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第55話 ルカのはなし・機械仕掛けの神 前編

 ゆっくり瞼を開くと、真っ白な空間にいました。


 私は一人で、硝子のように透き通った、オレンジ色の巨大歯車の上に座っています。

 距離感の狂う不思議な白い空間には、アナログ時計の歯車みたいなものが無秩序、且つ無数に散らばっていました。カラフルなそれぞれが噛み合いながら、それぞれの速度で、音も無く回っています。


 周囲は三六〇度、どこを見ても色鮮やかな大小の歯車ばかりです。

 唯一、右上方向の五〇メートルくらい離れた場所に、青っぽい旗のようなものがひらひらと靡いていました。

 でも旗というより、雨曝しになったゴミ袋という印象で、カラフルで鮮やかな歯車の中にあるそれだけが、ひどくくすんで見えました。


 怖くはないですけど、どことなく悪い夢のような景色で……。


「……ここ、どこ……? ディアベラちゃん……?」


 さっきまで一緒にいた、ディアベラちゃんの姿が見えません。

 呼びかけた自分の声も、白い空間に吸収されてしまうのか、変に遠く感じられました。無音室にいるような、耳を塞がれているみたいな違和感が気持ち悪いです。


 ふと下を見て、自分の肩をピンク色の長い髪がさらりと滑って気が付きました。


「あ! ……入れ替わりが……戻ってる!?」

 身体が元に戻っています。

 あの天文学的な確率で起きた奇跡のおかげで、私は元の『桐生瑠花』に戻っていました。手を握ったり開いたり、顔に触れたりして確認します。久しぶりなせいか、微妙な違和感が……。


 もう一度辺りを伺って確認しましたが、ここにいるのは私だけのようです。

 ディアベラちゃんはいないし、パティもいません。というか、パティは魔獣になってしまったのでした……。先ほど魔獣クリムゾン・レディに飲み込まれかけた状況を思い出し、今頃になって寒気がした時。


《ディアベラは、入れ替わり解消したべし。『居るべき場所』に戻したべし、心配いらないべし》


 突然、おもちゃの音声みたいな可愛い声が、左の耳元で聞こえました。


「うわっ!?」

 びっくりして大声を発し左を見ると、そこには白くて小さな何かが浮かんでいます。ちょうど手のひらに乗るくらいの大きさで、白い空間の中にあっても、仄かに発光して見えました。


「あ、あなたは……!」

 一目でわかりました。

 あれです。今まで何度か私が遭遇した、白くて丸っこくて、ふよっと通りすがっては、すぐにどこかへ消えていったあれ。


「く……クリオネ?」


 初めて近くでその姿を見て、第一印象が口をついて出ました。


 流氷の天使。意外と捕食シーンが獰猛な、可愛いあの子に似ています。

 全体が真っ白で頭は大きくて丸く、目鼻はありません。胴体部分に羽みたいなものがあって、羽ばたくというにはやる気のないそれが、ぴょこりんぴょこりん、と動いています。


《違うべし、『ペッパー』べし》


 洗練されたフォルムの白い塊が、そう名乗りました。謎の語尾がついています。態度や口調はフレンドリーで、何よりも可愛らしい見た目と声と動きで、一瞬呆気にとられました。


「ぺ、ペッパーさん……!? 転換の神様の!?」

《そうべし》


 一呼吸置いて確認した私に、答えて白い体が斜めになったので、頷いたのでしょう。

 ペッパーさんは『転換の神』という肩書の大きさとは裏腹に、随分とシンプルなお姿でした……。


《誰も動けないべし。もうパトリシアも動かないから、安心するべし》


 白くてプリティなペッパーさんは、胴体部分の半透明な羽らしきものを動かしながら、私の目の前でクラゲの如く、ゆっくり浮き上がったり沈んだりしています。


「は、はあ……ここって、どこですか?」

 相手の動きを目で追いながら、私が尋ねると


《ここは『時の糸車』の中べし。魔法の概念をモノ化して、人間にわかるようにしてあるべし》


 ペッパーさんは気持ちよさそうに、宙返りをして答えてくれました。


 自由……何かすごく、自由な性格の神様らしいのはわかりました。もっとこう、雲の上で巨大な玉座に腰掛けているとかの、厳かな雰囲気を想像していたのですが、違うようです。外見も、目が怖くてスタイリッシュかと思っていたら、クリオネてるてるぼうずだし。


「魔法の概念……?」

《そんなことより、この『マカローン世界』の時間が止まってるべし。パトリシアが、『時の結び目』になっているべし。動けるのは異なる世界から召喚された、『戦巫女ヴォルディシカ』だけべし》


『魔法の概念』がわからない私が首をかしげても、てるてるぼうずで自由な神様にとっては、『そんなことより』でした。マイペースに説明を始めてくれました。

 もう今さら別にいいですけど!


「パティが……? さっき夢みたいなのが見えた、あの記憶はパティと、その前世ですか?」

 ふよふよと漂っているペッパーさんに訊きました。


 先ほど目を覚ます直前、私が見た長いようで短い、夢みたいなもの。駆け抜けた声と記憶はパティと、彼女の『前世』に関わるものだったはずです。


《異世界から来たアナタは、あの『記憶』にも感応してしまうべし。でも厳密には違うべし。アナタが思う『前世』とは別べし。わかりやすく言うと…………『世界五分前仮説』って知ってるべし?》


 異世界人な私の質問に、ペッパーさんは水平にくるくる回転して逆に質問で返してきました。

 わかりやすいどころか、唐突に出題された『世界五分前仮説』。知っているかと言われましても……。


「えっと、たしか……『世界は五分前に創られたかもしれない』っていう、哲学の話しですよね? もしも『数億年前の化石』も、『数千年前の歴史』も、完全に備わった状態で五分前につくられたら、あらゆる物質や記憶は、過去が存在した『証拠』にはならないっていう……?」


 私は膝を揃えて、巨大歯車の上に座ったままお答えしました。

 四番目の兄が貸してくれた本で、読んだ記憶がありました。たしかイギリスの、えげつないほど頭の良い天才が考えた『仮説』ということしか知りませんが。


 哲学なので『正解』を出すより、考え続けることに意味があります。だから『答え』のある話ではなかったはずです。

 白くて丸っこい転換の神も、正解を求めていたわけではありませんでした。


《大体そんな感じでいいべし。この世界の、この時代の段階では、異世界の『乙女ゲーム』とそっくり同じ出来事が、起こるべき『必然』として決まっているべし》


 自由なペッパーさんは、自由に話を組み立て始めました。


「え? はい……? パティが言ってた、絶対的正論とか、決定論ですか?」

《そうべし。そしてパトリシアは魂の無意識下に、『異世界人の記憶』がインポートしてあったべし》

「は?」


 神の超説明に追い付くのも大変な私に構わず、てるてるぼうずなペッパーさんが言いました。


《無理やり説明すると……『世界五分前仮説』みたいな、『前世の記憶』なのべし。アナタが想像する『生まれ変わり』とは、関係ないべし》


 きゅるりん、とラブリーに旋回して、『転換の神』は人間へ告げます。

 私も、「ん……?」と言ったきり止まってしまいました。


 どこかで聞いた話しでは、『生まれ変わり』とは、『前世』と『今生』と『来世』で出来ているシステムです。我ら凡夫にして衆生は、永遠に輪廻の中を迷い続けるのです。尚、バリエーションは色々あるらしいです。

 でもペッパーさんの説明だと、前提から違うみたいです。


「ええっと……つまり、異世界で『乙女ゲーム』をしていた人の記憶を、こちらの世界へ引っ張ってきていただけだと……? その『記憶』を、『前世』と錯覚しているってことですか?」


 私が額に手を当て答えをひねり出すと、ペッパーさんは嬉しそうに小さな羽をぱたぱたさせました。


《そうべし。人間は理性や自由意志より、無意識な判断や行動の方が、ずっと多いべし。考えている部分なんて、多くて0.3%くらいべし。この『マカローン』世界をスムーズに回すために、魂の奥底にインポートしてあったべし》


 可愛い声で、楽々とおっしゃいました。

 ペッパーさんに、人を見下す気配はありません。単純にこの世界をスムーズに回すために、『必要だから』やっているのでしょう。

 しかし人類の『自由』とは? 『尊厳』とは……? と、デカ過ぎる命題に、私も少しは思いを馳せました。


「ま、まさかディアベラちゃんや、この世界の全員ですか!?」

《全部じゃないべし、一部だけべし。でも何度も『ループ』をしているうちに、ディアベラは『思い出しちゃった』べし。そして人間は、『己が理解しやすい解釈』をするべし。記憶の辻褄を合わせるために、『自分は乙女ゲームの世界に生まれ変わった』と理解して、勝手に納得していたべし》

「そ、そういうことか……」


 てるてるぼうず風な、二頭身に近い体を揺すって『転換の神』が語る言葉に、私も色々と合点しました。

 要するに、パティもディアベラちゃんも、「この世界のあれもこれも知っている」、「私はあの『ゲームの世界』に生まれ変わったんだわ!」と自動的に解釈していたと……。


《これまでの全十回の『ループ』の記憶も、似たようなものべし。『時の糸車』が動作する上で必要だから記述されているだけで、時空的な『過去』とは違うべし》


 私の周囲をぴよぴよ浮遊し、ペッパーさんはまた小難しいことを言い出しましたが


「? それはどういう……?」

《わかんないならいいべし》

 深く問答する気は無かったらしく、そこで終わってしまいました。自由……。


《とりあえず、ここには『前の人』なんかいないべし。パトリシアはパトリシアで、ディアベラはディアベラべし。でもパトリシアの過剰に後ろ向きな性格が、『前世の記憶』と相性が良過ぎたみたいで、『違う』って説明しても却下するべし》


 おもちゃみたいな可愛い声に、一つまみの不機嫌をまじえてペッパーさんが言いました。

 どうやらペッパーさんも無抵抗だったのではなく、パティと折衝や対話を試みていたようです。でもパティはそれを拒否して、この世界を『ループ』させ続けてきました。


「……信じようとしないんですか?」

《その通りべし。パトリシアは、この『戦巫女ヴォルディシカ時代』を、ゲームのように永遠に続けようとしたべし》


 困っているというより呆れている感じで、ペッパーさんがぼやきました。

 私もさっき見た、『パティの前世と、その記憶』を思い出して考えました。ロビンちゃんへの愛が凄かったのはわかりますが、かなり重篤化している印象でした。

 そこで、ある事に気が付きます。


「つかぬことを伺いますが、ペッパーさん……。どうしてあんな『記憶』を選んだんですか? 『乙女ゲーム』と関係ある人の記憶なら、他にいくらでもあったでしょ?」


 白い中空をクラゲのように漂っている『転換の神』に、素朴な質問をしました。

 それに対するペッパーさんの返答は、簡潔でした。


《『前世』として思い出しちゃう事案が発生するのは、バグとして避けられないからべし》

「それなら尚更、『乙女ゲーム』を、明るく楽しんだ人の記憶を持ってくれば良かったんじゃないですか!?」


 不思議な歯車の空間で、左下から右上へ上昇していく白い発光物体に、私は疑問をぶつけました。


 パティの魂にインポートされていた『異世界人の記憶』は、辛いし重いし暗黒でした。

 もっとハッピーで陽気で、幸せいっぱいな記憶だったら、パティもここまでならなかったのではありませんかー!? と、そう思ったのです。

 そんな私の前にふんわり降りてきたペッパーさんが、お答えくださいました。


《過去の『思い出』の方が楽しくて輝いていたら、困難な『現在』を、前向きに生きられないべし》


 神の説明は、超理論で構成されていました。


《真っ黒な『前世』の方が、本能的に封印されるから、思い出しにくくなるべし。『戻りたくない過去』くらいが、『今』を必死で生きるからちょうどいいべし。ディアベラもそうだったべし?》


 愛らしく羽ばたいて、ペッパーさんは仰いました。

 私は神のミラクル理論を、意識が遠のく感覚を覚えつつ聞いていました。


 悪役令嬢なディアベラちゃんも、『前世』について語ろうとすると、発狂しそうになっていました。だからお嬢様は『前向き』にリカバーしようとして、血と汗と涙の全十一回の『ループ』にも立ち向かってきたのです。『転換の神』の目論見通りで、実績もあります。稟議は通りそうです。情緒の薄さだけが気になりますが。


「あ……はい、わかりました、もういいです……」

《てなわけで、あそこで『時の結び目』になっているパトリシアを、外してほしいべし》


 自由過ぎる神との感覚のズレに、人としての限界を感じてきました。

 私が力なく頷くと、自由過ぎる神様が、薄い羽でもって何かを指し示します。


 示された右上方向を見上げれば、五〇メートルほど離れたそこでは、あの青っぽい旗みたいなものが相変わらず無音で揺れています。


「え……? か、絡まってるあれって……パティなの!?」


 ぞわりと二の腕を走った鳥肌と共に私は叫んで、歯車の上で身を乗り出し目を凝らしました。

 離れているので、細部までは見えません。意味が解ってきて、頭から静かに血の気が足の方へと落ちて引いていきます。


 あれが、『パトリシア』だというのです。

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