第37話 ルカのはなし・誰が為にモテ期はある
『悪役令嬢』のディアベラ様に、『隠しルートを進む』と言われたのです。
そうすれば万事丸く収まるというから、『戦巫女』の私も信じてここまでやってきました。
それがどうして
――あれどう見ても『ナキル様ルート』だったよね……? 良いの? それで良いの!?
何度考えても、わけがわからないよ……と、まだふらつく足で私は薔薇園の出口へ向かって歩いていました。
ベンチにいた二人の、キラキラな光景が目に焼きついて離れない……。
現在、私と入れ替わり乙女ゲームのヒロイン『戦巫女』の役目をしているのは、ディアベラちゃんです。ルートの選択権を掌握しているのは、彼女の方です。悪役令嬢になっている私ではありません。
だからもしも戦巫女が『ナキル様ルート』へ入ってしまったら、止められません。
(『隠しルート』に行きたかったんじゃないのかああああ!?)
(『最高のエンディング』って、ディアベラちゃん本人が言ってたのにいいいい!!?)
もうすぐ来る(らしい)邪神ソルトの勧誘を、私が悪役令嬢としてキッパリ断わりさえすれば、無事に『隠しルート』に進めるのかもしれません。でもヒロインの『ナキル様ルート』へ引っ張るパワーが強過ぎたら、悪役令嬢は運命に逆らえないとも考えられます。
邪神の強引な詐欺セールスみたいになって、いらない契約とわかっていてもサインしないと逃げられない状態になったりするんじゃ……。
なんてことに意識を集中して、黙々と歩いていたらですね。
「……ッと?」
「あ、ごめん」
薔薇園の出口付近で、生垣の陰から出てきた人とぶつかりそうになりました。
寸前で避けた相手は白金の髪をした美少年、公爵令息のマキアムでした。
(あれ? 珍しいな……?)
私は直感的に、異常を察知しました。
マキアムも誰かとデートしていたわけじゃなさそうです。それに彼は元々が方向オンチで、迷路の薔薇園があまり好きではなかったはずでした。薔薇の花にも興味なんてなかったと……というところまで思考が辿り着いて、ぎくッとしました。
踵を返し、現場から離脱しようとしたのですが
「ねえ、ディアベラ」
背後からマキアムに声をかけられて、足が止まりました。
「はい?」
清い笑顔で振り返ると、そこには物凄くじとー、とした目で見つめてくるマキアムがいました。あああ、やっぱり……。
(マキアムくん、薔薇園に一人で入っていく伯爵令嬢を見かけて、追いかけて捜していたね……?)
(そしてちょっと迷子になっていたんでしょ、この方向音痴?)
私と向き合ったマキアムはしばらく黙ったまま、可愛い顔に小難しい表情を浮かべていました。
やがて数秒の逡巡の後
「僕は、セトみたいに回りくどいこと出来ないからハッキリ言うけど。ディアベラって最近……ちょっと何か、企んだりしてない?」
淡い白金の髪も眩しい小柄な王子様は、華奢な腰に手を当てて尋ねてきました。たったそれだけのポーズなのに、まるで天使のようです。
(うん、良い読みだマキアム)
心の中で、私も大きく頷きました。
そろそろ仲間に嘘をつくのも、本当に疲れてきています。無駄に神経を使って消耗するし、嘘をつくのだって楽しくないです。私だって早く元に戻って、またマキアムと白猫ラファエルさんに会いに行ったりしたいのです。
でも込み入った事情があるのです! こっちは生存がかかっているのだよ! というわけで!
「企む? わたくしが? 一体何がおかしいって仰るの?」
全力でしらばっくれました。最近は私も『ディアベラ・パリス』に慣れてきて、お嬢様芝居にも、ちょっと自信がついてきていたところでした。
ところが
「そういうところだよ」
マキアムに冷やかな口調で指摘されました。
どばーっと血が抜けていくような感覚に陥りました。あどけない童顔のせいで、余計に発言が怖いよマキアム。
(…………マジで?)
(どこが本物のお嬢様と違ったのか指摘して欲しい……)
目眩を感じてよろめきそうになるのを踏ん張りながら、そう思いました。
公爵令息である彼は身分の高さもあって、昔からパリス伯爵家の令嬢とも比較的近い位置にいたのです。ディアベラ様の態度や、細かい所作の違いとかに気付いてしまったのでしょうか? 何が違ったの? そんなこと言われたら、私もう身動きも取れないですよ!?
と、その場が凍結して二秒後でした。
「ディアベラ様あああーーーーッ!!」
叫び声と共に私とマキアムの間へ顔を出したのは、うさぎ……ではありませんでした。
クリームホワイトの長い巻き毛に、菫色の瞳をしたお嬢さん。ビロードのような白い毛で覆われた長くて大きな兎耳の女の子、ゾフィーでした。思わず「うひょぅ」と声が出たけど、二人とも気付いていませんでした、危なかった。
「よ、良かったですわディアベラ様……! ここにいらっしゃったんですのね?」
緑の生垣から顔だけ出して、ゾフィーが言いました。ゾフィーちゃんこそ、どうしてそんな所から出ていらっしゃるんですの? という本音の言葉は、動悸息切れと一緒に胸の中へ仕舞っておきました。
もうちょっと行けば出口で、ちゃんとした通路があるんだからそこから入って来れば良いのに、何があなたにそんな無茶をさせたのですかゾフィー。
うさぎお嬢さんの勢いに圧倒されているうちに、生垣からがさごそ全身脱出してきたゾフィーは服を整えていました。でもまだ頭に葉っぱを乗せたままでした。
(気付いてないな、これ……)
そう思っていた私の前で、ゾフィーが両手を硬く握り締めて顔を上げたのです。
伯爵令嬢を見つめてくる大きな瞳は、いつもにも増して潤んだようで、白い頬は真っ赤に上気しています。張り詰めた緊張の糸と息詰まる沈黙で辺りが支配されました。
金髪美少女になっている私は理由もわからず、でも何か大変そうな気配は感じて、密かに身構えていました。そうしたらゾフィーは息を吸い込んで
「あ、あの、あの……! わ、私、きょ、今日来ていたジェラート屋さん……の、本店を知っているんです! こ、今度、二人で一緒に行きませんか!? お、おお、お願いしますーーっ!!」
甲高い声を張り上げて、全身全霊でお願いされました。
「…………」
まさかのデートのお誘いでした。
(……なるほど……『取り巻きその三』から、『お友達』へ進むためのステップを踏み出したのですね?)
伯爵令嬢になっている私は、軽度の頭痛を感じながら理解しました。
ゾフィーは他人の人生の脇役から、自分の人生の主役になろうとしていたのです。
ゾフィーちゃん偉いぞ! でも只今アナタが必死でお出掛けデートを申し込んでいる、絶世の金髪美少女は、中が別の人なんだ!
あいにくですが、悪役令嬢(の中身)がお戻りになった時にリトライしてください。応援はします。手伝いまではしません。それに入れ替わっている私の独断で、デートのお誘いに乗るわけにはいきません。
肝心のディアベラ様は、向こうで黒獅子の若様とジェラート食ってましたけどね。ホント救いようが無いですね。それも他人の身体でやっているという……ひどすぎません?
「あのさ……ゾフィー。今は僕が大事な話しをしているところだから、後にしてくれる?」
そこへマキアムが、何故か私以上に引き気味の表情で口を挟みました。
「わ、私のお話しだって大事ですわ! 一大決心なんですのよ!」
ゾフィーは普段の大人しいお嬢様らしからぬ勢いで、マキアムに食って掛かっています。ゾフィーは大決心をして、それでさっきも勢い余って生垣から顔を出したのでしょう。がんばりも勢いも、全部逆効果になっている気がします。
「何言ってるのかよくわからないけど、僕の方が重大なの!」
「いいえ! いくらマキアム様でも今はお譲り出来ません! 私ですわ!」
「僕だよ!」
「私です!」
鼻先をつき合わせるようにして可愛い子と可愛い子が、伯爵令嬢を巡ってぴーぴーきゃーきゃーやっています。
モテ期ですか。これが人生に三回あると聞くモテ期なのですか。
私とディアベラちゃんと、どっちのモテ期を消費しているのか知らないですが、盛大な無駄遣いになっているのは間違い無さそうです。
でも闖入者ゾフィーの登場で、マキアムとの会話が中断したのは好都合でした。この機会を逃してはいけない! すみやかに撤退を開始せよ自分!
「……ちょっとお二人とも、よろしくて?」
大袈裟に溜息をついて私が声を発すると、マキアムとゾフィーが同じタイミングで振り向きました。意外と相性は悪くないコンビみたいです。
「申し訳ございませんけれど、わたくしもこう見えて、お子様のお遊びにお付き合いしているほど暇じゃありませんの。そういう可愛らしい空想遊びでしたら、どこかで誰か、別の方と一緒になさってくださる?」
呆れたような微笑と口調を揃え、肩にかかった金髪を指先で払いつつお嬢様として言いました。何度も練習してきました。さすがにこれは一分の隙もなく、『悪役令嬢』だったでしょう。
「え……」
「あ……」
可愛い子ちゃん二人が揃って黙ると、その現場へ息を切らせてロビンちゃんが駆け込んできました。
「お嬢様ご無事ですか!? 先ほど、こちらから動物の叫び声のようなものが聞こえましたが何か!?」
万能の執事さんは、薔薇園内部で聞こえたゾフィーの奇声を聞き、お嬢様のところに飛んできたようです。私の前にいるマキアムとゾフィーを見て、「?」という顔をしていました。この三人が並んでいるなんて珍しい取り揃えではありますので、まぁそんな顔にもなる。
「何でもないのよロビン。ちょうど良かったわ、そろそろ『お祈り』に行こうと思っていたところだったの。すっかり時間を無駄にしてしまいましたわ。それじゃ皆さま、ごめんあそばせ」
くるりと背を向けた私はロビンちゃんを引き連れ、二人を振り切るようにして足早に薔薇園を出ました。
あーもうやだ、疲れた……という脱力感と共に。