第49話 ルカのはなし・今日は断罪にもってこいの日
正午の鐘の音が、空高く鳴り響いています。
ダックワーズ学院の教室で、私は席に座っていました。ふと見た横の窓ガラスには、肩にかかるフレンチカールの金髪も甘やかな、絶世の美少女が映っています。
これは『私』ではなく、『伯爵令嬢ディアベラ・パリス』です。
他人の美少女な顔で、私はぼんやりと小鳥が飛んでいく窓の外を眺めていました。
空は快晴で、絶好の断罪日和です。
周囲を見回せば、まだ着席しているのは私だけでした。生徒たちは教室を出始めていて、廊下や校内がざわついています。さっき、授業が突然中止になったのです。全校生徒と教職員全員に、『神殿』へ集まるよう、学院長先生から通達がありました。
「これから神殿で、式典を行います」
『集合理由』の説明は、それだけでした。
説明に戸惑っている生徒と、関係なく喋ったり遊んでいる生徒たちとで、学院全体が落ち着かない雰囲気ですが、とりあえずこれから『戦巫女の断罪イベント』が始まるとは、誰も思っていません。
(昨夜も、寝た気がしない……)
昨日の今日な急展開に、まだ靄のかかったような頭で考えながら、金髪巻き毛の美少女な私は溜息がこぼれました。
ちなみに今朝、登校途中にお会いしたディアベラちゃんは、普通に元気そうでした。
昨日の手紙が意外と思いつめた感じだったので、もう少し深刻かと思っていました。でも気持ちが吹っ切れたのか、頭が振り切れたのかわかりませんが、ヒロインを安定供給していました。
今日も朝からずっと、守護者の四人に囲まれて楽しそうにお喋りしています。
逆にどういうメンタルで生きてるの、あの人……。
『戦巫女の断罪』の発生をディアベラちゃんに伝えても、おそらく混乱して暴走するだけです。役に立ちそうもないから、伝えるのはやめました。
それにしても、何度考えてもおかしいです。
(……いくら戦巫女の中身が『悪役令嬢ディアベラ』になってるからって、何で『役目』までセットで向こうへ移行するの!?)
(『断罪』はディアベラお嬢様の一大イベントで、パン屋さんの準備もしていたのにー!?)
ヒロインが『断罪』されるなんて、これはゲームの『バッドエンド』ですらありません。もはや『乙女ゲーム』も『エンディング』も行方不明です。
刻々と断罪イベント開始が近付く中、私はまだ席で項垂れていました。
うわー、うわー、どうしよー……! と、椅子に座ったまま脳内でぐるぐるしていると
「……ディアベラお嬢様」
ロビンちゃんが、遠慮がちに声をかけてきました。
気が付けば教室には、私と万能の執事さんしかいません。どうやらロビンちゃんは他の生徒がいなくなったのを見計らって、声をかけてきたみたいです。
「……私に出来ることがありましたら、何でも仰ってください」
そう言って伯爵令嬢を見つめる澄んだ瞳は緊張していて、どきりと心臓が跳ねたのが自分でもわかりました。
「え? ……な、何のこと?」
あくまでも主人であるお嬢様として、平然を装い質問し返しました。
伯爵家サイドの人間であるロビンちゃんですが、『戦巫女の断罪』については、パリス一家三人だけの極秘事項ですから知らないはずです。
するとロビンちゃんの目が伏せられ、抱えた重荷に堪えるように固く考え込んで五秒後。
「ご無礼とは存じますが……このところ、お嬢様は何かご様子が違います」
「!!??」
打ち明けられたその言葉で、びっくりし過ぎて目玉がぽろりするかと思いました。
……ですよねーー!?
昨夜も何か言いかけてたけど、それだったのですかーー!? 幼馴染のロビンちゃんの目から見て、ディアベラお嬢様の様子はおかしかったですよね!? すっごくわかります! 私もそうじゃないかと思っていました!
と、心の内側で震えていました。そうしましたら
「階段の事故の時、ご両親に叱られたロビンを、庇ってくださいました。私が責めを受けるのは当然でしたのに……」
「え?」
「身の回りのことも、学院の宿題もご自分でなさいます。お后教育やご領地のことも、自ら進んで学ばれています。先の感謝祭のときも、その……使用人である私にまで、何かとお心を砕いてくださって……。しかも爆発事故の瞬間、お嬢様から離れていた私を、咎めもなさらず」
「…………(そっちか)」
クールな美少女系万能の執事さんが語った『ディアベラお嬢様の異変』は、入れ替わっている私の予想と斜めにズレていました。緊張したから反動が強めです。椅子からずり落ちそうになりました。
ディアベラちゃん、宿題までロビンちゃんにやらせてたのですか。自分でなさいませよ……と、少し遠い目をして思っていると。
「もしや何か、重大な悩みを抱えていらっしゃるのではありませんか? お一人で苦しまないでいただきたいのです。微力ながら、私でお役に立てるなら何でもいたします!」
胸の前で手を握り締め、申し出たロビンちゃんの亜麻色の髪が、さらっと揺れました。
美少女に告白されているみたいな気分です……。
昨日のフューゼンの件といい、ディアベラお嬢様モテまくりです。マキアムやゾフィーもカウントしたら、悪役令嬢モテまくりパラダイスのユートピアです。モテ期はまだ続いているようです。
こんなに愛されている、みんな大好き可愛い最高の『ディアベラお嬢様』です。
それが悪役で断罪されるなんて、許されざる悪魔の所業で、罪悪のような気がしてきました。
だから『断罪イベント』が、『戦巫女』の方へ引っ越したのですか!? それなら理解できるかもしれない! 本音はそうでもないけど!
「べ、別に、悩みというほどのことじゃないわ……」
「でも……!」
顔を背けた私にも、ロビンちゃんは引き下がりません。お仕えするディアベラ様への、心配と健気な想いが溢れています。
「……ねえ、ロビン?」
「はい、何でしょうかお嬢様?」
私が外の景色を眺めつつ呼びかけると、ロビンちゃんは即座に反応しました。
「わたくしと出会ったのは……あなたにとって幸せだったかしら?」
「もちろんです! 私の人生で、これ以上の幸福は無かったと思っております!」
振り向いた私に、ロビンちゃんから躊躇のない答えが返ってきました。
「……そう。それじゃ、もしもわたくしと別れることがあっても、それもまた幸せだと思ってちょうだいね」
そう言った自分の声が、やけに明瞭に教室内で響きました。そうして私が席を立つと
「お……お嬢様? な……何故そんな……こと、を?」
声を詰まらせ尋ねるロビンちゃんは、みるみるうちに顔から血の気が引いています。
「え、ちょ? ……あの、も……もしも! もしも、の話しよ!?」
そんなに動揺されたら、こっちが焦るじゃないですか! 『愛されお嬢様』として、今にも儚くなってしまいそうなロビンちゃんに言い聞かせます。すると万能の執事さんは、小さく頷きました。
「そう……そうですね。ディアベラお嬢様は、この国のお后となられるお方ですから。いつまでも私がお仕えする、『お嬢様』でいらっしゃるはずはありませんよね。申し訳ございません、身分をわきまえず、自惚れたことを……」
澄んだミントグリーンの瞳を潤ませる美少女(女装)は、更に薄暗く微笑んでいます。
「ま、まだもう少し先ですわよ!? 早まるんじゃないわよ!?」
「はい……」
ロビンちゃんから、聞き分けのいいお返事がありました。
でも明らかに絶望的というか、繊細で傷つきやすいこの子には、例え話でも刺激が強すぎたみたいです。
考えてみれば……この子は伯爵家に拾われてお嬢様のお世話役になり、女装から宿題から警護までこなす、万能の執事さんに成長しました。ロビンちゃんにとっては、お嬢様との生活は幸福だったのでしょう。
失われたらもう生きていけないと、決定してしまうほどにです。
唯一の例外が『ヒロイン』の存在だったわけですが、今回の『ヒロイン』は、現在非常に『断罪』へ傾いています。乙女ゲームのシナリオもめちゃくちゃで、有って無いようなものになっているみたいです。
つまり私はこの先で直接に、ロビンちゃん生存のお役に立てそうにありません。
だから、何とかこの子が踏み止まれるようにと思っての発言でしたが、美少女系クール執事さんは、早くも捨てられた犬みたいな顔になっています。
私の方が見ていられなくなってきて、じりじりしました。
「……ああ、もう! 『ディアベラ・パリス』に仕える者が、そんな情けない顔しないのよッ!」
「わ……ッ!?」
ロビンちゃんの頭を、私が両手でわしゃわしゃしました。
細い髪の毛がくしゃくしゃに絡まって、亜麻色の前髪の下で万能の執事さんは目を丸くしています。
ディアベラお嬢様の行動としては、正しくなかったかもしれません。でも
「わかったわね!? 返事は!?」
「は……はい、お嬢様!」
命令した小柄なお嬢様を前に、慌てて髪を直してロビンちゃんは返事をしました。
それからちょっと戸惑ったような、だけど照れたみたいな表情を見せてくれました。いつも綺麗で従順な、お人形みたいな子が、今までで一番人間味のある表情と仕草を見せてくれました。
「ふふ」
「あ、はは……」
お互い苦笑交じりでしたが、同じタイミングで笑い合えました。こんなことは、私が戦巫女だった頃はもちろん、伯爵令嬢としても初めてでした。
私は『お嬢様の中の人』です。別人です。それでも嬉しかったのです。
『乙女ゲーム』のシナリオが変わってきているならば、『ヒロインに選ばれなければ死あるのみ』という、この子の無茶な未来だって変わる可能性があります。
それだけは、良いことなのではないかな……、と思いました。
――あのな、桐生? 『良いに悪いは付きもの』っていう昔の言葉があってな……。
と、私の脳裏で、前にいた世界で化学部の顧問だった、斎藤先生の面影が過ったときです。
「ディアベラ様! ディアベラ様、大変ですわ!」
「もうお聞きになりまして!?」
「噂になってましてよ!」
スカーレットとアニスとゾフィーが、教室へ駈け込んできました。
「皆様、どうなさったの?」
先を争うように並んだお嬢様たちに私が尋ねると
「これから、あの戦巫女が『断罪』されるんですって……!」
悲しそうな表情でスカーレットが言いましたが、瞳は輝いています。お嬢様グループ内で、一番ゴシップ大好きなだけのことはあります。
「え、ええ? そ、そんなこと……!?」
もちろん知ってますわああああ! なんて言うと盛り上がらないので、私は手で口元を押さえ、清らかな乙女らしく目を潤ませて驚愕の表情を浮かべました。
「王国の騎士団や、宮廷大魔導師様までいらっしゃってますわ。緊急事態ですわよ!」
「先ほどフォーサ公爵ご夫妻や、パリス伯爵様もご到着されましたわ!」
「神殿の列席者はほとんどが、異世界人の『召喚の儀式』のときと同じだそうでしてよ」
スカーレットに続き、アニスとゾフィーも我先にと教えてくれます。
「実はあの戦巫女、この前の舞踏会の『爆発事故』と関りがあったらしいわ!」
「何ですって? それじゃ、事故ではなく『事件』だったということ? あれは陰謀だったんですの?」
「信じられない! ディアベラ様を階段から突き落としただけじゃ、足りなかったんですのね。恐ろしいわ!」
三人娘ちゃんたちは、イイ感じで盛り上がっています。『戦巫女キリュー・ルカ』には、黒幕さんマストアイテム『陰謀』まで付け足されてます。
こうなったら乗るしかない、このカーニバルに!
「な、何ということなの……! わたくしの身など、どうでも良いですわ。でも、わたくしがあの人から憎まれたばかりに、愛する殿下や、この王国や、大切な皆様に危険が及んだかと思うと、心が壊れそうよ……!」
見えないスポットライトの中で、煌めく涙と共にその場に泣き伏した可憐な美少女『ディアベラお嬢様』を
「ディアベラ様、お気をしっかりなさって! そもそもあんな人が、選ばれし『伝説の戦巫女』だなんて、変だと思っていましたのよ!」
「おぞましい不正があったんですわ! 異世界に送り返せないなら、人のいない荒野にでも追放するべきよ」
「『断罪』で卑しい正体を暴かれたときにどんな顔をするか、しっかり見ておきましょう!」
スカーレットたちは励ましてくれました。みんな瞳孔が開いていて楽しそうです。こんなにお手軽に燃え上がってくれると、煽り甲斐があります。
燃ーえろよ燃えろーよー……と、キャンプファイヤー気分な私の前で
「あの異世界人がいなくなったら、今度こそ『正式な戦巫女』に選ばれるのはディアベラ様でしてよ!」
「もちろんですわ! 他のどこを探しても、ディアベラ様ほどの実力の持ち主はいませんもの」
「相応しい方に、相応しいお立場が巡ってきたんですのよ! 正義と秩序が守られたんですわ!」
こぶしを握り締めるスカーレットと、余裕の笑顔で頷くアニスの後ろで、相変わらず存在感空気なゾフィーが必死に会話に参加しています。邪魔者が去った後、再び王国と学院と、上流淑女の頂点に君臨するであろう『伯爵令嬢』に、限りない称賛と賛美の言葉が投げられています。
「そ、それがわたくしの運命ならば、引き受けなければなりませんわね……! さあ、神殿へ参りましょう!」
私は絢爛と咲き誇る花の如きディアベラお嬢様の美貌へ、自信の笑みを浮かべました。
でもその笑顔の裏で、何となく、もやもやしていました。
この調子で、おとなしく『伯爵令嬢ディアベラ』のふりをしている限り、私は安全なのです。
アメージングでエクセレントな、お嬢様の地位に守られて安泰です。
これから断罪される『戦巫女ルカ』を、ただ見送っていれば良いだけです。
現在ヒロインの中にいる『悪役令嬢』は嘆くでしょうが、先に『隠しルート』に行けないだのと、寝言を言ってきたのだって、ディアベラお嬢様の方だし……。
だけど
(やっぱり……『戦巫女の断罪』が始まったら、出来る限り、助けよう)
(もしかしたら、今の彼女は、私だったかもしれないんだから……)
釈然としませんが、やるだけのことはやろうと思いました。
放置するのは、キモチワルイです。いつか『入れ替わり』が解消した後で、困るのも私です。ついでに、この取り巻き三人娘ちゃん達を、気持ちよくぶん殴れないじゃないですか。
決意を密かに固めつつ、三人娘(プラス、ロビンちゃん)を引き連れ、私は教室を出ました。