第62話 ルカのはなし・魔法を持たないナキル様と、彼の困惑の年
あの時、ナキル様は言ったのです。
「ルカは、ディアベラではないのか?」
秘密を打ち明けるような声と表情で、赤紫色の瞳には微量の迷いが浮かんでいました。
「へ?」
言われた私は間の抜けた反応をして固まり、ナキル様も一度口を閉じて、それから
「……俺がこの学院へ来て、渡り廊下で最初に会ったときの『ディアベラ』は……あれは、ルカではないのか? そして『ルカ』もまた、ディアベラだったのではないか?」
灰色の髪をしたガタイのいいお兄さんは重々しく、真ん中ド直球に問いかけてきました。
圧が、正面からの圧がすごい……。図体デカいから余計に……と、日常で使う意識とは別の次元で考えていました。
ナキル様、鋭いじゃないですか。
守護者の仲間たちと同じく、この人も気が付いていたのです。ルカとして無邪気に『お友達』でいられると油断していたら、とんでもなーい! 握手は継続しており、「それじゃ!」と逃げられる状況ではありません。周りにも誰もいない……。
戦巫女と伯爵令嬢の『入れ替わり』は、禁呪『魂魄転換魔法』に関する、ダックワーズ学院の不祥事です。早い話しが隠ぺいしています。
全体を把握しているのは私とディアベラちゃんと、術者のパティ(記憶があるか怪しいですが)。他には学院の先生三人と、守護者の四人だけです。国王陛下など最上級階級の、少数の人たちも『禁呪が使われた』ことは知っていると想像されますが、あくまで私の想像です。でも、各方面のパワーバランスとかが絡んでいるのはわかります。
私の独断で、92%くらい真実に迫っているナキル様の推測を認めるわけには……。
「な、何で、そんなこと、考えたんですか……?」
冷たい汗だらだらの私が即答を避け、視線を彷徨わせてお伺いすると、ナキル様は手を放してくれました。風が私のピンク色の髪と、ナキル様の灰色の髪を撫でて
「学院の渡り廊下で最初に会った時、ディアベラは極めて冷静だった。その後の対応も適切で、賢過ぎる。五年前とはいえ、パーティーで無茶苦茶を言って泣いていた娘とは、全く似ても似つかない」
「……(ありがとうございます)」
照れる~、とテレテレ喜んでいる場合じゃないです。
ナキル様は『パリス伯爵家の娘ディアベラ』と学院での初接触時から、違和感を持っていたのです。そうでした、あの時に思いっきり「まるで別人だ」と言われたのでした。危なっ!
「それに……」
「それに?」
言いかけたナキル様は、口を噤むと軽く首を横に振りました。
「いや……まず最近。具体的に言えば『断罪』があって以降だ。急に呼び方が変わっただろう。この前までルカは、俺を『ナキル』と呼び捨てにしていた。そしてディアベラが、『ナキル様』と呼んでいた」
「あ゛っ」
高い位置から指摘され、衝撃が頭から足先まで貫きました。
呼び方……! 完全に頭から抜けていたーー……! 私は何て初歩的なミスを! 凡ミスを!
咄嗟にうまい言い訳も浮かびません。自分の口元を両手で押さえ、黙秘しているしかありません。そんな戦巫女の様子をうかがっているナキル様は、表情に変化もなく……。ただ少し、溜息のようなものを吐きました。
「俺も別に怒っているのではない。パトリシアが、戦巫女に危害を加えようとしていた件もあった。その防御手段として、何らかの魔法で姿を変えていたのではないのか?」
(あ、そこは全然違いますねー、ナキル様めっちゃ真面目に考え過ぎですねー。でも違っててイイですよー)
ここまで聞いて、私も少し安心しました。
ナキル様は『禁呪』の隠ぺい事項に触れていません。彼は勘違いしてくれているのです。オッケーです、そのスタイルで行きましょうー!
そう頭の中で、大至急の大まかな方針を組み立てていたら。
「獣人の殆どは魔法が不得手で、俺は特に苦手だ。魔法のことはわからない。話したこれらが全て、俺のひどい勘違いならば、今そう言ってほしい。対応が変わってくる」
「対応……?」
躊躇いがちに、黒獅子獣人のお兄さんより告げられます。付け加えられた一言で私も戸惑いました。
「覚えていないか」
少し目を細めたナキル様に言われます。すみませんがもちろん私には、何が何だかわかりません。
こんなときは情報を整理してみるのが一番だよね。
・ナキル様は、まだルカとディアベラの『入れ替わり』を100%確信していない。
・「覚えていないか」ということは、『ルカ』は彼に、何かアクションをしたらしい。
・ルカがアクションをしたのは入れ替わりが解消する前なので、『断罪』以前。
・当時ルカだったディアベラちゃんは、『気持ちに嘘をつきたくない』とかいう手紙を、お嬢様(私)のいるお屋敷へ持ってきた。
思い出すと同時に、鳥肌が這い上がってきます。
お嬢様は自らが『最高のエンディング』と豪語していた『隠しルート』を投げ出し、他人という『ヒロイン』のまま、『ナキル様ルート』へ大脱走しようとしていました。そのおかげで今になって、おもしろ寒い事態が起きていて、その直撃を受けている私です。
「え? え……ちょ、ちょっと待ってくださいね? あ、えっとー……あのー……。も、もしかして『私』って過去に、『ナキルの留学が終わるときに言いたいことがあるの』とか、そ、そんな話しをしたり、していました……?」
噛みまくりで、自分なりに現在最もやわらかタッチの回答を出してみました。黒獅子族の若殿は、腕を組んで沈黙しています。
「…………」
「…………」
ナキル様と私が無言で見つめ合っているのは、運命に祝福されているからではありません。傲然自失みたいな気分を共有しているだけです。これで後一瞬遅かったら、私は限界で馬鹿笑いしていたと思いますが。
「……やめるか、この話し?」
「そうですね、やめましょう! ……ので! つまり、そういう感じでご理解いただけると嬉しいなーって……!」
空気が読める紳士なナキル様が切り出してくれて、爆笑地獄から救われました。
ナキル様も、目の前にいるこの『私』を問い質しても無意味と悟ったのでしょう。若干気まずそうな、居心地悪そうな表情を覗かせて灰色の後ろ頭を掻いていました。
「何が『そういう感じ』なんだ? まぁ……言えないことを強要して、悪かったな」
「そんなことないですッ! こちらこそお役に立てなくて、申し訳ありませんでしたー……!」
私は力いっぱいお辞儀をして、ナキル様とお別れしたのが昨日です。
そして今日になりまして。
……今になって、私は考えているのです。
ダックワーズ学院の、広くて立派な学院長室。そこに置かれた飴色も艶やかな、でっかい椅子に座って膝を抱え、ぐるぐるして昨日のことを思い出しています。
ナキル様は自分で言っていた通り、魔法が苦手な獣人です。
優秀な魔導師であるセトやフューゼンとは違うので、『魔力雑音』などを感じ取ることも出来なかったでしょう。しかも彼は留学生でした。『戦巫女』とは初対面で事前情報はゼロ。戦巫女と伯爵令嬢のバトルさえ知りませんでした。私を知っていた守護者の仲間たちが、「何だか近頃ルカの様子がおかしいな?」と感じたのとは、前提条件から違います。
黒獅子獣人さんが五年ぶりに会ったパリス伯爵令嬢を、『別人』と判断する手掛かりは直感的な違和感だけです。『呼び方』についても、あれは答え合わせです。
おそらく彼は、もっと前から答えを知っていたのでは? それも判断材料を揃えて結論を導き出したのではありません。ナキル様一人だけ、全てが反対です。逆算して、答えから問題を探し出そうとしているような……?
と、私の思考が辿り着いた時でした。
「無事かね、ルカ? もう心配はいらないから、出て来なさい」
学院長室の重厚で大きな扉が開き、やや皺枯れた厳かな声がかけられました。私は椅子から飛び降ります。この立派な椅子の持ち主様がお帰りになったのです。
「あ……ありがとうございます、ブランダン先生! ジョシュア先生は……?」
慌てて気をつけの姿勢になり迎えた私に、白く長い顎鬚のおじい様先生は目元の皺だけ動かしました。笑ったらしいです。
「あの問題児黒魔導師は、少しきつく叱っておいた。これでしばらくは君にいたずらもしないだろう。もしもまた何かあったら、私のところへ来なさい。あれはイェルクでも手に余る」
「はい……」
鷲のような目をした老魔導師様は、部屋を横切り自分の執務席へ戻りました。
魔力と威厳が、古風な魔導師の長衣を着て歩いているような老先生のお言葉に、私も首を縦に振ります。この大先生の『叱る』は一般人だと再起不能になるレベルだと思いますが、ジョシュア先生なので、いっそ気に留めないことにしました。
耳を澄ますと閉じた大きな扉の向こうからは、『叱られた』黒魔導師ジョシュア先生の
「離せイェルクー! 進歩には挑戦が必要なんじゃー……!」
という叫びが微かに聞こえてきます。廊下で引きずる白魔導師イェルク先生が、「はいはいはいはい」と言っている姿が瞼の裏に浮かぶようです。
「ジョシュアにも困ったものだ。新たな魔法の開発に尽力するのは結構だが、魔法研究のこととなると、状況も後先も考えない。いつまでも子供でいるのは、外見だけにせよと言っても、聞く耳持たずだ」
相変わらず老舗大企業の会長ばりの余裕と威厳で、椅子に腰かけた先生が言いました。
普段は完全に存在感が消えている、学院長のブランダン先生です。でも実際は消えているというより、消しているみたいです。この先生が表で動いたり名前が出てきたら、すでに見えない場所では非常事態か有事に突入しているのです。
「私も、ジョシュア先生があそこまで、ノリノリになるとは思っていませんでした……」
私もその場で独り言のように言いました。
先ほど戦巫女ルカは、学院最高位の黒魔導師先生に追いかけ回される恐怖体験をしたのです。逃げる場所がなくなり、『学院長室』という治外法権な場所へ緊急避難しました。
ダックワーズ学院は軍事施設でもあるので、フレンドリーばかりではありません。
許可がない限り、入ってはいけない部屋もあります。ここもそうです。
そこへ飛び込んだ私でしたが、理由を説明するより前に、席にいた学院長先生は黙って立ち上がりました。「隠れていなさい」と言って出て行き、黒魔導師先生は叱られた、というわけです。
「しかし何故、そこまで追い回されたのだね? 縄を持って追いかけるのは、逃げた馬くらいにしておくべきだ」
白い眉の下、深い皺の中にある薄青い瞳が、机の向こうで私を眺めて問いました。大先生は問答無用で相手を黙らせてきて、詳しい事情は聞いていないようです。非常識な学院の最高責任者ともなると、手段と凄味が違います。
「ジョシュア先生の『魔法』が、私に効かなかったからです……」
「その魔法というのは、君が勝ち取りたい『国外追放』で用いようという、例の魔法だろうか?」
「はい、ディアベラちゃんに使えそうだと言われたので、協力していました」
古い書架が整然と並ぶ広い学院長室は、声がよく響きます。私が経緯を説明すると、長い顎鬚のおじい様先生は大きな椅子に深く腰掛け、瞼を閉じました。
昨日ナキル様とも話しましたが、ディアベラちゃんの『追放』には厳しい条件があります。このままだと王様の気が変わって幽閉になってしまいそうなので、早く何とかしたいのです。
すると今日になって、ジョシュア先生が『古代魔法』のアイディアを持ってきてくれました。これなら『ディアベラ・パリス』を追放しつつ、彼女を悪用させず、外部から危害も加えられないという無理難題をクリア出来そうだとのお話しでした。
やったぜ、イェエエエーーーーい! と、私も黒魔法工房へ行きました。
やっちゃいけないことは大体やっている施設で、さっそく『魔法』を試験してみたところ……私にだけ、期待した『効果』が現れませんでした。
「君もつくづく、面白いことを言う生徒だ。しかもあの呪われた『古代魔法』が効かないとは、興味深い」
いかにも魔導師といった風貌で、学院長先生は仰いました。普段はもっぱら社交と外交回りの仕事をしている方ですけれど、やはり根は魔導師なのでしょう。
「他の人には効くんです。でも私は効かなかったので、その原因を究明しようとして……」
「ジョシュアが何をしようとしたかは、聞かないでおこう。君の『特殊性』が判明して、研究者として面白くなってしまったのだろうな。しかし生徒の、それも近々、カヌレ島へ出撃する戦巫女に何をさせるつもりだ、あの馬鹿め」
威厳ありまくりのおじい様先生から笑わず出てきた言葉に、生徒の私は曖昧に笑いました。
「あやつの変質的な能力も、悪いばかりではない。だが限度を弁えないから困る。まず『禁呪』にしても、何のために禁止されているのか少し考えてみればわかりそうなものだというのに、次から次へと……」
「私の『入れ替わり』の時も、一番楽しそうでしたもんね……」
苦労している様子の学院長先生の前で、少し前までの入れ替わりな日々を思い出した私も遠くを見ました。
「あ、でも、邪神との戦いに備えて凄い装備も整えてもらったし、感謝はしています!」
「それは最低限やって当然の仕事だ。今回の件とは厳正に分けて考えなければならない。君が気を使わずとも良いのだよ、ルカ。我々の関係は決して平等ではなく、対等でもないが、断じて主従ではない」
私が黒魔導師先生をフォローしようとすると、大先生にそれとなく訂正されます。育てた生徒を戦いへ向かわせるのが、この『学院』の存在意義であり本分です。ここにぬるい忖度や気遣いは無用、ということなのでしょう。
半ば気圧される感じに、私も「はい」と頷きました。
「そもそも、こんな時に戦巫女を魔法の被験者にするなど、もってのほかだ。もっと厳罰に処すべきだったか」
学院長先生の口から、考え事の続きが漏れていました。怖いです先生……。
でも判断の是非については、私が意見を差し挟む事柄ではないので置いておくとして。
「どうして私には、新開発の魔法が効かなかったんでしょうね?」
ここへ居合わせたついでに、大先生へ質問してみました。
ピンク髪の女生徒を見上げたブランダン学院長は、それまでよりも心持ち、『先生』の表情になりました。
「わからんな。しかし今ジョシュアが扱っているあの魔法は、完全な新開発ではなく『古代魔法』で、系統としても『呪詛』に等しい。正なる神の代理人たる戦巫女に、『呪詛』は効かないか、あるいは効きにくいのかもしれない」
お話ししてくれる雰囲気も、何となく楽しそうでした。内容が物騒なのは仕方ないです。
「そうなんですか……。あのー、ブランダン先生」
「何かね?」
「ここで隠れていた間に、私も『魔法が効かない』点について考えていたのですが」
「ほお」
切り出した私の話しで、おじい様先生は背もたれから大きな背を離しました。
この大先生と自分が、これほどお話しする機会があるなんて想定外です。だけどお話しするのも、これが最初で最後かもしれないし。
じゃあどうせなら訊いちゃおう! と、質問してみたのです。が
「愛が魔法を無効化することってありますか?」
「愛……」
生徒の質問に、大先生が絶句していました。「ううむ……」と重苦しく呻いたきり整理整頓された学院長室に静寂が広がります。妙な圧迫感が押し寄せてきます。
あ……ヤバいな、これ。戦巫女、変な奴だと思われてるー……?
「ルカ、愛にも様々な種類があるだろうが、それはね……」
「はい……」
質問を地味に後悔しはじめた私と睨めっこしつつ、ブランダン先生が白いお髭の顔を上げました。
その室内に、ノックの音が響きます。扉を開き入ってきたのは、煌めく美男にして黒髪の王太子フューゼンでした。彼は学院長室に私がいるのを発見し、動いた視線に驚いている気配が刹那ほどの短さで過ぎったものの、それ以上の動揺は見せませんでした。
「失礼します。フューゼン・ソール・ド・レクス参りました。ブランダン学院長先生、お呼びですか」
端正に、美しい黒髪の王子様は流れるような口調で言いました。無作法に飛び込んだ私とは正反対のお行儀の良さです。
「おお、フューゼン殿下。急に呼び出して悪かった。用事というのは、他でもない。ここにいる君たちの戦巫女を、寄宿舎の前まで無事に送り届けてくれたまえ。何なら明日の朝も迎えに行ってやってほしい」
右手を振ったブランダン先生は、そう言いました。
先ほど最高位黒魔導師を止めた後、学院長はすかさず護衛役を呼んでいたのです。どんだけ信用されてないんですか、あの黒魔導師先生は。ところでブランダン先生、さっきの話題が中断して、雰囲気がちょっとだけ緩んだ感じがするんですけど安堵していません……?
「了解しましたが……目と鼻の先ほどの距離で?」
学院長先生の『頼み』を聞き、頼まれた王子様は珍しく、幾分きょとんとしていました。
寄宿舎は校門を出て、二十メートルほどの距離です。チビッ子の登園でもないのに、その距離で送迎する意味はわからないでしょう。
「重大な任務だ。それでも風の精霊の守護者にして王太子殿下の君ならば、やり遂げてくれるに違いない」
多少の疑問も意に介さずといった感じで、学院長先生は大げさに言いました。
「……何かあったのか?」
学院長の大げさ発言により、私を見るフューゼンの翡翠色の瞳が僅かに曇り、尋ねてきます。また誰かに狙われているのか、と言いたげです。ええ、そうなんですけど、今度は学び舎の教師だなんてな……。
「えーとね、ジョシュア先生に捕獲されそうになって……それからブランダン先生と、愛について語っていました」
「は?」
私がざっくり説明すると、フューゼンは露骨に戸惑った表情になりました。この人は最近、感情表現のバリエーションが増えたんじゃないですか? と思い少し嬉しくなってきます。
「それじゃ、失礼しますブランダン先生。ありがとうございました!」
お辞儀をした私が部屋を辞去しようとすると、再び後ろから声がかけられます。
「愛についてだがね、ルカ」
扉の横で振り返った私へ、無いとばかり思っていた先の『質問』の答えが返ってきました。
「私も君と同意見だよ。時と場合と、人によるとはいえね。その仮説は成立するのではないかと、実は昔から考えていた」
そう言った時の学院長先生は、思いがけず悪戯っぽい顔をしていました。
それを聞く私の赤い目は、きっと真ん丸になっていたと思います。