恋愛女王が恋愛乞食に敗北を喫することもある
あの人は逝ってしまった。
葬式を無事に終え、今、あたしは1人で葬祭会館の控室に座り、あの人とのことを思い出している。ぬるいビールを飲みながら。
楽しかったことばかりが思い浮かぶ。
辛いことも多かった筈なんやけど……。
あんた、ありがとな。
和之も核良も感謝しとったで。
あたしの頭の中、あんたの笑顔でいっぱいにしたるな。
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あの日、あの人から秘密を打ち明けられて、あたしはどうツッコんだらええかわからずにいた。
「僕は実は、1975年からやって来た、タイムトリッパーなんだ」
「ええと……」あたしは手に持ったハリセンを持て余し、モゴモゴ言った。「確かに……まあ……あんた……ダサいもんな」
「失礼な! 僕のこのマッシュルームカットのどこがダサいと言うんだい!?」
「いや、そこだけやない……。全体的に」
「はっはっはっは」とあの人は笑った。
ただ、笑って、その後なんやら遠い目をして黙った。
結局、あの話がほんまやったんかボケやったんか、今でもはっきりしとらん。
あの人はふざけたことをよく言うし、ドッキリ仕掛けたまま明かしもせんし……。でもそれはあり得へんことやけど、あの人を形容するのにピッタリ来る話ではあった。
確かにあの人は不思議な人やった。
過去から来たタイムトリッパーどころか宇宙人やと打ち明けられても半信半疑になっとったと思う。
情報社会で育ち、何でもわかっとるつもりになってる今の人間とはずれていて、何でもかんでもわからないけどやってやれ、みたいなところがあった。
まるであの人だけまだ高度成長時代を生きているみたいな。
大学を卒業する年、あたし達のバンド『わっふぅ』は自主製作でファーストアルバムを作った。
あたし達メンバー5人は居酒屋に集まった。リーダーが犬やから、ペット同伴可の店にした。
「かんぱーい!」
あの人の音頭で乾杯した。
マミちゃんは土肥くんにひっついて座り、土肥くんは嫌そうな顔をしながらもそのまま座っとった。
「遂にボク達の記念すべき1stアルバムがリリースされました。おめでとう!」
「わーい!」マミちゃんが椅子の上で跳ねながら拍手した。
その左側でビーグル犬の林檎大福大佐リーダーが焼肉を前によだれが止まらんくなっとった。その右側では土肥くんが頬を赤くして、何やらやたら前屈みになっとった。飛び跳ねるたびにマミちゃんのフトモモが腰に擦れとったから、オッキしてもうたんやろな。
「売れるとええな」あたしは言った。「色んな人に聴いてほしい」
「売れるさ、ミユッキー」あの人が言った。「目標は10万枚だ!」
「200枚しか作っとらんのにそんなに売れるかいな!」
「とりあえず売れっ子になったら、ボクはジミ・ヘンドリックスになるから、ミユッキーはママの味の似合うベーシストになってくれ」
「またそれかいな! いちいち古いわ!」
やがて宴は進み、お酒に弱いマミちゃんの様子が怪しくなりはじめた。
「あたしぃ〜、桃田先輩のこと、好きだったんですよぉ〜」すわった目で何やらとんでもないこと言い出しよった。「ミユキちゃんから絶対奪ってやるって思ってたんだけどぉ、二人、付き合いはじめて4年経ってもラブラブなんだもん。割って入る隙ないよぉ〜」
「ははは。ボクらの愛は鉄壁だからね」
なんかたとえがおかしいなぁ、と思いながらあたしはツッコまんかった。酔っ払って吐きそうになっとったからな。
ちなみにマミちゃんがあの人を狙っとるのは知っとった。でも本心ではもっと好きな人おるんわかっとったから、ほっといた。その人のことを好きなくせに自分でも認めたくなくて、自分の気持ちを誤魔化すためにあの人を追っかけとったんやろな。
土肥くんはずっとリーダーを膝の上に乗せて、そのお口にお肉を運んで食べさせてやっとった。
「りんご! 待て!」
食べさせるたびにちゃんと躾をして、リーダーもいい子でお座りして、ええ関係を築いとった。
リーダーが鼻を鳴らして土肥くんの顔を見上げる。くぅんと一声鳴いて、最愛の主人を見つめる瞳で許しを待つ。
「よし!」
土肥くんがそう言うと、リーダーは目の前に割り箸に挟んで差し出されとった肉をはしっと食べる。
マミちゃんの愛犬であるリーダーに、土肥くんは愛されとった。いつでもマミちゃん家にお婿に行けるな。
「ねえ、アキラくふん」
マミちゃんが土肥くんにしなだれかかり、なんか色っぽい声を出した。
「なっ……」土肥くんは顔を真っ赤にして言った。「なっ……! なっ……! いつの間に俺の下の名前を覚えた!?」
「覚えるよぉ。だって……」マミちゃん、酔っ払っとったけど、口から出たのは明らかに本心やった。「あたし、仙道麻未は、土肥アキラくんのことが好きですっ!」
「うおおおー!」とあの人とあたしが同時に声を上げ、拍手した。
「結婚してくださいっ!」
付き合うの飛び越えてプロポーズまで行ってもうたのは酔っ払った勢いやったんやろな。
土肥くんは明らかにびっくりしとった。鈍感やから気づいてなかったんやろな。まあ、でもそらそうかもな。今まで全力でエルボーやら膝蹴りやら叩き込んで来よった憎っくき相手からの告白飛び越えたプロポーズや。バカにされとる思っとったんが実は愛されとったなんて、夢にも思っとらんかったやろ。
土肥くんは答えた。
「またバカにしてんのか」
マミちゃんは真剣な顔を横に振った。
「ううん、本気だよ」
「モテない冴えない非リア充の俺をからかって遊んでんだろ?」
「まーね。恋愛女王のあたしが、可哀想な乞食を救ってやろうっていうか……」
マミちゃん、ここでいつもの憎まれ口が出てもうた。
「頼まれても嫌だね」土肥くんは答えた。「前にも言ったろ? お前は友達としてはいいヤツだが、女としては最低だ。俺はもっと真剣に恋愛できる女としか付き合わねーよ。てめーみてーな糞ビッチとはたとえ百万円目の前に積まれて頼まれても付き合わねー」
あの人とあたしは顔を見合わせ、オロオロしとった。
マミちゃんは一瞬泣きそうな顔をしたけど、気丈ぶった顔を上げると、言った。
「ふ、ふーん……。では、一千万円では?」
「バカにすんのもいい加減にしろ」土肥くんは本気で怒っとった。「男心を弄ぶのもいい加減にしろよ、この糞ビッチが」
「アハハハハ!」マミちゃんは高笑いすると、目の前にあった日本酒を一気飲みした。「冗談だってやっぱわかるかー」
マミちゃんの目からキラリと光るものが落ちたのは、土肥くんのほうからは見えとらんようやった。