第52話 ルカのはなし・さよならのついでに断罪の花をかざろう 後編
慈悲深い声に呼ばれたその名前で、広場の人々の視線が一か所へ集中しました。
そこで佇んでいたのは、フォッグブルーのゆるく波打つ長い髪をした女の子。パティでした。
「…………」
エクター・サフォー侯の娘にして麗しき令嬢は沈黙し、花びらの如き唇を硬く結び動きません。美貌は白蝋のように固まり、『サフォー家の蒼い宝石』と称えられるピーコックグリーンの瞳も、何も映していませんでした。
「よほどの魔導師でも不審に思わないほど微量に、魔晶石へあらかじめ『魔法』が組み込んでありました。こんな真似は、素人には出来ません。更に魔晶石の出所から考えて、アマンディーヌの王宮魔導師でもなければ、不可能なんですよ」
イェルク先生は説明を続けます。
サフォー侯爵様が、腰が抜けたようにその場で座り込みました。
「ぱ、パトリシア……? 嘘だろう、そんな……そうだ、証拠は」
「おお、証拠ならばここにあるぞ!」
情けない声を上げる侯爵に、ジョシュア先生が胸の内ポケットから『証拠』を取り出しました。そんな速度で出してあげなくてもいいじゃないですか、というくらいすぐに出てきたのは、透き通った紅いガラス玉のような物でした。
「クグロフ国の連中が『情報収集させろ』と言ってきたので、交換条件で協力させてな。各地に散らばった魔法具と魔晶石を、徹底的に追跡して集めてやったわ。そこから取り出した“不純物”である魔力の破片を、結晶化したのじゃよ」
飴玉みたいなそれを日光に透かし、ジョシュア先生の青白い童顔がますます凶悪に笑いました。
この前、『偽の追試』で呼ばれたときに、黒魔法工房で先生が作っていたアレです。“不純物”から抽出した魔力の結晶化が完成したのです。
どうでもいいですけどジョシュア先生の血は、たぶん水銀とかで出来ています! きっとそうです!
「パトリシア。お前の魔力はなかなかに強力で禍々しく……妖艶じゃな? これは仮に、『紅蓮の宝珠』とでも呼んでおくか」
水銀の血をした黒魔導師先生の言葉にも、パティは黙り込んでいました。
離れた場所にいる伯爵令嬢の私から見ても、細い肩を落として、遠くを見ているだけです。抜け殻のように立ち尽くしている姿は、私が戦巫女だった頃に知っていた友達の、人懐こくてお喋りなパティとは何もかも違う、別人のようでした。
「クグロフ国が、よく協力したな? 秘密主義で、基本的に交渉しないんだろ?」
「ジョシュア先生が、元はクグロフ国の出身だからじゃないの?」
「いいえ、あの人は過去に『禁呪』の使用で永久追放されていますので……今回は事情が事情だったんです。クグロフ国内に流れた魔晶石は可能な限り回収させたそうですが、流通したことが問題です。通常であれば、魔導師が検査をして入り込ませなかったものを……闇貿易でこんな物品まで運び込んだ、『ユーニ商会』の罪は軽くないですよ」
アイザックとマキアムの疑問にセトが説明しているのが、私の耳にまで聞こえました。ジョシュア先生、永久追放されるような『禁呪』で何をやったんですかという小さな問題は、お嬢様の心の小箱にしまっておきました。
「とはいえ我が王家としても、事件がこれだけであれば、こんな大ごとにはしなかった」
階段の上のフューゼンが、再び口を開きます。
「ふむ。魔晶石を横流ししているだけなら、わしらの関知することでもなかったが……如何にもこの『細工』が悪質でな。黙っているわけにいかなくなったのじゃ。理由はわかっておるな、サフォー侯爵の娘よ?」
今までの笑みを消し、ジョシュア先生が問いかけました。でもやっぱりパティは動きません。
「パトリシア、何をしたのだね……? お前が研究所で魔法に没頭していたのは、あれは……」
「…………」
父親のエクター様に尋ねられても、パティは目を合わせようとせず沈黙を守り続けます。
埒が明かないと踏んだようで、イェルク先生が口を開きました。
「君が言いたくないのなら、仕方がありません。こちらから言いましょう。およそ二か月前になりますか……こちらの『戦巫女』が、学院内でちょっとした“事故”に遭いました。パリス伯爵の娘ディアベラも巻き込まれた、階段での転落。あの事故の元となる『魔法』を使ったのは、君だね?」
王太子殿下の傍らにいるピンク髪の『戦巫女』と、先ほど断罪されたばかりの金髪美少女な『伯爵令嬢』を交互に見て言いました。
瞬間、パティの視線と体が、ぴくっと反応を示します。
「パトリシア嬢……。俺の妹のネムも貴女と同様、稀代の天才と言われています。しかも超可愛いし健気だし尊いしで、存在自体が奇跡としか思えないんですが……そんな妹が、ひどく怯えていたそうなんですよ。『一瞬だけどアマンディーヌ王国の方角で、異常な魔法が使われたはず。お兄様は無事なの?』と……貴女は、とんでもないことをしましたね?」
先生に続いて、セトが冷たい口調で言いました。
クグロフ国の中で真っ先に異常を察知したのは、セトの妹であるネムちゃんだったようです。そしてセトの言う『とんでもない』が、事案そのものなのか、ネムちゃんを怯えさせてしまったことなのかわかりませんが、とりあえずお兄ちゃんの逆鱗には触れてしまったっぽいです。物静かながら彼の視線は氷点下でした。
「魔法って、じゃあパトリシア、お前……ルカに危害を加えようとしたのか!?」
アイザックが牙をむき、怒鳴るように言いました。
それを聞いて私も、「あ、やっぱりそうだよね?」と変な感じで理解しました。
あの日。
パティは、ディアベラちゃんの名前で手紙を出して、決まった時間に私を屋上へ呼び出しました。そこで禁じられている『魂魄転換魔法』の魔法を使おうとしたのです。
でも結果は失敗しました。
魂魄が入れ替わったのは『侯爵令嬢パトリシア』ではなく、『伯爵令嬢ディアベラ』と『戦巫女キリュー・ルカ』だったのです。
「その通りだよ、アイザック。極秘で魔法を発動させるための下準備として、パトリシアは父上が横流ししていた魔晶石への細工を思いついた。随分と手間暇をかけたようだけど……どうしてあんな真似をしたんだい? 君とルカは、友達じゃなかったの?」
イェルク先生に尋ねられると、抜け殻みたいだったパティの表情が、キッと変わりました。
「……ッ」
動きかけた『天才魔導師』を、ジョシュア先生が片手を挙げて制止します。
「やめておけ。わからんか? すでにこのマフィン島全体が、魔法で閉じられておる」
「ええ!?」
「い、いつの間に……!?」
広場の人々からも声が上がり、一様に驚きどよめきます。
「ブランダン学院長が、『広域大封印』の魔法でこの島を封鎖しています。外からの干渉も出来ませんよ。今この場では、何人たりとも魔法を発動させることは不可能です」
「あれでも一応、学院長じゃからのー。こんな時くらいは社交や外交だけでなく、魔導師として役に立ってもらわんとな」
世界最高クラスの白魔導師と黒魔導師が、説明してくれました。
パティは一人で『禁呪』を使える天才です。暴れだしたら大変で、大人しく非を認めて断罪されるとも限りません。だから先生たちは島全体を封印するなんていう、反則技を使ったのです。そういえば……不安定な『禁呪』のかけられている私とディアベラちゃんは、『正体がバレて、誰かに名前を呼ばれたら即死』な状態でした。その危険も除去してくれていると?
(ブランダン先生ー! いないと思ったら、そういう事情だったんですねー!)
(すごい大魔導師だったんですね! あんまりナチュラルにいないから、存在忘れていましたー! ありがとうございますーッ!)
と、姿も見えない大先生に、届かぬ敬意と感謝を捧げていたお嬢様な私の前で
「学院の外も、アマンディーヌ王国の駐屯騎士団が包囲しています。しかし、ここまで気付かないとは……やはり相当に魔力や能力が低下しているようだね、パトリシア? 以前の君なら気付いたはずだ。そう思って、準備もしていたのだけれど……?」
鎮痛な眼差しをパティへ向け、イェルク先生が尋ねます。
「ふふん……強制終了した『魔法』が、跳ね返ったんじゃろ。反動の大打撃で精霊との交感も、自らの魔力の制御能力すらも失われておるのじゃな? 先の舞踏会での爆発事件は、何らかの切欠で突発的な魔力の暴走を起こしたのじゃ。発動も停止もろくに出来んコントロール不能とは、魔導師として致命傷じゃな。まぁ普通ならば五体が吹き飛んでもおかしくないところを、涼しい顔で暮らしていただけでも大したものじゃ。そこだけは誉めてやろう」
ジョシュア先生が皮肉交じりの微笑で、天才少女が無抵抗に徹するしかなかった理由を説きました。パティは俯き、下唇を噛んでいます。
「殿下。『戦巫女』に関わることですが、パトリシアのこれはダックワーズ学院内で起きた事件です。まだ幾つか行動に不明な点もありますので、先にこちらで調査と処分をさせていただきます」
「わかっている」
白魔導師先生がそう確認を取ると、フューゼンは頷きました。
「そしてアマンディーヌ王国の貴族としての、断罪や処遇は後回しになります。もちろんシャール陛下より許可は得ていますからご承知おきを、サフォー侯爵」
「う、うう……! クロードだけでなく、私までもが嵌められたというのか……!?」
続けざまイェルク先生からてきぱき宣告され、侯爵様は地面に突っ伏しそうになっています。権威も何もないです。権威といえば、失墜した人がもう一人います。王太子殿下が、まだ茫然としているクロード・パリス伯爵へ言いました。
「……というわけで。ブランダン学院長が『広域大封印』を発動させ、パトリシアを安全に確保するまでの時間稼ぎとして、ついでに公開で断罪させてもらった。悪く思わないでくれ、伯爵」
「つ……ついで!? ついで!!?」
「うん。不憫なので極刑は避けて、『国外追放』まで減刑しても構わないと父は話していた。しかし貴殿が誇り高く極刑を望むのならば、無理強いはしない。どうする?」
王国の騎士団まで来ていますし、これらは全て国王陛下とダックワーズ学院とで、準備万端整えられていたのでしょう。何て壮大な茶番。
そこへ校門の方から、王国騎士団の人達が剣や槍を手に雪崩れ込んできました。率いていたのはパーシー様で、王太子殿下へ一礼すると、引き連れていた部下たちへ向き直ります。
「これより作戦を開始する! リストに名前のあったパリス一派と関係者を、全て捕らえよ!」
「隊長、そうなると三分の一は捕縛されますが!?」
「それがどうした! 王命だ思い切ってやれ!」
「はっ!」
むくつけき男たちで編成された騎士団は、広場にいた『パリス伯爵とお友達』を手当たり次第に引っ立てていきます。貴族も有力者も大集合していたから、一網打尽です。イワシ漁……! まるでイワシ漁です! 底引き網漁ばりに根こそぎです!
「きゃーッ!?」
「どうして私までー!?」
さっきアニスから逃げていた、スカーレットとゾフィーも捕まっていました。
両膝がぶつかりそうなほど震えているクロードお父様と、気絶しているカーミラお母様を、騎士団の人達が連れていきます。パティも、腰が抜けて動けないサフォー侯爵様も同様です。
「お嬢様、今なら混乱しています、脱出を……!」
傍にいるロビンちゃんが、カオスな状況の真っ只中で耳打ちしました。お嬢様の手を引き、どうにかして逃がそうとしてくれています。
その手に手を触れて、そっと降ろさせました。
「いいのよ」
「し、しかしこのままでは……!」
「いいのよ、これで。あなたは、自分の身の安全を考えなさい」
愕然としているロビンちゃんの方は見ず、私は正面を向いたまま、あくまでも『ディアベラ』として立っていました。パリス一家『断罪』のこれは、正しいはずなのです。
そして、ぼちぼち『パリス伯爵の娘』である私が捕まる番かな……と思っていたら
「きゃッ、きゃああ……!? 何? 何ですの!?」
伯爵令嬢が捕まるより前に、神殿の階段から悲鳴が聞こえました。金髪お嬢様の私が振り仰げば、慌てふためく『戦巫女ルカ』がアイザックに捕まっています。
「あのなー、まだバレてないと思っていたのかよ?」
「ば、バレ……てっ、ど、どういうことですの!?」
赤髪の犬獣人剣士に後ろ手に捕まり、動きを封じられた戦巫女さんは、口調が『中の人』に戻っています。大騒ぎの喧騒で、気付いている人はほとんどいないようですが。
「無事にパトリシアも確保されたことですし、ここは大魔法で封印されている空間ですから『魔法的に』問題はありませんが、各方面の事情が色々と入り組んでいるので、まぁ……」
セトが珍しく少し言いにくそうな顔をして、水色の髪を掻いています。フューゼンは横目で静観しており、マキアムはにまにましています。ナキル様だけは怪訝そうにしているので……どうやら守護者の四人は『事情』を知っているようです。さり気なく戦巫女に成りすましたまま『ナキル様ルート』へ大脱出するという、ディアベラちゃんの野望は潰えたようです。
(……って、知ってたのかーーーーッ!?)
(グルか! お前ら全員、『禁呪』のこととかでグルだったのか! いつから!?)
神殿前にいる伯爵令嬢が睨むと、四人が同時に目を逸らしました。
敵を騙すにはまず味方から。私たちも(事情はあれど)嘘をついていましたので、言える立場じゃないですけれど……。おそらく彼らも独自に調べたりして、学院と各国と、それぞれ事情と情報と利害をすり合わせた結果、こういう形式になったのでしょう。
というようなことを頭の中で噛み砕きながら、捕まっている戦巫女を眺めていると、ジョシュア先生が『紅蓮の宝珠』を片手にそちらへ歩み寄りました。
「ホレ、約束の品じゃ。飲めば『解呪』されるぞ、喜べ!」
生き生きとした笑顔で言いましたが、喜んでいるのは明らかに先生の方です。ディアベラちゃんの口元は、恐怖で歪んでいました。
「い、いやッ、やめて! それって“不純物”から出来ているんでしょ!? そ、それに『紅蓮の宝珠』は事件の証拠で、飲んだら証拠が無くなってしまうんじゃ……!?」
「もちろん証拠として必要な部分は、複写して別途保管してあるから心配しなくていいよ!」
「イヤああああーーーーッ!!」
ピンク髪女子の抗議も空しく、イェルク先生にも癒しに満ちた微笑みで太鼓判を押されたので、飲むしかないみたいです。まず捕まえている人がアイザックなので、力では勝てません。それでも紅い魔力結晶を口に押し込まれそうになるのを、戦巫女は死に物狂いで暴れて拒否しています。
自分が虐げられているのを外から眺めるのは、楽しくないというか、遊ばないでください……。まず戦巫女は『ヒロイン』のはずですが、ヒロインてこんな扱いで良いのです?
なんて思っていた時でした。
「あ、おい……っ!?」
「捕まえろ!」
騎士たちの手を無理やり振り切ったパティが、駆け出したのです。
そして彼女は『悪役令嬢ディアベラ』の前へ来るなり
「ダメだよ、こんな……! 君はこんなところにいちゃダメなの! こんなシナリオ間違ってるんだからッ! 絶対に許さない! お願い、ボクの言うことを聞いてッ!!」
泣きそうな顔をしてそう叫び、右手を差し出しました。