07
翌朝、まだ薄暗いうちにオリビアは家を出て、屋敷へ向かった。
家から屋敷の使用人の入り口へ行く間に、白や黄色のさまざまなベリー種の花がそこかしこに咲いているのを見つけた。
夏には色とりどりのベリーが実をつけるに違いない。
オリビアは、夫であるクライバンと、いずれ授かるであろう二人の子供が先を争ってベリーを採る姿を思い浮かべた。
沢山のベリーで、オリビアは愛する夫や子供達のためにベリージャムや、パイを作ってやるのだ。
屋敷の調理場へ行くと、すでにかまどに火が入っており、二人の獣人族の女の子が忙しく動き回っていた。
ひとりはオレンジ色の尖った耳と尻尾、もうひとりは同じようにオレンジ色の尖った耳と尻尾で、先だけ白くなっている。
オレンジ色の耳の女の子がオリビアに気がついた。
「もしかして、『鴨肉のロースト』のオリビアさん?」
どうやら、この二人は昨日休暇をとっていたという料理人のようだ。
「勝手に厨房を使ってごめんなさい。」
オリビアは頭を下げた。
厨房といえば、料理人の聖域だ。
亡くなった母も、自ら采配をふるい厨房に出入りしていたものの、料理人に対する礼は欠かさなかった。
「いいえ、あなたがすぐに処理してくれたおかげでせっかくの鴨をだめにせずに済んだわ。私達も残りを少しいただいたけど、お洒落な味だったわね。私はエミリ。」
オレンジの耳の女の子が言った。
「あたしはユミルだよ。」
と、耳と尻尾の先が白い方の女の子。
「聖都のお屋敷では毎日あんなお料理が出るの?」
「城代さまは聖都の方だから、お喜びになったでしょ。どんなふうにやるのか、後で教えて下さいね。」
若い二人の料理人は、自分達にない技術を持つオリビアに嫉妬するふうでもなく、口々にそう言うので、オリビアの方が落ち着かなくなってしまうほどだ。
「オリビアです。以後、よろしくお願いします。」
オリビアは改めて挨拶をした。
「あの、洗顔用のお湯を少しいただきたくて。その後、クライバン様にもお湯をお持ちしようかと。」
部屋にお湯を持って行けば、会えるかも知れない。
オリビアは少しだけ期待してそう言った。
エミリは顎で厨房のすみの火にかけたままの大鍋を指した。
「お湯なら、そこのお鍋にあるからお好きなだけどうぞ。使ったら水を足しておいてね。」
「ありがとう。」
オリビアは鍋の横に置いてあるひしゃくを手に取り、手桶にお湯を注いだ。
「それから、お館さまはしばらく工房に籠るからって城代さまから伺ってるの。工房は私達使用人は近づけないから、お湯を持っていく必要はないと思うわ。」
思いがけないエミリの言葉に、オリビアはまたもや落胆してしまう。
「でも、お食事は? お食事はお持ちしなくてはいけないでしょう?」
「お館さまは仕事中はいつも身の回りの事はご自分でなさるのよ。手がかからないの。」
ユミルも笑いながら言う。
「そう……。」
オリビアは肩を落としたが、あっ、と思いついて顔を上げた。
「では、寝室のおまるを……。」
「おまるぅ!?」
エミリとユミルは目を丸くした。
聖都の貴族の屋敷では、寝室におまるが置いてあり、夜にわざわざ用を足しに部屋を出る必要がないようにされているが、こちらの屋敷ではそう言った習慣はないようだ。
「い、いえ、何でもありません……。」
オリビアは頬を染めた。
「城代さまも、今朝がたちょっとお顔を出したきり、用事があるからと屋敷をお出になられたわ。」
エミリは仕事の手を止めずに言った。
「今までは、城代さまが不在の時はリンドおばさんがいてくれたから、万事うまくまわっていたんだけど。」
ユミルも不安そうに言う。
料理の腕は確かだが、来たばかりの若いオリビアに、先日辞めた女中頭のかわりが務まるものだろうかと内心思っているようだ。
しかし、それを聞いたオリビアは元気を取り戻した。
工房に籠ったクライバンと、外出したアンドルーは、私に屋敷の留守を任せてくれたのに違いない。
正式にこの家の者だと認めてくれたのだ。
きれいに手入れされている屋敷ではあるが、ところどころに埃が積もっていたり、磨かれずにそのままになっている食器があることに、オリビアは昨日から気がついていた。
もちろん、使用人達が油を売っているわけではない。
しかし、きちんと目を配るものがいないと、細かいところはどうしてもおざなりになってしまうものだ。
立派に家を守ってクライバン卿に安心していただこう。
クライバン卿に一向に会えないのは寂しいが、忙しい旦那様の手を煩わすような我儘な妻であってはならない。
もう少しの辛抱だ。
「その、リンドさんとやらには及びませんけど、精一杯努めますわ。」
オリビアはそう言うと、厨房でもらったお湯で身なりをきちんと整え、仕事に取りかかった。
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他にも不器用なおっさんと女の子の完結済みのお話を書いていますので、お時間がありましたらそちらもお楽しみいただけたら幸いです。