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第64話 ルカのはなし・そして誰もいなくならなかった

 ロビンちゃんの指導により、私は王国貴族の紺色詰襟上衣という装いにされました。ミニスカートとブーツは自分の趣味です。


 テラスに準備された席へ向かうと、守護者の四人がお茶とお菓子を食べて待っていました。フューゼンとマキアムとセト、それから私の家来になったアイザックですが、今この場に身分や序列はありません。堅苦しい挨拶も抜き。


「久しぶりにルカの元気そうな顔を見られて、安心しましたよ」

 席へ着いた私に、セトの水色の瞳が微笑みました。

「セトも遠くから来てくれてありがとう。ネムちゃんは元気にしてる?」

「元気ですよ。今日も一緒に遊びに行きたいと言うのを、なだめるのが大変でした」

「そうだったの? 良かったら今度連れてきてあげて。私もたまには会いたいし」

 セトは学院卒業後、早くもクグロフ議会の書記官になったそうです。


「何かそうしてると、ルカも領主っぽいね?」

「領主だもん」

 隣で山盛りのお菓子を頬張っていたマキアムが言うから、言い返しました。

 マキアムはまだ学院生です。でも身長が伸びて、顔立ちも美男なお兄様のアクスム様そっくりになってきていますけど、この公爵家は天の御使いしかいないのですか?

 カップを手に取りお茶を飲もうとした私に


「ルカ、結婚してくれ」

「どうしたの急に……?」

 何の予備動作も無く、フューゼンが言い出しました。いきなり過ぎます、しかも王子の翡翠色の瞳は虚ろです。


「今ね、フューゼン殿下は大変なんだよ。結婚希望者が殺到して」

「あー……『婚約者』がいなくなっちゃったもんね……そうなるでしょうねぇ」

 頬杖をついたマキアムがにやにや説明するのを聞き、私も納得しました。いつもよりフューゼンのカッコイイ度数が下がっているみたいなので、調子でも悪いのかと思ったらこんな事情が。


『未来の王妃』の座を巡って、凄まじい争奪戦が起きているのです。修羅場の中心にいる王太子殿下は、疲労を隠せなくなっています。慣れているはずのこの人が、うんざりしているのですから相当です。絶対近付きたくないやつうー!


「戦巫女のルカなら全員が黙る。結婚してくれ」

「それ虫除けじゃないの。領地だってどうするの? あれだけ段取り踏んで領主になって、まだ手を付け始めたところなのに。そもそも異世界から連れてきて、戦巫女にして、この上でまだ結婚の世話しろとか、正なる神の与えたもうたレクス王家の神聖権利を行使するのもその辺にしてくれます?」

「…………」

「わははは! だからうちの親分は怖いって言っただろー?」

「そこの剣聖も自由でフランクなのは良いけど、親分て何?」


 途中でフューゼンが力なく下を向いたので、私もこの辺でやめておきました。赤茶の尻尾を振って大笑いしているアイザックに、釘だけ刺しておきます。


 子孫繁栄は王族の任務なので、苦労もあるのでしょう。

 ディアベラちゃんとの婚約解消だって、もう片方の当事者であるフューゼンの意志とは関係無い理論とエネルギーの結果でした。完璧にお利口さんの王太子殿下は私的な部分を表に出しませんが、ちょっと可哀そう……とは思っています。

 でも『虫除けと思って付き合い始めたら、ときめいてどうしよう!』なシナリオは他の乙女ゲームでやってください。うちはもう間に合ってます。


「もう希望者全部、お嫁ちゃんにしたら?」

「わー、それ良いね! だいぶ昔に、側室が八十人いた王様もいたんだよ?」

「しかし衣服や化粧料など維持管理費だけでも、莫大になるのではありませんか? あまり人数が多いのも、まずいと思いますよ」

「あ、そっか。それじゃ書類選考の後に、くじびきで決めるとかは?」

「物凄くどうでも良さそうだな……」

 マキアムやセトと一緒に、私も結構良い対案だと思って言ったのですけれど、お気に召さなかったようです。フューゼンは諦めたような、少し恨めしそうな空気を纏わせてお茶を飲んでいました。


「悪いけど実際、私も自分のところだけで手いっぱいなのですよ、王子さま」

「アクスム兄さんたちに聞いてるよ。手が足りないんでしょ。今度から僕も来ようか? 僕なら三男坊で結構自由に動けるんだよ。いいでしょ殿下?」

「ああ、その方が良さそうだな……」

 肩をすくめた私に、フォーサ公爵家の三男坊くんが申し出てくれて、王子様も同意していました。彼らもこの地方へ来て、見て、触れて、思う所があったのでしょう。お招きした私としては、彼らにそれを見てほしかった部分もありました。


「ありがと……そうしてくれると助かります。まず領主なんて立場が慣れないし、お金無いし、アイザックの散歩も大変だし……」

「何だよ! 俺は不良な冒険者や怪しい傭兵が、悪さしないように見回ってるんだろ!」

「毎日のように国境線まで巡回しなくても良いです」

「移動距離がおかしくない?」

「ちゃんと見て回らないと落ち着かないんだよ!」

「犬……」

 私の暗い呟きでアイザックが悲し気に吠え、他の三人は顔を見合わせていました。私もアイザックに感謝はしています。彼の行動範囲(縄張り)の広さと機動力は、有象無象への威嚇として効果抜群。ただ飼い主(領主)としては付き合いきれなくて、最近はもう放し飼いにしています。


「それは良いとして……清貧、という感じですね? この城もパリス伯爵の旧居城というから、どれほど豪奢な城かと思えば」

 セトは言葉を選び、壁や天井を眺めて言いました。

 石造りの『ヌガー城』はよく言えば堅牢な、アンティーク風の、古城です。


「ここはディアベラちゃんのおじい様が、要塞として建てたお城だから、趣旨と趣味が違うんだって……」

 私は説明しましたが、最近まで雨漏りしていたのは黙っておきました。


 辺境の最前線と言って良い重要拠点なので、昔からこの城はありました。でもクロード様は王宮内部へ出入りするようになって以後、南に新しい別荘(お城です)を建てたのです。駐屯地の扱いとなったヌガー城には見向きもしなかったので、ある意味パリス家の黒い歴史だったのではないでしょうか。

 こうして戦巫女わたしが、放置プレイだった『城』をプレゼントされたのです。


「資金と税の優遇はしただろう。そんなに厳しくないはずだぞ?」

 若干、わからないという表情で、フューゼンが言いました。

 たしかに諸般の条件もあって、かなり恵まれたスタートでした。おかげさまで荒くれ者が闊歩していた城下町には治安と、人々の平穏が戻りつつあります。


「うん、領地としてはね……ただ、個人的な借金で首が回らないというか」

 万能の執事さんにも黙っていた、新事実。小声でぽそりと漏らすと、四人の目が一斉に私を見ました。


 ルカも男爵で領主です。地位と品位を保つお小遣いをもらっています。そのお小遣いが、お化粧や装飾品まで回りません。城内の調度品も最小限で、内装だって飾り気は皆無です。パリス伯爵のお屋敷には、金の騎馬像とかあったのに……。


「……ルカ、一体どこでそんなものを積み立てていたんです?」

「違ううううぅー! 私じゃないの!ディアベラちゃんなのーー!!」

 どことなく冷ややかなセトのツッコミに、テーブルへ突っ伏して叫びました。


「ディアベラが?」

「またか……トラブル撒いて歩かないと、生きていけないのかアイツは」

「もしや、『入れ替わって』いた時にですか?」

「何で借金なんてしてたの……?」

 戦友にして守護者の仲間たちは、眉間を押さえたり天を仰いでいます。


「うう……厳密には『信用販売』だから、『借金』ではないけど……あの人、私の名義で大量に買い物しまくっていたの! 贅沢三昧だったの! しかもお嬢様本人は、あれを贅沢と認識していないっていう……!!」

 怒るのは通り過ぎて、泣き笑いで打ち明けました。ロビンちゃんがいないタイミングだから話せた案件です。


 邪神ソルトとの戦いが集結して間もなく。私の元へ送られてきたのは、身に覚えのない大量の請求書。「何だろう?」と思いつつ紙を開いてみた瞬間の、あの衝撃は一生忘れないと思います。腸が、ずぶずぶに、切れそうです……。


「うげえー……」

「本人には、伝えたのか?」

 吐きそうな声で呻いたアイザックの横で、さすがに呆れているフューゼンに尋ねられました。


「すぐに牢獄の塔へ行って尋問しましたよ……! でも『え、どうして!? 最低限、健康で文化的に、人間らしく暮らしていただけでしょ!?』とか清い顔して言ってくるし……。あれだけお手入れにガンガン投資していたら、お肌や髪の状態も良くなるよね……!」

 私も頭を抱えて答えました。

 事件的事故の魔法によって、魂魄が入れ替わって以来。会うたびに、『ルカ』が日に日にきれいになっていくのは何故に? と思っていた謎が解けました。


 ディアベラちゃんは大富豪な伯爵様の、ゴールデンキャッスルで育ったお嬢様です。彼女にとって『人間らしく暮らす最低限』の経費は、とてつもない金額でした。私だったらこれで三年は暮らせると思う金額でした。ご利用は計画的に!


「……どうするの? 本人に支払わせるの?」

 本当にあった怖い話でも聞くように、マキアムが覗き込んできます。いや、実際に本当にあった怖い話ですが。


「そうしたいけど、もうディアベラ・パリスさんには現実的な支払い能力が無いし……。特別美顔術や、高級理容店を使ったのは『私』だから、私が少しずつ払うしかないでしょ……?」

「そうなる、でしょうね……」

 震える私に、虚無の目をしたセトが消えそうな声で答えてくれました。


「そういうわけだから、手一杯なの……」

 思い出すたびに腹が立つ。私がお茶へお砂糖をもりもり入れていると

「……で、その借金の発生源は、今どうしているんだ?」

 またフューゼンに無表情で尋ねられました。聞くなりマキアムも琥珀の瞳を輝かせ、「そうそう!」と頷きます。


「守護者である僕たちにも、『見つけられなく』なっちゃったもんね」

「俺の鼻で追えないって、相当念入りだぞ?」

 対象を『見つけられない』のが悔しいのか、不満そうなアイザックもお菓子をもぐもぐしています。反対にセトは楽しそうでした。


「仕方がありませんよ、『発見』出来てしまっては困るんです。ディアベラを『追放』するためにジョシュア先生が腕によりをかけて、最高難度の厳重な魔法をかけたんですから。唯一の手掛かりは『邪神に魅入られた娘』が、この『戦巫女ヴォルディシカ管区』のどこかにいる、ということだけです。一度本気で捜してみたい気もしますが……」

 彼の口元は薄っすら笑っています。悪い事考えてるときの顔です……。


 ディアベラちゃんを追放するため、黒魔法の変態様ジョシュア先生が全力投球した、世界最高に解呪困難という特殊な『魔法』。その分析と解呪に、セトは興味があるようです。どうして変態様というのは、更なる変態様になりたがるのでしょうか。


「あれって、ディアベラが目の前にいても『本人』だとわからないんだろ? どういう魔法だよ……?」

「『カサンドレの首輪』という古代魔法を、アレンジしたものです。あれもほぼ『禁呪』に等しいですよ。ギリギリで法律に抵触しないというだけで」

 まだ魔法がよく理解出来ていないアイザックの疑問に、セトが説明してあげています。


 ディアベラちゃんにかけられたギリギリ魔法、『カサンドレの首輪』。

 これは『魔法をかけられた者が、本人として認識されなくなる』という魔法です。そういう状態変化をもたらす特殊魔法なのです。


 そのためディアベラちゃんが元パリス伯爵家の娘だと、誰にもわかりません。誰かが悪用して担ぎ上げることは不可能で、暗殺などの危険からも彼女を守れます。もしこの魔法が無ければ、お嬢様は幽閉ルートだったでしょう。


「でもルカは、ディアベラがどこにいるか知ってるんでしょ? ねぇ教えてよー」

「ダーメ。私はここの守護者。『戦巫女』が、『邪神に魅入られた娘』を見守るっていうか、見張るっていうか……そういう約束でここに『国外追放』にしてもらったんだから」

 マキアムのおねだり笑顔を指先で小突き、お茶を飲みました。


 私はディアベラちゃんの見張り役でもあるのです。と言っても私一人ではなく、ダックワーズ学院でも『首輪』をつけたディアベラちゃんの位置を、常時監視しています。何かあったら私が捜しに行くという意味での、見張り役です。


「しかし、解せないですね……」

「ん、何が?」

 私がお茶を飲み込むと、セトくんはテーブルを軽く指先で叩いて考える仕草をしました。


「ジョシュア先生の話しでは、ルカには魔法が効かないそうですね? でもその仕組みと原因が、どうしてもわからないと……」

「ああー、うん、そうらしいですね?」

 探るようなセトの水色の眼差しを、私は笑って誤魔化し避けました。


「ええ? 何でそんなことになってんだ?」

「戦巫女の特性で『見張り』になったのかと思ったら……違うの?」

 アイザックとマキアムもぽかんとしています。


「『カサンドレの首輪』が、ルカには効果を発揮しないそうですよ。理不尽なまでに無効化される……。お陰でジョシュア先生は、心ゆくまで魔法を厳重に出来たそうですが」

「納得いかなかったらしくて、私も先生に人体実験されそうになったしね……」

「あの時は、危ないところだったな」

 黒い先生の魔手(純粋な探求心)から逃れるため、王都のお城で匿ってもらったこともあります。フューゼンも思い出しているのか、しんみりと言いました。


 そうなのです。どういうわけか私には、『ディアベラちゃん』がわかるのです。お嬢様にかけられたあの魔法が、世界最高難易度にややこしく厳重になったのは、ジョシュア先生がどうしても魔法が効かない『戦巫女ルカ』という例外に対処しようと創意工夫した、副産物のようなものです。


 何故こんな『例外』が存在するのか?

 ジョシュア先生はもっと探究したかったようです。しかしこれ以上やると魔法として成立しなくなります。そのため『例外も極稀に存在するが、安全確保に問題は無い』として使用許可が下りたのでした。ブランダン学院長先生が「えーかげんにせんかい」と言ったとか言わないとかいう噂も小耳に挟みましたが、真偽は不明です。


「ルカ自身は、何故そんな現象が自分に起こるのだと思いますか?」

 頬杖をついたセトが質問してきます。他の三人も興味津々の顔でした。


「うーん……『愛』じゃない?」

「愛……?」

 私が真っすぐ見つめ返し答えると、いつも理知的なセトの顔が少々崩れました。


「愛の前ではどんな魔法も役に立たないのは、セオリーでしょ?」

 うん、完璧……と、力強く頷いた私を前に、色素の薄い水色の頭が下を向きます。

「何かそれだと、俺が愛情の無い人間みたいな……」

「そんなことは言ってないってば! まぁ、セトはちょっと冷静過ぎるけど!」

 何故か落ち込むセトを、慌てて励ましました。傷つくポイントがわからないよ!


「ルカって、ディアベラのこと愛してたの……?」

 マキアムの訝る琥珀の視線と質問を受け

「もちろん! みんなのことと同じくらい愛していますよ?」

 私が胸を張り答えると、テラスが静けさに包まれました。可憐に歌う小鳥たちが木立から飛び立って。


「……え、何? 愛してる愛してる! そうじゃなかったら、あんな借金とか誰が許すの!?」

 広がった静けさに、私は慌てて力説しました。なぜ!?

「まぁたしかに、ディアベラの極刑回避にも尽力していましたね……」

「その部分は、愛なのかもね……」

「博愛っつーことか」

「何だろうな、この胡散臭さは」

 仲間たちには好き勝手に言われます。全員に『そういうことにしておきたいなら、それでいいよ』みたいな顔をされました。なぜに!? 納得いかない!


「ふーんだ! とりあえず、あのお姫様は今日も元気に働いていたから、心配はいらないですよ!」

 私は不貞腐れて、甘々なお茶を飲み干しました。

「へえ、ちゃんと働いているの?」

「あのお嬢様がねぇ……」

「彼女も若いですし、真面目に働いて悪いことなんか何も無いでしょう。働いていると言えば、パリス伯爵たちも鉱山で穴掘りをしているそうですね?」


 話題が『ディアベラちゃんの労働』から、『元・伯爵様の労働』へと移ります。

 セトに問われて、フューゼンが「ああ」と頷きました。


「カヌレ島で希少金属の鉱脈が発見されたので、そこでの労役を課している。穴熊獣人たちと一緒に」

「アナグマ……?」

 私が復唱すると、アイザックが口角に牙を覗かせて笑いました。


「ルカは知らないか? 穴掘りを生業にしている連中だよ。普通は山師なんて賭博屋みたいなもんだけど、あいつらは正真正銘、生粋の穴掘り専門家でさ。それに正直だから信頼もされてるし」

「『穴を掘る賢人』て言われるほど頭が良い一族なんだよ。ただ、極端に無口なんでしょ?」

「ええ、彼らは一族に伝わる特殊な教えを遵守しているので、嘘を嫌います。そのため饒舌をも戒めているとか」

「え? それじゃ……ひたすら黙々と、穴を掘り続けているの?」

「ストイックな種族なんです」


 穴熊獣人さんたちは流浪の民です。しかし『賢人』と呼ばれるほどの深淵な知性と膨大な知識、ストイックにして正直な種族特性により尊敬されているそうです。惚れそうです。


「こういった開発には、知識と慎重さが重要だ。力任せの愚か者には出来ない。あの島は未開の地でもあるし、王家として彼らを正式に招待して依頼した。労役する囚人たちの監督も頼んだところ、快く引き受けてくれた。だが……予想を超えて、彼らは頭が良過ぎた」

「何かあったの……?」

 カヌレ島の現場を語るフューゼンの話しが暗く淀んでいくので、聞く側も身構えました。王国は穴熊さんたちの高い技術と信用を買ったわけですが、誤算があったようなのです。

 一体何が……と、ドキドキしていたら。


「長期間一緒にいた人間は、聖者のようになってしまった。全員軽く人格が変わっている」

「怖えーよ……」

 淡々と語る王太子殿下の横で、青くなったアイザックは三角の犬耳が寝ていました。誤算は誤算でも、嬉しい誤算というべき、かな……?


 賢人と称えられる、ストイックで正直な穴熊獣人さんたち。彼らと労働を共にするうちに、罪深き人々は心が洗浄されたのです! あえて洗浄されたのは『脳』ではないと! 私は思っておきます!


「パトリシアに至っては、顔つきから体格まで完全に変貌していた。今は首の後ろ側の筋肉を鍛えるのに集中しているらしい」

「首の後ろ側……?」

 フューゼンの話しを聞き、真顔のセトが顎に手を当てて呟きました。

 パティの筋トレは継続しているようです。首の後ろ側は、だいぶ最終段階にならないと付いてこない部分の筋肉だと、どこかで聞いた気がします。『蒼い宝石』の元・侯爵令嬢は、世紀末英雄伝説みたいになっているのでしょう。元気にやっているなら、それで良いよね……。

 そう思う事にして私はカップを置きました。



 そしてその後、お茶会の座が崩れて、テラスから外を眺めていたときです。

「ルカ」

 呼びかけて近付いてきたのは、黒髪の王太子殿下でした。

 隣に立った人を「うん?」と振り仰げば、翡翠色の瞳が今まで見たことの無い光りを宿していました。


「僕は君に、礼を言わなければならない」

 唐突に言われます。

「え。な、何が?」

「国外追放の件だ。感謝している。君は、地獄へ落ちそうだった僕を救ってくれた」

 面食らっていると、フューゼンから愁いを帯びた表情で告げられました。私は呆気に取られて首を横に振ります。


「ディベラちゃんのこと? そんな、大げさじゃないの……?」

 妙に焦って苦笑いしてしまいました。すると綺麗な姿勢と眼差しでこちらを向いた王太子殿下は、冷静そのものといった様子で言ったのです。


「君は幼馴染の婚約者を処刑しようと本気で考えたことが無いから、そう思うのだろう」

「お、おう……?」

 王子様然とした、麗しき外見とは裏腹も甚だしいです。私も慄いて、会話はおかしな感じに途切れました。極自然に表れた残酷さで、この人の見ていた世界の一端が、私にも見えた気がしました。


 王太子フューゼン殿下は本気で、伯爵令嬢ディアベラを処刑しなければならないと考えていたのです。


 学院での断罪後。私が伯爵令嬢の減刑を求めてゴネたのは、咄嗟の判断でした。彼も当時は、戦巫女のワガママと思っただけだったのでしょう。うん、迷惑そうな顔してましたね!

 完璧な王子様は教わったお手本通り、躊躇なく元婚約者を処刑しようとしたのです。


 でも時間が経過するうちに、フューゼンの中で何かが変わったのでしょう。

 変わったというか、本当の意味で冷静になった、という方が近い気がします。

 そうじゃなければ今ここで私に、こんな告白はしないはずです。

 まるで懺悔するみたいに艶やかな黒髪の頭は僅かに項垂れ、神に許しを乞うかのようで。


「僕の権限は限られているが、ルカに何か望みがあれば叶えよう」

 顔を上げたフューゼンがそう申し出てきました。いきなり言われてもね……と、私は空へ視線を逃がして


「あ、それなら今度、ジェラートを食べに行きましょう! 私がごちそうします!」

「まだ言っているのか……?」

「興味ないんだよね? でも私がフューゼンと寄り道したいから付き合って」

「君はそういうことを誰にでも軽々しく言うのは、少し控えるべきだと思うがな」

『望み』を聞いた背の高い人は整った輪郭を午後の光に晒し、どこか憮然とした口調で言いました。王子様にとっては希望内容が軽過ぎて、つまらなかったのでしょう。


「でもね、フューゼン。たとえば十日後に、私はこの世界にいないかもしれないでしょ? 言いたいことは言って、食べたいものは食べておいた方が良いと思うのですよ」


 ある日を境に消えた、元いた世界の日常のように。

 そう言って私が微笑むと


「たまには可愛いことも言うんだな?」

 フューゼンはわざとおどけたような、少し困ったような口調で言いました。

「たまにはね?」

 くすぐったさにおどけた私もお辞儀をして、もう一度一緒に笑いました。


 そして心の中で、やっぱり私はここで生きていくんだろうなと思いました。

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