03
オリビアは城代アンドルーから使用人が使う裏口から屋敷へ通され、調理場に近い部屋で待つよう申し渡された。
「実は先日女中頭が辞めたばかりで行き届かぬところが多々あるのだ。人を頼んで屋敷に留まり働いてくれる者を探しているのだが。」
「かしこまりました。私もできる限りの事をいたします。」
アンドルーが思わせぶりに言ってみるものの、オリビアは自分の事を言われているとは夢にも思わない。
クライバン邸は、生家である公爵家と比べるとずいぶんと小さな屋敷で、飾り気もない。
しかし、木材をたくさん使ったこの屋敷は、石造りの屋敷と違って暖かみを感じる。
オリビアの通された部屋は使用人の控室のようだが、屋敷の奥側にも関わらず、風通しもよく、陽の光も入ってきて、居心地良くしつらえてある。
こんな控室を用意してもらえる使用人達は幸せだ、とオリビアは思った。
今の夫人が後妻として入ってからは、オリビアの生家である公爵家も変わってしまった。目に見えるところばかりにお金をかけて、使用人の福利厚生などお構いなし。昔からいてくれた有能な使用人は次々と辞めてしまい、かろうじて残った使用人は、自分達も同じように表面だけ取り繕う怠け者だけだ。
仕方なく屋敷内で一番時間を持て余していた自分が家事を取り仕切る事となった。
とは言え、オリビアのことは使用人もバカにしているから、言うことを聞いてくれる者などいるはずもなく、何もかもを一人でこなすしかなかった。
「レディ・オリビア、公爵さまのおまるを片付けて下さいませ。」
「レディ・オリビア、なぜ洗い物をなさらないのですか。」
生家の使用人は、こんなふうに呼称ばかりは慇懃にして、オリビアを笑い者にしていた。
この屋敷の使用人達とは上手くやっていけるだろうか。
もっとも、夫となるクライバン卿のおまるは率先して片付けるつもりではあるものの、クライバン卿の目前でどちらが主人なのかわからないような口ぶりで使用人達に使われる姿を想像するのは辛かった。
ふと気がついてみると、何やら調理場の方が騒がしい。
覗いてみると、使用人達が数羽の立派なマガモを前に途方に暮れている。
「どうかなさいましたか?」
オリビアが声をかけると、女中のひとりが振り返った。
アンドルーに伴われて控え室に通されたオリビアを、新しく来た女中頭だろう、とその女中は考えた。
「狩人がお館さまへ献上してきたのですが、今日は料理人が暇を取っているものだから、どうしたものやら。」
「私がやり方を存じておりますわ。」
鳥を捌くのは公爵家でもよくやっていたオリビアは、そう言って腕まくりをすると、血抜きをして羽をむしり始めた。
「何とまあ手際のよろしいこと。」
女中達が口々に褒める。
公爵家では女中ですら気持ちが悪いと言ってすべてオリビアに押しつけていたが、ここの女中達はオリビアの作業を見ながら一緒に手伝ってくれた。
それどころか、
「オリビアさん、ちょっとここを見てくれますか?」
「オリビアさん、他にやっておく事はありますか?」
と、頼ってくれるのがオリビアにはとても嬉しかった。
使用人達がこんなふうに自分を慕い頼ってくれるのは、あらかじめ城代から当主の妻となる者だと聞かされているからだろうか。
それならば、改めて自分から告げる必要もない、オリビアはそう考えた。
母の前アリントン公爵夫人も、使用人達に頼られながら屋敷を切り盛りしていたっけ。
台所も母が采配をふるい、家族の口に入る物を厳選していたものだ。
休暇をとっている料理人が嫌がらなければ、オリビアも夫となるクライバン卿の食事をこの手で用意したいものだと思った。
使用人達は使用人達で、聖都の公爵家から引き抜かれてきた女中なんて、どんな高慢ちきな女がやって来るのだろうと思っていたから、都会育ちをひけらかさないで自ら率先して良く働く礼儀正しい若いオリビアを好ましく思った。
オリビアを囲んで和気藹々と仕事をしている調理場を二人の男が覗いていた。
「テキパキ働いているぞ。切り盛り上手な奥さんになりそうだ。」
感心しながら頷くクライバンに
「あの者は女中なのですから、テキパキ働いてもらわねば困ります。」
アンドルーは素っ気なく答えるが、
「けれど、確かに良く働く娘でございますね。」
前からいる使用人達を立てながら、あれこれ動き回っているオリビアにはアンドルーも感心せざるを得ない。
ただの女中頭ならばどんなにか良かったかとつくづく考えた。
「それに、お前の言う通りだ。」
クライバンはぽつりと呟いた。
「何がでございますか?」
「いや。」
クライバンは、くるくると動き回る若く可愛らしいオリビアにすっかり心を奪われてしまったようだ。
オリビアが調理場を出ようとしたので、クライバンは慌ててその場を立ち去り、自室へ戻ると、ホッと息をついた。
「御目通りなさらないので?」
後を追ってきたアンドルーが尋ねた。
「お、お前だって知っているだろう。お、俺は女の人を見ると緊張して話せないのだ。目を合わせられずに早口でブツブツブツブツっとなってしまい、女性から『はあ? 何? わかんないんだけど?』などと言われたら、部屋にふた月は籠らねばならなくなる。」
「今もけっこう早口ですよ。」
「女性と話すことを考えただけでそうなるんだ。実物を前にしたら余計に酷くなる。
それに。」
(俺の顔を見たら怖がって震え上がるかも知れぬ。)
勇者の勲は沢山の人々に語り継がれ、絵物語にもなっているが、『鍛冶屋のマルカム』ことクライバンの姿は、実物よりもずいぶん穏やかに描かれている。
「と、とにかく、今は頼まれている仕事があるからそっちに集中せねばならない。花嫁には、今後ともよろしくお願いしますと、言うておいてくれ。」
クライバンはそう言うと、逃げるように工房へ戻って行った。
「だから、嫁じゃないってば。」
ひとり残されたアンドルーは呟いた。
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