652話
閉じた先にあるのは暗闇の中。
概念世界はコロナにとって親しみ深く。
いつも此処で焼き焦がされていた。
けれど今はほんのり温かい程度だろうか。
肌もなければ神経もないので、あくまでイメージで言えばだけれど。
自ら此処に訪れることは今までに一度とて無く。
逃れたいとしか思っていなかったから。
でも、今は違う。
――…………。
コロナは温かさの、その根源へ向かう。
現実世界の時間は瞬きひとつほども進んじゃいないが、概念世界の中の疑似体感時間にして数時間か。数日か。数週間か。数ヵ月か。数年か。
時間を数えるのも馬鹿らしく思う程度には過ごし頃。ようやく根源へ辿り着く。
――…………?
かつて此処は暗闇で。なにもわからず、ただ全身くまなく焦がされることしかわからなくて。
根源に近かろうが遠かろうが熱いことに変わり無く。
この熱が治まってからは此処に来ることもなく。
故に変化に驚かされる。
温かい暗闇の中を照らすようにほんのりと柔い白が照らしているように心地よく。以前とは雲泥の差。
――…………
さらに近づくと、柔くなっていた理由がよくわかる。
才《ドス黒い薄膜》。そしてリリンが《《白》》を包み込んでいたから。だから、コロナを焦がす熱は現在木漏れ日程度の熱しか孕まなかった。
――…………
守られていた実感を覚える。なんと愛しき盾か。
でも、今はその盾は必要ない。
――…………
黒い薄膜を優しく剥がすように。黄色を帯びたのは気持ち乱暴に。
――…………ッ
途端溢れる熱は再びコロナを焦がす。
けれど、慣れした親しんだ苦痛。怯む理由にはならず。
――…………?
今まで、こんなに近づけたことはなかった故知る由もなかったが……。
そう、例えるなら。大きな《《白》》い球体があって。それがか細い……今にも切れそうな《《白》》い糸が繋がっていて。
剥がした黒い薄膜たちに意識を向ければ、それらには黒い糸が繋がっていて。
片や心地よく。片や不快。
何故だろう。この《《白》》い糸は、邪魔だと。そう感じる。
――…………っ
だから断ち切った。何度も繋がろうとするから《《白》》い球体を引き寄せながら《《白》》い糸を弾く。
またも体感として何年も何年も弾き続けて。やがて感じなくなった時。
――…………ッ!
己の中にあった《《白》》を、完全に取り込んだ。
――……っ。………っ………っ。……っ!
鼓動は呼応し合い。二つの存在が融け合う。
馴染むには余りにも共にいすぎてしまい。瞬く間に済ましてしまう。
だけど、このまま解放してはいけない。
このまま戻ってはいけない。
この状態で戻れば、辺り一面焼き焦がしてしまうだろう。
それほどまでに、
そうなれば、才も無事では済まない。
黒い糸からなんとなく。無事なのがわかって安心したのに。無意味になる。
ならば如何にすべきか。
抑え込まなければならない。
完全に閉じきるのでなく。
両の手で握り締め、隙間を空けて少しずつこぼすように取り出していこう。
そうすれば、才を巻き込むことはないはず。
慎重に。慎重に。慎重に。
――ぶちのめす
――……………………………………………………
「………………………………」
「……へっ」
白光に照らされクレマンは振り返り、才は笑みを漏らす。
目に入るは、不知火の如く淡く帯びた白。陽光のように強く輝く白炎球。そして無。
無。そう感じたのはコロナを中心に半径十メートルが綺麗に消失していたから。
それほどまでに莫大な熱エネルギー。しかし触れたモノやコロナを除く内側は消え失せても周りには目映い白光しか与えず。
理由は単純。コロナが完全に力のベクトルを制御しているから。
だから、こんなことも。
「…………」
輝く円は立体を捨てて平面、さらに円周にのみ白炎を閉じ込める。
そして一筋の環状になった白炎。中にいたコロナが姿を現す。
「Belle……」
思わずクレマンの口から溢れる称賛。
宙に浮かぶコロナの表情は物憂げで。髪もほどけていつもより少しだけ大人っぽいような。そんな雰囲気になっている。
さらに、コロナの周りの空間は目まぐるしくベクトルを変えて、それによってコロナの髪はふわふわと揺れていて。前髪も上がって見下すのがよく似合う。
熱を逃がさないように。
自分の体を焼かないように。
髪を留めていたリボンは手遅れだが、これ以上服を壊さないように。
なにより、少しでも才へ熱が行かないように。
では熱はどこに消えているのか。
行き着く先は環状の白炎。
形成された力の塊に、蓄積と圧縮と循環を繰り返し加えていっている。
そして半径十メートルは半径一メートルほどにまで小さくなり、淡くも強い輝きを放つそれはさながら天使の輪といったところか。
違いと言えば、天輪はコロナの背後に佇んでいることだろう。
「……」
後光が照らすような神秘的な姿に、最早称賛の言葉も出せないクレマン。
ただただ見つめてしまっていて。
「ふぅ~……」
物憂げな顔に眉間の溝を加えて。コロナはゆっくり降りようとして。
「……? どこに――……!?」
見つめていたのに見失っていた。
空間歪曲を刹那の間に行ったのだから見失うのも無理はないが、白光が目の前に来ていたことにまったく反応できなかったクレマン。
反応できなかった……だけならば対して驚くことでもないのだが。問題はこの後に訪れる。
「ふ……」
「――――」
ぴと……っと触れた瞬間。クレマンは得も言われぬ違和感を全身に覚えた。
(な、なんだ!? 今なにをされた!!?)
わからない。わからないし、指が離れると特に変わった気もしない。
けれど、コロナの一手目はすでに終えている。
いや、もう終わっていると言っても良い。
「…………」
今一度、違和感のせいで後ずさったクレマンに一歩近づきながらぴとっと触れると。
「……?」
今度は違和感はない。ないのは当然。まだ触れただけなのだから。
やりたいのはここから。
「どん」
「!!?!?」
触れた状態で押しただけ。たったそれだけなのに、クレマンは遥か数キロ先まで吹っ飛んでいく。
(な、何故だ!? 何故触れていたのに……。見ていたのにっ。天秤はこちらに傾かない!?)
二度目でさえ、触れてから押している。
速度に関しては、先の攻防よりも余程落ちている。なのに今のは通った。
概念世界で、体感時間数年もあれば攻略方もゆったり考えられる。
そこで思い付いたことをただ実行しただけ。
コロナの思い付いたこと。
それは、《《認識の情報誤認》》。
概念世界で感じていたのは《《白》》だけでなく、《《紫》》も感じていた。あの鎧も、謂わば《《紫》》の力が大きく関わっているが故に。
その力で、クレマンの得る情報を誤魔化せないかと考えたのだ。
受け取るマナの情報を変えて、実際叩き込むマナと齟齬を生む。さすれば天秤は反応しないのではないかと。
そして、実行すると。クレマンは大きく吹っ飛んでいき策は成功。
ただ、誤算もある。
《《白》》の力。
その本質は強制と支配。
クレマンに触れたとき、物理世界からの干渉を行い。クレマンの神経と脳が受け取る情報をいじった際。思いの外上手くいった。いや、行き過ぎた。
何故か。
《《白》》の干渉力の強さの所為。
才がリリンへ過干渉してしまったように。
灰音の意志が才へ干渉し子作りさせたように。
アノンがカナラの記憶を封じていたように。
強い力は強い干渉力がある。
《《白》》を使う最低条件は星一つ軽々消すほどのマナがあること。
そして、白に至った時。干渉力。強制力。支配力は跳ね上がる。
即ち、今のコロナは、神がクレマンに与えた天秤よりも強い干渉力を得ているということ。
であれば、最早これ以上天秤にかけさせないということも出きるわけで。
故、ここから始まるのは試合でも戦闘でもなく。
一方的な力の押し付け。
あとは、コロナの匙加減のみ。
「…………」
(ん。悪く、ねい)
クレマンを飛ばした手を感触を確かめるように握り、開き、また握り。
《《制御は難しくない》》と判断。
であれば、やることは一つだけ。
「にゃーにゃー……」
追撃をかける前に、才へ向き直って。今の状態で近づくのは怖いから少し離れた位置で視線を合わせる。
才も、コロナと目を合わせてやるために半身だけ起こし、片膝と片手で体を支え。
「……ん?」
コロナの様子を見て、もう怪我をし続ける意味は消えた。
とはいえ、《《白》》を帯びたマナで受ける攻撃は才には厳しい。返答くらいならできるが、立つのは億劫。
だから、才はこのままコロナを送り出すことに。
「いーて、きあっす」
「あぁ、きちっと終わらせてこいよ」
「ん♪」
空間を曲げ、数キロ単位で距離を短縮。
クレマンが転がっているところから数メートル離れたところ、そこからコロナは地上五メートルほどの位置で止まる。
「……」
改めてクレマンを見ると、胸の内に憎悪がひしめくのを感じる。
このまま全てを解放して叩きつけたい衝動に駆られるが、そんなことをしてしまえば才も無事では済まない。
だから、工夫をしなくては。
「ん~……。ん」
(これ、良い、かも)
天を指さし、その上に後ろの白炎環から白炎が分け与えられる。
最初はピンポン球ほどの小さな球体。ジワジワ大きくなり、半径五メートルほどで成長を止めた。
(こ、今度はなにをする気だ……?)
指示す天に創られる小さな恒星。
孕む熱は超新星。
輝きは環状陽淡光の如く。
「あい」
「――――――――――――――――ッ!!!!!」
天からクレマンへ指先を変えれば、白炎球も指先が示す方へ。そしてすぐにまた上を指す。
ただし、指が向くのと小さな恒星が動く速度は同じ。
まるで指に長い棒がついていて、その先端に着いているように時差がない。
熱エネルギーの塊が指を向けられただけで襲ってくる。それだけで絶望するに容易く。
「――――――――! ――――――――!!!」
悲鳴を上げるに難い。白炎球に包まれた瞬間喉は焼け爛れたから。
体表面は白炎に焼かれたにしては被害は少なく、バーナーで炙られた程度。即死には至らず。
しかし、クレマンはあくまで普通の人間。普通の人間が一瞬でも全身をバーナーで炙られたとすれば失神は必至。放置すれば命も危ないだろう。
そして、かなり規模は抑えたとて環境の被害は甚大。
白炎球が触れた場所は漏れなく消失。半球型のクレーターが出来上がっていて。それも、断面は研磨したほど綺麗に抉れている。
「ぁ……が……かひゅー…………は……が…………かひゅー……」
不自然に漏れる呼吸音。発そうと思わずに出てしまう爛れた粘膜による声。
もうすでに、クレマンは戦闘不能。明らかに。
だが、この場に勝敗を決する審判はいない。ドローンは予備のが近くにあったので撮影されているが、仮にドローンから終了の合図が告げられたとして、コロナが止まってやる義理はない。
「…………!」
八方指し示せば、縦横無尽に宙を駆け回り。触れた物。その悉くを消し去る。
触れて存在を残されているのはクレマンのみ。
しかし。しかしだ。
称賛に値する丈夫さではある。
けれど、それは幸福と言えるだろうか。
痛みで気を失い。痛みで目を覚まし。また気を失い。そして目を覚ます繰り返し。
ある程度地が削れれば、クレマンの周りの空間を歪めてその場に留め。絶えず白炎球は襲い来る。
必ず訪れる苦痛。必ず訪れる気絶。必ず訪れる気付け。必ず訪れる一瞬の安息。
白炎で包み常に苦痛に晒すでなく、動かして触れない時間を作ることで弄ばれるクレマン。
加えて、もう一つ。コロナは仕掛けをしていた。
不可解なことがあろう。何故、天秤を狂わされたクレマンが白炎をくらって生きているのか。
理由は単純。
最初に白炎で触れた時。コロナは《《白を支配する前の自分の耐久力を天秤にかけてやった》》。
白炎に唯一耐性があり。しかし苦痛は免れない。丁度良い数分前の自分の耐久性。
実に丁度良い。これなら。
(満足、まで!)
燻る憎悪がなくなるまで、クレマンを嬲り続けることができる。
「――――ッ。…………。――――ッッ!」
幾度も幾度も襲い来る約束された激熱。
だが、コロナの心身は死を許さなかった。
それが今、人間を襲っている。
精神は削られ、いつ廃人になってもおかしくない。
すでに数十は白炎に晒され。少なくともまともな思考はできない。
ただ痛いという感覚だけが、クレマンの傍らに居続ける。
何故。コロナは命を奪わないのだろうか。
理由は簡単。
自分がそうだったから。
死ぬことよりも、白炎で焼かれ続ける方がずっと辛いからだ。
だからやめない。止まらない。終わらない。
コロナの気が済むまで。
けれど、終わりは意外とあっさり訪れるもので。
「…………」
「――ふぅ」
(なんか、も、いいかな)
時間にして五分まであと十秒。地獄は終わった。
(なんで、だろ。あーま、いぐない)
コロナが思っていたよりも早く終わって本人も困惑しているくらい。
でも、それにもちゃんと明確な理由があって。
(それより、会いたい、な)
白炎を見ていると。使っていると。どうしても別の気持ちが顔を覗かせ、大きくなり、溢れてしまって。
(会いたい、な)
なにも見えないくらいの《《白》》の中。焼かれ続ける悠久で見た才。
(だっこ、ほしい)
側にいるだけで痛みを忘れていられるほど幸せをくれる才。
(におい、たくさん、ほしい、な)
今、憎悪をぶつけるよりも愛しい人を存在が求めている。
(でも、も、おとな、だから、ダメ、かな?)
だから、もう良い。これで終わりで良い。既に魂に刻み込んだのだし、切り上げて良い。
(けど、りぃん、も、かにゃりゃも、してる、し)
きちっと、終わらせたから。
(いっか。ん。あーく、帰ろ、そーで、だっこ)
辺りは綺麗な断面のクレーターがあちこちにできているものの、コロナの足元は無事。
白炎球を天輪に還元し、真下に降り立つ。
「…………」
そして天輪を……《《白》》をまた己の内にしまい、鎧をする。空間も一旦戻し、ふわふわしていた髪も下ろされる。
結んでおらず、いつもより少しだけ鋭さのある顔立ちの今は髪も相まってどこかリリンを彷彿とさせる。
「すぅ~……はぁ~……ん」
深呼吸して、《《白》》がちゃんと戻ったかの安全確認。
外部に出ていないことがわかると、空間を歪曲させて才のところまで戻ろうとする……その前に。
「…………ばいばい」
一応最後の挨拶。
《《白》》を完全に支配にしたことで頭がスッキリしている。その頭でちょっとだけクレマンを放置して行くことが気にかかって、なにかしらすれば心置きなく去れると思ったやったのが挨拶。
(も、大人だし)
「ふふん♪」
挨拶ができるお行儀が良い子は自分の行いに満足し、改めて才のもとへ向かう。
「は……っ! は……っ! は……っ!」
(あーく! あーく!)
《《白》》を閉じ込めると、先のように一度に長距離で性格な空間短縮も難しく。数キロを十数メートルで区切りながら帰ってきた。
「……!」
才は元の場所から少しだけ離れて瓦礫に背中を預けている。
コロナが戻るのはわかっていた、というかコロナとクレマンの動向は常に探っていたのでわからないはずがない。
だから、ちゃんと終わらせたコロナを普通に出迎えてやる。
「よ。おかえり」
「にゃーにゃー! ただま!」
「ぅおご……っ。お、お前……一段とたくましく……」
勢い良く突っ込んでいき、背中越しの瓦礫にヒビが入ってしまう。
もし、途中から影を出していなければそのまま瓦礫を粉砕してビルの中まで滑り転がっていたことだろう。
「はぁ……一旦ど――」
「ん~♪」
(んあ~……、良い……)
首に手を回して、頬同士を擦り合わせる。
報復なんかよりもずっと甘い時間。
甘党のコロナにはこちらのが断然良い。
まさに至福の時。
「……ったく」
どかそうと思ったが、ボロボロの姿。それに遠くで感じた異常なマナがコロナの頑張りを見せつけられるようで。
(少しくらいいっか)
このくらいで満足してくれるなら、好きにさせようという気持ちになる。
「……………………にゃーにゃー」
「ん?」
それから少しの間思うようにさせていると、唐突に顔を離して見つめてくる。
「なんだよ」
「あーね?」
「うん」
「お父さん。大好き♪」
「…………お、おう」
(なんか妙なニュアンスを感じたけど)
「へへ♪ ……ちゅ♪」
(まぁ、満足そうだし。いっか)
言いたいことを言って。やりたいことをして。ご満悦なコロナ。
才が預かっていた連絡用端末はクレマンに襲われていた時に壊れていて、二人に迎えが来るのはそれから二時間ほど後になってから。
その間、コロナは愛する人との時間を存分に堪能していた。
この試合の全ては流石にカメラには収まらなかったが、コロナの強さ……ひいては召喚魔法師が現役で二番目に強いクレマンを下したことはたくさんの人の目に触れることになり。
それ故、時代はここから変わりゆく。




