第47話 ルカのはなし・王太子殿下とリターンマッチ 後編
キスをされました。王子様に。
透明な木漏れ日で輝く噴水の飛沫は、星屑のようで。その傍らにいるのは黒髪麗しき王太子殿下と、絶世の美少女と誉れ高い金髪の伯爵令嬢。二人が寄り添い口づけを交わしている姿は光と愛に包まれ、神々の楽園に遊ぶ、永遠に祝福されし者たちとしか見えないでしょう。
でも当事者それどころじゃないからー!
私は、ディアベラお嬢様と入れ替わっている他人です。この二人が何をどこまでやることやってたかとか、どんなキスをしていたかは未知との遭遇です。
そんな情報の引継ぎまではしていません。
――んきゃあーー!? どうか間違えていませんようにいいぃーーッ!
違和感を悟られないよう半ば祈る気持ちで、フューゼンにキスされているしかありませんでした。
魂魄が入れ替わる前、私がピンク髪の戦巫女だった頃には、フューゼンとキスしたことなんかありません。彼は守護者の一人で、私の頼れる仲間で、美麗な見かけによらず多少オタク気質だけど、仲は良かったです。
そうは言っても、『攻略対象』としてさえ意識をしたことも無かったのです。ヒロインだろうと、無いものは無いです!
それでも今は、『殿下の婚約者にして、ディアベラお嬢様』な私です。
しかも相思相愛なお二人です(設定上)。
ついさっきも「愛しておりますわ!」と、思いっきり言っちゃいました。だってこんなことになると思わないじゃないかー……ッ!
「ん……」
と声が漏れて、でも時間としては数秒の軽い口づけでした。
触れ合った唇の温度と感触が伝わり、その奥で一瞬呼吸が蕩けただけでした。
唇は離れても、目と鼻の先ほどの位置にフューゼンがいます。抱きかかえた子猫でも撫でるみたいな手つきで、指先が耳や首筋に触れています。もう少し見上げれば、白い肌で形作られた、完璧な輪郭を描く頬に触れてしまいそうで。
至近距離にある翡翠色の瞳は、まだこちらの動きを伺っているようでした。
「で、殿下……」
「まだ不満足だが、これで引き下がろう」
怯えている私にそう囁くと、フューゼンは腕の中から婚約者を解放してくれました。
これ以上のことをする気は無かったみたいで、涼しい顔をして身を離します。
(う……ディアベラちゃんとナキル様を、どうこう言えなくなった。どうしよう……)
耳と唇が火照って、熱くなっていました。心臓がうるさいくらい鳴っています。自分じゃないみたいに頭の中がふわふわして、俯いて動けなくなっていると。
「ディアベラ! フューゼン殿下がいらっしゃっているそうだが……!?」
男性の張りのある声が聞こえ、クロード・パリス伯爵が中庭へと現れました。
「お、お父様……!?」
「ああ、これは二人の邪魔をしてしまったかな?」
愛娘と王太子殿下の睦まじい姿を見て快活に笑いながら、クロードお父様が両手を広げて歩み寄ってきました。こんなハリウッドスターみたいな動きが似合う人、そうそういないと思います。
「も、もう、お父様ったら! そんな子ども扱いして、おからかいになって……!」
私は清純可憐な乙女の笑顔で恥じらいつつ、伯爵様の登場を歓迎しました。
マジでお父様、イイところに来てくれました! これで逃れられます! 助かったです! すげー助かったです!
「フューゼン殿下、ご無沙汰をしておりました。いや全く、グリオールのやり方にも困ったものです。辺境の方が騒がしくて、席を温める暇もありません。登城してもご挨拶も出来ず……」
「パリス伯爵の献身には、心から感謝しています」
パリス伯爵様がそう言い、何食わぬ顔の王太子殿下と親しく握手を交わしています。
「身に余るお言葉……そうそう、殿下には私から、他にもお礼を伝えねばならないと思っておりました!」
「礼?」
溌溂と語るクロード様へ、フューゼンが尋ね返すと
「先の、ダックワーズ学院の感謝祭の件です。舞踏会で照明魔法具の事故があったとき、殿下は我が娘ディアベラを、その貴い御身を挺して守ってくださったそうですな」
娘と同じ空色の瞳に感動の色を浮かべ、お父様は熱烈な口調で言いました。
この前の感謝祭での『事故(事件)』で、フューゼンは伯爵令嬢を庇ってくれました。そこについては、私から殿下にお礼は言いました。ご両親にも伝えて、パリス家から王家へ感謝の気持ちという名の多額の物品も贈られています。
でもそれだけで終了させないのがクロード様です。何度でも感謝の意を表するのです。隙が無いですお父様!
「彼女は、大事な許嫁です。当然の行動をしたに過ぎません」
さらりと、フューゼンが答えました。
麗しくも淡白な王太子殿下の反応で、虚を突かれたみたいに目を瞬いたパリス伯爵様でしたが
「ハッハッハ! 何と頼もしい! ディアベラ、将来は薔薇色だな!」
「は、はい……わたくしほど幸せな娘は他におりませんわ! 嬉しゅうございますっ!」
明るく豪快に笑うお父様に合わせて、ディアベラお嬢様として笑顔で応じました。
お、おう……愛されてるう……複雑ううううぅーー……なんて恐怖感は、微塵も出さないよう善処しました。
「感謝祭といえば……その事故の件で、今日はパリス伯爵に伝言があって伺った次第です」
と、若干声を落とし、フューゼンが別の話しを持ち出しました。
そういえば王太子殿下は、パリス伯爵の屋敷へ来た要件は二つあると言っていましたが。
「伝言ですと……? 殿下、御自らが?」
「父の伝言なのです。極めて重大な案件とのことで、僕が預かってきました」
「なるほど、道理で。殿下直々の急なご来訪は、そういう事情でしたか……で、シャール陛下は? 私が少し留守にしていた間に、何か城内で問題でもありましたか? ならば、すぐに対処致します」
王太子殿下の言葉で伯爵様も眉をひそめていました。それに対して
「父からは、『明日、伯爵夫人を伴って、ダックワーズ学院の神殿へ来てほしい』と」
表情をほぼ動かさず、滑らかな黒髪の王子様は言いました。
「私が学院へ? ほう、明日とは……これもまた急ですな」
王様の「学院への呼び出し」という伝言には、お父様も少々面食らっているようでした。
「早急な上に、曖昧な話しで申し訳ない。実は僕も、仔細は知らされていないのです。伯爵もご承知の通り、父はあの陰気な性格で……何を考えているのかわかりません。父が最も信頼を寄せているのは、身内よりも親友である貴方です。今回のことも内密に、くれぐれもパリス伯爵家より外の人間に漏らしてはならないと、強く念を押されてきました」
父親から『伝言役』を任されてきたフューゼンは、声を冷たくして言いました。
どうやら重度の引きこもりな王様は、親友第一主義な上に、相当な秘密主義のようです。部外者の私はレクス王家に詳しくないですが、あんまり仲良しファミリーじゃないのかな……という印象を抱きつつ、隣でお話を聞いていました。
「……何か、余程のことなのでしょうな?」
一方、シャール陛下の引きこもりに慣れているクロード様は、異常は察知したようでしたが、特に驚く様子も無さそうに言います。
「実は、どうやら先の舞踏会の『事故』と、異世界の……『戦巫女』に関わる事柄のようなのです」
と、彫刻を思わせる端正な造形の瞼も伏せがちに、王太子殿下が告げました。
(え……はい!? 戦巫女!? ここで戦巫女が登場なのッ!?)
飛び出た固有名詞に、伯爵令嬢の顔をした私は、硬直しました。
「戦巫女が……!? では、もしや爆発事故は、あの娘と関わりが!?」
「僅かながら聞いたところでは……『断罪』だそうです」
伯爵様が一歩踏み込んで尋ねると、王太子殿下は俯きがちに首を横に振りました。
「断罪ですと……!?」
「僕も父からそれ以上は知らされていないので、お答えのしようもありませんが」
答えたフューゼンを見たクロード様は右手を額にかざし三回頷くと、それは悲し気な溜息をつきます。いちいちドラマチックです。
「そうでしょう、ええ、もちろんです! 殿下のお耳を汚すような話しです! シャール陛下のお心遣いでしょうな。ああ、何ということだ……陛下のお慈悲によって、男爵の地位まで与えられておきながら、あの異世界人……。私も以前からシャール陛下には、いくら『伝説』の存在とはいえ、『異世界人』などという得体のしれない者を、あまり重用なさいませんようにと、ご忠告していたのです。あの娘、戦巫女の力と立場を悪用し、とうとう良からぬことを企んだのでしょう。我が娘のディアベラを階段から突き落とし、危害を加えようとした時に、早く手を打っておくべきでした……!」
愛娘のことも相まって、クロードお父様は額に青筋を立てています。熱量がすごいです。何かもう『戦巫女がやらかした』で決定みたいです。
(っていうか、『断罪』……? フューゼン、『断罪』って言いました……!?)
だいぶ時間差で、私の頭にも話しが入ってきました。
『断罪』。その単語は、乙女ゲームにおける『悪役令嬢』の専売特許だったはずです。
それが何で、『戦巫女』の仕事に入れ替わっているのです!?
「ま、待ってください! そんなはずありませんわ、お父様……!」
黙っていられない私(中身は戦巫女本人ですので)が、伯爵の娘として主張すると
「ディアベラ、お前は人を疑わない純粋な心の娘だ。想像もつかないだろうが……この世には自分本位の利害でしか物事を考えない、冷酷な者がいる。身の毛もよだつほど汚らわしい企みや、邪悪な人間も存在するのだよ」
愛おし気に娘を見つめるダンディなお父様に、優しく教え諭されました。
お前が言うのかよ! という思いを、お嬢様な私は噛みしめましたが口には出せません。思わず王太子殿下の方を見ると、フューゼンの顔は一切の感情まで消し去ったかのように無表情でした。
何か考え込むように、一点を見つめています。
「とにかく今は、『邪なる神ソルト』との戦いを控えた、重要な時期です。たとえ対象が何者であろうと、『断罪』などとは非常に重く厳しい決断とは僕にもわかります……。こんな時だからこそ、父には他ならぬパリス伯爵の実力が頼みなのでしょう。ご助勢を願いたい」
「わかりました必ずや……。アマンディーヌ王国と陛下のため、きっとこの命さえも投げうってみせます」
王太子殿下と辺境伯は、再びの固い握手を交わしていました。
ディアベラお嬢様として私は一連の出来事を、切り離された心地で眺めるしかありません。
とりあえず、瞬間ごとに誠心誠意、真心こめて嘘が言える才能すごい……と思っていました。