第50話 ルカのはなし・正しい断罪について本気出して考えてみた
「ディアベラ・パリス。君との婚約を破棄させてもらう!」
王太子フューゼン殿下のその言葉で、神殿前の広場が静まり返りました。
燦々と輝く太陽が照らす広場に、何もかも凍り付きそうな空気と緊張が張り詰めます。
私は『戦巫女の断罪』があると思って、ここまで来ました。
そんな私の前で、何か違うイベントが始まりましたよ。
ダックワーズ学院の全校生徒と、アマンディーヌ王国の主要な貴族たちが集まっています。
巨大な神殿の階段に立っているのは、黒髪の王子様と、伝説の戦巫女。
更に守護者の三人である、セトとマキアムとアイザック。その横には異世界へ召喚されて以来、(私にとっては)お久しぶりな、宮廷大魔導師様がいました。
突然の『婚約破棄』を言い渡したフューゼンの翡翠色の瞳は、元婚約者である『ディアベラお嬢様』こと、私一人を見つめています。
「な……!? ど、どうして!?」
そう叫んだのは、最前列で王子様に婚約破棄を告げられている私ではありません。ピンク色の髪をした戦巫女に入れ替わっている、ディアベラちゃんご本人でした。
戦巫女は王太子殿下を見て、それから階下の広場にいる伯爵令嬢を見ました。
その『伯爵令嬢ディアベラ』になっている私はというと、止まっていた頭が数秒遅れて動き始めて
(……ん? 婚約破棄……? え? 婚約破棄!? 私って今、婚約を破棄されているの!?)
(待って……段取りおかしくないですか!? いやいや、正しいの? 『悪役令嬢』が、『婚約破棄』をされているから問題無しですか?)
(それなら『乙女ゲーム』のシナリオは、それほど狂っていないということで……?)
『正しい』って何?
しかもどうしてこんな、アクロバティック婚約破棄になっているのでしょうか。
もっと普通で良かったのに……と、固まっていた私の姿はきっと美しきディアベラお嬢様が、愛する王太子殿下に『婚約破棄』を告げられて言葉を失っているように見えたでしょう。
戦巫女になっているディアベラちゃんご本人も、フューゼンの後ろで凍結しています。でもお嬢様……自分で『隠しルート』へ行く決意ぶん投げておいて、さっき「どうして!?」とか何を考えて口走ったの? 何も考えていないの? そうなの……?
そうこうするうちに、パリス伯爵令嬢の周りから取り巻き三人娘を含めたギャラリーが離れ始めました。変わらず傍にいるのは、周囲を睨み返すロビンちゃんくらいで……。
「無論、これは僕の独断ではない」
神殿の階段の上から見下ろすフューゼンは、端正な顔立ちを一切崩さずそう言うと、手紙を取り出しました。
「我が父にして、アマンディーヌ国王シャール陛下の書状があるので、僕が代読する」
そう言って、王太子殿下は書簡の朗読を始めたのです。
「王太子フューゼンと、パリス辺境伯の娘ディアベラとの婚約を破棄する。更に、クロード・パリス伯爵。その妻のカーミラ。二名は王家の要人暗殺と反逆を企てた。ゆえに、ここで断罪する」
よく通る声で朗々と読み上げられた断罪により、広場に集まった群衆がどよめきました。一部からは、悲鳴のような声も上がります。
「で、殿下……何を仰るのですか!?」
「シャール陛下はわたくし達に、何故そのような恐ろしいお疑いを……!?」
人々が一斉に引いたため、押し出されるようにして前へ出てきたのは、昨日わざわざ王子様からこの場へ招かれたパリス伯爵夫妻でした。鬱蒼とした森を背景に建つ壮麗な神殿の前で、パリス伯爵とその妻と娘の三人が、断罪される景色になっています。
「断罪の主な理由を述べる。まずは、我が祖父にして、先王であるユーグ陛下。后であったティアイエル陛下。そしてウィレム・フォーサ公爵閣下の毒殺である。これらはすでに、医師セシル・ロットバルトが関与を自白している」
手紙を手にしたフューゼンは尚も淡々と、断罪を続けます。
「パリス伯夫人。気の毒だが……あの男は長過ぎた恋と、己の命と、どちらが大事かという問いに正直に答えただけだ」
王太子の口から、お母様は二十年来の恋人の裏切りを告げられました。
「あ、ああ……ッ! ど、どうして……どうしてなのセシル!? ……愛していたのに……!」
カーミラお母様の頬を、涙が一筋零れて落ちました。
愛はあったのですかー!? そこに愛はあったのですかお母様ーッ!? と、私が思っているうちに、カーミラお母様はスローな動きで後ろへ倒れました。気を失いうわ言を漏らす妻を横たえて、クロードお父様が立ち上がります。
「お待ちください殿下……。その医師はきっと妻を陥れようという何者かに、自白を強要されたのです。何よりも毒殺の証拠がありません!」
この状況でも、ひるむことなく言いました。見返すフューゼンは瞬きもせず、眉一つ動かしません。
「『証拠が無い』と、断言が可能なのか? 理由を聞かせてもらいたいところだが……たしかに毒殺については、まだ調査中の部分もある。僕を出産した直後に他界した、母の死因に関してもだ。しかし反逆にはすでに証拠が複数あり、重要な証人もここにいる……グリオール家の、ナキル殿だ」
王太子が視線を左手側に移すと、そこには黒獅子獣人のナキル様が立っていました。
「ナキル……!?」
と叫んだのは、これもふわふわ金髪美少女な私ではなく、ピンク髪の戦巫女さんです。つまりパリス伯爵令嬢、ご本人です。
ナキル様は硬く腕を組み、一人だけ少し離れた場所で佇んでいました。
「パリス辺境伯は王と議会の承認も得ず、グリオール家へ極秘の親書を送っていたそうだな?」
フューゼンの質問に、ナキル様は静かに首肯しました。
「ああ……およそ半年前になる。パリス家から、『関係の改善』を求める書状が届いた。貿易ルートの安全確保と、商業の活性化という名目で、悪い話しではない。しかしパリスの目的がそれだけのはずはないと、経験則で承知している。前向きに検討すると返書はしたが、その件もあって俺がこの学院へ留学していた」
そう言って、『見た目は金巻き毛の伯爵令嬢』な私を見たナキル様の赤紫色の瞳は、苦し気でした。一瞬合った目も、逸らされてしまいます。
最初に会ったときのナキル様が嫌悪感いっぱいだったのは、パリス伯爵家の工作を警戒していたからなのでしょう。痴漢冤罪事件だけではなかったのです。それでも私が『ディアベラ』として介入し、ナキル様個人とは関係も改善出来たと思っていました。仲良くなれるんじゃないかな? と思っていました。彼もそうだったのかもしれません。
それが再び、この断罪です。またディアベラちゃん本体が、『悪役令嬢』をこじらせる予感しかしない……。
そう思い、ちらりと見たら、ピンク髪の戦巫女の姿と入れ替わっているディアベラお嬢様の顔は絶望一色でした。あの様子だと、元に戻るなんて石にかじりついてでも拒否しそうな気が……と重い気分になっている私をよそに。
「反乱軍を率いて王都へ攻め上る間、背後を守るために、不倶戴天の相手と一先ず関係改善を目論んだのだろう。あわよくば戦闘力の高いグリオール家を、味方につける気だったかもしれないが、そこまでは出来なかったようだな」
国王陛下の断罪書簡を手に、黒髪の美しき王太子殿下が言いました。
(は……? だからフューゼンは『ディアベラ』がナキル様と一緒にいると、事情を聴きたがって首を突っ込んできたのですか!?)
(王子様のヤキモチかと心配していたのに、意味無かったですね、何か損した気分ー……!)
『絶望に打ちのめされ身動きもできないお嬢様』の姿で、私は別の案件を悔やんでいました。
「まさか、このような誤解を受ける日が来るとは……。国王陛下や議会の承認を得なかったのは事実です。しかし政では、時宜が大切なのです。ガトー国との和解は、我が王国の安寧を思ってのこと! 陛下へ報告をする準備は出来ておりました!」
クロードお父様が堂々と反論しました。成り上がるために踏んできた修羅場の数が違います。けれど国王の書簡を代読している王太子は、静かに瞑目しました。
「残念だが……王国騎士団のパーシー・キークベリーからも、スフレ領の詳細について報告が届いている。貴殿は領地が辺境であるのを良いことに、駐屯している騎士団へ賜金を与え、私兵化して密かに忠誠を誓わせていた。『邪なる神ソルト』の難が去った後には国庫を開き、更に倍の額を与えるとした証書まで渡している。手懐けた犬と安心していただろうが、パーシーは国王直属の密偵だ。それと……密偵は、もう一人いる」
以前パリス伯爵のお屋敷に来た、騎士団の若手将校の一人、騎士のパーシー様。あのお兄様が、国王陛下の二重スパイだったとあっさり伝えたフューゼンは、今度は貴族方の集まっている方へ目を向けました。
「リリアナ……!?」
クロードお父様の口から、悲痛な声が発せられました。
視線の先にいたのは、街角で白昼デートしていたあの美女、リリアナ様でした。
『もう一人の密偵』は、リリアナ様だったのです。現フォーサ公爵夫人であり、マキアムのお兄様のお嫁様です。街角のあの時も美女なのはわかりましたが、こうして改めて会ってみると美男美女に慣れた目にも、ひと際輝く美人さんでした。
「リリアナ、何故」
「やめて! 名前を呼ばれただけで寒気がするわ……! どんなに栄誉で着飾っても、欲望でぶくぶく膨れた本性の醜さは、隠しようもありませんでしたわね! その年になってまだ分別もわからない、くだらない男……! 陛下直々のご下命と、愛する方のお命を守るためでなければ、誰がその腐った指になど触れさせるものですか。わたくしの魂は、アクスム様だけのものよ!」
足元がふらついたクロード様を、怒りに震えてリリアナ様は罵倒します。
リリアナ様を守るように寄り添っているのは、輝く白金の髪に碧眼という舞い降りた天の御使いの如き、フォーサ公爵のアクスム様でした。ご夫婦はクロード様に、冷え切った敵意の目を向けています。
『ハニートラップ』ですか! これがハニートラップですか! 引っかかってる人、初めて見ました、お父様すっごーい!
大富豪でナイスなダンディの、クロードお父様です。『お金第一』、『オジサマ専門』女子なら全力で胸に飛び込むでしょう。でも一定以上に満ち足りていて、ソウジャナイ女性にとっては、ブランドネームがついていようと、『いい年をして分別もわからない』としか映らないのです。
「ひどい苦痛を味合わせて、本当にすまなかったリリアナ……」
アクスム様が、妻である女性の藍色の髪を愛おし気に撫でて詫びると
「いいえ、旦那様……。申し上げましたでしょう? 無力なわたくしでお役に立てるのなら、どんな不名誉や穢れも厭いませんと」
リリアナ様は、涙に潤み微笑んで答えました。ただの常識人で真人間だった公爵夫人のお心は、どう見ても若く優しく美男なアクスム様一筋です。
「義姉上がアクスム兄さんと、イチャイチャのベタベタなのは城内でも有名なんだから、パリス伯爵だって知ってたでしょ? 自分は例外だと思ってたの? まだモテる気でいたの?」
「マキアム、やめろって……」
「だって伯爵が年甲斐もなく義姉上に目をつけたせいで、こんなことになったんだよ? 義姉上が可哀相だったし、アクスム兄さんは荒れまくるし……。屋敷の中で、ソルム兄さんも僕も大変だったんだから、これくらい言わせてほしいよ」
神殿の階段上でハニーなトラップの結果を眺めるマキアムの愚痴を、少々顔色の悪くなったアイザックが止めていました。
あ、お父様、落ち込んでいます。真っ白に石化しています……。今まで女性は入れ食い人生だったでしょうから、このタイミングでこのカウンターは効くでしょう。娘の立場にいる者としてかける言葉が見つかりませんので、私は見ないふりをしておきました。
「さて……伯爵がマフィン島の別宅に招いたフォーサ公爵夫人との間で親しく語った内容と、彼女が集めてくれた証拠については、ここでの公表は控えよう。しかしパリス伯爵がスフレ領で、魔晶石を密輸入していたことは公表させてもらう。クグロフ国のユーニ商会を通じて……そうだな、セト?」
そうフューゼンが右後ろへ尋ねると、セトが進み出て答えました。
「ええ。ユーニ商会の闇貿易は、何年も前から調査が行われていました。今までは決定打がなかったのですが、状況が変わりました。遠からず、五大魔導家も参加しての裁判になります。わかりましたね、アニス?」
色素の薄い水色の瞳が、冷たく甘く微笑みました。
セトの柔和な笑みは『ディアベラお嬢様の取り巻きその二』にして、クグロフ国の大商人の娘、ペールグリーンの外巻カールをしたお嬢様、アニスに向けられています。
恐怖で頬をひきつらせたアニスの周りからも、ざあっと人が離れました。取り残されたアニスは信じられないという顔をし、ヘーゼルの瞳で周りを見回しています。
「え……? ね、ねえ、助けてくれるわよね? わ、私たち友達でしょ……!?」
「は、はあ!? 誰が!? 変なこと言わないで! 汚い手段で稼いできた商人の娘なんて!」
「そうよ、利用できれば誰でも平気で踏み台にしてたでしょ! 裏があって怖いと思っていましたわ!」
半泣きで追いかけるアニスから、スカーレットとゾフィーが全速力で逃げています。あちらはあちらで盛り上がっています。あの様子だと、ゾフィーがディアベラお嬢様と『お友達』になることもなさそうです……。
それにしてもです。状況からして、王家暗殺の件もクーデターの件も、フューゼンはじめ王家の人たちはとっくに把握していたということです。
(知ってたなら、もっと早く言ってよー! どこで密告するか、めちゃくちゃ悩んじゃったじゃないですかー!)
なんていう私の内心の乾いた笑いなど、誰も知る由もありません。
そこへ、パラパラと拍手が聞こえてきました。小さな拍手の音は重なり、次第に大きくなります。やがて神殿前の広場は、ワアアアアーーッ! という大歓声で包まれました。
……断罪ってすっげー。
そんな色々の真っただ中で、クロードお父様が王太子殿下を睨み上げました。
「領主の私がいなくなれば、たちまちスフレ領は不安定化するでしょうな……。あの気弱なシャール陛下が、お一人でどうなさるおつもりか?」
声を押し殺し語る辺境伯の気迫にも、フューゼンは揺らぐ気配を見せません。
「幸いにも今回の件を切欠に、僕とナキル殿が信頼関係を築けた。ガトー国との間で別ルートを通じ、正常化への道筋もついた。スフレ領で膨れ上がっている傭兵や冒険者たちも、パリス伯爵の全財産をもってすれば、新たな職に就かせられる。金で動く者たちは、金で説得しやすいから助かる」
「ぜ、全財産ッ!!?」
「ああ、言い遅れたがパリス家の爵位と領地、及び全財産を没収せよと、陛下の仰せだ」
そう言うとフューゼンは階段を一段降り、灰になりそうなクロードお父様を見下ろしました。
「パリス伯爵。これは我が父、シャール陛下の伝言だ。『クロード・パリスという人物は、位人臣を極め人を動かす術に長けていたが、野心と夢想によって人間がどうなるかを、その身をもって教えてくれた。これ以上ないほど良い親友だった』と」
預かってきた書簡を閉じながら、王太子殿下は冷徹に『伝言』を届けました。
皮肉がゲスいです国王陛下。フューゼンのお父さん、どんな人なのですか。この断罪の場にも顔さえ見せず、息子の王太子を使って、お城の奥で指先を動かすだけで始末するって怖いです……。
「父上は先代の頃から、高利貸し同然の投資や土地で不正に利殖を得る貴族や商人の多さに、頭を悩ませていた。彼らは増やした富を浪費するか、死蔵させるだけだ。貴殿の『目論見』のお陰で、変えられる」
フューゼンが翡翠色の瞳を揺らめかせて告げると、クロードお父様の唇は紫になり、綺麗に整えられた鳶色の口髭の奥でぎりりと歯軋りをしました。
「では……その者たちを洗い出し一掃するために、今まで私を泳がせていたというのか!? 城の奥から出ようとしなかったのも、政に興味を示さなかった人間嫌いも……!?」
掠れた声で叫んだパリス伯爵の顔は、悲嘆で真っ青でした。
そこで今まで沈黙していた宮廷大魔導師様が、金色の杖を掲げて口を開きました。
「貴方が陛下のよき『理解者』だったように、陛下もまた、腹心の地位を得た貴方が何を欲しているか、ご存じだったのだよ。野望と権勢のため利用してきた相手に、自分がここまで使われているとは思ってもいなかったでしょう……残念だったな、クロード・パリス」
品良く穏やかそうな宮廷大魔導師様は、憐れむ口調で、シャール陛下の意図を代弁しました。
国王陛下は内気な顔をして身を守りながら、利用できる相手を利用し尽くしてきたのです。
どういう環境にいたら、こんな残忍な性格になるのでしょうか……って、そもそも母ちゃんが年下ボーイフレンドつくって、そいつが何食わぬ顔で『親友』に収まって、身近な人が次々に暗殺される環境で生きてきたからこうなったのですか。
じゃあ仕方ないですね……と、ディアベラお嬢様な私が納得しているうちに。
「もう一つ。辺境伯を調査する過程で、興味深い事実が判明した。エクター・サフォー侯爵、あなたのことだ」
振り向いた王太子は、傍らに立つ宮廷大魔導師、サフォー侯爵へ言いました。