第43話 ルカのはなし・異世界人小庶民の悟り
大富豪パリス伯爵のお嬢様は、セールやバーゲンなんか行きません。
お店の方が、丸ごとお屋敷へ来る日常です。でもたまに、お嬢様自ら街へお買物に行くこともあります。
私は休日を利用して、ロビンちゃんをお供にお買物へ行きました。行く店舗も決まっています。高級な貴族同士の横の繋がりがありまして、そのお店へ顔を出しに行くのも、お嬢様の任務のひとつなのです。
向かった先はカーミラお母様のお友達で、ぺリオン子爵夫人がオーナーをしている帽子屋さんでした。経営はご飯のためではありません。税金対策であり有閑マダムの暇つぶしです。ついでに文化も豊かにするためです、すばらしいですね。
マフィン島の港に近いフィナンシェ大通りは、高級な老舗や宝飾品店が並んでいて貴族やお金持ちに人気があります。賑やかで街並みも美しいので、庶民も散歩やデートで訪れたりする場所です。ぺリオン子爵夫人の帽子屋さんも、その一角にありました。
私が馬車から降りて店内へ導かれると、子爵夫人のエリス様が出迎えてくださいました。四十代半ばといった感じの女性で、洗練されたお化粧に体型もほっそりとした、シルバーブロンドの優美な奥様です。
「まぁディアベラ様、久しぶりにお会いできて嬉しいわ。また一段と、お母様に似ていらしたのではなくて?」
真っ赤な唇に笑みをたたえ、奥様は喜んで私を接待してくれました。他に二人いた店員さんたちも、平伏さんばかりの勢いでパリス伯爵令嬢のお世話をしてくれます。
装飾も豪華な明るい店内にいる『お客さん』は、伯爵令嬢だけでした。そもそもが気軽に入れる空気じゃないです。落ち着いた雰囲気と、心地よい音楽が微かに流れる中、私はバカンス用の帽子を幾つか購入し、社交的でお喋りがお好きな奥様のお相手という任務を無事に終えました。
そうして小一時間ほど経った頃でしょうか。
「最近はどこもかしこも、倹約が厳しくなりましたでしょう? わたくしも、夫にきつく言われてましてね。仕方がございませんから、毎月の交際費も『一』に抑えてますのよ? でもこうも我慢ばかり続くと、気が滅入ってイヤになってしまいますわ」
エリス様は世間話の延長で、そんなことを仰っていました。『一』というのは一億ゴールドのことです。私の知っている我慢と種類が違いすぎて痺れます。ビリビリします。でもこちらの奥様から見れば、目の前にいるのは大金持ちの娘『ディアベラ・パリス』です。こんな話題も遠慮せず、気楽に話せるのでしょう。
「しかも最近になって息子が急に、『建築家になる』なんて言い出しましたのよ。子爵家の息子が、大工の真似事だなんて……」
「あら、素晴らしい挑戦だと思いますわ! 建築を学んでいらっしゃいましたの?」
伯爵家の娘としてポジティブにお話しを合わせると、奥様は宝石で飾られた手を振り、真紅の唇で苦笑していました。
「まさか! この前までは、海で泳いで遊んでばかりだったんですもの。それでも言い張るものですから、ディアベラ様のお友達のおうちの、ユーニ商会さんを通しましてね」
「え? えーと、あの、ユーニ商会さん……ですか?」
「あら、たしかクグロフ国のお友達のご実家じゃ……?」
「……あ! は、はい! そうでしたわ! わたくしったらウッカリしてお恥ずかしいですわ、うふふ!」
細い首をかしげる子爵夫人に言われ、私も大慌てで笑って頷きました。
ユーニ商会は『ディアベラお嬢様の取り巻き娘その二』な、アニスの実家なのです。
クグロフ共和国は魔導師の国なので、魔力の強弱がものを言います。しかしアニスの家は、魔力はそんなに有能ではないのです。そのためこうして、あちこちの外国の有力者と顔なじみになり、大商人となることでのし上がっているのです。グッドファイトです。それにしても上流階級、みんな繋がってますね。
「それでユーニ家の方から、フレデリック・メルセデスさんの建築工房へお願いをしましたのよ」
「まあ、あの有名なメルセデスさんのところへ?」
夫人の話しぶりから、息子さんが弟子入りでもしたのかと思ったら違いました。
「そこで王都の新しい劇場デザインと、監督をする事になりましたの」
「いきなり最高責任者ですか!?」
事実上の工房買収でした。
「ええ、どうしてだか息子のデザインスケッチを、皆さんが推薦してくださったんですって。何の才能があるか、わからないものですわねぇ? あの子も『これでようやく人並みのスタートラインに立てた』と話しておりますのよ。でも関係者にご迷惑をかけてしまいましたでしょ? それに予算も少し足りないということだから、うちからも、せめて『三十』くらいは出さないわけにいかなくなって……」
困ったわ、とエリス様は切なげな溜息をついていました。
息子と一緒に三十億入ってくるなら、デザインの一つや二つ推すのもどうってことなさそうです。子爵家の令息が工房へ入っただけで、どれだけの経済が動いたのでしょうか。ちなみに息子さんのスタートラインは、殆どの人にとってゴールです。スタートラインとは……。
「それもあって、倹約しなくちゃいけなくなったんですのよ、本当に気苦労続きで……。あら、わたくしったら愚痴っぽくなっちゃって。こんなお話し、ディアベラ様には退屈でしたわね」
「いいえ、お察しいたします。父母も何かと生活で苦労しているようなんですの。わたくしは詳しいことまで存じませんけれど……」
気を使ってくださる奥様へ、私は無垢なお嬢様として愛らしく微笑んでおきました。
そして私の帰り際にエリス様は、思い出した感じで「そうそう」と言いました。
「そこのブラマンジェ広場のところに、小さいですけれど、新しくお店を開きましたの。よろしければご覧になっていらしてね。お菓子が評判ですのよ」
楽しそうに言って笑みを開いた奥様は、新しいご商売を始められたことを教えてくれました。つまりお嬢様は、行かないわけにいかなくなりました。
「素敵……! どんなお菓子屋さんなんですの?」
「これもユーニ商会さんからのご紹介でね、クグロフ国で流行している、ジェラートなんですって。ディアベラ様くらいの若いお嬢さん達に、評判も上々だと聞いておりましてよ」
伯爵令嬢がきらきらの瞳で尋ねますと、負けず劣らずの天真爛漫さでシルバーブロンドの奥様も仰いました。ここもアニスの実家が一枚噛んでいましたが、気にしないで流しました。
エリス様のご実家は大地主です。先祖から受け継いだ土地を店舗に貸したのです。狭いマフィン島の、イイカンジの場所に位置するブラマンジェ広場です。付加価値の高い土地を他人にちょっと貸すと、何千万ゴールドというお金が毎月自然に入ってきます。よく出来たシステムです。
「とっても興味深いですわ! これから早速お店に伺ってみますわね!」
子爵夫人のオススメに、お嬢様の私は両手を合わせ、全身全霊で喜びを表現しました。そのジェラート一つ一つが集まって子爵令息のスタートラインになったりするということに感じた、一抹の不条理感は無かった事にしました。
思い返せば私なんて……行くつもりだった高校は強制退学になり、二度と家族にも会えません。おそらく今後の人生でラーメンも餃子も食べられません。それに引き換え、ペリオン子爵家の息子さんは、海で泳いで遊んでいただけで自然と有名な建築家の仲間入りをし、大建築物の責任者に抜擢されたのです。彼は一度くらい、凍ったバイカル湖に沈んだら良いんじゃないかと思うのも許してほしいです。
そんなみんなの夢と魔法でいっぱいの素敵なブラマンジェ広場は、フィナンシェ大通りを歩いて十分ほどの場所にあります。白い石畳には木漏れ日の欠片が散らばり、気分転換にちょうど良いお散歩という気分でした。
ロビンちゃんを連れた私が、賑やかな人通りの中を歩いて辿り着いた『お店』は、カラフルな貝殻やパールを模したデコレーションで飾られていました。
海やマーメイドを連想させるイメージカラーのジェラート屋さんです。
「お嬢様、こちらのお店です」
「ええ、そうみたい…………ぅえ?」
ロビンちゃんに返事をしたディアベラお嬢様の語尾が、おかしな音になりました。
私の視界の隅っこで、いかにも普通じゃないオーラを放つ男女が、右斜め前方の馬車から降りきたのです。雑踏の中でさえ私の目がその二人を見つけてしまったのは、運命だったのかもしれません。
宵闇のような藍色の髪をした若く美しい女性と、ナイスダンディな鳶色の髪をした……。
(……お父様!? クロードお父様ッ!? こんな所で何して……てかその女の人誰!!?)
人違いかと思いましたが、やっぱりクロードお父様でした。あんな派手な人、見間違えるはずがありません。青空から陽射しが降り注ぐ街角でお父様がエスコートしていたのは、私の知らない女性でした。交友関係の広い伯爵家です。私もお嬢様として、関係者には軒並み会ってきましたけれど、あの女性は知り合いでも親戚でもありません。
遠かったので少し見えただけですが、垣間見えた横顔は気品があり、所作や佇まいだけでも輝くばかりの美しさでした。熱い視線を交し合う二人は腕を組んだまま、足早に建物の中へと入っていきます。
(あれは庶民じゃないですね貴族ですね愛人さんですかーー!?)
(愛人とお城を抜け出して白昼の密会デートですか火遊びは上流紳士の嗜みですかお父様ーー!?)
(それだけなら良いんですけどお城の女性ならクーデターの協力者だったりしますかお父様ーーッ!?)
お二人を見つけてからここまでで、二秒くらいだったと思います。
「お嬢様……?」
たった今、背後で起きた事件にまだ気付いていないロビンちゃんが、私の視線の向こうを振り返りました。しかしすでに二人は建物へ消えていました。良かったような、そうでもないような……。
私は半ば無意識で、お父様たちが入って行った建物の方へ一歩足を踏み出しかけました。
でも、そこで動きは止まりました。
――げ……アイザック……っ!?
道の向こうから、火の精霊の守護者で犬獣人のアイザックが歩いてきたのです。しかも私とバッチリ目が合ってしまいました。
奴は確実に、こちらを認識していたのです。