まっている。礼拝するために待っている人たちなのかもしれない。
あーもーしょうがない。誰か助けてくれるかな? もしかしたら男性が助けてくれるかしれない。
「ひっ、ひったくりいいいいいいいいいいー!」
こんな言い慣れない言葉を発したのが良くなかった。声がひっくり返ったのだ。本当に恥ずかし過ぎて顔が真っ赤になっていることだろう。
「うわぁー! ゴブリンだ。」
「早く教会に入った方がいい!」
「キャー!」
突如現れたゴブリンを見て皆大騒ぎとなっている。
こんなにも穏やかな昼下がりなのに、モンスターが出没してみんなが大混乱になっているのだ。オロオロする人はいいとしても、私は関係ないと教会の中にスッと身を隠すズルい人達も中にはいて、誰一人私を助けてくれる人はいない。ここにいる人達は恐ろしい棍棒を持った魔物とは絶対に関わりたくないのだ。
「グワっ」
ゴブリンは追っ手が私一人だと気づくと立ち止まり、奇声をあげる。血走った大きな目で私を睨み付けてきた。
勢いで追いかけては来たけど、大変なことになってしまった。脚はガクガクするし、震えが止まらない。やめとけば良かった。何で私はこんなことしているんだろう。
私は丸腰で誰も頼りになりそうな人も見当たらない。絶体絶命の大ピンチなのだ。
──ど、ど、ど、どうしよう……。
ゴブリンは手に持った棍棒を振り上げて私に突進してきた。ぶっ叩かれるかと思ったその瞬間、
「 ──ゴフリンっ! 私の名前はメグミンっ。悪は絶対に許さない!!」
上空を見上げると、広場に甲高い声が響いた
── 神様……。
私はヒーローが現れたと思い、声のする方向を見る。
すると、真っ白いローブを身に纏った少女が教会の二階、大きなピンクの鐘に手をつき堂々と足を開いて立っていた。
──この子で大丈夫なの?
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