第38話 ルカのはなし・こじらせ令嬢異状あり
私がディアベラちゃんと『話し合い』の場を設けられたのは、感謝祭の前日でした。
それまでしばらく、学院内で回避行動を続けるピンク髪の戦巫女と、それを追い掛け回す金髪お嬢様という構図が続いていました。
『戦巫女ルカ』が『伯爵令嬢ディアベラ』を避けていたのは前からなので、見た目的に不自然ではなかったと思いますが、中身は入れ替わっていて別人です。
急に私から逃げるようになったディアベラお嬢様です。心に薄暗いところがあるのです、十中八九、ナキル様の件ですね、わかります。
そして本日のお昼の食堂でも、四回目の捕獲作戦に失敗しました。
(ちっ、思ったより逃げ足が速い……)
またしてもディアベラちゃんに逃げられた私は、食堂の入口で内心舌打ちをしました。
こうなったら仕方ありません。正攻法ではなく奇襲作戦へ方針を変更しました。
攻略対象だってこんな一生懸命追いかけたことないっつーのに、何やってんだろ……と思いながら変更しました。
感謝祭の準備のため、その日の午後の授業は二時で終了しました。
賑やかな生徒たちの声にまぎれて帰るような顔で教室を抜け出した私は、学院校舎の北館へ向かいました。
そして南館との渡り廊下を抜けた先で、身を潜めて数分後でした。
(来た……!)
予想通り、ディアベラちゃんが普段生徒達が使う通路を避けて遠回りをし、こちらへ続く廊下を一人で歩いてきました。
正面玄関ではなく、裏から出るつもりだという私の読みが的中したのです。
「戦巫女さまあああ!! お話しがありますのおおおーーっ!!」
相手との間合いが詰まった瞬間飛び出した私は、ズッシャああーーーー! とスライディングと共に声をかけました。
左斜め後ろからの神風スライディングに、ディアベラちゃんは吃驚した顔で振り向き条件反射で身を翻しました。しかし続けざまに私の放った足払いがヒットして体勢が崩れ思いっきり床に後頭部をぶつけていました。
「ごゃあああッ!」
と声に出して読みたくても読めないはずの声を出していました。良いのです、これは元々私の身体なんだからどう扱おうが。
「ひい……っ、ぎゃいーーーーッ!」
まだ逃げようと足掻くヒロイン(伯爵令嬢)の首根っこを掴んでずるずる引き摺り、近くにあった美術室のドアを開けて放り込みました。
いつまでも逃げ続けられると思ったのですか。攻撃の無い防御は敗北に等しいのですよ。
「あまり怒らせないでくださる……? わたくし、穏やかに生きていたいのよ」
美術室の床でへたり込んでいる戦巫女を見下ろして話しかけた私の声は、我ながら冷たかったです。
「お、お嬢様……」
さっきから実は影のように背後にいて、女生徒たちの攻防を止めることも出来ずにいたロビンちゃんが青い顔をして、捕まった戦巫女と伯爵令嬢を見比べています。
「ロビンはそこで見張りをしていなさい。いいわね」
「…………はい」
ディアベラお嬢様な私が命じると、殺気が伝わってしまったようです。万能の執事さんは真っ白な顔で硬く頷きました。怯えさせてすみません。でもここは一歩たりとも譲ることは出来ないのですよ!
そうしてロビンちゃんが離れるのを見届け、ドアを閉めた後。
窓際にあった椅子を引き足を組んで座った私の視線の先では、怯えた顔の私の肉体、入れ替わったディアベラ様が正座しています。
「いくつかお聞きしたい事があるのですが、よろしいですね?」
「はい……」
逃げられないとやっと覚悟したようで、ディアベラちゃんが頷きました。
「ではまず、伯爵家の事情についてです。私は乙女ゲームの詳しい展開を知らないので、教えてください。伯爵家は断罪されるそうですが、具体的な罪状はどうなっているんですか?」
早速本題から話し始めると、緊張に固まったピンク髪の人は若干恨めしそうに顔を上げました。
「そ、そんなの知りませんわ……。そもそもゲームなんだから、いい加減に決まってるじゃないの」
「ん? 乙女ゲームなどでは、詳しく説明されないってことですか?」
『隠しルート』のエンディングを参考にして、今後の予定や先読みをしたかったのです。しかし金髪美少女の私が首を傾げると、中身ベテラン悪役令嬢のピンク髪女生徒は溜息と共に首を縦に振ります。
「当たり前でしょ……悪役なんて、倒されて消えてめでたしめでたしになれば良いだけの存在ですもの。それにわたくしは今まで敵として散っていたから、ループしてきた世界のエンディングがどうなっていたのかなんて知らないわ」
「え? ……そうなの?」
「知るはずがないでしょ! 退場しているのに!」
ふくれっ面のディアベラちゃんの回答を聞いて、私は少し考えてしまいました。
「それじゃ……パリス伯爵がクーデターを目論んでいることについては、どう思っていますか?」
「? ……クーデター? お父様が?」
腕を組んだ私の質問に、戦巫女の赤い目がきょとんと見開かれました。
「え……? 勃発しそうな条件が、めっちゃ揃っているんですけど……?」
逆にこっちが少々面食らって問い質したところ、戦巫女の目に微妙な動揺が浮かびました。
「し、知らないわよ。だ、だって、貴族令嬢のわたくしには関われないし、わかるわけないじゃない!」
「いやいや、確かにちょっと手間はかかりましたけど……。娘のポジションだからこそ、調べればわかりましたよ?」
「だっ……で……あ……!」
「……ディアベラちゃん。悪役令嬢を十一回もやっているんですよね? 今まで十一回、何をしていたんですか?」
だんだん聞くべき話題が逸れてきましたが気になり過ぎて、私は関係ない質問を振ってしまいました。
たしかディアベラちゃんは、『前世の異世界人としての記憶が戻ったのはループ六回目のときだった』と話していました。そこから何度も苦労をしてきたのです。破滅の回避が出来ないと判明したので、今回は是非とも『隠しルート』へ行くしかないという結論に至った、はずでした。
「い……色々よ、色々! 『悪役令嬢』なりに、攻略対象の好感度アップを目指したり、皆に喜ばれるように動物園を開いてみたり! 辺境へ逃亡したり、ヒロインに負けないよう最強を目指したり、徹底的に引きこもったり! ……何よその『こいつアホだ』とでも言いたげな目はッ!?」
動物園を打ち明けた辺りから、私は耳を傾ける気が消えてしまいました。お嬢様はムキになって怒っていらっしゃいますが……。
莫大な資源と才能の使い方が、根っからのお金持ち発想というか、夢見る夢子というか、使うのそこじゃないです……。パン屋さん計画のときもそう思ったけど。
「何か、もういいです……」
「し、失礼ねッ! 貴女だって実際にやってみれば、どれだけ大変かわかるんだから!!」
「えーあー、んじゃ次の質問ていうか……まず確認したいんですけど」
お嬢様の訴えを聞き流し、私は椅子に座り直してから改めて尋ねました。
「『隠しルート』を進むんでしたよね?」
私が口にした瞬間、戦巫女の目の焦点が合わなくなりました。
「今、『ナキル様ルート』突っ走ってるでしょ?」
「……」
「このままエンディングまで行くつもりですか?」
「……」
質問を重ねるごとに、冷や汗を流すお嬢様の顔色がおかしくなっていきます。
「あの……待って。ホントにやめて?」
お嬢様へ少し詰め寄った私の顔は、ヤバい表情になっていたと思います。言われている側の人が、こちらからも目に見えるほど恐怖を浮かべましたので何となくわかりました。
「だ、だだだ、大丈夫ですわ! 『隠しルート』からは外れないようにするもの! 大丈夫よ!」
「えー……と、ディアベラちゃん?」
空中へ向けて懸命に主張をしているお嬢様を、私は一旦制止しました。
「『ナキル様、良いなー』とか……思ってるの? 付き合いたいの?」
この質問は、自分にとってリスクにしかならないのではないのか。そんな予感を抱いて私が尋ねると、正座しているディアベラちゃんは必死でぶんぶん首を横に振りました。
「そっ、そそ、そんなことは! 無、い……! ちょっ、あの……ハイ、ある……かも?」
ディアベラお嬢様は赤くなっていく顔を両手で押さえ、へにゃへにゃになりながら否定して、一秒も経たずに折れました。
もろい! ガッバガバにもろい……!
「うえぇええッ!? だ、だからクッキー渡したりしてたの!? じゃあ、かなり前から!?」
前のめりになってしまいました。私から見てもナキル様への対応が濃かった。ヒロイン行為をやり過ぎじゃないかと思っていました、けども……。
「あッ! いや、ややっ、やっぱり無いわ! 違うの! 今のは間違いですわッ! 気の迷いっていうか! 勘違いですのよ! 前世のときの最推しだって、フューゼン殿下だったんですもの! わたくしってホラ、殿下大好き~! っていつも言ってるでしょ!? 今ちょっと体質がヒロインになって調子が狂ってるだけで……その、はうっ!」
ピンク髪の戦巫女になっている悪役令嬢様は、手や頭をバタバタ振って否定します。しかしそれ自体が自白と同じです。手遅れレベルということが判明していく一方です。
「ディアベラちゃんなんか炎上してしまえばいいのに……」
「ど、どうして貴女がそんなに怒るのよ!? 文句を言いたいのは、わたくしの方ですわ!」
伯爵令嬢な私が金髪の頭を軽く抱えていると、戦巫女なディアベラちゃんは逆ギレ気味に言い返してきました。そろそろ相手をするのも疲れてきたので、放置しておきました。
「……大丈夫なんでしょうね?」
私は顔を上げ、ディアベラちゃんに再確認しました。私たちの最大の目標は、『隠しルート』を進むことです。
「ええ、そ……そうよ、もちろん問題ないわ! どうせナキルは、もうすぐ短期留学が終わって帰国するのよ。その時にイベントがあって……ヒロインは『一緒に来てほしい』って言われるから、それさえ断わればルートは変わらなくて……断れば良い、だけ、で……たぶん」
床に座り込んだ戦巫女はゲームの『正解』を並べて、でも視線は空中に浮いています。
「本ッッッッ当に大丈夫なんでしょうね!? 『隠しルート』外れないで下さいよ!?」
「うんんんんんんんッ!」
念を押す私に、伯爵令嬢は変な声を絞り出して頷いています。
怪しい……! 全力で怪しい! 全然信用出来ない……! これまでディアベラちゃんは乙女ゲームのヒロインとして、やるべき役目などもやっていました。それが突如として進むべき『ルート』を無視して、暴走し始めています。
「な、何で急に、そんなヨロめいてるの? 何かあったんですか? この前ナキル様とジェラート食ってましたけど、もしかしてあの後に何かあった?」
私は膝に頬杖をつき、お嬢様に尋ねました。
ディアベラお嬢様が暴走を始めたトリガーが、それくらいしか思いつかなかったのです。それでも、まさかね? と思いつつでしたが
「……」
「あったの!? 何が……何があった!!??」
戦巫女が、超小さい声で何か言いました。小さ過ぎて聞こえなかったので耳を近づけると
「ちょ、ちょっと、冗談ぽい感じで、キスを」
「ふざけんなああああーーーー!!」
座っていた椅子を思わず回し蹴りで蹴り飛ばしそうになりましたけれど、寸前で逸らしました。学院の備品を破壊してはいけない!
「きっとナキル様の好感度が爆上がりしてますね? それで、そこからは? そこから先はやってないでしょうね……?」
「や、やってないやってないやってない!! 絶対に、神に誓って何も起きていませんわ!!」
私がスリーパーホールドで締め上げつつ囁くと、ディアベラお嬢様は降参して白状しました。供述によればジェラートをごちそうしてくれたナキル様へ、「お礼に♡」とキスをしたそうです。
「キスって、どこにキスしたんですか? ほっぺとか?」
「え? えー……あの、まぁ、ジェラートの味が、わかる程度?」
「結構ガチのやつ……」
頬をピンクにして、長い髪の先を指先で弄る戦巫女を前に、金髪伯爵令嬢のこっちが膝から床に崩れ落ちました。思ったよりダメージが……ダメージが大きい。
見た目的には、私が軽率にナキル様にキスしたことになるじゃないですか!
そんな本体の横で、入れ替わっているお嬢様は拗ねたみたいな顔をしています。
「あ、あるじゃないのそういう雰囲気とか! 貴女も、たかがキスくらいで騒ぎすぎじゃ」
「だったら明日の朝、全裸でファイヤーダンスしながら登校しようか!? 騒がないでいられるのか!?」
「やめてえええぇぇぇ!! ごめんなさい! ごめんなさいいいいーー……!」
目には目を歯には歯を身勝手には身勝手をと対抗措置を叩きつけると、縋り対いたお嬢様から熱い謝罪がありました。もし実行したらロビンちゃんも泣きながら止めそうです。ディアベラお嬢様が100%狂人の姿になりますが、知ったことではないです。
「二度とやらないで下さいよ!? わかった!?」
「わ、わかってますわ……。お、お礼と、お別れを、ちゃんと伝えたいだけだから……」
重ねて私が念を押すと、大人しくなったディアベラちゃんが俯き加減で言いました。
弱々しくしゅんとして、赤い瞳が潤んでいます。今にも目からは雫が零れ落ちそうで
(大好きじゃないですか……ナキル様のこと大好きじゃないですか……)
私はガタガタ震えてそれを見ていました。
たぶん、アレです。
ディアベラちゃん本人も、『入れ替わり』が発生するまで自覚していなかったのです。
前世でフューゼンが好きだったとしても、それは過ぎ去った前世の記憶です。生まれ変わっても好きだとは限らなかったのです。好きと言っても、ファン心理に近かったのではないかと思われます。
そして現在の『ディアベラ』という伯爵令嬢が出会って恋をしたのは、自国の王太子殿下ではなく隣国の若君だったのです。因縁あるパリス家の一人娘に思いを寄せられているなんて、ナキル様は夢にも思っていないでしょう。
フューゼンは……まぁいいか、どうでも。完璧超人だから何とでもなるでしょ、アイツは。
(ああー、もおおーーーー、ああああーーーーめんどくさいいいぃ……!!)
お嬢様を責めることも出来なくなり、私としてはまだ腑に落ちないけど、蜂蜜色の金髪を掻き毟っていました。片想いが辛いのは、人並み程度にわかります。
「あ、あのー……別に誰を好きになっても良いと思いますよ? 好き嫌いと善悪は、必ずしも繋がってないですよ。私が困るのは、この入れ替わりが解消した時に、自分がナキル様と付き合ってる状態になってるとか、そういうのが困るっていうだけなんです。断罪や追放や、何ならパン屋の開業までディアベラちゃんと代わっても良いですよ? でも誰かと付き合うのは自分で……」
「無理よ!!」
と、私の言葉へ被せるようにお嬢様が叫びました。私も「はい?」と止まってしまいました。
「どうせ……『ディアベラ・パリス』に戻ったら、また元通り嫌われるだけよ! うまくいくわけないの! いつもそうなんだから! 決まっているのよッ!」
だんだん涙声になっていくディアベラお嬢様が、強い口調で言い放ちました。
たしかに二十年来ギスギスしてきた隣国との関係とか、グリオール家との過去とかを思えば、ディアベラちゃんが「うまくいかない」と考えるのも尤もだと思いますが、何も泣かなくても……。
「え? で、でも今は『ディアベラお嬢様』も、ナキル様と普通に友達っぽい感じになっているし、全然イケると……」
俯き肩を震わせているお嬢様(姿は自分)へ、泣かせた格好になる私はしどろもどろで声をかけました。
魂が入れ替わってお嬢様に擬態している間、ショボいけど国際関係を改善する布石は打ってきました。ナキル様から相談をされるくらいの信用も勝ち得ています。入れ替わりが解消してから、本人同士でちゃんと仲良くなれると思ったの……ですが。
「それは貴女だからうまくいったのよ! 貴女が正当な『ヒロイン』だから何でも出来るのよッ!!」
ディアベラちゃんは叫んで立ち上がると、美術室を飛び出して行ってしまいました。
(ダメだ、あの人。完全に『悪役令嬢』を……こじらせている)
そんな思いと共に、美術室に取り残された私は見送るしかありませんでした。