第48話 ルカのはなし・君が悪夢になる前に
「どちらのドレスが良いかしらね、ディアベラ?」
「は? あ……はい、お母様、どちらもとってもお似合いでしてよ!」
カーミラお母様の問いかけに、伯爵家の金髪令嬢は慌ててにっこり笑顔をつくってお答えしました。
自分でわかる感じの、明らかに作り笑いになっていましたけど、お母様はドレスに忙しくて気付いていません。
「あら、じゃあこっちのドレスにしようかしら……? 外出でこんなに興奮するなんて、久しぶりだわ!」
豪奢な刺繍が施された黒地のドレスを当て、合わせる靴を選んでいます。
お屋敷の窓の外は暗く、とうに日が暮れています。
ディアベラお嬢様な私は、お母様のドレスルームでお手伝いをしていました。壁を覆う大きな鏡に囲まれた部屋にはシャンデリアが輝き、私はベルベットの長椅子に腰掛けて、召使いたちが忙しそうにドレスや靴やアクセサリーを運ぶのを眺めているのです。
そこへノックの音がして、クロードお父様が入ってきました。
「明日の支度は万端か、二人とも?」
溌溂としたテノールで言うと微笑み、近くにあったグラスを手に取って水を飲んでいます。
「お父様……」
「貴方。お城の方は、どうでした?」
「ああ、間違いなかったよカーミラ」
傍へ駆け寄り尋ねた妻に答えて、お父様がそれとなくサインを出します。召使いたちはロビンちゃんも含めて、全員が退室していきました。
王太子殿下のフューゼンが帰った後、お父様は内密に王国騎士団の四人をお屋敷へ呼んで、情報収集をしていたのです。
お城では明日のイベントについて、「ダックワーズ学院の理事長に、パリス伯爵が任命されるらしい」となっているそうです。でもこれは表向きの話しです。騎士のパーシー様から、『戦巫女の断罪』と内密の報告があったそうでして……。
「では……『断罪』で間違い無いのですわね?」
「国外追放だよ。当然の結末だ。疑わしいと思われる素地は、元々あったのだからな」
大きな目を見開いたカーミラお母様が確かめると、お父様は頷きました。
「ど、どういうことですの、お父様?」
同じ長椅子に腰掛けた隣のクロード様を見上げて娘な私が尋ねると、グラスの水を飲みほしたお父様は、愉快そうに話し始めました。
「簡単なことだよ。以前、ディアベラが学院の階段で、戦巫女に突き落とされたことがあっただろう? だから私は、『もしや舞踏会での爆発事故も、あの娘の仕業なのではないだろうか?』……と、ごく自然な推測をしていたに過ぎない。その疑念については無論、陛下に何度となく申し上げていたし、周りの人々とも話しはしていた。私の推測が、陛下の賢明なるご判断によって、確定に変わっただけのことだ」
王国の主要三大権力を握る伯爵様は、悠々とお答えになります。
お父様、それは『言いふらしてた』ってやつですか!
城内で、思いっきり言いふらして歩いてたんじゃないですか! 国王陛下の右腕が推しまくる“戦巫女が犯人説”なら、みんな推すでしょうね! 何してくれてるのーっ!
なんて言えません、まさかの『中身が戦巫女本人』なディアベラお嬢様です。
息を止めるのに必死でした。呼吸と心拍数がおかしくなりそうです。もうなってるかも。
「これで一安心ですわね! わたくし、あの戦巫女はサフォー侯爵家のパトリシア様とお友達で、強力な後ろ盾があると聞いておりましたから、もう無理かと思っておりましたわ」
クロード様の膝へ寄り掛かったカーミラお母様は、未だ衰えを知らない美貌へ、安堵の色を漂わせて言います。
「まぁ私の手にかかれば、異世界人だろうが伝説の存在だろうが、小娘の一人や二人こんなものだ。やはり宮廷で泳ぐには一に諜報、二に工作、三に寄付金だな。今まで根回しをした甲斐もあったというものだ」
「素晴らしいですわね! やっと胸のつかえがおりましたわ! 良かったわねディアベラ!」
「は、はい、こんな日が来るなんて、夢を見ているようですわ! うふふふふッ!」
お父様に肩を抱かれ、『ディアベラお嬢様』はご両親と一緒に、笑顔爛漫で喜んでおきました。夢は夢でも悪夢に近いですが……! 戦巫女が、もっと真面目にパティとお友達でいてくれれば、状況は違ったかもしれないということでしょうか……!
聞けば聞くほど、先が真っ暗に閉ざされていくような感覚に陥ります。
「ハッハッハ! 明日は特別な日になる。お母様が、とびきり美しくなるようにするんだぞ! 近いうちに、屋敷で大々的なパーティーもしなければな!」
「え? パーティーですか?」
私が目を上げると、クロードお父様が愛おし気に娘の顔を覗き込みました。
「もちろんだ。今度こそディアベラが、正式な『戦巫女』になるのだからな」
お父様は何を当たり前な、といった表情と口調でおっしゃいます。異世界人が消えた後の人事にまで、構想が進んでいます。
「で、でも、まだそこまでは決まってはいないんじゃ……?」
そんなお手軽に抹消されても、まだ消される側の当人は気持ちその他が追い付かないです。金髪巻き毛の美少女が、上目遣いで申し上げると
「まぁ……何ということなの。不当な仕打ちを受けてきたせいで、すっかり自信を失ってしまったのね? 今まで辛かったでしょう。よくがんばったわ、ディアベラ」
娘を見つめてお母様が目に涙を浮かべ、励ましてくれました。
前々からカーミラお母様にとっては、『ナンバーワン・目障り』だった異世界人です。『不当な仕打ちを受けてきた』愛娘の不憫と哀れも、マシマシになるでしょう。
「もうそんな遠慮をしなくて良いのだよ。自分が持っている力を信じなさい。これほどの大役、ディアベラ以外に誰が相応しいというのかね? 決まったも同然だから、安心しなさい」
「こんなに傷つけられて、屈辱に耐えてきたのだもの。これからは楽しいことだけの人生になるわ。もっとのびのびと、自由に生きていいのよ。貴女の味方はたくさんいるわ!」
クロードお父様とカーミラお母様の心からの言葉と愛に守られ、『ディアベラお嬢様』な私は幸せで胸がいっぱいでくらくらしてきます。軽く意識が遠ざかりかけていると
「それは良いとして……ディアベラはフューゼン殿下と、うまくやっているのか? 今日も随分と親しくしていたようだが?」
傍らのクロードお父様に尋ねられました。
その一言で意識が戻った私は、「ヒャイ!?」と、肩と心臓が同時に飛び上がりました。
フューゼン殿下が帰るまで、お嬢様は彼とべったりだったのです。あの王太子殿下は、そんじょそこらの人材に暗殺される野郎ではないと私も思いますが、暗殺とはそんな油断を突くものです。
手違いで消されないように、お屋敷の中でずっと付き添っていました。
それがお父様としては、一人娘と王子様が『親しくしている』と見えたようで。
「は、はい! わたくし達、とってもうまくいっていると思いますわ! 殿下は聡明なお方で、心から尊敬しておりますの。それにわたくしのお願いでしたら、何でも聞いてくださいますのよ……!?」
惚気る時にも伯爵令嬢に相応しい、適度な恥じらいを織り交ぜるのがコツです。恋する乙女の笑顔で申し上げました。するとお父様の空色の瞳が、少し驚いたように動きます。
「ほう……あの冷静なフューゼン殿下が?」
「あんなに素敵な殿下のお傍にいられたら、わたくし一生涯幸せですわ!」
「ふむ……殿下は、戦巫女の件でもなかなか骨が折れるというか、少々気難しいお方と思っていたが……。そういうことならば私もこれから先で良き後見人となり、良き義父にもなれそうだな」
「是非ッ! 是非そうしてくださいませね、お父様!」
コテ、と頭を寄せておねだりアピールすると、クロードお父様は「よしよし」と笑顔で娘の肩を抱き寄せました。操縦しにくい完璧王太子殿下の弱点が、『自分の愛娘』とわかってご機嫌なようです。
「あらあら、三国一の美男と言われる、あのフューゼン殿下まで魅了するほどなのに、ディアベラもまだまだ甘えん坊さんね?」
「しかし、カーミラ。これなら思っていたよりも早く、孫の顔が見られそうだぞ? そうなれば君は王太后だ」
「そして貴方が宰相でしょう? わかっておりましてよ。でもいくら何でも気が早いですわ!」
といった感じに、パリス伯爵ご夫妻はパーティー気分でした。
お屋敷は大忙しで、他のことをする時間がありません。
おかげさまで、部屋へ戻った頃には夜中になっていました。私は『断罪』される危険があると、入れ替わっている戦巫女に連絡も出来ませんでした……。
他のスケジュールは省略されましたが、泡のお風呂に入り、数人がかりで毛先から爪先まで磨かれて、真っ白なネグリジェに着替えた頃には深夜です。
疲労と混乱で、ぼけーっとしながらお部屋へ続く長い廊下を歩いていました。
(このままだと、『戦巫女』が断罪……。想定していた以上に、『乙女ゲーム』のシナリオが、曲がってるっていうこと?)
(『入れ替わり』の障害が発生したせいで、シナリオが狂ってる……?)
とか考えて白とピンクで彩られた、ロココなお部屋へ入るとロビンちゃんがベッドメイキングをしていました。
そしてベッドサイドで寝る前のハーブティーを飲んでいる私に
「お嬢様、先ほどお手紙が届きました」
「え? こんな時間に……? 誰から?」
「それが……」
万能の執事さんが、ちょっと迷いがちに差し出したのは、白い封筒。手に取って裏返すと、そこにあった名前は。
『桐生瑠花』
私は驚きと期待で、眠気が一瞬にして飛びました。
「ど、どうしたのコレ……!?」
「本人が、お屋敷の前まで届けに来たそうです。どういたしましょうか……? 処分を?」
「あ、ううん……読むから構わないわ。もし何かあったら、声をかけるわね。それよりも、もう遅いからロビンも休みなさい」
「はい……あの、お嬢様」
「? 何?」
「あ……いえ、どうぞごゆっくりおやすみくださいませ。それでは」
そう言ってロビンちゃんがお辞儀をして出て行くと、私はダッシュで机に向かい鋏を取りました。タイミングといい、臭わせ感あり過ぎなお手紙です。
(こ……これは、これはまさか『戦巫女の断罪』についてのお手紙では!?)
(もしかしてディアベラちゃん、独自に情報集めしていたの!? 断罪の前に脱出するとか、何か対策をしているというお報せを私に……!?)
胸の鼓動の高まりを感じつつ、部屋で一人、急いで封を切って手紙を開きました。四つ折りの便箋を開くと、戦巫女直筆の短い文章がしたためられていて、その内容はというと。
『自分なりにいろいろ考えたけど、一緒にいたいと思う相手は一人だけだった』
『いばらの道だとわかってる。でも気が付いてしまった気持ちに、ウソをつきたくない』
『命がけでも、この恋を貫きます。隠しルートに行けなくてごめんね』
予想と、掠りもしませんでした。
「…………」
私は、本当に、文字通り床に倒れました。
棒倒しの棒が砂場で倒れるみたいに、パターン……と正面から倒れてしばらく動けませんでした。ネグリジェの薄くて柔らかい布を通して、床の冷たさが全身に染み入ります。
「『隠しルート』へ行くの投げたのかよ、『悪役令嬢』……」
床で倒れたまま、小声で呻きました。
ディアベラちゃんは自分が『正体バレたら即死』という、クレイジーなルールの中にいるのも忘れている気がします。そんな伯爵令嬢に命をかけられると、戦巫女まで死ぬんだってば!
それにまずディアベラちゃん、『ウソをつきたくない』って、どの口で言ってるの……? 他人と入れ替わって成りすましている状態で、そこからしてまずウソっていう点は……? 気持ちか。真実は気持ちですか。
きっとディアベラちゃんは、気持ちも完全に『ヒロイン』で出来上がっているのでしょう。でも明日には、そんな出来上がった戦巫女が『断罪』されるかもしれないっていう……。
「何か、もういいや……寝よ」
私は全てがあほらしくなってきて、流しました。
(こんなに何も考えない人が実在すると、よくわかった……それだけでも大きな収穫ですよ)
(今後どうなるかわからないけど、『伯爵令嬢』として、私は楽しい時間を過ごせた……それだけで良いよね?)
そう思うと、一気に眠くなってきました。
よじ登るように起き上がり、手紙は見なかったことにして机の魔法の引き出しへ仕舞い、羽毛がたっぷり使用されたふわふわ巨大ベッドへ頭から潜り込みます。
眠りは全てを忘れさせてくれる、万能薬です。疲れたら寝るのが一番です。
(ヒロインの選択で『隠しルート』を外れるなら、明日にはナキル様の短期留学も終わるのかな……)
(どうせなら、『邪神ソルト』来てくれないかな……っていうかアイツ何で来ないの、ゴルフでも行ってるの……?)
とか考えて瞼を閉じ、私は真っ白なふとんに埋まって、とろとろと眠りにつきました。
そうして意識が閉じていき、完全な眠りにつく寸前。
意識が落ちる刹那に、何か聞こえた気がしましたが、気のせいだったかもしれません。
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――悪夢になる前の夢を、永遠に――