第53話 ルカのはなし・よんでますよ、ロビンちゃん
「もっと遠くへ逃げちゃえばいいんだよ!」
『悪役令嬢ディアベラ』の前で、泣きそうな顔をしたパティが叫ぶように言いました。
「パトリシア様……?」
こちらへ差し伸べられた手と、見つめてくる宝石のようなピーコックグリーンの瞳。それを見て、『ディアベラ』になっている私の呼吸まで止まりました。
そして頭のどこかでは、やっぱり、と思っていました。
以前、神殿で鉢合わせした頃から私が予想していた“パティは伯爵令嬢とお友達になりたいんじゃないですか? 仮説”。
それが今、立証されようとしています。
わたしと数歩離れた位置でパティは赤い顔をして、瑞々しい薄桃色の唇は震えていました。
「ねぇ信じて……君に何かあったらと思うと、それだけで怖くて……息も出来なくなりそうなの。何もかも、ボクの我儘だってわかってる。甘えだよね、いけないんだよね。でもやっぱり、お別れしたくないから…………お願い、ロビン!」
「ッ!!??」
『ロビン』
そっちですか!?
私が勢い込んで背後を見ると、そこでは美少女系クール執事さんが石灰化しています。ミントグリーンの瞳からは光が消えていました。
もう一度確認しましょう。
侯爵令嬢パトリシア様が見つめている先。
それは燦然と輝き咲き誇る大輪の薔薇のような美少女ディアベラお嬢様、ではなくて。その陰に常に寄り添う、可憐な月夜草の如き万能の執事なロビンちゃんでした。
パティは柔らか眉の根を寄せ、苦し気に両腕で自分の体を抱きしめて下を向いています。豊満なお胸が中央に寄っているので、嫌でも谷間に視線集中しちゃう感じです。
「ごめんね……憧れているだけで良いって、自分でも思ってた。遠くから見守るだけで幸せだって言ったあれは嘘じゃないの。でも、ロビンに『好き』って言われたこと、ボク本気で信じちゃって」
「そんなこと一度も言っていませんが……?」
衆人環視の中で始まったパティの告白大会を、ロビンちゃんの泥水のように濁った声が止めました。
「は……? ロビン、言ってないの……?」
「言ってません! 一切、全く! 何の話しだか全然!?」
金髪お嬢様な私の質問に、普段の冷静さを失った口調でロビンちゃんが答えました。恐怖対象と対峙したかのように、目元も引きつっています。お嬢様の私も、ロビンちゃんとパティが接触している場面は見たことは無いですが。
じゃあ今聞いた話しは、何……? と、私が困惑を深めていると、パティは恥ずかしそうに頷いて微笑みました。
「終わったことだもん。ロビンにとっては、あの時だけの気持ちだったんだよね? ボクも頭では、ちゃんと整理出来てるし、わかってるよ? でもね、バカみたいってわかってても、どうしても忘れられないの。嬉しすぎたから」
「……って言ってるけど?」
「知りませんッ! あの時って、どの時ですか!? 身に覚えが……!?」
ふわふわフレンチカールな金髪伯爵令嬢がもう一回確認しても、ロビンちゃんは顔面蒼白になり、必死の形相で否定します。
パティの話しだけ聞くと、『二人は人知れずに濃厚接触していた』としか聞こえません。しかし、そうではないみたいです。『断罪』されたパティと縁を切りたいのかもと思いましたけど、ロビンちゃんが嘘をついているようには見えません。
(もしや…………脳内彼氏か?)
(パティの頭の中では、ロビンちゃんと付き合ってたことになっている……?)
(片想いが煮詰まって、妄想ストーリーが現実に自動変換される、アレですか?)
ごくりと唾を飲み込んだ私と同様、周囲の人々もシンとしていました。今までの喧騒は消え去り灰色の静寂に覆われています。全員ドン引いていたのかもしれません。
「んふ……こんなの、キモチワルイよね? 頭おかしいよね? だからボクも、やめようとしてきたの。ずっと我慢して、がまんしてきたんだけど、もう無理かなって……。気持ちが疲れ果てちゃった。心の中に、君の思い出と笑顔が戻ってきてる……。寂しいのはボク一人だけなんだって、ちゃんと自覚もあるのに……でも、でも絶対、こんな世界は間違えてるから!」
パティが顔を上げ、決然と言い放ちました。侯爵令嬢の独壇場です。先の『断罪イベント』さえもが、パティを輝かせるための演出だったかのようです。錯覚だと思いますけど。
「君に忘れられたって良い。図々しいと言われても、勝てない闘いであったとしても……ただ一人だけ、愛しい人を助けたい!」
蒼い炎を宿した眼差しで、パトリシア様が言いました。
波打つ絹のようなフォッグブルーの髪の先を、風がふわりと揺らします。寂しげな微笑みを浮かべた透き通る美貌と、全身から香り立つ気品の前では妖精の女王さえも恥じ入るでありましょう。脳内彼氏の話しじゃなかったら、誰もが涙にくれたと思います。
「な……何だか、復縁を迫られているみたいよ、ロビン?」
「ふ、復縁も何も……い、いい、意味がわかりません! 嫌です!」
「……嫌なの?」
「はい、嫌です!」
即答でした。ディアベラお嬢様な私がこそこそ尋ねても、顔面が蒼白を過ぎて土気色になっているロビンちゃんに、気が変わる様子はありません。嬉しくない気持ちはわかります。しかし
「そ、そんなハッキリと、明確に嫌なの……? 絶対にダメなの? ほ、ほら、スタイルも良いし、可愛い女の子よ? 私が思っていたよりも、ちょっと重度に浮かれポンチみたいだけど、考える余地は? 助けようとしてくれてるっぽいし、受け取っておいたら?」
石膏像状態な万能の執事さんに、私は小声でおススメしてみました。
何故に私がこんなにも、二人の間を取り持とうとしているのでしょう?
でもパティは間違いなく美人さんだし、男性と貧乳さん憧れの豊満おっぱいでスタイルも抜群です。家柄的にも最上級で、人生を好き勝手にエンジョイ出来るご身分です。『禁呪』の使用その他によって、現在進行形に断罪されているわけですが、そこは一旦置いといて。
ロビンちゃんには、『エンディング後死亡問題』もあります。
こんなにも愛してくれている人が存在するとわかって、うまくいったら良い方向に進むんじゃないですか? と思ったのですが。
「お嬢様……ッ! いくらお嬢様のお言葉でも、これだけはお許しくださいッ!! 無理です!!!!」
ロビンちゃんは歯を食いしばり、罰ゲームでゲテモノ料理を食わされている人みたいな顔をしています。頑ななまでに拒否の姿勢です。
「そこまで……!? ど、どうして? 何がいけないのかしら……?」
私は万能の執事さんの顔を、下から覗き込んで尋ねました。これまでディアベラお嬢様には、極めて従順だったロビンちゃんの拒絶ぶりに、さすがに異常なものを感じます。
そんなロビンちゃんは、怯えきった様子で手足が震えていました。
「な、何というか、こ、こう、簡単に言うと…………本能的嫌悪感です」
「生理的嫌悪とかじゃなく!? 本能レベルって深くないですか!?」
「正直に申しますと、今こうしているだけでも吐き気が……」
「吐くほど強烈に!?」
「や……やっぱり私の人生はゴミ捨て場ですね……。所詮、私に好意を抱く相手なんて、善意の顔で絶望の地獄に沈めてくる下衆な輩だけで、持っている全てを搾り取られて、おもちゃにされながら未来永劫どこまで行っても先は真っ暗な人生が」
暗い目をしてぶつぶつ呟く亜麻色の髪をした美少女系の執事さんは、今にも失神しそうな気配です。ロビンちゃんはパトリシアお嬢様からの愛を、断固拒絶しています。
(あれ……? もしかして以前……ロビンちゃんが遠くから戦巫女を睨んでいるように見えたのって、パティが視界に入ったから?)
(そういえば、神殿で会ったときも「寒気がする」って言ってたっけ……あれも『本能的嫌悪感』がそうさせたのか!?)
私も改めて考えてみれば、思い当たるシーンが幾つか浮かびました。そうだとしても何が影響して、ロビンちゃんはこんなにも、本能的な嫌悪を発動させているのです!? 知らないうちに『脳内彼氏』に仕上げられているだけで、恐怖なのはわかるにしても! 何もしないで、本能的嫌悪感は芽生えないはずですよ!?
サフォー侯爵令嬢は、万能の執事に何をした!?
と、私が唖然としていると
「お、お嬢様、お願いです! あんなのと関わるくらいなら、私は死を選ぶ方がマシです! どうかロビンを見捨てないでください……ッ!」
「いやややや、み、見捨てた覚えはないですわよ!」
小柄なディアベラお嬢様にすがりつき、ロビンちゃんが半泣きの命乞いレベルで訴えてきます。突き放すわけにもいかなくてジタバタしていたら、大きなため息が聞こえました。パティでした。
「あーあ……どうしても、こうなるんだね……。『正なる神シュガー』の代理人。世界を正す戦巫女。絶対的正論が運ぶ世界は、必ずこうなっていく……誰もが幸福そうな顔をして。ボクだけを置き去りにして」
華奢な肩を落とし脱力したパティは、虚ろに淀んだ目で空を見上げ呟きます。
「絶対的正論……?」
私が(行きがかり上)ロビンちゃんを背中で庇い尋ねると、侯爵令嬢は気だるげに頷きました。
「そう……“異世界から召喚された戦巫女の選択を中心に回る”と決定付けられているのが、この世界の運命。無限に近い因果の積み重ねによって導かれてきた、揺るがない『決定論』……」
麗しの令嬢パトリシア様は、胡乱な失望に滲んだ目を細めて語ります。
「だからボクがどんなに必死で積み上げた計画も、『ヒロイン』にはあっさり覆されちゃう。笑っちゃうよねぇ、あれだけ準備して『手紙』には時限式の誘導魔法までかけて。戦巫女が屋上へ行くところも確認したのに……実行の瞬間には屋上にいないんだもん。おかげで全部台無し」
冷静な口調でそう言うと、パティは自らを嘲るようにくすくすと忍び笑いました。
『入れ替わり事件』があった日。
手紙に掛けられた誘導の魔法によって、屋上へ向かった戦巫女ルカなら私です。でも「あの時は急にトイレに行きたくなったんだよね~!」なんて本当のことを言うと、蒼い宝石の侯爵令嬢が爆発しそうだから息を殺して沈黙していました。
緊張が高まる中でパティが目を見開き一歩踏み出すと、ディアベラお嬢様の背後でロビンちゃんがびくっと身を竦ませる気配がしました。
「でもボクは、そんな『絶対的正論』から、ロビンを助け出すって決めた……!」
「ロビンは『助けられたくない』って言ってるみたいですがそこは……?」
「もう少しだから! 怖いけど……立ち向かうって決めたから!」
「聞いて?」
金髪美少女な私の言葉は、ゴリゴリ無視されました。
そしてパティが右手で地面を叩くと、八方へ鋭い閃光が走ります。瞬時に七色に輝く巨大な魔法陣が広がり、高速で回転しながら演算を開始したのです。
「これは……もしや古代魔法の……!? パトリシア、どうしてこんな『禁呪』を……!?」
「ここで魔法は使えないはずなのに!?」
イェルク先生やセトの声に、魔法陣の中心でゆっくり立ち上がったパティが振り向きます。
「たしかに……何人たりとも、ここで魔法を発動させるのは不可能だね。たとえ世界最強クラスの魔導師であったとしても、無理。でも、ちょっと惜しいなぁ……異世界へ繋がる『神』の力を持ってすれば、話しは別でしょ?」
「神の力だと……?」
広場の人々が悲鳴を上げ逃げ惑う中、フューゼンが問うと
「ふう……わかんないか。あ、ボクが規格外なだけだから、気にしないでね? ここまでやった、先生たちはホントに凄いよ。並の魔導師じゃ、千人がかりでも敵わないよね。だから、んーと、つまり転換を司る……『機械仕掛けの神ペッパー』の力を手に入れている、このボクだけが別っていう……ね?」
フォッグブルーの長い髪を風になびかせた侯爵令嬢が、微笑みを浮かべて答えました。あれが前にディアベラちゃんが言っていた、『暗黒の微笑』なのかなーと思いながら私が見ている前で。
「先生が言った通り、今のボクは精霊たちとマナの交換が出来ない。力の加減も操作も出来ない。この魔法しか使えないけど、でもそれで十分……!」
「圧縮した魔力で時空に歪を!? 生体組成まで別次元の存在へ変換させようと言うのか!?」
「転換の神の力をここまで……! 因果まで覆す……こんな術一体どうやって……!?」
「説明は必要無い。する必要性も……無いッ!!!!」
無駄に高い語彙力が求められる会話が交換され、説明の終了を宣告するようにパティは両手を空へと高く掲げました。
「くっ!」
「もう遅い!」
イェルク先生に先んじてパティが叫ぶと、横殴りの風が強くなります。木々は傾き空は黒雲に覆われて、魔法陣からプラズマのような光が無軌道に迸りはじめました。
天才魔導師と呼ばれた侯爵令嬢。その手が、何かの印を切るように空を切りました。
「昏き深淵より転換の螺旋を紡ぎて、因果の糸を手繰りし最果ての番人よ。永劫回帰と正と邪の不文律を破り、我が魂の宣誓をもって愚かなる全ての運命を灰とせん……。『超古代時空混沌魔法』……!!」
歌うようなパティの詠唱で演算は加速し、魔法陣の中心部に近い位置にいた私は動けません。
「こらーパトリシア! 何じゃその詠唱は!? 最後の一文以外は必要ないじゃろが! 折角の禁呪に、無駄な装飾を入れるでないわ!!」
パティと趣味の合わないジョシュア先生が、外で一人でぷんすか怒っているのが聞こえます。先生、それより止めて……!
『昏き深淵より転換の螺旋を紡(以下省略)』は、たぶん気持ちの問題です。内容はふんわりしていましたが、意味ありげなのと宇宙的壮大に悠久な感じは、私にもすごく伝わってきました! 気持ちって大事ですよね!
パティの『気持ち』に圧倒され、ついつい私が吹き荒れる七色の嵐を見上げている間に、空の淵から淵まで覆うように鋭い罅が走りました。罅が大きくなり一斉に砕けて、現れたその黒い隙間から、巨大な『歯車』が一瞬見えた、と思ったら。
「……え? ぎゃああああーーーーーーッ!!?」
「いやああああああーーーーーーーッ!?」
「ルカ!?」
「お嬢様!!?」
伯爵令嬢と戦巫女だけが、重力も何も無視して猛烈な速度で空へ飛ばされたのです。