第40話 ルカのはなし・感謝祭の中心で愛を嘆く 後編
左隣を見ると、若草色のシンプルなドレスに身を包んだ万能の執事さんがいました。
亜麻色の髪を結った純白のリボンといい可憐なメイクといい、壁の花にしておくのは勿体無いほど清楚な……じゃなくて。
(そ、そうだ! この子がいるじゃないの……!!)
私は心の中で叫びました。
ロビンちゃんも乙女ゲームの攻略対象です。そして現在の『隠しルート』において、ヒロインへの好感度は一定以上高いとしても、おそらく他の誰よりも低いはず! ナキル様よりは低いはず! そうであってくれ! 一か八かだ!
「ロビン、来なさい」
「? え? は、はい……!」
近くのテーブルへグラスを置き、ロビンちゃんを引き連れた私は黒いドレスをつまみ、戦巫女のいる方へ歩き出しました。
ギリギリで間に合って、ナキル様がダンスを申し込もうと手を出しかける寸前でした。
「お話し中に、ごめんあそばせ、戦巫女さま!」
透き通るソプラノで高らかに話しかけると、驚いた顔で二人が振り向きました。驚きの種類はそれぞれ違っていました。ナキル様は普通に驚きで、ディアベラちゃんは肩がびくっと飛び上がっていました。
止まっている二人へ、私は極上の甘い笑顔を向けます。
「うふふ……あのう、この子がどうしても、貴女とダンスをしたいそうなんですの」
口元を黒扇で覆い、ロビンちゃんの背中を軽く押して自分の前へ立たせました。
「え……え?」
押し出されたロビンちゃんは、予想もしていなかったのでしょう。口だけ動かして固まっています。絶世の美少女お嬢様な私は再びの笑顔でもって、戦巫女(中身は伯爵令嬢)の方へちらりと目を向け続けました。
「でも、この子ったら恥ずかしがり屋さんで……申し出ることが出来なかったらしいんですのよ。不躾なお願いとはわかっているのですけれど……ここはわたくしに免じて、一曲だけお相手をしてやってくださらないかしら?」
最強に可愛い角度で『ディアベラ様のおねだり攻撃』をしました。これで大体、誰でも落ちます。
「は? ……あ、あああ、あの……? お、お、おじょう、さま……?」
万能の執事ちゃんがこちらを向き、声を震わせて尋ねてきました。普段は凛としている顔の色は蒼白で、くちびるが震えています。明らかに戸惑って助けを求めていますが
「いいわよね、ロビン? そうでしょ、ロビン?」
「……あ、はい……」
詰め寄る金髪お嬢様に命令口調で言われると、骨の髄まで職務に忠実なロビンちゃんは細かく頷いていました。
「ね、よろしいかしら? 戦巫女さま? ……よろしいですよね?」
「ハイ……スミマセンデシタ」
私が素早く振り返り強めの確認をすると、自覚があったのでしょう。『戦巫女ルカ』になっているディアベラお嬢様も、真っ青になって頷きました。何色にでもなっておしまいなさい!
「まああ、嬉しいですわぁ! どうもありがとう! お二人とも可愛らしくて、とってもお似合いでしてよ!」
私は黒い扇をパチンと閉じて両手を合わせ、祝福の言葉を投げました。
画的にはドレス姿の女の子二人がダンスをすることになりますが、私には何の問題も無いから良いのです。
強制的にセッティングされたロビンちゃんでしたが
「お、お願いします……」
極小の声で言い、震えながら手を差し出します。
「こ、こちらこそ……」
ピンク髪の『ルカ』が緊張気味に答え、その手を取ります。
瞬間、ロビンちゃんの首から上が、カアアアア……! と音が聞こえそうなほど真っ赤になりました。ミントグリーンの瞳は滲んで、泣きそうな表情になっています。戦巫女と目が合わせられない状態でも、ロビンちゃんが手を離す気配はありません。相手が実は幼馴染のお嬢様だと知ったら緊張も解けるのかもしれませんが、今は言えない……。
そして次の音楽が始まり、手を取り合って踊りだした白いドレスの戦巫女と、若草色のドレスを着たすらりとした美少女(女装)。
――っしゃああああ! 『ナキル様ルート』の妨害完了ーーーーッ!!
私はそう心中で叫び小さく拳を握り締めてから、ようやく隣にいる人の存在を思い出したのです。
ダンスの相手を横取りされた、ナキル様です。
彼は腕を組んで、踊る二人を見ていました。灰色の髪の隙間から覗く赤紫色の瞳に、特別な悪感情は浮かんでいません。とはいえ
(も、もしや今……ものすごく性格の悪いお嬢様として、ナキル様からの印象が最悪になっているのでは?)
寒い汗と嫌な焦りが噴出してきました。手遅れ感がすごいです。
いくら悪役の道を行くのが使命とはいえ、『伯爵令嬢ディアベラ・パリス』が、ナキル様に悪印象を持たれるのは私としても望むところではないのです、一応。お嬢様の恋を破壊したいのではありません。
「あ、あの……ナキル様、違うんですのよ? お邪魔をしようとしたのではなくて、その、何と言うか……」
まだ沈黙している背の高い人を見上げ、急いで言いかけて詰まりました。
嘘です、邪魔する気満々でした……しかしそういう意味ではないのです。
あの戦巫女も『ニセモノ』で……。と更に焦りを募らせていると、頭二つ分ほど高い位置からこちらを見下ろし、微かに苦笑したナキル様が口を開きました。
「わかっている。それよりもディアベラは、意外と細かいところにまで気を使うんだな?」
「はい?」
「ダンスなど申し出られる立場ではない者のために、主人が自ら気を配ってやるとは」
「……(いえ……利用しただけで、そんな美談じゃないです……)」
善良に解釈してくれるナキル様の純粋さで、心が痛かったです。戦巫女とダンスが出来なかったことも、それほど悔しがってはいない様子です。無駄に『戦巫女』への好感度が上がって『ナキル様ルート』へ逸れるのは防げたようですが、それでも罪悪感の棘に刺された私が、密かに震えていたときです。
「ここにいたのか、ディアベラ」
背後から、落ち着いた声に名前を呼ばれました。
「え? ふゅ……で、殿下?」
振り向くと、王太子殿下のフューゼンが立っていました。夜会服が似合い過ぎて、後一歩で面白くなってしまいそうです。
「失敬。僕の婚約者が、何かそちらに無礼をしてしまったのだろうか?」
黒髪も艶やかな王子様は、さりげなく婚約者を引き寄せるとナキル様に尋ねました。
「いや、そんなことはない。少し話しをしていただけだ」
ナキル様も愛想は無いながら、淡白に返していました。
「そうか。では、これで失礼させてもらう」
微妙に冷やかな声で告げるとフューゼンは私の手を取り、その場を後にしました。力尽くではないものの、問答無用といった感じでした。
そのまま踊れるスペースまで連れていき、こちらの背中へ手を回します。私も急いでダンスの体勢に入りました。この日のために特訓もしてきたのです。フューゼンとディアベラお嬢様は身長差があるため、軽く抱き上げられた状態になっていました。
「君のパートナーは僕だ。迷子にならないでほしい」
踊りはじめてしばらくすると、フューゼンがこちらの耳へ口を寄せて囁きました。
「も、申し訳ございません、殿下……」
リードに合わせて私もステップを踏みつつ、美少女お嬢様の天使の微笑でもって見上げました。しかし見上げた先で、狙ったように見つめてくる人の翡翠の瞳とぶつかって息が止まりそうになりました。
(……ッ!? フューゼン、ちょっと怒ってる……? かなり、怒ってる……!?)
整い過ぎたフューゼンの顔の中で、ほんの僅か眉間に皺が寄っていたのです。そういえばこの人は『絶世の美少女お嬢様の可愛い攻撃』を無効化する、数少ない人でした。感情をあまり表に出さず、表情変化も少ない彼がこんな顔を見せるということは……。
またヤキモチか! 意外と嫉妬深いのかフューゼン! 許婚が他の男性と喋っていただけでアウトなのですか!? 自分は女子を侍らせまくっているくせに勝手ですねこの野郎! ていうか、もっと余裕ありまくりだと思っていたのに、そうでもないのですか!?
まぁディアベラちゃんだって普通にヤキモチ焼いてたし、王子様だって人間だから不思議ではないですけど!
(でも、そんなこと言われても! そんなこと言われてもーっ!)
こっちにも命に関わる切実な事情がー……! と私が思った、次の瞬間でした。
大講堂の灯りが突然全部消えたのです。暗闇に閉ざされ視覚が奪われ、誰もが動けなくなったときです。大講堂全体を透明な衝撃波が襲いました。
「きゃあーッ!」
「わああッ!?」
生徒たちの悲鳴とガラスの砕ける鋭い破裂音が降り注ぎ、私は音源を確かめる間もなくフューゼンに抱きかかえられていました。
そして掴んだ彼の腕越しに見てしまったのです。大講堂の大きな扉の外へ、小さな光の塊が飛んでいくのが見えました。
――え……? あれって……。
白く光る、ふよっとした丸っこいアレに、私は見覚えがあったのです。でも、どこで見たのか思い出せませんでした。
私が思い出そうとしている間に、再び大講堂の魔法の灯りが点きました。
「皆さん、落ち着いて行動してください! 怪我人はいませんか?」
教職員や給仕係が走り回り、うろたえてざわつく生徒たちに声をかけていました。
「怪我は無いか?」
「は、はい……殿下は?」
「大丈夫だ」
腕の力を解いてくれたフューゼンに尋ねられ、私も頷きました。私の黒いレースの手を取った彼のホッとした気配が伝わってきて、こちらも緊張がゆるみました。
大講堂の中を見回すと、窓ガラスが半分くらい割れています。いくつかのテーブルや椅子が倒れていて、負傷者はいないようですが、泣いている子もいました。
「魔法設備の事故だろうか? 何だったんだろうな……」
呟くフューゼンは周囲を見回しているだけでした。誰も扉の方に注意を向けていません。あの『光』を見た人は、私の他にはいないようで……。
「あ゛」
「うん?」
「い、イイエ、何でもないデスわ……」
私はドレスの裾を気にしているふりをしてフューゼンの視線を避けつつ、恐ろしいことを思い出していました。
さっきの白く光る、丸っこくて、ふよっとした小さいアレ。
あれは私がこの異世界『マカローン』へ召喚された日、一瞬目の前を通り過ぎていったあれと、そっくりだったのです。