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第54話 ルカのはなし・パトリシア、モブやめるってよ

 カウントダウンゼロの、逆バンジー。

 吹き飛びそうになった意識を引き戻し、瞼をこじ開けました。足元はスカスカで何もありません。遥か眼下に雲と海、遠くに緑色の山々。学院のあったマフィン島より、やや海上方向へと引っ張られていて。

 そして


「う……ぐッ!?」

 重力を無視した急上昇で、呼吸が出来ません。『魔法』で天空へ逆バンジーされた人間は、私とディアベラちゃんだけでした。暴風に巻き込まれ飛んできた地上の小枝や小石が、顔や体にビシバシ当たります。痛い! 痛いわ!


 気温は急低下して、目や口の中は凍り付きそうで五感がおかしくなっています。『デスゾーン』の言葉が脳裏を過りました。そこにいるだけで、死に近付いていく環境です。


「……旋風鳥の魔盾(ハルピュイアシールド)……!」

 咄嗟に防御の魔法を唱えて防御壁を出現させました。

 風の精霊の魔法が発動すると身の回りにシャボン玉のような膜が張られ、温度と気圧と呼吸が安定します。飛来物によるダメージも避けられましたが、上昇は止まってくれません。地面が遠くなっていくうー。


「ディアベラちゃん、生きてる……!?」

「い、生きてますわ……! それより、アレを見て!」


 逆巻く風の中、同じく防御魔法のシャボン玉で身を守りながら戦巫女ディアベラちゃんがピンク色の髪の毛を片手で押さえ、更に上空を指さしました。


「!? な、何あれ……!?」

 不安定な空中で見上げた私も絶句しました。


 分厚い雲の向こうに、巨大な赤い光がボウっと見えたのです。黒雲と白雲が嵐の中で混ざり合い、紫色の稲光が走る空で、灰色の渦が次第に何かを形成していきます。

 流れる雲の中心から出現したのは、濁った灰色の塊にして超巨大な人面。


「ヒイイイイーーーーーーーーッ!?」


 現れた巨大な真紅の目と、思わず叫んだ私の目が合いました。

 空を覆い風に飛ぶ雲が、長い髪のようになって灰色の顔を縁取っています。僅かに開いた黒い口と、虚無の表情。これはまさしく


「し、真実の口……!? ローマの観光名所!?」

「貴女、ローマに怒られますわよ!?」

 口走った私を、隣でディアベラちゃんが叱りつけました。


 でも一番近いイメージが、『口に手を突っ込む』壁のアレの超巨大版です。本家は哲学者のような雰囲気でしたが、こっちはどう頑張ってフォローしても凶悪な魔物系で……。


「え……え!? もしかして、パティ……!?」

 私の記憶にある人の顔と、目の前のソレが一致して息をのみました。


 変わり果てているのと巨大過ぎるのとですぐにはわかりませんでしたが、面影があります。雲から出現した灰色の顔は目鼻立ちの整った女性で、見覚えのある輪郭をしていて、それは私のよく知っている『侯爵令嬢』と同じでした。


「あ……あれは、『魔獣クリムゾン・レディ』ですわ……!」

 上昇していくシャボン玉の中で、ディアベラちゃんが叫びました。

『魔獣クリムゾン・レディ』、そいつはもしや。


「は!? それって『悪役令嬢』が変身する魔獣でしょ!? どうしてパティが魔獣になるの!?」

「わたくしだって知りませんわよ! 『乙女ゲーム』のシナリオが狂ってるからじゃございませんこと!? まずゲームで登場するのはラストダンジョンだから、もっと終盤だったはずよ! それにゲームでは下半身が蛇の蛇女ラミアのような姿で、大きさもここまで巨大ではありませんでしたわ!」


 戦巫女わたしの姿をしたベテラン悪役令嬢(ご本家)が、上空に迫りくる『真実の口(女版)』を睨みつけて解説してくれました。

 すごい、ディアベラちゃんの『前世の知識』が役に立ってる……!

 っていうか。


「あんなの、完全に怪物じゃないの……」

 金髪伯爵令嬢な私も、近付いてくる脅威の権化に呟きました。


 『侯爵令嬢パトリシア』だった別のモノ。真紅の瞳と虚無の表情でこちらを見下ろす、巨大な灰色の顔をした魔物は全てを吸い込もうと口を開けています。灰色の雲をすり抜けるほどに細部が見えてきて、存在自体が悪夢のようで。


「まさか、飲み込まれるの……!?」

「イヤーーーーッ!?」


 今後の行先が見えてきて、ぎょっとした私の横でディアベラちゃんが両手で頬を押さえ金切声を上げています。私たちが暴力的な力で引き寄せられている先は明らかに、魔獣クリムゾン・レディの巨大な半開きの、真っ暗な口です。

 気分は掃除機に吸い込まれるダニ……!


「……劫火纏いし竜ボルカノ・ファーヴニル!」

 ダメで元々。

 私が魔法を放つと炎の塊が直撃しましたが、灰色の顔には焦げた形跡もありません。大魔法ではないけど、上級の魔物にも大ダメージを与えられる魔法攻撃が効きません。


「効かない……!?」

「クリムゾン・レディは最初から、防御の魔法がかかっているのよ! 解除しないと、どんな強力な魔法攻撃も意味がありませんわ!」

 そう言って今度はディアベラちゃんが、状態変化の魔法を詠唱しました。


魔法無効化マジックヴォイド!」

 灰色で巨大な『真実の口』を覆っていた魔法の防御壁が、青く光って砕け散ります。

 やだ、さすが『乙女ゲーム』のパイセン……! 頼れる日が来るなんて!

 無効化魔法の影響か、上昇も僅かに遅くなりました。


「吸い込む速度が鈍くなった……!?」

「誤差範囲ですわね、遅かれ早かれ、わたくし達あの口に吸い込まれて……」

「どうなるの?」

「わ、わかりませんわよっ!」

「吸い込まれるのが鼻の穴だったら、くしゃみで出られたりしない!?」

「逆に絶対イヤですわああああーーッ!!」


 私とお嬢様が空中で怒鳴り合っていると


《……て……しい……!》


 彼方の雷鳴に似たおどろおどろしい声が、昏い空気を震わせました。聞こえた声に「え?」と私たち二人が顔を見合わせ、恐々と見たくもない上空を再び見上げると


《モブだって……モブだって未来を選べなきゃおかしい……! 絶対的正論ヒロインさえいなくなれば、舞台の中心点さえ手に入れれば、モブだってええええーーーー……!!!!》


 真紅の瞳を剥き出しにした『魔獣クリムゾン・レディ』が、巨大な口から牙を覗かせ絶叫しました。黒い雲から浮き上がり、顔を突き出して猛烈な速度で近付いてきます。


 これは鬼女です! 哲学を感じさせる歴史的な文明の遺産にして、観光名所ではありません! 神話の怪物メドゥーサです! ごめんなさいローマの皆さん!!

 それはそれとして!


「ディアベラちゃん! 『モブ』って何!?」

「脇役のことですわよ、相変わらず非常識ねッ!」

「すみませんっ!」

 無知な私がディアベラお嬢様から叱られている間に、また上昇速度が上がりました。

 敵を足止めする拘束の魔法を放っても、『鬼女第二形態』にレベルアップしたのかクリムゾン・レディは止まらず、お口というゴールへ近付いていきます。


「要するに、脇役が『主役ヒロイン』のポジションになっちゃえ的な発想だったってこと!?」

 私は大声で、ベテラン悪役令嬢へ尋ねました。


「そうみたいですわね! パトリシアは『魂魄スピリット転換魔法カンバーション』で、ヒロインである戦巫女ヴォルディシカの人生を生きようとして……失敗したんですわ。『究極の成りすまし』魔法は成立しなかったんですのよ!」


 モブなパティが欲した、『戦巫女ヒロイン』の成りすまし。

 現在そのポジションに入れ替わっている『悪役令嬢』は、クリムゾン・レディが再構成した防御壁を、もう一度魔法で解除し粉砕しながら答えました。戦巫女わたし悪役令嬢ディアベラちゃんが、こうして仲良く一緒に吸い上げられているのも、『ヒロイン』の魂魄と肉体が分離しているからで。


「……『入れ替わり』に失敗して、おまけに相手が悪くて、パティは手も足も出せなくなっちゃったわけだ? もしも正体がバレて『ディアベラお嬢様』が死んだら、ロビンちゃんも死んじゃうから……!」

 私も少しわかってきました。


 失敗の相手が『悪役令嬢ディアベラ』以外の誰かだったら、パティは『ヒロイン』ごと抹殺していたのではないでしょうか。誰にも見つからない場所で、『名前』さえ呼べば即終了です。それくらいは知識として知っていたはずです。


 でもルカと入れ替わった相手は、ロビンちゃんの生命線ともいえる人物でした。


 迂闊に動いてディアベラお嬢様に何かあれば、パティが一番『助けたい』人である万能の執事メイドさんが、死亡ルートへ真っ逆さまです。パティは、それだけは避けたかったでしょう。そうして身動きが出来なくなっているうちに逃げ道は塞がれ、パティは追われる身になったのです。


「それにしても、パトリシアにも『乙女ゲーム』の認識があったんですの!?」

 自分以外にも『乙女ゲーム』を知る人の登場に、ディアベラちゃんが言います。


「ヒロインがどうこう言ってたから、そうだろうね。いつから自覚があったのか知らないけど」

 華奢で小柄な金髪美少女になっている私も、シャボン玉の中で答えました。

 先ほどの大告白大会で言っていた、『ヒロイン』とか『絶対的正論』とかいう単語は、『乙女ゲーム』を知らなければ出てこないでしょう。


 そして、そんなパティが変身した巨大な怪物『魔獣クリムゾン・レディ』は、もう目測で七百メートルといった距離まで迫っていました。飲み込まれるまで時間が無いです。


「それじゃ、わたくしと同じように『前世』の記憶が……!?」

「さあ、そこまではどうだろう……ね!? 『久方の光星(アリアンロッド)』ーーッ!」


 お嬢様に返事だけして、体勢を取り呪文を唱えました。

 周囲へ集まった光が数百の矢となって飛び、巨大な灰色の顔目掛けて突き刺さります。煙の裏側から低いうめき声がしました。先ほどよりは効果があったようです。


「ちょ、ちょっと!? いくら何でも、武器もない状態で戦うなんて無茶ですわ!」

「飲み込まれるのを待ちたくないでしょ! 『魔法無効化』使って、止めるの手伝ってよ! 他に武器も無いし……」


 こういう時だけ諦めるのが早いディアベラちゃんに、私は言い返しました。このままでは、やりたくもないのに体当たり突撃です。装備も何も無く丸腰で、使える手段は魔法だけ。力を惜しんでいる場合でもありません。


滅却の閃光(セイリオス)ッ!!」

 光属性最上級魔法。

 本来なら天から降り注ぐ白い光の柱が、私の周囲を旋回し上空へ殺到します。


「きゃーッ!!!!?」

 光が裂けて衝撃波で雲が消し飛び、怪物の姿が露わになりました。

 狂った魔物の叫び声と耳を劈く炸裂音に、ディアベラちゃんが悲鳴を上げます。シャボン玉がくるくる回転して吹き飛んだから、そっちの悲鳴だった可能性もあります。


 魔獣クリムゾン・レディは、顔面の真ん中から煙が上がっていました。魔法の衝撃で少し距離も離れましたが、数秒もたたずに再び吸い寄せられていきます。


「こ、こんな近くで、戦巫女ヴォルディシカ専用魔法を使わないでちょうだいッ!」

 シャボン玉の中で引っくり返っているピンク髪の女の子に迷惑顔で苦情を言われましたが、聞いている暇はありません。


「チッ、入れ替わってるせいか? 魔法の効きが甘い……もおー、さっき『紅蓮の宝珠』飲んでくれれば良かったのに!」


 言っても仕方ないけど、私もお嬢様へ苦情で返しました。

 戦巫女だけが使える魔法の威力が、別人の肉体ゆえか半減しています。現在私の肉体の持ち主であるディアベラちゃんが使っても、真価は発揮できないでしょう。


「だ、だって、まずそうだったから……」

 私の指摘に、ディアベラちゃんは上目遣いで答えるも最後の方が言い淀んでいました。

 たしかに美味しそうではありませんでした! それは同意します! しかしあれを飲んでいれば、入れ替わりも解消して元に戻っていたのです!


「おいしいまずい言ってる場合じゃないよね!?」

「あ、あうう……! 貴女のそういうところが嫌われるんですのよッ!?」

「元から嫌いなんだから関係ないでしょ!? それに宝珠が死ぬほどまずくても『入れ替わり』が治れば味覚で苦しむのは私で、ディアベラちゃんじゃないんだからイイでしょうが!?」

「だ、だって、だって……! まだナキルの『お別れイベント』やってない~ッ!!」

「どこまでバカなの!? 最悪っ!!」


 相当ヤバい状況なのに、アホな怒鳴り合いをしている私たちの上で、青い光が閃きました。

 振り仰ぐと分厚い黒雲の奥底から現れたのは、灰色の巨大な右手と左手。


「げ、手があった……!?」

「ま、まさか、空中で巨大化してるんですの……!?」

 捕まったら握り潰されること確実の両手が出現した『魔獣クリムゾン・レディ鬼女第三形態』。


 逃げきれない、と覚悟したとき。

 私とディアベラちゃんの前で、鬼女の手が急停止しました。灰色の両手を、鋭い白氷が網の目のように走り覆いつくして、動きを止めたのです。


「こ、これ……『凍える水蜘蛛(フリーズアラクネ)』!? ……セト!?」

 見覚えのある魔法に私は地上を見下ろしましたが、遥か雲の下で見えません。


「え、この距離で届かせたんですの!? 許されないんじゃありませんこと!?」

「でもこの魔法が使える人、セトだけだし……!」

 魔法で魔獣が動きを止めている間に離脱しつつ、ディアベラちゃんと言い合いました。


 いくらあの優等生が『水の精霊の守護者』とはいえ、魔法の射程範囲としてルール違反です。地上と数千メートル(目測)離れたここまで届かせているので、おそらくセト一人ではなく数人がかりでやっているのでしょう。それにしても魔法の規模といい効果といい、常識はずれです。

 標的が巨大で細かく狙う必要もないから、そこは簡単かもしれませんけど……。


 その私たちのすぐ横を、ダンプカーほどもある黒塊が亜音速で飛んでいきました。

「うひッ」と漏れた私の声をかき消す轟音と共にクリムゾン・レディに激突し、爆発します。


《キいヤアアアアアアアアーーーー!》


 魔獣クリムゾン・レディが、耳障りな奇声を上げました。


「こういう雑な攻撃する人は……マキアム!?」


 私が考えている間にも、飛来した岩石が巨大人面に激突していきます。マキアムが土木偶ゴーレムを使役して、アイザックの火炎魔法をかけた大石礫を投げさせているのです。

 ええい、可愛い顔して、あの人型巡航ミサイルがぁ……!


 投げるだけではここまで飛距離が伸びませんから、フューゼンが風魔法で吹っ飛ばしています。しかも上にいる敵に当たった岩は当然、今度は下へ落ちてくるのです。


「ち、ちょっとマキアムー……! 当たる、当たる! 空中でそんなに動けないってばー!」


 黒く燻る落石を避け、届かないけど地上へ叫びました。

 手当たり次第に投げつけても、「ルカなら避けるよ」とか言っているであろう守護者連中の声が聞こえた気がしました。たぶん空耳ではなくリアルで言っています、あの野郎ども。


 その信用は嬉しいですが不安定な空中では、そこまで容易に動いたり体勢を変えられないのです。


 地獄の如き怒涛の攻撃(味方の援護です)を飛び回って掻い潜り、もう一度、戦巫女専用魔法を叩き込みました。

 魔獣クリムゾン・レディの顔面が、憤怒の表情に歪みます。


《みんな、嫌い……ボクを愛さない世界なんかキライ、愛してくれないなら、ボクだって愛さない……みんなみんな、ヒロインごと滅びれば良いーーーー……ッ!!》


 鬼女の怨嗟の咆哮が、黒い天空で轟きました。

 絶叫が黒天に響き渡り、人間も世界も飲み込もうとする怪物の口が裂けて、その奥の方に奇妙な歯車が見えました。


「ッ!!?」

 そこでとうとう耐えきれなくなったシャボン玉が弾け、守ってくれるものが消え失せます。


「ああああ! どいつもこいつも、イベントだのヒロインだのってうるせーな!!」

「嘘でも幻でも良いの~!! べたべたされたいの! 人生は甘ければ甘いほど良いの! 『ヒロイン』でいたいの~~~~ッ!!」


 これが人生最後の言葉だったかもしれないというのに。

 デスゾーンへ放り出された私とディアベラちゃんが、各々勝手なことを口走ったその刹那。

 地上から、きらりと赤く光る小さな物体が風と共に飛んできました。


 赤い物体はその勢いのままで、戦巫女ディアベラちゃんの口へ、がぽんッ、と飛び込んだのです。


「あ」

「あ」


 ホンの一瞬しか見えませんでした。

 でもディアベラちゃんが、ンごく……っと飲み込んだ赤い物体は、間違いなく『紅蓮の宝珠』でした。


 異世界に召喚されるより、悪役令嬢と魂魄が入れ替わるより。確率として何千倍も奇跡的なミラクルを、浪費したような……。


 と、私とお嬢様が止まった瞬間、どこかから現れた白くて丸っこいものが、ふよっと目の前を通り過ぎて。


《ふう~……やっと出てこられたべし……》


 可愛い声が伸びやかに囀り、視界が白一色に塗り替えられました。

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