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第58話 ルカのはなし・ディアベラちゃんの足下では邪神が待ち構えている

 最後の雲を抜けると、次第にくっきりと眼下の景色が見えてきました。


 ダックワーズ学院は、海に浮かぶマフィン島の中ほどに位置しています。上空から見た限りの被害は、少し前に魔獣ニーズヘッグが襲来した時と同じか、それより若干大きいといった感じでした。魔物が集まってきたことによる応戦で、あちこちから薄い灰色の煙が上がっています。

 それに加えて城壁が、一部破壊されているのがわかりました。


 ……。

 …………違いますね。

 学院を囲む頑丈な石造りの城壁が壊れているあれは、マキアムの土木偶人形ゴーレムが砕いて投擲した痕跡ですね。城壁は外敵の侵入を防ぐだけではなく、千切って投げる方向にも使えたんですね! どんな使い方だよ!


「さっきの話しからすると、ディアベラは地上にいるということか?」

 私を両腕で抱えたフューゼンが尋ねてきました。シャボン玉状の魔法の防御壁があるので、周囲の風も温度もそれなりに抑えられています。


「う、うん……ペッパーさんは、『居るべき場所に戻した』って言っていたから、ディアベラちゃんは地上だと思う。パティも、地上にいるんでしょ?」

「ああ、パトリシアは魔法陣の中で捕縛されている。力を使い果たして、気を失っているが」

 頷いた私に、色白の涼しい横顔が答えました。


 先の妖怪大戦争で出現した、魔獣クリムゾン・レディ。私はパティが変身したのだと思ったのですが、『パトリシア』本体とは別だったようです。出現したあれは膨大な魔力によって形を成した、巨大感情の塊りのようなものだったのです。


 他にも、『転換の神ペッパー』さんによる、何らかの介入も影響しているのかもしれません。とにかくパティは消滅することなく、無事『人間』に戻っているというか、そのままだそうです。


「そっか……それで、あのー、フューゼンさん」

「何だ?」

「そ、そろそろ降ろしてくれていいよ? 降ろすっていうか、もう自分で魔法使えるし、重いでしょ?」


 魔法だから、重量は感じないと思います。

 しかし俗にいう、お姫様抱っこ状態になっている私が苦笑いして言うと、翡翠の瞳が横目でこちらを映しました。


「重くはないので降ろさないでおこうか」

 王太子殿下は顔色も変えず、しれっと返してきました。


「い、いや……あの、恥ずかしいのでっ!」

「いつもそれくらい素直でいてくれると嬉しい。…………降ろさないが」

「何で!?」

「そこまで嫌がられると、さすがに落ち込むぞ。それに、もう到着するからいいだろ」


 焦って足をばたばたさせた私の顔を覗き込み、フューゼンが断定的な口調で言いました。その距離感で、先ほど泣きじゃくった自分を思い出します。顔と耳が熱くなってきて口を噤んでしまいました。

 居心地は悪いような、良いような。あんまり拒否するのも、逆に騒ぎ過ぎのような気もするし。


 というわけで私はお姫様抱っこのままで、地上へ降臨することになってしまいました。何だろう、このこっ恥ずかしさ……!


「おかえりなさい。どうしたんです、ルカ?」


 降りた場所は、神殿前の広場の中心でした。

 フューゼンから受け取る感じに私の手を取り、セトが何食わぬ顔で尋ねてきました。珍しいものを見て楽しんでいる水色が、品のある微笑みを投げかけています。こいつは大よそ察しもついた上で、面白がっていますね!


「え、ちょ……ちょっと、フューゼンにいじめられただけ!」

「はー、それはそれは?」

「仲間割れは良くないんじゃないの」

「何やったんだ……?」

 たぶん私は顔も真っ赤になっているのでしょう。大声を出すと、マキアムとアイザックも揃って王太子殿下の方を見ました。


「いじめてない。……いじめてない」

 濡れ衣を着せられた王太子殿下は、綺麗な無表情で無罪を主張しています。大事なことなので二回言っていました。

 と、そんな感じで、わいわいやっている彼らを横目に


(何かこの感じ、久しぶりだなぁ……)


 心の片隅で、そう思いました。

『ディアベラお嬢様』の姿で、学院の厨房を借りてパン作りをした時にも似たことを少し考えましたけど。今はもう成りすまさなくて良いのです。

 元に戻ったんだ……という実感が、ようやく湧いてきました。


「み、みんなも……さっきは、援護してくれてありがとね。ただもう少し、やり方だけ考えてほしかったかな」

 改めて私が頭を下げお礼を言うと、アイザックが牙を覗かせて笑いました。


「悪い悪い! 魔物まで出てくるし、あっちもこっちも同時多発でさ……」

「まず術者であるパトリシアを押さえて、確保しなければならなかったんですよ。可能な限り、生け捕りという形で……幸い、上手くいきました」


 そう言うセトの視線を、私も追いかけます。

 人だかりが出来ているそこは、さっき魔法陣が形成された場所でした。

 私の位置からは見えませんが、パティが捕獲されているのでしょう。イェルク先生がこちらに気付いて立ち上がり、微笑みます。ジョシュア先生も手を振っていました。「全部解決したから気にするな!」みたいな顔していますね。うん、はい……。


「ねぇ、みんなは私とディアベラちゃんの『入れ替わり』を、いつから知っていたの?」

 気になっていた質問を向けると、マキアムが白金色の頭の後ろで手を組んで伸びをし、小首を傾げるようにして言いました。


「ハッキリと『禁呪』について知ったのは、ついさっきだよ。神殿へ『集合』するように、声がかかる寸前。ジョシュア先生たちに呼ばれて、そこで僕たち四人も聞いて。『断罪』の段取りも事前に決まっていたから、最終調整が大急ぎでバタバタしちゃったけど、まぁ上手くいったから良いんじゃないの?」

 公爵家の三男坊くんは、平然と言います。彼はこう見えて意外と負けず嫌いだから、驚いた事実を表に出したくないだけのような気もします。


「俺なんて心臓止まるかと思ったぞ!? 止まらなかったけど! ルカとディアベラと、何か様子が変だと思っていたとはいえ……まさかそんな魔法がかかってたなんて思わねえだろ。どうしてお前ら驚かなかったんだよ!?」


 一人で三人前まとめてびっくりしたのでしょう、アイザックが喚いています。そこでは水色髪の優等生が微笑し、完璧王太子殿下は無表情で腕を組んでいました。


「俺は何らかの『魔法』が関わっている点には、当初から気付いていましたよ。殿下もそうでしょう?」

「ああ、二人とも微かに魔力の『雑音ノイズ』があった。それも何故かそっくり同じだった」

『びっくりしなかった組』の二人は、淡々と話しています。


「あの微量な雑音は『禁呪』を隠すための、『隠匿カンシール』の魔法だったんですね。呆れるほどの精度と巧妙さでしたが」

「げ……じゃあ、かなり前から、ある程度は知っていたの?」

 思案するように目を細めたセトの呟きで、聞いている私は首筋がひやりとしました。


「知っているというか。『そんなはずは無い』……と思いながらも、違和感を突き詰めていくと、『入れ替わっているのではないか?』と考えるのが一番しっくりくる、というのかな」

 右手を顎に当て、フューゼンが答えます。

「それに、やはりどこかしら、名残りがありましたよ」

 続けてセトが、ぽろっと言いました。


「名残り……? 動きの癖とか?」

「まぁそもそも、ルカは階段で落ちて頭を打つほど、素直な性格はしていませんからね」

「はい!? そ、そんなことないでしょ!?」

「褒めたんですよ?」


 私が言うとセトは曖昧にしてしまいました。細かい部分に気が付く性格の人です。私とディアベラちゃんの仕草や動作、どこかしらに違和感を見つけていたのでしょう。怖いからこれ以上は考えないことにしました。

 生存したんだから、それでいいじゃないか!


「しかし……『入れ替わり』など半信半疑で、確信も無かった。君たち二人のどちらに、どのタイミングで確認するか考えていた。僕たちに打ち明けなかったのも、今になれば納得するが……先に言ってほしかったな」

 落ち着いた声でフューゼンが言うと、アイザックも「そうそう!」と同調しました。


「う……! で、でもね! 命に係わる話しだって、先生が言うから……」

「気分の問題だよ、ルカ」

 私が両手を握り締めて言い訳しようとすると、マキアムにまで詰め寄られます。

 彼らは責めたり怒っているのではなく、「教えてほしかった」と言ってくれているのです。ちゃんと要望を伝えてくれているのです。


「あ、うー……うん……。ごめんね」

 私は少し項垂れて、謝りました。

 謝罪を込めて一番近くにいる白金の髪を撫でると、撫でられたマキアムは何やら少々不満げな表情になっていました。

 と、そこへ


「戻ったのか、ルカ? まずは無事なようで何よりだった」

 背後から、声がかけられました。

 振り返ると、そこには灰色の髪に褐色の肌。赤紫色の瞳をした黒獅子獣人さん。配下の者ではないと思いますが、後ろには騎士が数名付き従っていました。


「ナキル様……!」

「すまなかったな、俺は大した力になれなかった」

 驚いている私を見下ろし、ナキル様は率直に仰いました。


 力になれなかったというのは、先ほどの戦いのことでしょう。でもあれは参加する方がおかしいというか、魔力や戦闘力がインフレーションしているだけです。私も自分でどうかしていると思います。どこかでパワー規制を設けるべきです。むしろ参加しない人の方が常識的で、好感度高いのではありますまいか?


「い、いえ! そんなこと……!」

「ナキル殿には、混乱に乗じて逃亡しようとした者を、軒並み捕らえてくれて感謝している。準備していた兵たちだけでは、手が足りなかっただろう」

 慌てて両手を顔の前で振った私に次ぎ、フューゼンが言いました。聞いたナキル様は、小さく苦笑を浮かべます。


「言い過ぎだ。王国騎士団の咄嗟の働きは、見事なものだった。代わりと言っては何だが……コレが外へ脱走しようとしていたので、捕らえておいたぞ」

 そう言って、ナキル様の目が背後を見ます。

 騎士二人に両脇を抱えられ、細い人影が引き出されてきました。私たちの前へ放り出され、膝をついた人物は項垂れています。


 亜麻色の髪をしたその子は、ディアベラお嬢様の護衛。万能の執事メイドさんでした。


「ロビンちゃん!?」

「ち……違います! 私は、ディアベラお嬢様をお捜ししようとして……!」


 ロビンちゃんはミントグリーンの瞳で、キッと強くナキル様を睨みつけ怒鳴りました。

 思わず駆け寄った私よりも、自分を捕まえてここまで連れてきた人に食って掛かっています。とりあえず、まだ喋る元気はあるようです。ある意味で、安心しました。対するナキル様は動じる様子も無く、相手を見下ろしています。


「ロビン。外へ出ようとしたということは、ディアベラの居場所を知っているのか?」

 王太子殿下フューゼンに冷たく問われると、ロビンちゃんは弱々しく首を横に振りました。


「い、いいえ……でも、先ほど先生方が、魔法の座標上からお嬢様が消えていると話しているのが聞こえました。それならば、捕捉可能な範囲の外に飛ばされていらっしゃるのではないかと、考えて……」

 ロビンちゃんは地面に座り込んだまま可憐な眉を寄せ、外へ出ようとした理由を述べました。職務に忠実な執事メイドさんは、行方不明の『お嬢様』を一人で探しに行こうとしたのです。


「ディアベラだけ、消えちゃったんだよね……。ルカは一瞬消えて、また現れたのに」

 荒れ狂う戦いなど嘘だったような青空を見上げ、マキアムが呟きました。


『捕捉』という、座標上に対象を映し出して発見する魔法があります。反射してきた波形から、位置や対象の大きさを判断するのですけれど、難しいので私も使い方は詳しく知りません。何はともあれ、私はそれに捕捉されてフューゼンが拾いに来てくれたわけですが、ディアベラちゃんは映りもしなかったというのです。

 セトが軽く息を吐きました。


「捕捉圏外に飛ばされたと考えたくなる気持ちは、わからなくもありませんね。しかしそうなると今頃ディアベラは、海原のどこかへ落下して砕け散っていることに」

「セトおッ!」

 最も悲惨な予想を軽々ぶちまける優等生を、私は咄嗟に止めました。ロビンちゃんの目から光が失われていきます。細い肩は震え、力が抜けていくのが傍目にも明らかです。

 ああー、ほら見ろー……! と、私一人だけ変な焦りが募ります。

 でもセトは気休めの『希望的予測』に興味は無く、口にする気も無いようでした。


「仕方がありませんよ、飛ばされて随分経ちます。これほど長時間、単独の魔法で飛行、滞空していられるのはフューゼン殿下くらいでしょう。パトリシアのように、人外の力でも借りているなら別として……」

 水色の瞳と優しげな声で告げられた冷静な判断。その中にあった言葉で、私はハッとしました。

『人外の力』


「ウハ……ッ!? もしかして!?」

 アホみたいな声を発し、飛びあがりました。


「ね、ねえ、神殿は!? 神殿の中は捜した!?」

「こ、ここの神殿ですか……?」

 気持ちが先走ってぴょんぴょんしている私に肩を掴まれたセトが、表情に薄い動揺を漂わせて首を傾げます。「何だこいつ」という顔をしています。どうでもいいです、何とでも思うがいい!


「たぶん、捜していないと思うよ?ディアベラは空へ飛んで行ったんだもん。捜す場所としては、後回しになるでしょ?」

 横からマキアムが口を挟みました。ということは。


「と、いうことは……! ……わ、私、捜してくるーーッ!」

「あ、おい待てって、ルカ! 一人で行くなよ!」


 準備運動のぴょんぴょん跳びから神殿へ全力で走り出した私の後を、アイザックの声が追いかけてきました。


「あ、ナキル様、すみませんが引き続きその子、ロビンちゃんのこと見張ってて下さい! 早まらないように!」

 振り向きざまの依頼で大変失礼で申し訳ありませんが、他に頼める人がいないのでお願いしました。私のお願いに、ロビンちゃんはまだ座り込んだまま呆けており

「……早まる?」

 ナキル様は、訝しそうにしていました。


「ルカ、さっき『ディアベラは地上に戻っているはず』と言っていたが、このことか?」

『断罪イベント』の舞台になった神殿。

 その階段を駆け上がる私に軽々と並んで走り、フューゼンが尋ねてきました。私はこれでも脚力に自信はあったんですけども。


「へえ、そうだったの!? 戻るってどうやって!? いつの間に神殿に入り込んだの!?」

「それに地上の神殿と、何故わかるんです? 犬の鼻で捜したわけでもなし」

「おい、その犬ってのは俺のことかコラ?」

 後ろで守護者の他三名も、何だかんだと言い合っています。

 それを聞きながら、私は自分が武器も何も持っていないと気が付きました。ちょっと急ぎ過ぎたかもしれません。だけど不思議と、何とかなる気がしました。


「神様に言われたの!」

 大声で言って、壮麗な白亜の大神殿へ駆け込みます。太陽の輝く明るい外から一変、神殿の中は薄暗くて一瞬視覚を奪われました。


「か、神様?」

「何だそれ……?」

「神に連なる戦巫女とは、こういうものですかね……」

 仲間たちの声が、壁や天井に反響しています。


 やがて暗闇に目が慣れてくると、外の喧騒をよそに魔法の白い灯が屋内を照らしていました。この建物の構造は極めてシンプルです。真っすぐに奥へと続く廊下を駆け抜ければ、三つ並んだ祭壇が見えてきます。


 そしてその祭壇の前には、思った通り。私もすっかり見慣れた金髪頭がありました。


「ディアベラちゃん……!」

 息を切らせた、私の前。


 石の床でへたり込んでいたのは、小柄な女の子でした。

 蜂蜜色のふわふわなフレンチカール。いつからここにいたのか、彼女は人形のように微動だにせず祭壇の方を見つめています。呼びかけに応えない『元、伯爵令嬢』。後ろで守護者の仲間たちが息を殺し、身構える気配を感じました。


 私は、一歩前へ進み出ようとして。次の瞬間でした。


 神殿内が紫色に染まり、轟音と共に祭壇の上へ漆黒の稲妻が走りました。現実には決して存在しない、魔法の奇跡をも越えた闇色の神秘。


「これは……!?」

「何だ!?」

 セトとアイザックが同時に叫びます。

 それは突如として、物質世界へ顕現した闇の力場でした。その不自然さ自体が、何も知らない人間にさえ死と破滅を直感させるのに十分の威力を備えています。


 そう、待ちに待ったものが『来た』のです。


「あ、アナタ様はー……ッ!」

 威圧で吹き飛ばされそうになるのを堪え、私が見上げた先には漆黒に浮かび上がる異形の巨人。闇の支配者がいました。


《……我は、闇と破壊を司りし者。『邪なる神ソルト』。我が名を呼び続けていたのは、お前か……?》


 地獄の最下層から響くような声が、そう名乗りました。

 輝く三枚の白銀の翼を羽ばたかせ、爛々と光る赤い瞳。絢爛たる装飾の施された衣に身を包んだ、黒髪と青い肌の異形なる神。迸る禍々しさの中に漂う神秘的な威圧と、相反しながら逆巻く、純粋な黒い覇気。攻撃ではなく、姿を現しただけで見る者を息絶えさせようとするかの神威。圧倒的なまでの力は、人間如きを寄せ付けません。

 しかもこれは邪神の本来の『姿』ではなく、ほんの片手間の余興に過ぎない幻なのです。

 恐ろしい敵であることは、一目でわかりました。しかしです。


(良かった……神様らしいヒトがいて、本当に良かった……)


 張り詰めた緊迫感と脅威の渦中にあって、私は人知れず、胸をなでおろしていました。威厳や風格、神々しさについて、真面目に考えてるっぽい神様で安堵しました。


『転換の神』は、クリオネ風てるてるぼうずでした。これで『邪なる神ソルト』も、外見デザインがオカメインコだったら、きっと私は『戦巫女』の任務を放棄していました。

 理由は、キッズ系アニマルは可愛くて殴りにくいからです!

 それと、何となく釈然としないからです!


「ええ……! そうよ! 貴方を呼んだのは、わたくしよ! 何年も前から、ずっとずっと……!」


 澄んだソプラノボイスが叫びました。

 全てを震撼させる暗黒と相いれない、ガラスのように繊細で可憐な少女の声。祭壇の前にいたディアベラちゃんは恐れもせず真っすぐに、現れ出でた『邪なる神』へ、華奢な白い右手を差し伸べていました。


 あどけなささえ残る美しい少女。対するは、強大にして邪悪な闇の化身。グロテスクなまでの対称性が交感する様は、異様な妖しさと美しさが絡み合い、溶け合うかのようでした。美少女が伸ばしたその細い指先へ、邪神の右手がゆっくりと伸ばされていきます。


 たとえ邪なる神であろうと、この場を支配するのは異形なる神であり、神である以上は侵してはならない神域です。誰もが動くこともかないません。

 沈黙と共に見守る先で


《塵芥の如き存在でありながら……我が名を呼んだ、恐れを知らぬ小さき者よ。汝の呼びかけに応え、我がお前に力を与えてやろう。何者にも負けぬ力を》


 禍々しい神は呟き、双方の指が触れ合う直前でした。

 ディアベラちゃんは伸ばしていた右手をぎゅっと握り、振り払うように横へ薙いだのです。


「いいえ、お断りいたします! 気が変わりましたの! いらないので、お帰りくださいませッ!!」


 さくらんぼ色の唇で叫びました。


 ディアベラちゃんが、仕事しました……! 『悪役令嬢』が、邪神の勧誘を断りました!

 何年もかけて自分で呼び出しておいて、「気が変わった」で撤回です! 今の発言だけ聞くと超ワガママの身勝手……! ですが。お嬢様が言うと、説得力と切れ味が違う気がしました!


 ……そして。

 全てが『この世界の運命』であり、段取り通りだったということでしょうか。


 刹那の間に『邪なる神ソルト』の姿は薄れ、文字通り跡形もなく消え去りました。

 呼び出すだけ呼び出しておいて断られたのに、特に文句も言わずに消えてくれました。何て聞き分けが良いのでしょう、神……。キャンセル料も請求しませんでした。


 或いは……破壊と強きを、愛する神であるがゆえでしょうか?

 人間に戻ることを選んだ『弱き者』に、用事は無かったのかもしれません。第三者である私には、そんな風にも見えました。


 いつしか、辺りに満ち溢れていた暴力的な暗黒の力も紫色の闇も消えています。神殿は元の静寂を取り戻していました。それでもまだ全員が声も無く、フューゼンたちは顔を見合わせていました。


「ディアベラちゃん、あの……」

 私が躊躇いがちに声をかけると、お嬢様が振り向いて立ち上がりました。


 少し前まで、私と中身が入れ替わっていた『伯爵令嬢ディアベラ・パリス』。

 金髪の美少女は空色の瞳を逸らし気味に、一度大きく息をつきます。そうして、瑞々しく形の良い小さな口を開きました。


「……ご覧のとおりですわよ。ディアベラ・パリスは、『邪なる神ソルト』と交信を試みておりましたの。戦巫女よりも、強い力を得るために……」

 そう言った顔は人形めいて、少し顔色も青褪めているようでした。言葉までどこか棒読みっぽく聞こえるのは、これが決まった『台詞』ゆえかと思われます。

 きっと、『悪役令嬢』の台詞なのではないかと……。


「今さら、言い訳など致しませんわ。これでご満足かしら、戦巫女ヴォルディシカ様?」

「ま、まぁ、私は……良いっていうか、わかりましたって、感じですけど……」

 何故かお嬢様は拗ねたように、ぷくっと頬を膨らませています。同時に少し嫌味を含んだ口調で問われ、戦巫女わたしも小さく頷きました。


 それからすぐに彼女の視線は私を外れ、佇んでいる黒髪の王子様へと向けられます。


「フューゼン殿下……許していただけるなどとは、考えておりません。わたくしは、とても弱く……愚かな娘でしたわ。何もかも、気付くのが遅過ぎたようですけれど」

「ディアベラ、僕は……」

 婚約破棄と断罪によって、これまでの義務の愛と絆は、すでに断ち切られています。

 それでも二人の視線が交わり合う様には、やはり思うところはあるのだろうと思われました。言葉と視線には、幾許かの苦汁と切なさがありました。


「いいえ、もう何も仰らないで。では、わたくしはこれで……」


 誇り高い微笑は、あくまでも伯爵家の娘としての矜持を維持しようとしたゆえでしょう。お嬢様はそう言い残し、私たちの横をすり抜けて美しく去ろうとしたのです。

 けれども


「いや、別にディアベラが断罪から除外されるわけではないぞ? 捕縛しろ」

「はっ!」


 フューゼンの一声で、私たちの後を追ってきていた騎士たちが駆け寄り、お嬢様を両脇から取り押さえました。屈強なお兄さんたちが、がっちり確保しました。あっという間に、お嬢様は魔法が使えなくなる特殊な封印の縄で、ぐるぐる巻きにされていきます。


「え……? え? ……ええええ!? 何で!? どうして!? このままどこかへ去って行って、最後にちょっぴり顔だけ出して、任務終了するんじゃないんですの!?」

「? 普通に考えて、そんなはずないだろう?」


 ディアベラちゃんは、信じられないという顔で喚いています。

 そう言っている間にも仕事熱心な騎士さんたちから「歩け!」と言われ、神殿の外へ直送されていきます。


「ねえ、ディアベラは、何の話しをしていたんだろう?」

「さあ……?」

 マキアムが尋ねていましたが、尋ねられたフューゼンも首をかしげていました。


 99%、乙女ゲームの隠しルート、『ディアベラお嬢様、生存確認画像』のことを言っているのだと思います。彼らは存在さえ知らないでしょうけれど……。しかも『転換の神ペッパー』さんの説明だと、「そんなものは無い」らしいっていう……。


 知らない方が幸せって、あるよね!

 私はそう考えることにしました。

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[一言] ディアベラちゃんドンマイ…… 相変わらず不憫な……
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