06
やはり、何かの間違いだ。
あんなにきれいで素敵な人が、俺と結婚しようなどと思うはずがない。
闇の中、ひとり佇むクライバンは、やっとのことでそれを悟ることができた。
あの人が夫にしたいのは、『勇者の勲』の『鍛冶屋のマルカム』なのだろう。
物語に出てくる『鍛冶屋のマルカム』は、クライバンであって、クライバンではない。
絵物語に描かれた彼の傷は、額にひとすじの跡があるのみだし、芝居でもアンドルーのような長身で美形の役者が演じているのだもの。
クライバン男爵となってほどなくして、世話好きの連中が何度か縁談を持ちかけたこともある。
魔王に撃たれた傷に怯え、英雄を袖にするとは不届至極。皆、最初はそんなふうに彼の元を去った恋人を責めながら、我こそはと乗り気でやって来てくれた。
しかし、クライバンの顔の恐ろしい傷、今しがた受けたばかりのようにおぞましくえぐれた傷を見て、あるものは泣き出し、あるものは気絶し、それでも名声に釣られ無理やり親に強いられた娘は尼寺に身を隠してしまった。
オリビアが自分の姿を見て、あの美しい顔を恐怖で歪めるところを想像するだけで、足元がぐらぐらして立っていることすらままならない。
「……アンドルー、いるんだろ?」
クライバンの声にアンドルーは闇の中から姿を現した。
「なるべく早く、お引き取り願ってくれ。どういう誤解があったのかは知らないが、きっとわかってくれるだろう。失礼のないように。」
「良いのか?」
先程の舞い上がりようとは打って変わったクライバンの言葉に、城代としてではなく、友としてアンドルーは尋ねる。
「何だよ急に。さっきまで散々、あの人は俺の花嫁ではないと連呼していたのはお前じゃないか。」
「まあ、そうだが……。」
「わかっているさ、俺が傷つくのを心配してくれていたんだろう? お前の言うとおり、すぐに誤解を解くべきだったのに、ほんの少し期待をしてしまったんだ。もしかしたら、本当にあの人は全て承知の上で来てくれたのかなって。」
「本当にあんたが望むなら、先方へ行ってきちんと話をつけてくるよ。噂によれば……」
面倒は避けたいという思いと、友人の恋を成就させたいという思いを天秤にかけつつ、アンドルーは続ける。
「噂によれば、アリントン公爵家の長女は後添えと上手くいっていないらしい。あの者がその長女だとすれば、あの様子から察するに、自らここへ来ることを望んだのではないかな。」
言われてみれば、オリビアは公爵家から花嫁としてやって来たにしては、着の身着のままで家出同然だった。
「そうか。きっと、家を出たい一心で俺のところへ来たんだな。かわいそうに。」
保護者に恵まれない貴族の娘ほど哀れなものはない。公爵令嬢でありながら、年の離れた平民あがりの男爵へ輿入れを決めるくらいだ。生家ではよほど居心地の悪い思いをしていたのだろう。
嫁ぎ先で気に入られようと使用人にまで気を遣い働くオリビアがいじらしくもあり、また不憫でもあった。
「それなら、あの人が望むならばいくらでも好きなだけいてもらえばいい。あの人が結婚を望むなら、ここからどこか好きなところに輿入れすれば良いよ。お前は顔が広いから、適当なところを探してやりなさい。俺はしばらく工房に寝泊まりするから、気兼ねせず楽にしてくれるように言うておいてくれ。」
クライバンはそれだけ言うと闇の中へ消えた。
縁もゆかりもない娘を保護して輿入れの面倒まで見てやろうとは、とんだお人好しだ。
惚れっぽいお館さまがようやく正気を取り戻したというのに、アンドルーの憂鬱は晴れなかった。
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