第56話 ルカのはなし・機械仕掛けの神 後編
雨ざらしになったゴミ袋みたいと思った、破けたボロ布風の、みすぼらしいあれが……美貌の侯爵令嬢パトリシア様。
それ何て悪夢……? 鮭の干物だって、もう少し面影残してるでしょ……? と、無言でいる私の右隣で、ペッパーさんはマイペースにゆらゆらしていました。
《パトリシアは、『転換の神』の力と、一部シンクロしていたべし。禁呪で絡んできて、何度も『ループ』してきたべし。ワタシが“眷属”みたいに、使い走りさせられていたべし。迷惑していたべし。とっくに『大転換』の時は訪れているのにべし……》
可愛い声が、不満げに言いました。
パティは強引に、『転換の神』から『時間』の操縦かんを奪ったのです。
更にペッパーさんとの対話も遮断したパティは、自ら『結び目』となって時間の歯車を止めてしまったのでした。もっとも、私が今居るここは『魔法を概念化したもの』らしいので、見ているのはわかりやすく説明された景色なのだと思いますけれども……。
「ペッパーさん、神様でしょ……? 自分で何とか出来なかったんですか?」
《バッチイからイヤべし、触りたくないべし》
私の質問に、ぷんと拗ねたみたいにその場を離れ、ペッパーさんはまた水平回転しています。でも、こちらがオレンジ色の歯車の上で「こらこら……」と叱ると、案外すぐに戻ってきました。
《冗談べし。物質界に、神が直接干渉出来る案件は限られているべし。それで今回は特別に、『正なる神シュガー』に頼んで、アナタをここに呼んだべし。戦巫女が『入れ替わる』トラブルで、今までなかなか動き出せなかったべしけど》
小さな神様は、事情を語りました。
同じ世界の神様同士でも、担当分野が決まっているらしいです。そして『戦巫女』の私は『正なる神シュガー』の管轄内にいるため、ペッパーさんも勝手に手出しや口出し、勧誘などは出来なかったのでしょう。
私は少し溜息をついて、青いパティ(の干物的な何か)を見上げました。
「私があれを、外せば良いんですか?」
周囲の歯車に掴まり立ち上がりつつ尋ねると、ペッパーさんは軽快にくるんと前転します。
《そうべし! 時代ごとに限界があるから、次の時間を回したいべし。シンギュラリティとか何とか、それぞれの世界や時代ごとの言葉で、言ったり言わなかったりするべし?》
「何ですか、そのフワッフワの認識……」
異世界で転換を司る神は、脇が甘いんじゃないか……とか思っている私に
《とにかく、お仕事やりにくいべし。あれいらないから、ポイしてほしいべし》
ペッパーさんから、お願いをされました。
神様の『時間を回す』お仕事の邪魔をしている、元天才魔導師にして侯爵令嬢。そのポイ捨てを要求しています。
「ポイ? ポイすると……パトリシアさんは、どうなるんですか?」
足の下も真っ白空間で、遠近感が消えて変な感覚です。
乗っているこの歯車から足を踏み外したら、どうなるんだろう? そんなことを思いながら、傍らでふよふよしているペッパーさんに、私が何気なくお伺いすると、可愛い声で教えてくれました。
《存在しなかったことになるべし。でも乙女ゲームの記憶が有益になり得る、『戦巫女時代』は終わりべし。用済みだから問題は無いべし》
一点の迷いも無い、純白の明るさでもって言われました。
なーんだそっかあ~! と明るく請け負いそうになった自分を引き留め、私はぶんぶん頭を横に振りました。
「そ、そんなポイには、加担したくない……! 人間に戻せないんですか?」
歯車の上で、『転換の神』へ言い返しました。
空き缶だって、リサイクルされるのです。いくら神様に事情があるとしてもー……と私は訴えたのですが、異世界の『神』は揺るぎませんでした。
《パトリシアは、人には不可能な行いを続けたべし。殻に閉じこもって、耳を貸さなかったべし。その結果は受け入れるべきだべし。それに不安定要素は、物理破壊が確実べし》
明朗で自由なペッパーさんは、『用済み』を物理で破壊していくことに躊躇がありません。
この感じ……間違いなく『神』です。それも神話に出てくる系の、遠慮なく無茶ぶりや逆ギレしてくる神様っぽさが大放出です。
「い、いや……で、でもペッパーさん、さっき『人間は無意識の行動が多い』って言いましたよね!? パティは人知の外で、『前世』の記憶をインポートされていたんですよね? 酌量の余地は……!?」
巨大な歯車の縁に両手でしがみつき、私は食い下がりました。
『案内役』として選ばれた子に、不安定要素となる『記憶』を仕込んだのは、異世界『マカローン』を回す神々です。不祥事をパティ一人に背負わせて、抹消しようとしていると言えなくありません。
ペッパーさんは、すでにパティと対話を試みているので、あまり強くは言えませんが。
《……戦巫女は、何でそんなに助けたいべし?》
ちょっと不思議そうに、見た目はクリオネてるてるぼうずな神様が、質問してきました。
「……パティが……あの子が。異世界へ来た私を助けてくれたのも、事実なんですよ」
青いボロ布みたいになって歯車に絡まっている、『パトリシア』を見上げ、吐息の後に言いました。
知らない異世界へ放り込まれて、右も左もわからなかった頃。
学院で権勢を誇る伯爵令嬢には嫌がらせをされ、誰も近付こうとしない私に、笑顔で話しかけてくれたのはパティだけでした。
パティは『案内役』を演じていただけです。ただのお友達ごっこです。わかりきった『役目』だったのでしょう。それどころか、パトリシアにとって『ヒロイン』は、思惑通りに動かない、邪魔な存在でした。私もこうして、実際に肉体を乗っ取られそうになったり、殺されかけたりもしました。
改めて考えると、ひどいな……ひどいな、確実にひどいな!!
だけど、さっき垣間見た『記憶』。
そしてそんな記憶と、『相性が良過ぎた』パトリシアという女の子。
とても内気で寂しくて、孤独だったのではないでしょうか。
考えすぎかもしれません。だけど誰かに罪を問うならば、考えすぎるくらいじゃなければいけないかなと、そう思ったのでした。
物思いする私をよそに、ペッパーさんがのんびりと宙を横切ります。
《アナタは良くても、パトリシアが救われたら、最大の被害者のロビンが報われないべし? パトリシアの存在は、全宇宙から抹消するくらいが、ロビンにとって最善じゃないかべし?》
「ちょっと待て待て……! 『報われる』って、そんな消極的な殺意に使う言葉じゃないですよ!?」
フリーダムに超理論を繰り広げる『転換の神』に、不敬ですがツッコみました。
《んん? それでもパトリシアが、他の人にもひどいことしたのは見たべし?》
可愛い見かけによらず、尚もペッパーさんは指摘します。私は自分の目の高さより、やや斜め上にいる小さな神様を見上げました。
「それは過去の十回の、『ループ』のときの事件ですよね? しかも『実在しない過去』なんでしょ? それなら、人間の『断罪』で十分じゃないですか? すでにロビンちゃんの嫌悪感はすごいですけど、断罪とかで絶縁になるのは確実だし……。パティにとってもそっちの方が、ある意味で厳しい懲罰になるから……。私とディアベラちゃんを除けば、事件としては『起きていない』状態で、未遂です!」
戦巫女が食い下がると、ペッパーさんはしばらく考え込んでいました。
《む~ん……だけど、パトリシアは『誰か』ばっかり必要で、『自分』はいらない子べし。いらない子だから、誰かを食い潰して、己を粗末にして、こんな『結び目』になったべし》
やはり神様の結論は変わりません。
己の全てを捨てて神々の領域に干渉し、『時の結び目』となり、人の面影まで失ってボロ布と化したパティです。神理論では、赦されざる行いなのでしょう。それでペッパーさんはお怒りで、そんなパトリシアを、ポイ捨てしてしまえと言っているのだと思います。
でも
「自分がいらないなんて、そんな人間いないと思うよ!?」
《え~? そうべし~?》
私の異議申し立てに、不満げな疑惑の声が上から降ってきました。
べし~? じゃない! さっきから何なのですか、その謎の語尾は!
「た、たしかにやり方は完璧にダメですけど、パティなりに、ロビンちゃんをどこかしら好きで、助けようとしてたんじゃないのかなって……」
何故かパティ弁護団となってしまった私が訴えました。
《ふーん……? ロビンへの恋は、パトリシアが『戦巫女時代』で遊び続けるための、言い訳じゃないのかべし?》
微塵も揺るがないどころか、神の疑惑は更に深まって返されてきました。パティ本人が証言出来ないから、私もそこを疑われたら、確かなことは言いようがありません。
それにしても!
「な、何か厳しくない!? めっちゃ厳しくないですか、ペッパーさん!? 鬼ですか!?」
《誰かが言わないと、散逸構造が乱れて、加速してしまうべし……》
大声を出した私に、外見クリオネな神は、神の超論法で意味不明なことを言ってきました。神のみが知る、何らかの仕組みや事情があるのでしょう! そう解釈するしかない!
「も、もし、遊び続けたいとか、そうだとしても、それだけじゃないと思うな……!? 人間も、それなりに複雑なの! 色々あるの! ペッパーさん『人間』やったことないでしょ!? じゃあ人間の気持ち、わからないですよね!? 外してあげるからお願い、パティも元に戻せませんか……?」
私は歯車に引っかかっているパティ(の干物)を指差し、周囲を浮遊し続ける白くて丸っこくて、小さな神様にお願いしました。
これでダメなら、もう諦めるしかない。そう思って見つめていると。
《神は取り引きしないべし…………ん~、でも……ま、いっか……べし》
根負けしたのか、パトリシアに情状酌量が認められたのか。
ペッパーさんはしぶしぶといった口調で、折れてくれました。
「本当ですか!? あ、ありがとうございます……!」
《神に二言は無いべし。んじゃ、これ使うべし》
お礼を言った私の前へ、手品みたいにパッと現れたのは、愛用の槍。
長さは身長とほぼ同じで、全体が鈍い金色に輝く、戦巫女だけが使える専用の武器です。
「神槍ディルムン……!?」
《異世界の『戦巫女』の力なら、ごみくずな『時の結び目』も切れるべし》
久しぶりに槍を手にした私へ、転換を司る神様は飄々と言いました。
ごみくず呼ばわり……。神よ……自由な上に容赦無いです。まぁそれはこの際、どうでも良いです。良くないけど。
ペッパーさんの気持ちが変わってしまう前に、この問題を片付けなければなりません。私は槍を手に、半透明の、まるで色硝子で出来たような歯車を登り始めました。
「それにしても『時の糸車』って、どこかで聞いたような気が……? あ、そっか、『ハテナの国のジョゼット』で出てきた、あの魔法だ……!」
大小さまざまな歯車を、足元に気を付けて飛び移っている間に思い出した私が独り言を言うと
《あの作り話しべし?》
私の傍らを飛んでいた、てるてるぼうず風な神様が答えてくれました。
「ペッパーさん、少女向け小説のことまで知ってるんですか……?」
私はパティが絡まっている、黄色い歯車の下まで来たところで、足を止め尋ねました。ペッパーさんは神様なので、人間世界の色んな事に詳しいのかと思いました。
すると小さな神様が、羽をぴこぴこさせて言いました。
《知ってるべし。あれ書いた人は、パトリシアべし》
「そうなのッ!!??」
ペッパーさんの暴露話しに、叫んだ私の声は変に上ずっていました。
あの本の作者名、何だったっけ……超言いにくいお名前だったことしか思い出せない作者が、名門貴族の侯爵令嬢。
私も図書館で斜め読みしただけですが、たしか物語のあらすじは……。
主人公のジョゼットちゃんと、親友のロザリーンがいて。
邪魔する悪役のお嬢様がいて、大事なロザリーンが『魔王』に攫われる話しだったような。
「……まさか、あのお話しの悪役令嬢は、ディアベラちゃんで……親友の『ロザリーン』は、ロビンちゃんがモデル……?」
《他に、あり得ないべし?》
「こ、怖っ! 怖……!」
ペッパーさんに軽く告げられ、自分で自分の腕を抱き震えあがりました。
パティはロビンちゃんを脳内彼氏にして私物化するだけでは足りなくて、無二の親友にも仕立て上げていたのです。どんだけパティから、好みの役目と期待と願望を背負わされてたのロビンちゃん……。
そんなに全部乗せで背負わせてやるなよ、可哀相に……。
しかし……ということは、です。
(主人公から、ロザリーンを奪っていく悪の権化な『魔王』は、きっと戦巫女だったのであるなああああーー……!)
(何か、バカバカしくなってきたから、助けるのやめちゃおっかなあーーーー……!?)
(ここで助けたって、感謝されることも無さそうだしいーーーー……!!)
歯車に足をかけて上を目指して登りつつ、私は一人で葛藤していました。
パティから感謝されたくて、この行動を選んだわけではありません。個人の生き様と、仁義の問題です!
とはいえ、私もそこまで聖人君子でもありません!
「パティ、元に戻ったら、一時間くらい背負い投げするからね……ッ!!」
腹が立つので、間近に見えてきた『元パトリシア』な、青いボロ布へ小声で言いました。
そして……それは近くで見ると完全に、剥がされた人間の生皮でした。
靡いていたのは、美しかったフォッグブルーの髪の毛で、けれどそれも色褪せ、捨てられて経年劣化したウィッグのようです。ミイラの方が、まだ可愛いです……。ペッパーさんが「触りたくない」と言ったのも、わからなくないかも……と、生唾を飲み込み、私もしばし動きが止まりました。
(き、気持ち悪……! 今までのどんな魔物より、気分が悪い……!)
(で、でも…………もうここまで来たら、やってやるわあーーッ!!)
妥協点の問題ですが、槍を持った手だけを思い切り伸ばし片目をつぶります。カサカサに萎れて、歯車に絡まっている『ごみくず』を、槍の先端で引っかけました。
「……え、えいぃ……ッ!!」
掛け声と一緒に引き上げると、『それ』は脆く崩れて、呆気なく歯車から外れました。
外された『時の結び目』は光の粉のようになり、瞬く間に消えていきます。
《さあ時間が回るべし! 『機械仕掛の大転換』べし~~~~っ!!》
おもちゃめいた可愛い声が、辺りへ高らかに響き渡りました。
時代の変わり目に現れるという『転換の神』。
別名『機械仕掛けの神』が、嬉しそうな声で宣言したのです。
「ペッパーさん!?」
私が振り返ると、もうそこに白くて丸っこい、クリオネてるてるぼうずの神様はいませんでした。
その代わり、声だけが聞こえました。
《……特別サービスべし。パトリシアの『前世』は、別の『前世』で上書きしてあげるべし。これであの子がまだ変な行動したら、その時は弁護したアナタが、お世話するべしよ?》
だんだんと遠ざかり、小さくなるペッパーさんの声がそう言いました。
同時に、止まっていた歯車が動き始めました。
私が乗っていた歯車も動きました。
「え? …………んギャアアアアーーーー!?」
私は持ち上げられるだけ持ち上げられた挙句、今度は落下することになりました。